魔力汚染
「わー、いっぱいおしごとありますー!」
「種類もいろいろあるわね」
「ふふふ、このわたくしにふさわしい高貴な仕事はありますかしら?」
フェリス、アリシア、ジャネットの三人は、掲示板を見上げた。
掲示板には募集中のクエストがピンで無数に留められている。魔物退治から下水道の掃除まで、種々様々だ。
「わたし、この『おせんたく』のお仕事やりたいですっ!」
「『寂しいおばあさんの話し相手』の仕事も、なかなか人生勉強になりそうね」
「ちょっと!? どうしてそんな地味な仕事を選ぶんですの!?」
「じみ、でしょうか……? わたし、おせんたくやってみたいです! お洋服を綺麗にするの楽しそうですっ!」
フェリスは目をきらきらさせた。
「フェ、フェリスがどうしてもやりたいなら仕方ありませんけれど……でもでもっ、お洗濯なら寮でもできるでしょう!?」
「まあ、せっかくの職場体験なんだし、今しかできないことをやった方が勉強になるかもね」
「今しかできないこと……? どれがいいんでしょう?」
「これとかどうですかしら? ほらほら、だいぶランクが高いですわよ!」
ジャネットが背伸びして掲示板から取ったメモを、フェリスとアリシアが覗き込む。
「魔力汚染の調査……? なんだか不穏なクエストね……」
「おそうじでしょうか? わたし、おそうじやりたいですっ! 綺麗にしたいですっ!」
「どれだけ家事したいんですの!」
「昔はかじとか全然したことなかったから、面白いんです!」
しかもメモにはAランクのクエストと書かれている。Aランクのお掃除だなんて、どんなにやり甲斐のあるお掃除だろうか、とフェリスはわくわくした。
近くにいた冒険者が肩をすくめる。
「パーティのうち一人でも受注可能ランクを満たしていればいいから、嬢ちゃんたちなら受注できるだろうけど……やめといた方がいいぜ」
「どうしてですの?」
ジャネットは首を傾げた。
「そのクエストはな、とんでもない魔力汚染が起きているエリアに入って調査をやらなきゃいけないんだ。つまり、クエストをクリアしたとしても後遺症が残る。防御魔術を使えば少しはマシだろうが、下手すりゃ即死だ」
他の冒険者もしきりにうなずく。
「ああ、ああ、やめとけ。国も調査をしてるらしいけど、二次災害の被害者多数で手がつけられず、仕方なくギルドにクエストを出してるって話だ。人死にが出るの前提でな」
「そんなことになっていますのね……」
「でも、それなら大丈夫ね。魔力汚染の調査なんて、フェリスにしかできないことだわ」
「え?」
「どういう意味ですの?」
フェリスとジャネットはきょとんとしてアリシアを見た。
それは、大きな沼地だった。
真っ黒な湿地が広がり、地面から瘴気が立ち上っている。
魔力に侵された獣がうめきながら飛び回り、堪えがたいまでの臭気が漂っている。
あちらこちらに朽ちかけた木々があることから、ここは以前は森林地帯だったのだろう。
ギルドの受付嬢の話では、魔力汚染が始まったのは一ヶ月前。そんな短期間で、このような呪われた沼地が出現したのだという。
「ほ、本当に大丈夫ですの……? こんなところにフェリスを入らせて……」
「だいじょぶです! そういえばわたし、ずーっと魔石鉱山でお仕事してたんでした! 魔力とかぜんぜんへいきです!」
ジャネットが恐る恐る見守る中、フェリスはひょいひょいと汚染地帯に入っていく。アリシアとジャネットは汚染地帯の外縁で杖を構え、不測の事態に備えている。
「それで、わたしはなにをしたらいいんですか?」
フェリスは闇黒の瘴気に包まれながらも朗らかな笑顔のまま、アリシアたちの方を振り返った。
そういうフェリスの姿を見ると、ジャネットは固唾を呑んでしまう。
明らかに現実離れしているのだ。普通の人間が、瘴気に包まれて平気なわけがないのに。いや、たとえ魔導師であろうとも、瘴気や魔力汚染の影響を受けないはずがないのに。
けれど、実際にフェリスはなんの影響も受けていない。彼女の洋服すら呪いに染まらず、肌はいつもの美しさを保っている。
アリシアはギルドでもらったメモに目を走らせる。
「クエストメモによると、一番汚染が激しいところの植物サンプルを、その遮断ケースに入れてほしいみたいね。あと、できれば動物のサンプルも欲しいみたい」
「はいっ! 頑張ります!」
フェリスは沼の中にためらいなくジャブジャブ足を踏み入れていく。汚染地帯のど真ん中にいながらも、フェリスは胸をときめかせていた。
「魔力汚染の調査って、楽しいんですね! 水遊びしてるみたいです!」
「そ、そんな生易しいものじゃないと思いますわ……」
大の大人でさえ尻尾を巻いて逃げ出すであろう強烈な地獄に、ジャネットはたじろいだ。というか、そういった場所になんの恐怖を見せないフェリスにたじろいだ。
――でもそんなところが余計に可愛いですわ!!
どんどん胸を鷲掴みにされていくジャネットである。
と、フェリスが沼地の途中で足を止めた。しゃがみ込み、地面をつんつんとつつき、それからアリシアたちの方を振り返る。
「あのう……動物サンプルって、人間でもいいんでしょうか?」
「……? どうしたの?」
「なんか……人がたおれてるみたいなんですけど……」
フェリスは地面に転がっている人間の顔を覗き込む。杖を必死に握り締めているから魔術師だろう。顔面蒼白で気絶しているが、美しい顔立ちの女性だった。
「それは救助しないといけませんわ! 一刻も早く外に出して解毒しないと!」
「はいいいいいいいいっ!」
フェリスは魔術師の腕を掴み、全力で引っ張っていこうとした。が、十歳の非力な腕力ではなかなか動かすことができない。
そうこうしているあいだに、沼の地面から泥が噴き出し、木々が怪物のような姿になってフェリスに襲いかかってきた。
「ひゃあああああああっ!?」
「……カースドアイテムの一種ね。援護するわよ!」
「フェリスに手は出させませんわあああああっ!」
アリシアとジャネットは杖から魔術を撃ちまくり、必死にフェリスを沼地から離脱させた。
そして、冒険者ギルドの一室で。
ベッドの上には、汚染地帯から運んできた魔術師の女性が横たわっていた。まだ意識は戻っておらず、それどころかまともに呼吸すらできていない。
「隊長! 隊長おおおおおっ!」「ご無事ですか!?」
部屋の中に、魔術師たちが何人もどやどやと駆け込んでくる。
介抱をしていた受付嬢が顔を上げた。
「あんたら、この人の知り合いなのか?」
魔術師たちはうなずく。
「ああ……。その人は俺たちの隊長なんだが、先に魔力汚染の調査をするといって出かけてしまって……」
「まさか、こんなことになっているなんて……」
魔術師たち――隊員たちは動揺しきって言葉を交わす。
「これだけ魔力に汚染されていたら、もう助ける方法は……」
「馬鹿! 隊長を見捨てるのかい!? なんとかして瘴気を排出させないと!」
「なんとかしてってどうやるんだ!? 方法はあるのか!?」
「分かんないけどっ、でもっ!」
歴戦の隊員たちは、敬愛する隊長の危機に混乱していた。
フェリスはおずおずと手を挙げる。
「あ、あの、なんとか、なるかもしれないですけど……」
隊員の一人がフェリスを睨んだ。
「なんだ? 子供は口を出すんじゃない! 今は子供の相手をしてる暇は……!」
「ちょ、ちょっとだけ失礼します!」
フェリスは隊長の胸に手の平を添えると、唱える。
「『魔素さん……! この人の中から出て、わたしの中に入ってきてくださいっ!』」
途端、大嵐が湧き起こった。
部屋が闇黒に染まり、稲妻がほとばしる。
隊長の体が大きく浮き上がったかと思うと、そこから瘴気の奔流が噴き出す。
「な、なんだこりゃああああああ!」「瘴気が! 魔力が暴走してるっ!」「このままじゃ街が崩壊――」
けれど、瘴気は暴走することはなかった。
猛々しい勢いのままフェリスの体に叩きつけ、その内部に轟々と吸い込まれていったのだ。
しゅぽんっ、と愛敬のある音と共に、瘴気は完全にフェリスの小さな体に収まりきった。
隊長の女性の体がベッドに落下し、女性が悲鳴を漏らす。
「くっ……!」
「え!? 隊長!?」「今、隊長が声を……!?」
隊員たちは目を丸くしてベッドに駆け寄った。
隊長の顔には赤みが差し、その胸は呼吸に上下している。隊長は目を開くと、詰まっていた息を吐くようにしながら起き上がった。
「ここは……? 私は、汚染地帯で死んだはずだが……」
「たいちょおおおおおおおおおっ!」
「お、おい! お前たち! どうした! みんな死んだのか!」
飛びついてくる隊員たちに、隊長の女性は目を白黒させる。
「この子が! この小っちゃな女の子が、隊長を救ってくれたんです!」「瘴気をずばーんって取り除いて、ずばーんって吸い込んじゃって!」
隊員たちはフェリスを指差し、口々に歓喜の声を溢れさせる。
隊長は首を傾げた。
「なにがなんだか分からないが……礼を言う」
美しい長髪を揺らしながら頭を下げ、フェリスをじっと見据える。
「私はミランダ・ツテルヒェン。王国軍魔術師団で、調査部隊の隊長を務めている」