ビースト
ガデル族が姿を変えた魔獣の群れが、樹上の家々に向かって押し寄せてくる。
ナヴィラ族の戦士たちは、自らの里を守るため、そして大切な家族を守るために、決死の覚悟で応戦する。
次々と力尽きていく、両軍の兵士たち。
あちこちで火の手が上がり、高所から人々が転落する。
悲痛な叫び声。むせかえるような煙。
「み、みなさぁん……けんかは、やめてくださぁい……」
フェリスの震える声は、誰の耳にも届かない。
ただ、憎悪と惨劇だけが、辺りを満たしている。
「くくく……長の命、もらいうける……!」
一匹の魔獣がフェリスたちの近くに飛び乗ってきて、大きな顎を耳まで開いた。
少女たちは悲鳴を上げ、身を寄せ合って後じさる。
「長老に手は出させん!!」
ナヴィラの女兵士が飛びかかるが、魔獣の爪の一閃で薙ぎ払われてしまう。
魔獣が長老に突進し、ぎらつく爪を振り上げたときだった。
突如、毛皮の表面が醜く脈動し、魔獣が苦しみ始めたのは。
「ぐ……ぐぐ……あぁぁ……。なんだ、この、感覚は……自分が……溶けていく……?」
自らの頭を掴んでのたうち、だらだらと唾液を垂らす。
その瞳から、知性の光が失われていく。
「ぐる……ぐるるるるるる……」
魔獣が唸った。
その一体だけではない、他のガデル族の兵士たちも、次々に人間らしさの残滓をなくし、完全なる獣へと化す。
異変に気付いたナヴィラ族の兵士たちが、警戒して後退する。
魔獣の群れが、恐るべき軍勢が、ナヴィラの血肉を喰い尽くさんと咆哮を上げて襲いかかってくる。戦士を相手取るのではなく、その背後、怯える子供や老人たちへと。
魔獣たちの口に魔力の球体が込み上げ、エネルギーを増大させる。
濃厚な死の気配が迫る。
「ダメですううううううううううううっ!」
フェリスが叫び、両手を突き出した。
その手の平から、魔法結界の壁が生じ、轟音と共に膨張する。
魔法結界に吹き飛ばされる魔獣たち。
地面に落ちて転がり、泡を吹き出す。
肌の表面から毛皮が失われ、獣の姿が人間へと戻っていく。
「こ、これは……?」「トーテムの加護が解けた……?」「どうして……?」
当惑するガデル族の兵士たち。
その指揮官、虎の毛皮を被った男が奥歯を噛み締めた。
「魔導具の効果を相殺する術……か? いや、それより、魔導具で俺の意識が消えていたのは、いったい……。奴らを問い詰めねばならん」
ガデル族の指揮官は眉間に皺を刻み、指令を響かせる。
「……撤退ッッ!!」
兵士たちは波が引くように去っていく。
ナヴィラ族の戦士たちは、追撃しようとしない。そんな気力も体力も、もはや誰にも残されていない。ガデル族の軍勢に放たれた炎は、里に広がって彼らの大切なものを滅ぼそうとしている。
戦火の中、大きく息をつくフェリスを。
「お前は……何者じゃ……?」
ナヴィラの長老が目を見張って凝視していた。