休息
まずは負傷者を休ませなければならない。
少女たちは王都で避難所を確保した。
アリシアをベッドに横たえ、天使ライラが手当てをする。肩の矢傷は派手だったが、骨を避けて貫通していたこともあり、見た目ほどの重傷ではなかった。
天使ライラが隷属戦争時代の塗り薬を調合し、傷口に塗る。手の平を当てて天使の力を注ぎ込むと、肉体の快復力が増強され、みるみる傷が塞がっていく。
矢を受けてから激痛で口も利けなかったアリシアだが、やっと痛みが和らいでまともに呼吸できるようになる。
「ごめんなさい、フェリス。私が怪我したせいで、びっくりさせちゃったわね」
フェリスはぷるぷると首を振る。
「わ、悪いのは、わたしです……。頭が真っ白になって、それからのことは、全然覚えてなくて……あんなこと、するなんて……」
意識を取り戻した直後、目にした王都ヴァイスカの惨状。炎に包まれた街並みの光景が、罪悪感となってフェリスを押し潰す。
黒雨の魔女が肩をすくめた。
「民間人や民家は攻撃対象から外されておった。真実の女王にもまだ躊躇があったのじゃろう。火はわらわが消したし、瘴気をばらまいて負傷者共の快復力も上げておいた。そこまで大惨事というわけではない」
「ごめんなさい……」
フェリスは縮こまる。
アリシアの隣のベッドには、ジャネットが寝かされていた。玉の汗を浮かべ、苦しげにうなされている。ロゼッタ姫がジャネットの額に手の平を当てて心配する。
「すごい熱ですが、大丈夫でしょうか……」
「手加減されていたとはいえ、真実の女王の力を直に受けたのじゃ。熱だけで済んで幸運じゃろう。霊体に分解される寸前だったから、肉体が安定するには時間がかかる」
「わ、わたし、看病しますっ! なにをしたらいいか教えてくださいっ!」
フェリスは胸の前にげんこつを握り締めた。
三日が経つ頃には、ジャネットは自力で起き上がれるまでになっていた。フェリスが濡らした布で一生懸命に顔や首を拭いてくれるのが心地良い。眠っていたあいだ、ずっと看病してくれていたらしい。
――どうして意識がなかったんですの!? もったいないですわ!
悔やんでも悔やみきれないジャネット。しかし、いつの間にか寝間着姿になっているし、フェリスにお着替えをさせてもらうなんて恥ずかしくて死んでしまいそうだから、気を失っていて幸いだったのかもしれない。
「ごめんなさい……ジャネットさん……。わたしのせいで、苦しい思いをさせて……」
涙を溢れさせるフェリスに、ジャネットは胸が痛むのを感じる。この謝罪を、倒れてから何度聞いたことだろう。フェリスの泣き顔は世界一可愛らしいけれど、できれば彼女には笑っていてほしい。
ジャネットは弱々しく微笑んだ。
「そんなに謝らなくて大丈夫ですわ。わたくしはフェリスになら、たとえ殺されても本望ですわ」
「ジャネットさん……」
フェリスは涙をいっぱいに溜めた瞳で見上げる。
「わたし、どうしたらいいですか? どうしたらジャネットさんのこと、元気にできますか? ジャネットさんのためならなんでもします!」
なんでも、という言葉に、ジャネットはぴくりと肩を動かした。
「そ、そうですわね……。フェリスが口移しでクッキーとか食べさせてくれたら、もっと治りが早くなると思うのですけれど」
「分かりました!」
フェリスは即座にサイドテーブルからクッキーを取り、口にくわえた。ボールを取ってきた犬のように、目を輝かせてジャネットに顔を寄せてくる。
――こ、これは……!? まだ心の準備ができていませんわ……!
まさか要望に応じてもらえるとは予想していなかったジャネットは慌てる。フェリスのぷっくりしたほっぺた、愛くるしい唇から漂う甘い香りが、間近に迫ってくる。ジャネットはどきどきしながら、ぎゅっと目を閉じた。
「騙されないで、フェリス。口移しで治りは早くならないし、この子もう結構治ってるわ」
「ふえ?」
アリシアが素直なフェリスを止める。
「なんで邪魔するんですのー!? 一生恨みますわ!」
ジャネットはベットを飛び降りてアリシアに食ってかかった。アリシアはジャネットの攻撃を身軽に避ける。こちらもこちらで肩の傷はだいぶ治っている。
病み上がりで急に動いたジャネットは、息を切らしてベッドに腰掛けた。千載一遇のチャンスを逃してしまったことに歯噛みする。やはりグーデンベルト家は宿敵だ。
隣にフェリスが膝を突いて、ベッドによじ登った。小さな手の平で口を覆い、ジャネットの耳元で告げる。
「助けてくれて、ありがとうございました。ジャネットさんがだいすきって言ってくれるのが聞こえたから、戻ってこられました」
そして、ちょっと恥ずかしそうにささやく。
「……わたしもジャネットさんのこと、だいすきです」
「……………………っっっ!!」
きゅう、と倒れるジャネット。
「ジャネットさん!? またジャネットさんが病気にーっ!」
フェリスが涙目でジャネットを抱き止める。
「放っておいて大丈夫よ。元気になりすぎただけだから」
「そなんですか……?」
黒雨の魔女が鼻を鳴らす。
「まあ、今回ばかりはそやつのお手柄じゃったな。真実の女王があのまま復活していたら、プロクスどころかバステナも、いや、この世界ごと滅びていたかもしれぬ」
「今回ばかりって、なんですの!? わたくしはいつだって活躍していますわ!」
フェリスの腕の中でジャネットが怒鳴る。自分では起きようとしない。今日はフェリスに愛をささやいてもらえたり、抱き締めてもらえたりと、人生かつてないほど幸運な日なのだ。それが体を張ってフェリスを止めたお陰だというのなら、もっと浸っていたい。
「世界が滅びるって、どういうこと……? フェリスの中に、なにかいるのかしら……?」
アリシアは疑問を浮かべるが、黒雨の魔女は答えようとしない。
「知る必要はないし、知ったところでそなたらには打つ手がない。まずはプロクスとバステナの争いを終わらせることが先決じゃ」
天使ライラがフェリスの方に身を乗り出し、誇らしげに報告する。
「レインとわたしで調べていたんだけど、地脈の流れがおかしくなっているのは、魔力がプロクスの王都に引き込まれているせいみたいよ」
ロゼッタ姫が眉を寄せる。
「魔力を……? 戦争に使うためでしょうか……? しかし、プロクスは魔導兵器の運用は得意としていないはずですが……」
「やっておるのはプロクスではない。探求者たちが魔力を集めておるのじゃ」
「王宮にも術師がいましたわよね。探求者たちがプロクスの味方になったということですかしら?」
「それは恐ろしいことですね……」
ジャネットの言葉に、ロゼッタ姫は身を硬くする。探求者たちの邪悪な所業の数々については、かねてより聞き及んでいる。
黒雨の魔女は肩をそびやかした。
「あやつらは誰の味方にもならぬよ。実際、今回もプロクスとバステナ両方の権力者たちのあいだに入り込んで、戦争の糸を引いておるのじゃ」
「どっちにも勝利を約束してね。卑怯な人たちよね!」
天使ライラは腕組みして憤慨する。
「探求者たちの狙いは、人の世を混乱させ、戦時に放出される魔力を集めて、真実の世界への扉を開くことじゃ。今考えてみると、隷属戦争すら探求者たちが扇動していたように思えてくる」
「きっとそう。わたしを殺した兵隊たち、変な魔導具を使っていたのよね。探求者たちから借りた魔導具だとしたら納得が行くわ」
「いずれはあやつらを……滅ぼし絶やさねばならぬな」
黒雨の魔女は奥歯を噛み締めた。憎悪に反応して、肌から瘴気が染み出してくる。どーどー、となだめながら、天使ライラが黒雨の魔女の背を撫でると、瘴気の放出が穏やかになっていく。
アリシアは思案する。
「真実の世界への扉って……もしかして、フェリスが開いていた扉のこと? ドラゴンや天使がたくさん出てきていたけれど」
「わたし、そんなことしてたんですか!?」
フェリスは目を丸くする。
「あの扉じゃ。幸いにも探求者たちは気づいておらぬようじゃがな……まだ」
「まだ……」
アリシアはつぶやいた。つまり、気づかれたら大変なことになるということだ。