いっぱい知りたい
グーデンベルト家の中庭は、広々とした庭園だった。
よく手入れのされた薔薇が咲き誇り、植え込みが美しく整えられている。
早朝の澄んだ空気。青空から降り注ぐ、清潔な朝日。
それを一身に浴びながら、フェリスは思いっきり伸びをした。
「んんんんんんーっ……」
いつもは狭い坑道に潜って採掘ばかりしているものだから、幼いのにフェリスの体は結構あちこち凝りまくっていた。
だが、昨夜はふかふかのベッドで寝させてもらったし、なんだか疲れがだいぶ取れている感じがする。
「なんか……気持ちいです……」
ふあ、とあくびをするフェリス。
今日は「早く働け」とどやしつける親方はいないし、やらなければいけない仕事もないのだ。それはそれで、ちょっと不安になったりもするのだけど。
中庭にはまだ、使用人たちを含め誰も出て来ていなかった。
フェリスはベンチによじ登り、その端っこになんとか腰かけてから、自分の手の平を見つめる。
昨日、衛兵長たちに呼ばれた部屋で、自分がやったこと。
みんなの反応を見るに、あれは魔術だったらしい。
今まで、自分が魔術を使えるなんて想像もしなかった。考えてみれば、試したことさえなかったのだ。
そんな力、遠い世界のことだと思っていたから。
でも……、魔術が使えるのなら、もっと使ってみたい。自分の中に秘められたモノをもっと知りたいと、フェリスは感じた。
「えっと……確か、言霊とかいうのを使うんでしたよね……」
フェリスは一度聞いたことを忘れない。無知ではあるが、頭脳のスペックは高いのだ。言霊の内容だってちゃんと覚えている。
「ぶ、ぶらいと」
ためらいながら、小声で言霊を口にした。
すると、フェリスの手の平に光球が現れ、急速に膨張し始める。
光に触れた薔薇の花が舞い散り、植え込みが真っ白に燃え尽きていく。
朝日よりも激しい閃光の中で、フェリスは慌てた。
このままではまずい。昨日みたいな大変なことになる。
しかも今は、魔術をストップさせてくれるロバートもいないのだ。
「と、止まってくださあああああいっ!」
『かしこまりました』
すぐ近くから声がして、光球が消失した。
「え? え? え? だ、だれ、ですか……?」
フェリスは驚いて辺りを見回すが、人の姿は少しも見当たらない。
ひたすらきょろきょろしていると、屋敷の建物からアリシアが現れた。けれど、さっきの声はアリシアの声ではないのは明らかだ。
「おはよう、フェリス」
「あ、おはようございます!」
フェリスはとりあえず、謎の声の主を捜すのは後回しにすることにした。
アリシアはフェリスの周りの植え込みを眺め、表情を曇らせる。
「魔術……使ってたのかしら?」
「ご、ごめんなさいっ! ちょっとだけ、ちょっとだけ試したくてっ!」
「別に謝らなくてもいいわよ、フェリスの自由なんだから。あなた……魔術に興味があるの?」
「えっと、興味があるというかっ、魔術がうまく使えたら、就職に役立ちそうだなって思って!」
「……就職?」
けげんそうなアリシア。
「はい! 鉱山で魔石を掘るのに便利そうですし、次の鉱山で雇ってもらいやすくなると思います! 今、わたし、無職ですし!」
無職のフェリスは小さな胸を張った。
「えっと……まず、鉱山以外にもたくさん仕事はあるのよっていうのは置いておいて……あなた、まだ働かなきゃいけない年じゃないと思うわ」
「え……でも、働かないと食べていけませんし……。それに、わたし、知りたいんです」
「なにを?」
「魔術を。なんか、わくわくするんです! 自分ができなかったことを、やれるようになりそうなのが! いっぱい試してみたいんです!」
「その気持ち……分かるわ」
アリシアは呟いた。
「分かりますか!?」
「……ええ。私も、初めて魔術を習ったとき、わくわくが止まらなかったもの。ううん、今でもそう。自分の世界がどんどん開けていくのが、楽しくて仕方ないわ」
「ですよね! ですよね!」
フェリスは胸の前にゲンコツを握って小躍りした。
アリシアに理解してもらえた、他の人と同じ気持ちを分かち合えたことが、嬉しかった。
親方や鉱夫たちとは、そんな経験、一度もしたことがなかったのだ。なんだか、アリシアと自分が溶け合っていくような感じがした。
「でも、それならちょうど良かったわ。フェリス、あなたの魔術を、もっとちゃんとしたところで磨いてもらいたいと思わない?」
「磨く……ですか? 魔石を出荷前に磨くみたいにですか?」
「魔石の製造工程はよく知らないのだけど……そうよ、多分。仕事に就く前には、学校に行くのが普通なの」
「がっこう、って……?」
耳慣れない言葉に、フェリスは首を傾げた。
「うーんとね、あなたみたいな才能がある子供をたくさん集めて、師匠たちが鍛えてくれる場所よ。魔術の知識だって、しっかり教え込んでくれるの」
「へえ……」
とっても魅力的な場所に思えた。知識をもらえるということだけではなく、子供がたくさんいる場所というのを見てみたいとも感じた。
「どう、行ってみない? 私もその学校で魔術の勉強をしてるのよ?」
「は、はい! 行ってみたいです! がっこう、行きたいです!」
熱心にお願いする。
無邪気にきらめくフェリスの瞳を眺めながら、アリシアは父親との昨夜の会話を思い出していた。
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「……フェリスを、魔法学校に?」
父親に呼ばれた書斎で、アリシアは尋ねた。
ロバートはうなずく。
「ああ。あの子にはきちんとした指導が、導いてくれる人間が必要だ。今日みたいに魔術をコントロールできないままでは、いつかきっと悲劇が起こる」
「そうね……いつでも誰かが止めてくれるってわけじゃないものね」
アリシアは同意する。
昼間は、ロバートの持っていた魔封ボトルのお陰でフェリスの魔術を止められたが、あのボトルはかなり高価な品。どこにでもあるわけではない。
「もし、悲劇が起きたら……あの子は自分を許せないだろう。罪悪感は、闇を呼び寄せる。黒雨の魔女が壊れたのも、一つは罪悪感に苛まれたせいだったといわれている」
「そんなことには……なって欲しくないわ」
恩人だからというだけではなく、アリシアはフェリスに幸せになって欲しいと感じていた。あの、ちっちゃくてびくびくしている可愛らしい女の子を見ていたら、誰だってそんな気持ちになるだろう。
「幸い、私は魔術学校の校長と親しい。フェリスの事情を打ち明けて協力してもらっても問題はない」
「私もしっかりフェリスのお世話をするわ」
「そうだな。あの子の未来だけではなく……これには世界の未来もかかっている。歪まぬよう、壊れぬよう、見守っていかねばな」
ロバートは顎ひげを撫でながら、重々しく呟いた。
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「あの……どうしたんですか? ぼんやりして……」
フェリスは物思いにふけっているアリシアに尋ねる。
すると、アリシアはハッと我に返った。
「あ、ごめんなさい。ちょっと思い出してたことがあって」
「そうなんですね。こちらこそごめんなさい、アリシアさん」
「アリシアでいいわ。あなたとたいして年は違わないし」
「そうなんですか!?」
「私は十二歳よ、あなたの二歳年上」
「ええ!? 九十五歳くらいかと思ってました!」
「それはいくらなんでもウソよね!?」
アリシアはショックを受けた。
フェリスは急いで訂正する。
「あっ、間違えました! 十五歳くらいかと思ってました! すっごく大人っぽいので!」
「それは、ありがとう。でも、九十五歳ではないわ。ええ、九十五歳ではないの。ぜったいに……」
アリシアは何度も繰り返す。よほど彼女にとってそれは重大な問題らしい。
しばらくブツブツ言っていたアリシアだが、気を取り直したように両手をパチンと合わせる。
「……よし! それじゃ、魔法学校のある街に向かう前に、フェリスの旅支度を調えないとね! 私のじゃサイズも合っていないし、可愛いお洋服とか、カバンとか、お買い物に行かないと!」
とても楽しそうに話すアリシア。
それを見ているとフェリスまで楽しくなってきてしまうのだが、一つ分からないことがあった。
「あの……おかいものって、なんですか……?」
フェリスはきょとんとして訊いた。