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黒雨の魔女

「黒雨の魔女!?」


「あの、世界中に災厄を撒き散らしたっていう最凶最悪の魔女ですの!?」


 アリシアとジャネットはフェリスを引っ張って即座に後じさった。


 二人して杖を構えるが、その手は震えている。


「えっ……えっ……?」


 戸惑うフェリス。


 ミランダ隊長も飛び退いて攻撃の構えは取るが、目は輝いていた。


「素晴らしい……です! こんな刺激的な調査対象に遭遇できるとは! 古代の隷属戦争の詳細について、じっくりきっちり教えていただかないと……!」


「そんなこと言ってる場合じゃありませんわっ! わたくしたち、全員殺されますわよ!?」


「フェリス……気を付けて。あれは今までの敵とは違うわ」


 皮膚の痺れるような緊張感が、その場を支配していた。


 黒雨の魔女はため息をつく。


「当然の反応じゃな……。しかし、今のわらわはそなたらに攻撃などせぬ。だいたい、そのような力もないのじゃ」


「力が……ない……? どういうことかしら……?」


「騙されちゃダメですわ、アリシア! そうやって油断させて食べるつもりですわよ! ぱっくんされちゃいますわよ!」


「食べたりせぬわ! どんな怪物だとわらわを思っておるのじゃ!」


 黒雨の魔女とジャネットたちが睨み合う中。


 とことこと、フェリスが黒雨の魔女に歩み寄った。


「フェリス!?」


「なにをしていますの!?」


「さすがに危ないですよー!」


 アリシアたちが驚きの声を上げる。


 だが、フェリスは後戻りすることなく、黒雨の魔女にぺこりとお辞儀した。


「はじめまして、黒雨の魔女さん。わたし、フェリスっていいます」


「む……? そなたはわらわが怖くないのか?」


「えっと……お化けは怖いですけどっ、こくーさんはそこまで怖くないってゆうか、優しい人みたいな感じがするってゆうかっ」


 フェリスはあせあせと説明する。


「そんなわけがありませんわ! 黒雨の魔女は強すぎる力に溺れて、自分の好き勝手に魔導を暴走させた大罪人なんですのよ!」


 ジャネットが言い募り、ミランダ隊長もうなずく。


「ですね。当時の国家の三分の一が、黒雨の魔女の暴走に巻き込まれて滅びたと伝えられています。大地を魔導に侵し、生き物を異形に変え、王たちを殺戮に走らせた……その祠が魔力汚染の中心地だったというのは納得ですが」


「それは教本で読みましたけど……でも、なにか違う気がするんです! この人は、そういうことしないと思うんです! 絶対優しい人なんです!」


 フェリスは必死に訴えた。


 理由は分からないけど、直感が告げているのだ。黒雨の魔女から漂う空気はとても穏やかで、澄み通っていて……ある種、純粋すぎるところはあるが、悪人の空気ではない。


「優しい、か……そんなことを言ってくれたのは、そなたの他には一人しかおらなんだ……」


 黒雨の魔女は寂しげに微笑んだ。


 喪服のような漆黒に身を包んだ、うら若き女性。


 細い腕も、折れそうなほど頼りない首も、寄る辺なく縮められた華奢な肩も……その姿は、かつて世界を震撼させた極悪な魔女には見えない。


 思わず、フェリス以外の少女たちも警戒を緩める。


 フェリスは祭壇に身を乗り出すようにして尋ねた。


「こくーさんは、ここでなにをしてるんですか?」


「なにを……とは……?」


 黒雨の魔女は怪訝げに聞き返した。そのような質問をされるとは予想していなかった様子だった。


「お仕事ですか?」


「仕事では、ないのう……」


「観光、ですか……?」


「観光でもないのう……」


「お勉強ですか……?」


「勉強でもない」


「じゃあ、なにをされてるんですか?」


「……ええと、なにもしておらぬのう」


「なにも……?」


「なにもじゃ……」


 黒雨の魔女はちょっと恥ずかしそうに白状した。


 そんな魔女の様子を見て、聞いちゃいけないことを聞いたのかなあと反省するフェリスである。


 ゆるゆるの空気に、アリシアたちの緊張感がものすごい勢いで削られていく。


 気持ちを引き締め直そうと、ジャネットはつかつかと黒雨の魔女に歩み寄った。魔女を指差して詰問する。


「なにもってはずはありませんわ! この辺りの魔力汚染は、あなたの仕業でしょう!? つまり、また厄災を引き起こそうとしていたに違いないのですわ」


「……娘、名前はなんじゃ?」


「わ、わわわわわわわたくしの名前を知ってどうするんですの!? 夜な夜な枕元に立つつもりですの!? そうはいきませんわ! わたくしは幽霊の思い通りにはなりませんわー!!」


 本当は怯えまくりのジャネットだった。足は震えすぎておばあちゃんみたいになっているし、顔は真っ青である。


 しかし、フェリスの前で格好悪いところを見せるわけにはいかないのだ!


「ジャネットさん、大丈夫ですか!? わたしに掴まってください!」


「恩に着ますわ! 怖くはありませんけれど! 怖くはありませんけれどー!!」


 ジャネットは震えながら胸を張ってフェリスに掴まり立ちした。


「もうめちゃくちゃね……」


 呆れるアリシア。


 だいぶ収集がつかなくなってきたのを見て、ミランダ隊長が黒雨の魔女に近づく。


「ちょっと事情聴取をよろしいですか? あなたは『あの』黒雨の魔女ということで、間違いないのですよね?」


「正確には、わらわは黒雨の魔女の残留思念じゃ。黒雨の魔女の本体は滅されたが、祟りを恐れた者たちが祠を作り、世界中に積もっていた黒雨の魔女の思念、情念が祠に集まって形を成した。そうやってできたのが、幽霊とも幻ともつかぬわらわなのじゃ」


「なるほど……一種の魔術生命体ですか」


「生命とは異なる存在かもしれぬがのう」


「で、魔力汚染はあなたが原因なのですよね?」


「わらわは単なる『記憶』じゃ。汚染を……呪いを引き起こしたのは、わらわではない。『感情』が残した瘴気が、この地を覆っていた。わらわはその瘴気に呑まれて身動きできずにおったのじゃ」


 黒雨の魔女は口元に指を添えて思案する。


「しかし、どういうわけか、今は瘴気が消えておるようじゃの。これならわらわも外に出られるじゃろう。理由は分からぬが……」


「ふふん、フェリスのお陰ですわ! フェリスが瘴気を浄化してくれたんですのよ!」


 ジャネットは誇らしげだ。


 黒雨の魔女は目を丸くする。


「ほう……遺物とはいえ、あやつの瘴気を祓えるとは、並の魔術師ではないな……礼を言う、フェリス」


「い、いえ! ミランダさんが危なかったから、夢中だっただけです!」


 感謝の目を向けられ、フェリスは縮こまる。


 アリシアが小首を傾げた。


「その……、『記憶』や『感情』って、どういうこと? あなたは一人じゃないのかしら?」


「うむ。わらわは黒雨の魔女の記憶を核にして生まれた思念体。一方、あやつは魔女の怨念を核にして生まれた思念体じゃ。故に、あやつは感情に走る。理性もなく、ただ破壊と絶望だけを撒き散らす」


「そ、その、『感情』さんは今どこに……?」


 フェリスは恐る恐る尋ねた。


「さあてな。片割れとしてあやつの力の流れを感じることはできるが、あちこちで呪いを振りまいていることくらいしか分からぬ」


「ひょっとして……! やけにカースドアイテムが増えているのって、『感情』の仕業じゃないかしら!?」


「ほう、外ではそんなことが起きているのか。まあ間違いないじゃろう。生前も、わらわたちは膨大なカースドアイテムを産み出したようじゃからな。その武器が国々の争いを生み、混沌が湧き起こったのじゃ」


 ミランダ隊長は小さく唸る。


「なるほど……すべての事件が繋がってきた気がします……。だとしたら、『感情』を討伐しないと、なにも片付きませんね」


「うむ。わらわとしても片割れの暴挙を見過ごすわけにはいかぬ。そなたらに、有効な戦い方を教えよう」


「是非お願いします!」


「それは……」


 黒雨の魔女の『記憶』が話そうとしたときだった。


 激震と共に、凄まじい嵐が広間に流れ込んできたのは。


 その中心には、真っ黒な魔女がいた。


「くくく……どうしようもないのう、我が記憶は……。瘴気が途絶えたから気になって見に来てみれば、ぺらぺらとくだらぬことを喋りおって……」


 『記憶』と同じ顔、同じ姿……しかし、それとは比べ物にならないほどの禍々しい気配をみなぎらせた魔女。


「……っっ!!」


 フェリスは身をこわばらせた。


 一瞬にして、新たな魔女の邪悪さを感じ取ったのだ。


 あの存在は、危険すぎる。


 あれは、正真正銘の闇だ。


 その事実が、思考を超えた直感としてフェリスに叩きつけられる。


「……フェリス?」


 アリシアがささやいた。


「だ、だめ、だめです……みんなにひどいことしちゃ、だめええっ!」


「あはは! あははははははははははは!」


 狂ったような笑い声と共に、魔女から大量の瘴気が噴き出した。


 黒に侵され、溶解していく広間。


 崩れ落ちる天井。


 瘴気が漆黒の触手となって『記憶』を突き刺し、魔女の体内へと引きずり込む。『記憶』は悲鳴を漏らしながら呑み込まれ、消え失せる。


 他の瘴気は咆哮を上げて突き進み、ミランダ隊長や少女たちに襲いかかった。


 だが、フェリスが反射的に手を突き出すと、巨大な魔法結界が出現して瘴気を阻む。


「なに!?」


 驚く魔女。


 さらに瘴気を産んでフェリスたちを抹殺しようとするが、魔法結界はびくともしない。


「……妙な術を使う奴じゃのう。まあよい、そなたらの相手をしている暇などないわ!」


 吐き捨てるように言うと、黒雨の魔女は霞のように消え去っていった。


 崩壊していく広間から、フェリスたちは全速力で脱出する。


 危ういところで地上に戻り、地面に手を突いて肩で息をした。


「ぜえ、ぜえ……、な、なんとか、助かりましたわ……」


「ありがとう、フェリス……」


「は、はい……」


 フェリスは喘ぎ喘ぎささやくが、『記憶』を助けられなかったのが悲しくて仕方なかった。会ったばかりの相手だけれど、悪い人には見えなかったのだ。


 地下に続く階段は埋まり、粉塵がもうもうと噴き上がっている。


「……予想以上に、事態は深刻なようですね。私は一度、王都に調査結果の報告に戻ります。各部署と相談して、対策を検討しないと……」


 ミランダ隊長は眉を寄せた。

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