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張り込み

 騎士団本部。


 それは、重量感あふれる石材で組まれた、ちょっとした砦のような建築物だった。


 敷地をぐるりと囲む石壁には外敵を確認するための穴が設けられており、屋上には見張り台もある。有象無象を拒絶するようないかめしい鉄扉も、全身鎧で固めた門番も、王都を守る騎士団の名に違わず威圧感たっぷりだ。


 あまりその手のタイプに縁がないフェリスたち少女は、気後れがちに近くの物陰から騎士団本部の様子を窺った。魔法学校は書物と紅茶の香りに満ちていたけれど、騎士団の建物から漂ってくるのは血と汗と鉄の臭いだ。


「それで……ここからどうやって騎士団に忍び込むんですの?」


 ジャネットがごくりと喉を鳴らして尋ねた。


「し、忍び込むんですか……? 怒られないでしょうか……?」


 フェリスもごくりと喉を鳴らして尋ねた。


 ミランダ隊長は慌てて手を振る。


「侵入はしませんよ! そんなことをして見つかったら、我が魔術師団と騎士団の関係が大変なことになってしまいます!」


「魔法学校も魔術師団との関係が強いし、私たちが捕まっただけでも問題になるわよね」


 思案するアリシアに、ミランダ隊長がうなずく。


「その通りです。飽くまで外からこっそりと! でお願いします……お願いですから」


 切実な懇願だった。そもそも魔術師団の重鎮二人のご令嬢と、魔術師団長が隠蔽工作を行っている重要人物フェリスを連れてここにいる時点で、ミランダ隊長のプレッシャーは途方もないものなのである。


「……張り込みね。容疑者が現場に姿を見せるまで、何日だろうと何週間だろうと、どんな悪天候の中でも監視を続ける。それは容疑者との精神力の勝負であり、生命と生命の激突だとも聞くわ」


「アリシアさん……………………?」


 妙に饒舌なアリシアに、フェリスはきょとんとする。


「まずは、保存の利く携帯食をたくさん用意しましょう。それから、夜に備えて防寒具を。光魔術を使ったら容疑者に勘付かれるから、明るさの調節できるランプと覆いも要るわ。てきぱきと用意しないと!」


「アリシア……さん……?」


 やけに浮き浮きとした感じのアリシアに、フェリスは目をぱちくりとさせる。


 ジャネットがため息をついた。


「アリシアって、そういうの好きですわよね。入学したての頃は、教室で探偵小説ばかり読んでいましたし」


「そういう時期も……あったわね」


 アリシアはちょっと気恥ずかしそうに目を伏せた。


「たんていって、なんですか?」


「猫を追いかけたり、他人の家を覗いて回る人ですわ」


「悪い人です!!!!」


「違うわよ! 怪事件を合理的かつ聡明に解決して回る尊い職業よ!」


「相変わらずですわね……」


 ジャネットは苦笑する。基本的にこのライバルは大人びて淡々とした少女なのだが、ところどころ年齢相応な部分がある。入学当初、いやそれよりもっと前からアリシアと因縁のあるジャネットは、彼女のことを誰よりも知っている。


「では、準備を済ませてからまた合流しましょう。くれぐれも迂闊な行動は取らないよう気をつけてくださいね」


 魔術師団で最も迂闊な隊長として有名なミランダ隊長は少女たちに念を押した。


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 そんな感じで、宝物庫のある騎士団本部を監視する張り込みが始まり、早三日。


 意気揚々として黒雨の魔女の出現を待ち構えていたフェリスたちは……今。


 死にかけていた。


「つ、疲れましたわ……やわらかいベッドで寝たいですわ……せめて椅子に座りたいですわ……」


「アリシアさん、アリシアさん! 地面も結構大丈夫ですよ! 寝っ転がれますよ! ほらほら!」


「フェリス……気持ちは分かるけど服が泥だらけよ?」


 長時間の監視による疲労困憊で、体力も集中力も限界である。


 どんなに魔術に長けた少女たちといえど、やはりその体はまだまだ少女。強い陽射しや雨風に晒されながらの張り込みには無理がある。


「一度、お屋敷に戻られては……。皆さんになにかあったら、私が魔術師団を首どころじゃ済みませんし……」


 過酷な任務で鍛えられているミランダ隊長は元気だったが、心配になって提案した。


「で、でも、休んでいるあいだに黒雨の魔女さんが来ちゃったら……」


 躊躇するフェリス。


「フェリスが残るならわたくしも残りますわ! わたくしはフェリスの守護天使ですわー!」


 過労で混乱気味のジャネット。


「この苦痛を耐えて、ドブネズミのバーガンディもレディ・ワイルドも事件を解決したのよね……」


 数多の有名な探偵に思いを馳せて勇気をもらうアリシア。


「本当に無理しないでくださいってば! 私が代わりにここにいますから! お嬢様たちはせめてお風呂に入ってください!」


「お風呂………………?」


 アリシアとジャネットが、ぴくりと反応した。


「そ、そうね……お風呂は、そろそろ入らないと……」


「じゃあ、ミランダ隊長に頼みますわ……服も着替えてこないと……」


 急所を突かれた令嬢たちに、フェリスが嘆く。


「ええええ……お風呂は一生に一度でいいですよう!」


「それは少なすぎますわよ!」


「動物はお風呂入りませんし……」


「人間は動物じゃありませんわ!」


「わたしもアリシアさんに会うまで入ったことありませんでしたし……」


「フェリスはわたくしが保護しますわーーーーーーっ!」


 ジャネットは涙声だった。


 結局、少女たちはいったん屋敷に戻ることになり、騎士団本部を離れて大通りを歩いていった。


 しばらく身だしなみどころではなかったので、通行人たちの視線が突き刺さる感じがしてしまうアリシアとジャネット。


 一方、フェリスは騎士団本部に後ろ髪を引かれつつも、久しぶりに屋敷で休めることに少しだけ安堵していた。


 そんなとき。


 ぴいいいいいん、と奇妙な音が辺りを走った。


 ぎょっとして立ち止まる、フェリスたち少女。


「今の……」


「なにかしら……」


「聞こえ……ましたよね……?」


 三人は言い交わすが、他の通行人たちは音に気付いた様子もない。空間に張り詰める緊張感、魂が痺れるような圧迫に、なんの反応もしない。


「いったい……なにが……」


 アリシアがつぶやいた直後。


 王都の上空から、闇の濁流が降り注いだ。


 きらめく漆黒の粒子を含んだ闇が、轟音と共に渦巻きながら王都を襲う。


 街を包み、家を包み、人々を呑み込んでいく。


「こ、これ、なんですの!?」「真っ暗です! アリシアさん! ジャネットさああんっ!」「こっちよ! フェリス!」


 少女たちは視界を奪われ、お互いの体にしがみつき合った。

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