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地脈喰い

 翌朝、まだ太陽も充分に昇りきっていない時間から、フェリスとアリシアとジャネットの三人は別荘を出発した。


 別荘の使用人に用意してもらったボートに乗り込み、火山を目指す。簡単な朝食は済ませているが、帰りがどのくらいになるか分からないので、お弁当としてワッフルとお茶もボートに乗せていた。


「出発しんこーですっ!」


 フェリスは左右のオールを握り締め、全力で漕ぐ。顔が真っ赤になるほど頑張っているのだけれど、元々が非力なせいでボートはなかなか進まない。


 アリシアが心配そうに尋ねた。


「フェリス……私が漕いだ方がいいんじゃないかしら?」


「大丈夫ですっ! わたしが火山に行こうって言い出したんですから、わたしが頑張らないと!」


 フェリスは言い張るが、細腕の筋肉の限界なのか、速度はさらに落ちていく。すぐにダウンしてしまい、ぜえぜえ言いながらボートに寝転ぶ羽目になった。


「もー、仕方ありませんわね! わたくしが代わってさしあげますわ!」


 ジャネットが嬉しそうにオールを引き受けるや、ボートはなめらかに海面を滑り始める。スムーズに流れていく景色に、フェリスは肩で息をしながらも半身を起こした。


「うわーっ、ジャネットさん、すごいです!」


「そ、そうでしょう? わたくしはすごいんですわ!」


 胸を張るジャネット。


「すっごい力持ちです! ムキムキなんですね!」


「ムキムキではありませんわっ!」


 乙女の名誉のため、それはなんとしても言っておかねばならなかった。


「うーん、なかなかね……」


 アリシアはジャネットの二の腕を触りながら、感心したように呟く。


「わざわざ確かめないでくださいましっ!」


 ジャネットは頬を燃やして叫ぶ。こんな辱め、ラインツリッヒ一族の娘にはあるまじき仕打ちだった。とはいえ、フェリスたちにされたら本気で怒れないのが困りものである。


 そうこうしているあいだに、ボートは沖合の火山に近づいた。昨日フェリスが使った魔法のお陰で噴火は収まっている。だが、いまだ噴火口からはうっすらと煙が出ているし、地下からは鈍い地鳴りの音が聞こえてきている。不穏な空気である。


「まずは、火山の周りを一周して様子を見てみましょうか。状況によっては火山に登って調べないといけないかもしれないけど、できれば火口には近づきたくないわ」


「そうですわね……。至近距離で爆発されたら大変ですもの」


 ジャネットがオールを操り、火山の外周に沿ってボートを走らせていく。


 ちょうど砂浜とは反対側のところまで来たとき、「それ」の姿が明らかになった。


「ひゃー!? な、なんですかあれー!?」


 悲鳴を漏らすフェリス。


 アリシアもジャネットも唖然として、火山の方を眺める。


 巨大な蚊のような生き物が、火山の中腹に貼り付いていた。サイズは馬車や家なんかよりずっと大きく、紫色の羽をゆっくりと蠢かしている。口から伸びた針は火山に突き刺さり、しきりになにかを吸い上げていた。


 アリシアがささやく。


「あの生き物、魔法生物辞典で読んだことがあるわ……。セルギヌス・プロロンテヌウス……通称『地脈喰い』よ」


「地脈喰い?」


 ジャネットが首を傾げた。


「そう。地脈に寄生して魔力を吸い上げる魔物よ。錬金工房で作られる人工生物だから、自然界には存在しないはずなんだけど……」


「つまり、誰かが作ってわざわざ火山に寄生させたってことになりますわね……そして火山の封印魔法に流れ込む魔力が足りなくなって、噴火したと……」


「そんな……」


 フェリスは青ざめた。なぜそのようなことをする魔術師がいるのか、さっぱり分からない。昼間はたくさんの人が噴火の犠牲になるところだったのだ。


「とりあえず、調査は完了ね。国の魔術師団に報告して、討伐してもらいましょう」


「そ、それじゃ、間に合わないと思うんですけど……もし、また噴火が起きちゃったら大変だと思うんですけど……」


「地脈喰いはSランクの討伐対象よ。下手に手を出したらどうなることか分からないわ」


 アリシアは言い聞かせる。フェリスが強いのは知っているが、しかし、この小さな女の子にあえて危険を冒させる必要はないと思うのだ。そういうことは、大人の責任だ。


「でもっ……わたし、放っておけません! 誰かが危ない目に遭うかもしれないのに、このまま帰るなんて……!」


「フェリス……」


 訴えるフェリスに、アリシアは困った。フェリスの気持ちも理解できないことはないからだ。


「二人とも、言い合ってる場合じゃありませんわよ! 来ますわ!」


 敵の気配を感じ取ったのか、地脈喰いが羽を唸らせてボートの方へ飛びかかってきた。


「猛る炎よ、万物の敵よ、かの者を焼き払え――ドラグナードフレイム!」


 アリシアが杖をかざして言霊を唱えた。


 杖の先端に魔法陣が広がり、炎が嵐となって噴き出す。しかし、地脈喰いは驚異的な機動力で攻撃を回避し、ボートに襲いかかってくる。


 フェリスたちは危ういところで攻撃を避けるが、地脈喰いはボートに激突する。傾いたボートから、フェリスが海へと転がり落ちた。


 水が肺に流れ込み、フェリスは必死になってもがいた。なんとか水面から顔を出すことに成功するが、すぐにまた沈んでしまう。移動中にボートはあっという間に遠ざかっていく。


 冷たくて暗い水に侵されながら、フェリスは海底へと落ちていった。苦痛、絶望、後悔。アリシアの言葉を聞かなかったせいでこんなことになったのだと思い、無謀なことを試みた自分が申し訳なくなる。


――ごめんなさい、アリシアさん、ジャネットさん……。


 フェリスが心の中で呟き、弱々しくまぶたを閉じようとした、そのときだった。フェリスの手が力強く鷲掴みにされ、体が引っ張り寄せられる。あれよあれよという間にフェリスは海上まで運び上げられる。


「ぷはああっ!」


 フェリスは思いっきり新鮮な空気を吸い込んだ。太陽の陽射しが眩しい。フェリスをしっかりと腕の中に抱きかかえながら泳いでいるのは、なんとジャネットだった。


「ジャネット、あなた泳げなかったはずじゃ!?」


 驚くアリシア。


「あ、あら!? 本当ですわ!?」


 もっと驚く本人。


「フェリス、わたくし、泳げていますわ! 泳げていますのよ!」


「は、はい! すごいです! ありがとうございます! 迷惑をかけてホントにごめんなさい……」


 しょげかえるフェリスを、ジャネットは懸命に支える。

 迷惑どころか、こうやってフェリスを助けるチャンスが得られて、ジャネットは逆に感謝したいくらいだった。

 今だったらどんなにフェリスを力一杯抱き締めても問題ないし、恥ずかしくもない。小さな体を自分の腕の中に守っている感覚は、至福の一言だったのである。


「気にしなくて構いませんわっ! さあ、フェリス! さっさとあの大っきなお化けモスキートを倒してしまいますわよっ!」


「はいっ!!!!」


 そうだ、今は反省している場合ではない、とフェリスは思い直す。地脈喰いはボートさえ壊せば三人を殺せると分かっているのか、再びボートに突撃を仕掛けようとしているのだ。


 フェリスはジャネットに抱きかかえられたまま、両腕を頭上に伸ばした。そして、大声で命じる。


「魔素さああああんっ! 地脈喰いを退治しちゃってくださあああいっ!」


 海から大量の竜巻が吹き上がり、地脈喰いに襲いかかった。

 海水の渦が叩きつけ、魔物の体を翻弄する。

 地脈喰いは死に物狂いで竜巻から脱出しようとするが、抗うすべもない。

 たちまち海に引きずり込まれ、底の底へと沈んでいく。


 竜巻が消え、穏やかな海が戻った。地脈喰いは浮かんでくる気配もない。 


「ふう。これでもう安心ですわねブクブク……」


「ジャネットさーーーーーーーーーーん!?」


 力尽きたように沈没し始めるジャネットの体を、フェリスは必死に抱きすくめた。そんな状況も嬉しくなってしまうジャネット。

 どうやら、自分はフェリスを助けるために必死になりすぎたせいで一時的に泳げていただけで、カナヅチ自体は治っていないらしいと悟る。


 二人して海の藻屑と消えようとしていると、アリシアが大急ぎでボートを近づけてきた。デッキに足を踏ん張り、二人をボートに引っ張り上げる。


「はあ……はあ……不甲斐ないですわ……」


 ジャネットはデッキに手を突いて息を荒げた。髪や顎から滴る水滴が艶やかで、フェリスはジャネットを改めて綺麗な人だなと感じる。


「ジャネットはよく頑張ったわ。フェリスを助けるため、カナヅチなのになにも考えずに海に飛び込むなんて、普通はできないもの」


「それは褒めてるんですの……?」


「もちろん褒めているわ」


 アリシアはにっこりと微笑む。


 これで地脈喰いは片づいたが、フェリスにはまだやらなければならないことがあった。寒さに震えながら濡れた両腕を上げ、叫ぶ。


「魔素さん! 二度と誰も火山に近づけないよう、そして噴火も起こらないよう、火山を封印しちゃってください!」


 巨大な光輪が、火山の上空に現れた。


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 とある大聖堂。


 闇の中で床の魔法陣を見守っていたローブの男が、ふと首を傾げた。


「……む?」


「どうした」


 隣の魔術師が問いかける。


「おかしい。地脈喰いに吸わせていた魔力が、魔法陣に流れ込んでこなくなっている」


「魔法陣のどこかが欠けたのではないか?」


「いや、魔法陣には問題ない。恐らくは、地脈喰いが消されたのだろう」


「あの魔物を……? 政府の魔術師団にも決して滅ぼされぬよう、強力な防御魔術を組み込んでいたはずだが……」


「よほど高位の魔導師が、我々の使命を妨害しているらしいな。一度、お目にかかってみたいものだ……」


 ローブの男は暗闇に輝く魔法陣を凝視しながら、憑かれたように呟いた。

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