魔女
アリシアが緊張した面持ちで尋ねる。
「……姫殿下? なにを持っていらっしゃるのですか……?」
ロゼッタ姫は荷袋を抱き締めた。
「騎士団の宝物庫に封印されていた魔導具です……」
「それってもしかして、黒雨の魔女の!? どうしてそんなものをお持ちなんですの!?」
ジャネットが目を見開く。
「騎士団の宝物庫は、ずっと魔術師団が監視していましたから。こんな事態になれば真っ先に魔女の標的になると思って、見つからないうちにこっそり持ち出していたのです」
「む、無謀すぎますわ……」
「周りからもよく言われます」
ロゼッタ姫は血の気を失った顔で微笑した。
黒雨の魔女が、漆黒の長い髪を禍々しい生物のようにざわめかせる。
「年の割に頭が回るようじゃが、所詮は子供の浅知恵よ。それから染み出すわらわの魔力に、わらわ自身が気付かぬとでも思うたか」
「残念ながら……私は魔力を感知できませんので……」
じりじりと後じさるロゼッタ姫。
黒雨の魔女が歪な手を姫の方へと差し伸べる。
「さあ、それをわらわに寄越すが良い。そなたらを血祭りに上げるのは簡単じゃが、大事な大事なそれを、下賤の血で汚したくはないものでなぁ?」
「渡せません。伝承によれば、黒雨の惨劇はこの魔導具が原因で起き、魔女亡き後も魔導具を巡って凄惨な争いが繰り広げられた……そのようなものを、惨劇の元凶に渡すわけにはいきません!」
ロゼッタ姫は敢然と魔女を見据えた。
「ならば、八つ裂きにしてから奪うまでよ!」
黒雨の魔女の全身から、真っ黒な瘴気が噴き出した。瘴気は奔流となってロゼッタ姫に襲いかかる。
「だ、だめですーっ!」
フェリスがロゼッタ姫の前に飛び出した。
両腕を広げて立ちはだかるフェリスに、瘴気が叩きつける。だが、瘴気はフェリスの体を一切損なうことなく、むしろその体に吸い込まれていく。
黒雨の魔女は歯ぎしりした。
「くっ……またそなたか!」
「ら、乱暴なことはいけないと思います! 仲良くした方が楽しいと思いますっ!」
フェリスはげんこつを握り締めて魔女に訴えた。
「黒雨の魔女相手に……なにを言っているんですの……!?」
唖然とするジャネット。
「や、やっぱり……フェリスは面白いですね……」
青ざめた顔ながらもつぶやくロゼッタ姫。
「あらあら」
とアリシア。
黒雨の魔女は頬をぴくぴくと痙攣させる。
「仲良く……? 器め……そなたは、このわらわのことを舐めておるのか……?」
「舐めてないです! 怖いですけどっ、でもっ、仲良くしたいです! もう……ケンカはやめましょ?」
フェリスは小首を傾げて呼びかけた。
黒雨の魔女は空中で頭を抱えた。
「ケンカ……? これが……タダのケンカじゃと……? やはり器はただの器か……。愚かな小娘が……わらわの闇をなにも知らぬくせに……!」
「あ、あの……黒雨さん?」
「前の方に縮めて呼ぶな! 瘴気が効かぬというのなら、こうしてやるわ!」
魔女が手を突き上げると、空間の軋むような圧迫感と共に、周囲のあらゆる路面、民家、街路樹の数々から、石材や枝が剥ぎ取られた。それらすべてが唸りを上げ、フェリスたちへと突進してくる。
「か、完全に怒らせちゃいましたわーっ!?」
「逃げるわよ!」
「ふええええええっ!? なんでですかー!?」
フェリスたちは、ロゼッタ姫を守りながら走り出す。ジャネットとアリシアが言霊を唱え、飛びかかってくる瓦礫を魔術で防ぎながら逃亡する。
しばらく走って黒雨の魔女の視界から消えると、裏路地伝いに廃屋に身を潜めながら王都の外を目指した。道のあちこちには影の異形たちがうろついていて、その巡回ルートを避けつつの進路である。
「みんな、気をつけて。今度見つかったらただじゃ済まないわ」
「か、かくれんぼですね!」
「こんな命がけのかくれんぼ、嫌ですわ!」
ロゼッタ姫がうつむく。
「すみません……わたくしの無茶に皆さんまで巻き込んでしまって」
「ひ、姫殿下が謝罪なさる必要はございませんわ!」
四人が心臓をばくばくさせて小屋の片隅に固まっていると。
憤怒に満ちた声が、割れんばかりに響き渡った。
「早く出て来い、小娘共!! さもなくば、わらわの瘴気が無差別に降り注ぎ、王都のすべてを溶かし尽くすじゃろう! これは最後通牒である!!」