休息
別荘を所有しているのは、グーデンベルト家の遠縁にあたる地方領主の一族だった。今は王都に出向いているとかで、別荘には使用人しか残っていない。フェリス、アリシア、ジャネットの三人は、好きなように別荘を使うことを許されていた。
別荘の客間、三つ並べられたベッドの一つに、フェリスは横たわって小さく息をしていた。
別荘に入るときに足の砂は拭いてもらったが、肌は海水が乾燥していたせいでべたついている。水浴びをしなければならないと思うのだが、疲れ切っていてその余裕もない。
そこへ、アリシアがタライを抱えて現れた。
「タオルと水を持って来たわ。これで体を拭いて、寝間着を着せるわね」
「わ、わたし、自分でできますからっ……わざわざそんなことをしてもらわなくてもっ……」
フェリスは起き上がろうとするが、すぐ力が足りずへたり込む。
「もう、無理しないの」
「ふあっ……」
アリシアからおでこをつつかれ、フェリスはか細い声を漏らした。
「フェリスはみんなの命を救ったヒーローなんだから、これくらい頼ってもいいのよ。ちょっとは誰かに頼るってことを覚えなさい」
「ヒーローなんかじゃ……ないですけど……」
弱々しい抗議をするも、アリシアは聞き入れてくれない。たらいの水にタオルを浸し、軽く絞ると、その濡れタオルでフェリスの体を拭いていく。
海水と砂の粒子でざらついていた肌が清められ、濡れタオルの涼気が爽快感を生じさせる。火照っていた体が楽になる。
アリシアはフェリスの両腕と両脚を拭くと、背に手を回してそっと抱き上げ、肩や背中を拭いてくれる。
「大丈夫、フェリス? 冷たくない?」
「はい……気持ち、いいです……」
まるで女神のような瞳がフェリスを優しく見つめ、濡れそぼった金髪がフェリスの体にまで垂れている。
そんなふうにされていると、フェリスは、胸の奥が安らぎ、じんと温かくなってくるのを感じた。思わず、唇から声がこぼれ出す。
「おかあ……さん……?」
「……ん? どうしたの?」
不思議そうに見やるアリシア。
「な、なんでもないですっ!」
フェリスは慌ててアリシアから目をそらした。自分の母親なんて知りもしないのに、なぜかアリシアのことをそう呼びたくなってしまったのだ。
だけど、クラスメイトの女の子をお母さん代わりにするのは恥ずかしい。それではまるで自分が赤ちゃんみたいだ。ほっぺたが熱くなっていくのを感じ、フェリスはベッドの上をコロコロ転げ回りたくなった。
「フェリスーっ! チキンスープを作ってきましたわよー!」
勢いよくドアを開いて、ジャネットが部屋に飛び込んできた。小さな鍋をミトンで掴み、ベッドに歩み寄ってくる。
「チキンスープって……さっきまで暑い砂浜にいたのに?」
目を丸くするアリシア。
「病人にはチキンスープが一番ですわ! わたくしがカンペキに看病をしてさしあげますわ!」
「やる気満々ね……」
「もちろんですわ! フェリスが弱っているというなら、わたくしの出番ですもの!」
ジャネットが蓋を取りのけると、鍋から湯気が立ち上った。ジャネットは木のさじでスープをすくい、フェリスの口元に寄せる。
「はい、フェリス。召し上がってくださいまし……あーん」
「あーん」
ひな鳥のように開いたフェリスの口に、スープが流れ込んでくる。
「あちゅっ……」
「あ、熱かったですの!? 大丈夫!? すぐにお水を持って来ますわ!」
慌てるジャネット。
確かに熱かったし、びっくりしたフェリスだが……、チキンスープは口の中に優しく溶け込み、滋味溢れる味わいに体が癒されていく。
それに、こうやって看病されるのが嬉しくて、フェリスは思わず視界が曇るのを感じる。
魔石鉱山にいた頃は、具合が悪くなっても誰も助けてはくれなかった。寝込んでいたら、早く働けと親方から怒鳴られるだけだったのだ。
ジャネットも、アリシアも、本当にフェリスのことを大切にしてくれている。それは、自分みたいな奴隷には、もったいないと思えるほどで。
「ううん、大丈夫です。とっても……おいしいです」
フェリスはにこーっと笑った。
「フェリス……かわっ……かわっ……可愛いですわっ……!」
「ふえっ……!?」
ジャネットがフェリスを思いっきり抱き締めた。豊かな胸に顔を押しつけられ、フェリスは窒息しそうになってしまう。
「ジャ、ジャネットさんっ……わたしっ……むぐぐっ……」
「どうしましたの、フェリス? そんなに潰されそうな声を出して」
「本当に潰れそうなのよ!」
アリシアの介入によって、悲劇は未然に防がれた。
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フェリスが一眠りして目を覚ましたときには、既に日は沈みかけていた。
ジャネットとアリシアは近くの椅子に腰掛け、静かに本を読んでいる。二人とも成績の首位を争っているだけあって、その様子はまさに知的な少女といったおもむきだ。
「あ、起きたんですのね、フェリス」
「おはよう、フェリス」
「おはようございます」
ジャネットとアリシアから微笑まれ、フェリスははにかむように笑った。
なんだか、くすぐったい。自分が眠っているあいだずっとそばにいてくれたのだろうかと思うと、胸の奥がむずむずしてしまう。
少し休んで体の消耗が回復したせいか、頭もちゃんと動くようになっていた。昼間の出来事を思い出し、フェリスは気後れがちに言う。
「あの……わたし、ちょっと気になることがあるんですけど」
「あら、なにかしら?」
アリシアが眉を上げた。
「あの火山って……、地脈から魔力を引き込んで封印されてたんですよね?」
「ああ、それならわたくしも気になっていましたわ。火山が噴火したということは、封印が解けたということですし……」
ジャネットが丸めた手の平を口元に寄せ、口調に不安を滲ませる。
「つまり、封印魔法が無効化されてるわけですから、また噴火するかもしれないってことですよね。どうして地脈の魔力を使えなくなったか、調べてみないと、危ないんじゃないでしょうか……」
もし、再び噴火が始まったら、とフェリスは考える。昼間のように首尾良く対応できればいいが、そうでなければ大きな被害が出てしまう。それは絶対に避けなければならなかった。
「わたし……誰かが死ぬのは嫌です。ちゃんと、噴火の理由を調べておかないと、いけない気がします……」
「でも……、こういうことは国の魔術師団が調査すべきだと思うわ。火山に近づいてフェリスが怪我してしまったら……大変よ」
アリシアが諭す。
「だけど! わたし、放っておけません! みんなが死んでしまいそうなところを、この目で見ちゃったんですから!」
「フェリス……」
表情を曇らせるアリシア。
ジャネットが腕組みして高らかに言う。
「いいじゃありませんの! わたくしたち三人でかかれば、火山くらいなーんてことありませんわ!」
「三人って、私も入っているのかしら?」
アリシアが尋ねると、ジャネットはさっと頬を染める。
「ま、まあ、そうですわ!」
「ふうん……」
「ちょ、ちょっと、あんまり近づかないでくださいましっ! なんなんですのっ!?」
至近距離からまじまじと見つめられ、ジャネットの顔がさらに赤くなっていく。
アリシアは悪戯っぽい笑みを漏らし、フェリスの方を向き直る。
「分かったわ。でも、あんまり危ないことはやめましょうね。私たち……ずっと三人で遊んでいたいから」
「はいっ!」
フェリスは大きくうなずいた。