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読めない

 翌朝は魔法学校の講堂で始業式だった。


 講堂は嘘みたいに広く、天井はとても高くて、フェリスは見上げるだけで首が痛くなってしまった。


 講堂の前の方には明かり取りの窓があり、太陽の白い光が流れ込んできている。その光を背中に浴びながらお話をしているのは、昨日会った校長先生。


 講堂を埋め尽くすようにして並んだ生徒たちの中で、フェリスはカチコチになって校長の話を聴いていた。


 周囲を見る限り、他の生徒たちはふらふらすることもなく、まっすぐ立って校長の話を聴いている。


 だから、フェリスもしっかり真っ直ぐ立っておこうと頑張った結果、カチコチになったのだ。

 ふらつかずに立っているのは意外と難しく、フェリスはこれまでにないほどの精神の集中を必要とした。


「さて、お主らの新学期が始まるが、これは将来の基礎を築くための新たな始まりでもある。ファーストクラスは、より深い魔術の知識について触れていくことになるだろう。ミドルクラスは、技術をしっかりと固めていかねばならん。ファイナルクラスは。いよいよ身の振り方を決めることになる。それはすなわち……」


 校長の話は延々と続いている。


 しかし、校長は一人で話すばかりで、生徒たちは誰も返事をしない。それどころか、大人たちも黙ったままだ。


 なんでだろうとフェリスは不思議でしょうがなかった。


 普通、おしゃべりとは何人かでするものだ。相手が返事をしてくれなかったら、とても悲しい気持ちになる。無視されるなんて、つらすぎる。


 だとしたら、校長先生は学校のみんなから無視されているのだ。酷いことをされているのだ。それはあまりにも可哀想だった。


 だから、フェリスは。


「夢とは、非常に大切なものじゃ。夢がなければ、人は目的地にたどりつけない。魔術を良いことに使うこともできない。お主らは、将来の夢を決めておるかの?」


「まだです!!」


 校長の質問に、元気よく返事した。


 途端、学校中の目がフェリスに集まる。


 ざわめく生徒たち。


 失敗した、とフェリスは悟った。


 これは、返事をしてはいけない場面だったのだ。それが常識だったのだ。

 恥ずかしくて、恥ずかしくて、フェリスはほっぺたがカーッと熱くなるのを感じた。


 結局、始業式が終わるまで、フェリスは火照った体を縮こまらせてうつむいていた。


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 始業式の後、生徒たちはそれぞれの教室に分かれて担任の先生を待つことになった。


 教室には机がずらっと並んでおり、生徒たちはみんな椅子に座っている。


 これはきっと走り回ってはいけない状況だとフェリスは判断し、行儀良く椅子に腰掛けて吐息をついた。


 先生たちが気を利かせてくれたのか、すぐ隣の席はアリシアだった。フェリスは少し安心するが、しかし、落ち着かない。


「あの……アリシアさん。なんだか、みんなからじろじろ見られている気がするんですけど……」


 フェリスがささやくと、アリシアが小さく笑った。


「珍しいだけよ。今学期、ミドルクラスの編入生はフェリスだけだから。あんまり気にしなくていいわ」


「うう……気になりますけど……」


 なんせ、魔石鉱山でのフェリスといったら、鉱夫たちからそのへんの虫みたいな感じでしか見られていなかったのだから。注目されるのは慣れていない。


 緊張しながら座っていると、やがて教室におしゃれな女の子がスキップしながら入ってきた。


 赤い帽子、赤い靴。耳に輪っかをつけて、ぴかぴかの杖を持っている。


 その女の子が教室の一番前に立ち、杖で床を突いた。


「はいはーい、改めましておはよー! 今日もみんな揃ってるねー♪ 休みのあいだに死んでないねー♪」


「おはようございまーす!」


 一斉に挨拶する生徒たち。

 

 フェリスは小声でアリシアに尋ねる。


「あの人……誰ですか……?」


「うちのクラスの担任のロッテ先生よ」


「先生!? 子供なのにですか!?」


「……ああ。えっとね、力のある女の魔術師は、魔術で年齢を止めてることが多いの。いつまでも若々しくいたいから」


「なるほど……すごいです……」


 ささやき合うフェリスとアリシアを、ロッテ先生がびしっと杖で指す。


「ちょっとそこー! 先生は正真正銘、永遠の十二歳だよ! 変なデマを広めなーい!」


 朗らかな叱責に、教室の生徒たちが笑う。


 なんだか仲の良さそうな人たちだなぁとフェリスは羨ましくなった。


 いくら仲が良くても、それは「フェリス以外」。魔石鉱山で和気藹々としていた鉱夫たちを見ていたから、よく知っている。いつだってフェリスは外側なのだ。


「えっとねー、じゃーね、いきなりだけど、実力テストを始めちゃうよ!」


 ロッテ先生が告げると、生徒たちが悲鳴を上げる。


「せんせ、いきなりすぎ!」「そんなの聞いてなーい!」「勉強してないってばー!」


 阿鼻叫喚の教室で、ロッテ先生はふふんと鼻を鳴らす。


「先に言ってたら実力が分からないでしょー! 文句言う人は犠牲魔術の生け贄にしちゃうんだからねっ!」


 先生が杖を回転させると、空中に紙束が現れ、教卓に落下した。ロッテ先生は紙を先頭の席の生徒に配っていく。


 嫌な顔をする生徒たちの中で、一人の女の子がふんぞり返る。


「普段から真面目に勉強していないから、いざというときに慌てるんですわ! わたくしは平気の平左、へっちゃら助ですわ!」


「ほーほー! ジャネットちゃんは今日も気合い入ってるねー!」


 笑うロッテ先生。


 ジャネットと呼ばれた女の子は、アリシアと同じくらい綺麗だった。


 流れるような長髪。

 すらりとした背丈。

 伸びやかな脚。


 引き締まった口元に、凛々しい瞳は、ちょっと険を含んでいるが、何者にも屈しない美しさを魅せている。


 フェリスはジャネットのことを、素敵な人だなぁと思った。


 ジャネットはアリシアを指差し、胸を張る。


「アリシア・グーデンベルト! 勝負ですわよ! どっちが優秀な点数を取れるか! 必ずやあなたを叩きのめしてあげますわ!」


「どうして勝負をする必要があるのかしら? これは実力を測るための試験であって、それ以上でもそれ以下でもないわよね?」


 とアリシア。


 ジャネットは地団駄を踏む。


「なにを涼しい顔をしていますの!? あいかわらず腹が立ちますわね! とにかく! これでわたくしが勝てば、我がラインツリッヒ一族の方がグーデンベルト一族より優れているということになりますからね! 覚悟なさいまし!」


 なんだか、あまり仲のよろしくない二人のようだった。


 フェリスはジャネットとも仲良くなりたいと思っていたところなので、少し残念な気持ちがしてしまう。


「ほらほら、じゃれてないで、テストテストー! 始めるよー!」


「じゃ、じゃれてなんていませんわっ! これは真剣な勝負でっ!」


 ジャネットは憤然と赤面しながら黙り込み、他の生徒たちも配られた紙と向き合う。


 いったいこれからなにをするのだろうとフェリスはわくわくしながら紙に目を落とし……、首を傾げた。


「あの……この模様、なんですか……?」


 ロッテ先生も首を傾げる。


「んっ……? 今回のテストに魔法陣の問題はなかったはずだけどなー? どの模様?」


「紙にいっぱい、小さな模様が書いてあるんですけど……」


 フェリスが報告すると、アリシアがハッと口元を押さえた。


「もしかして……フェリス、文字が読めない?」


「もじって、なんですか……?」


 分からなかった。この模様が文字なのだろうが、いったいぜんたいそれがなにを意味するのか、自分が今なにを求められているのかも、フェリスは想像もつかない。


 ジャネットが声を弾ませる。


「あらあら! あらあらあらあら! これは驚きですわね! 文字が読めないのに、どうやって編入試験を合格なさったんでしょう!? 説明が欲しいですわね!」


「んー、校長先生がテストは要らないっておっしゃってたから、大丈夫だと思うんだけどねー」


 フォローするロッテ。


 が、ジャネットは余計に勢いを増す。


「なるほど! そういえば……アリシアさんのお父様と、校長先生は親しい仲だったはず……! これはつまり、コネですわね! わたくしたちが難しい試験をパスしてやっと入った魔法学校に、アリシアさんはコネでお友達を入れたんですのね!」


「まあ……そうも言えるわね」


 認めるアリシア。


「呆れ果てましたわ! なんて不正でしょう! いいえ、不正ではなくとも、なんてひいきでしょう! わたくしたちの努力がすべて無駄に! ここまでずるいことをなさるとは、残念で残念で泣けてしまいますわ!!」


 ジャネットが声高に言い、他の生徒たちもぶつくさ呟き始める。


「マジかよ……」「ずるすぎ……」「さいあく……」「金持ちはいいよな……」


 誰もがフェリスとアリシアの方に敵意の視線を向けている。


 唇を結ぶアリシアを、ジャネットは勝ち誇った表情で眺めている。


 フェリスは、頬が熱くなるのを感じた。


 こんなの、ダメだ。


 自分が文句を言われるのは構わないが、アリシアまで標的になるのはダメだ。アリシアは優しくて、心が綺麗で、みんなから愛されるべき最高の女の子なのだから。


 フェリスはロッテ先生を真っ正面から見つめる。


「せ、先生! わたしにテストをしてください!」


「え……? なんのテスト?」


「へんにゅうしけん、っていうのです! それをやって、わたしがちゃんと合格すれば、問題ないんですよね!?」


「まあ……実力があれば問題なくなるだろうね」


 ロッテ先生がうなずく。


「だったら、わたし、テストに合格します!」


 宣言するフェリスを、ジャネットが嘲笑う。


「文字も読めないのに、そんなことができますかしら?」


「できます!」


「できなかったら? 責任を取って学校をやめてくれますの?」


「やめます!」


「ちょっと、フェリス! 変な約束をしちゃダメよ!」


 アリシアは慌てて止めるが、フェリスは引き下がらない。


「……わたし、頑張りますから!」


 優しいアリシアのためなら、なんだってやれる。テストだって、なんとかしてみせる。

 フェリスは心の中で固く誓った。


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 放課後。


「はあ……またやっちゃいましたわ……」


 ジャネットは反省しながら寮へと帰っていた。


 昼間はつい勢いで言い過ぎてしまったが、もしフェリスが本当に学校をやめてしまったらどうしよう、と思ってしまう。


 ジャネットは別に、フェリスに敵意はないのだ。

 むしろ、ちょっと可愛いな、おしゃべりしてみたいなと思っていたりもする。


 ジャネットが敵意があるのは、アリシア……いや、正確にはグーデンベルト家だ。あの家はジャネットの生家であるラインツリッヒ一族と確執がある。


「もしフェリスが学校をやめそうになったら……仲直りしましょう。それがいいですわ! うん、それで解決ですわ!」


 ジャネットは両の拳を握り締め、うんうんとうなずいた。


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 そんなことも知らず、フェリスとアリシアは。


 魔法学校の図書室で、今まさに猛勉強を始めようとしていた。


「アリシアさん! わたし、頑張ります! まずは『もじ』を教えてください!」


「えっと……絵本の読み聞かせから始めた方がいいのかしら……?」


 首を傾げるアリシア。


「とりあえず、私のお膝に座る……?」


「はい!!」


 やる気満々の二人だった。

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