絵本のヒミツ
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別荘の屋根裏部屋で、フェリスとアリシアは途方に暮れていた。
「ジャネットさん……、まだ絵本の中にいるんでしょうか……」
「私たちだけ外に追い出されたみたいだし、きっとそうね……」
二人して、怖々と『幸せなクマさん』の絵本を見下ろす。
あのメルヘンチックな世界に吸い込まれたときに落としたのか、絵本は床に鎮座していた。パステルカラーの表紙からは不相応なほどの異様な威圧感が、その絵本からは漂っている。
アリシアが綺麗な眉を寄せて思案する。
「この絵本……どうもカースドアイテムだったみたいね。どうしてこんなところにしまってあったのかは分からないけれど……」
「ジャ、ジャネットさあん……いますかぁ……」
フェリスは絵本の上にしゃがみ、口の周りを手の平で囲んでささやいた。
絵本はうんともすんとも言わない。いや、絵本から音がしたら普通はおかしいのだが、内部に閉じ込められていると思われるジャネットからの返事はない。
「ちょっと……、開けてみますね……?」
フェリスは恐る恐る絵本に手を伸ばした。
「フェリス!? うかつに触ったら危険よ!」
なんてアリシアが止めるも間に合わず、フェリスは絵本のページをぱららとめくってしまう。
すると、とあるページでフェリスの手が止まった。
「アリシアさん、これっ……」
「なんてこと……」
二人は目を大きく見開いてページを凝視する。
そこに描かれていたのは、大きな城、大きなクマ。
そして、鳥籠に閉じ込められているジャネットの姿だった。
アリシアは絵の隣に書かれた文章を音読する。
「『幸せなクマさんは、逃げていた小鳥をやっと捕まえました。でも、それは別の小鳥だったのです。仕方がないので、クマさんはその小鳥をずーっとずーっとずーっと捕まえておくことにしました。おしまい』」
「おしまいしちゃダメですよーっ!!」
フェリスは悲鳴を上げた。
「困ったわね……。魔法学校の先生たちに見せたらなにか分かるかもしれないけど、学校はここからだいぶ遠いし……」
「絵本を壊したら中からみんな出てきたりしないでしょうか……?」
「絵本と一緒にみんな壊れちゃう危険性の方が高いと思うわ」
「ひっ……!?」
フェリスは振り上げていた手を即座に引っ込めた。
「フェリス……? まさか魔法を使おうとしていたのかしら。あなたがこんなところで魔法を使ったら別荘ごと吹き飛ぶかもしれないから、あまり良くないと思うけど……」
「は、はいい……」
そのまさかだった。
自分が別荘消滅の危機に瀕していたことを知り、アリシアはどきどきする。
「じゃあ、なんとかして中に戻らないと……」
フェリスは絵本のページに手の平をぐいぐいと押しつけるが、もちろんそんなことで中に入れるわけもなく。
アリシアは唇を噛み締める。
「とりあえず、別荘の使用人たちに、この絵本のことを聞いてみましょう。ひょっとしたら、なにか知っているかもしれないわ」
「ですね!」
フェリスは絵本を腕に抱え、アリシアと一緒に屋根裏部屋から出た。
カースドアイテムを抱き締めているのは怖いが、放置していたら被害者が増えそうだし、ジャネットを放っておくわけにもいかない。
別荘の持ち主であるグーデンベルト家の遠縁の領主は不在だったが、別荘の中には使用人が結構残っていた。
掃除をしているメイド、食事の用意をしている料理人、大雨で外に出られずしょんぼりしている植木職人など、あちこちに使用人たちの姿が見られる。
フェリスとアリシアは別荘の中を行き巡り、使用人たちに聞き込みを行った。
……けれど。
「その絵本、ですか? ううーん、見たことないですね……。勉強不足ですみません……」
なぜか悲しそうに謝罪するメイド。
「なんだい、その汚い絵本は! ちょうどよかった、薪が足りなかったんだよ! 燃料にするから、こっちにおくれよ!」
さくさくと絵本を燃やしてしまおうとする料理人。
「オレぁな。仕事に命賭けてんだ。ご主人から託された庭を誇りに思って大事にしてんだ。だから、仕事ができない日は……もうどうしたらいいか……オレの生きている意味って、いったい……」
絵本どころではなく目を曇らせている、老齢の植木職人。
いつまで経っても手がかりが見つからず、フェリスとアリシアの焦りが強くなってくる。
敵が表にいるなら、倒せばいい。それだって大変なことだが、フェリスの力があればなんとかなるだろう。けれど、よく分からない仕組みのよく分からない絵本の中に閉じこもられていたら、手の出しようがない。
アリシアは表情を曇らせた。
「やっぱり、一度学校に戻らないと駄目かしら……。そのあいだに手遅れにならないといいけど……」
「ふえええええっ!? 手遅れになったらどうなるんですかあっ!?」
フェリスは縮み上がる。
そのとき、別荘のメイド長が廊下を通りがかり、フェリスとアリシアに目を留めた。
「……おや? 珍しい物をお持ちで」
「え、なんのこと?」
アリシアが首を傾げると、年老いたメイド長は絵本を指し示す。
「ご友人が持っていらっしゃる絵本ですよ。どこから見つけておいでになったのですか?」
「屋根裏部屋、だけど……」
「ああ、道理で。それはですね、アリシア様のお母様が小さな子供の頃、よく読んでいらっしゃった絵本なのですよ」
「お母様が?」
「ええ。あの方が別荘に遊びに来たとき、先代の奥様がプレゼントなさったのです。それからというもの、アリシア様のお母様は本当にその絵本がお気に入りで。別荘に来る度、『いつかこのクマさんと一緒に暮らすの!』と、それはもうお可愛らしいことをおっしゃっていたのですよ」
メイド長は皺の寄った頬をほころばせた。
「そういえば……、あのクマ、私のことをレティシアって呼んでいたわ。ね、フェリス?」
「は、はい。レティシアさんって、誰なんでしょう?」
フェリスが疑問に思うと。
「レティシアは……私のお母様の名前よ。もしかしたら、小さな頃のお母様と私が似ているから、勘違いしたんじゃないかしら」
「で、でも、どうしてそんな絵本がカースドアイテムに!?」
「分からないわ。だけど、やらなきゃいけないことは分かったかも。屋根裏部屋に戻りましょう!」
アリシアはフェリスの手を握って小走りに部屋を飛び出した。
「あらあら。本当に、昔のレティシア様を見ているみたいですねえ……。ここにレティシア様がいらしたら……」
メイド長は悲しそうにつぶやきながら、アリシアたち二人を見送った。
屋根裏部屋に戻ってきたフェリスとアリシアは、急ぎすぎたせいで息を切らしていた。
「そ、それで……なにを、するんですか……?」
フェリスは中腰になって、はぁはぁと喘いでいる。
「あのクマの目当ては、私のお母様よ。だったら、お母様が頼めば、クマは絵本の中に入れてくれるんじゃないかしら」
「じゃあ、アリシアさんのお母さんを呼んでこないといけないですね!」
アリシアは声を落とす。
「お母様は……もういないわ」
「え……」
フェリスは目を瞬いた。
「お母様は、私が小さな頃に戦争で亡くなったの。だから……お母様を呼んではこられないの」
そう語るアリシアの表情は、いつになく寂しげで。
「う……あ……」
フェリスは、どう返事をしたらいいのか分からなくなってしまう。悲しませるようなことを言ってしまった自分が、申し訳なくて仕方ない。
でも、謝るのもなにかが違うような気がして。
フェリスは、きゅっとアリシアの袖をつまんだ。
アリシアはフェリスの頭を撫でて笑う。
「もう、あなたまでそんな悲しそうな顔をしないで。ずいぶん昔のことだから、今さら泣いたりはしないわ」
「アリシアさん……」
「とにかく。お母様には頼めないから、私がお母様のふりをして呼びかけるしかないわ。お母様が大事にしていた絵本なら、きっと反応するはずよ」
「……分かりました。私、アリシアさんと一緒に絵本の中に入って、ジャネットさんを助けます!」
ぐっとげんこつを固めるフェリス。
「ええ、お願いね。フェリスだけが頼みの綱よ」
相手は得体の知れないカースドアイテムである。けれど、最強の魔導師であるフェリスが一緒にいてくれれば、なにも恐れる必要はない。
アリシアはフェリスの手を強く握り締め、呪われた絵本を見据えた。