アリシアという少女
「アリシアちゃん。この前の実力テストの点数、相変わらず素晴らしかったよ! よく頑張ってるね!」
「ありがとうございます」
職員室でロッテ先生から褒められ、アリシアはお辞儀した。
今は休み時間。部屋にはちらほらと先生たちの姿がある。
アリシアはちょっと話があるからとロッテ先生に呼び出され、職員室を訪れたところだった。
ロッテ先生が眉を寄せる。
「ただ……最近、実技の方が伸び悩んでるみたいじゃない?」
「すみません……トレーニングはしているんですが、なかなか魔術の威力が上がらなくて……」
アリシアはうつむいた。
「アリシアちゃんは、卒業後は王国魔術師団への配属を志望してたよね」
「はい」
ロッテ先生は言葉を選ぶようにして話す。
「正直……、今のままじゃ厳しいんじゃないかなと思う。そもそも、魔術師団に入るような戦闘型の魔術師は、小さなときから魔力の大きさが飛び抜けてるんだよね。アリシアちゃんは魔術制御は抜群だけど、元々の魔力が平均的でしょ。だから、もっと他の進路を考えてみた方が、活躍できるはずではあるんだけど……」
「ありがとうございます。他の進路を考えてみます」
「あれっ……? えっと……魔術師団じゃなくてもいいの? アリシアちゃんって、お父さんのいた魔術師団に憧れてるんだと思ってたんだけど……」
アリシアは小さく笑う。
「もちろん憧れはありますけど、夢と現実は別ですから。自分の力を見極めて、しっかり未来を考えていかないと」
「そう……。うん、それはそうなんだけどさ……」
ロッテ先生は困った顔をした。
「あの、ね。私から言っておいてなんだけど、アリシアちゃんはまだ十二歳なんだから、もうちょっと子供でもいいんじゃないかな?」
「私は充分子供ですよ」
軽く一礼して、アリシアは職員室を立ち去る。
廊下に出るとき振り返ると、ロッテ先生が小さく肩をすくめるのが分かった。
アリシア・グーデンベルトは、幼いときから世界がよく見えていた。
世界の仕組み、大人たちの思惑、物事の裏側、現実の厳しさ。
それらがまるで空中に描いてある文字のように、見え透いていたのだ。
その洞察力は、生まれつきの知能の高さによるものなのかもしれない。もしくは、少し引いたところから森羅万象を観察する癖が、生じさせているのかもしれない。
いずれにせよ、アリシアには世界が分かっていたし、自分のことも分かっていた。
すなわち、自分は凡庸であると。
努力によって優秀な成績を収めてはいるが、天賦の才があるわけではない。その認識は、まるで神魔のごとき力を持ったフェリスと出会ってから、さらに強まっていた。
けれど、アリシアは落胆しなかった。
世界はそのようなもの。人には越えられない限界があり、それと付き合って生きていくしかない。
そう分かっていたから、落ち込むことはなかったのだ。
そして、あまりにも現実を理解しすぎているせいで自分に情熱が欠けているのも理解していた。
在りし日の父親のような魔術師になりたいという夢も、心の底から湧き起こったものではない。
『そういった夢が妥当である』
そんな、一種の良識的な思考が働いていたのだ。
自分が本当になにをしたいのかも、はっきりとは分からない。ただ、『自分にできること』『やらなければならないこと』を把握しているだけだ。
アリシアの毎日は、黒で灰色でもなかったが、決して光り輝くことはなく、パステルカラーに彩られていた。
「アリシアさあんっ! お昼ご飯に行きましょうっ!」
「……フェリス」
そう、この子猫のように飛びついてくる、愛くるしい女の子に出会うまでは。
なぜか彼女の笑顔を見ると、アリシアは胸の奥から淡い光が漏れるのを感じた。
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「ロッテ先生からは、なんのお話だったんですか?」
うららかな陽射しに満たされた中庭。
フェリスはベンチでサンドイッチをもふもふと食べながら、アリシアに尋ねた。
その口の端についているゆで卵を、アリシアはハンカチで拭き取ってやる。
「ちょっとね、私の進路のことを話されたの。私って魔術があんまり強力じゃないから、志望してる魔術師団に入るのは難しいらしくて」
「そうなんですか……」
フェリスはサンドイッチを食べるのをやめ、悲しそうな顔をした。
絶望の雲に覆われたような悲壮な顔に、アリシアは急いで付け加える。
「でも、大丈夫。魔術師なら、他にいくらでも進路はあるから。仕方のないことなのよ」
「そんなのダメですっ!」
「……え?」
「あ、ご、ごめんなさい、いきなり大声を出して。でも、ダメだと思います! 簡単に夢を諦めるなんて、ダメです! だって、だって、アリシアさん、とっても悲しそうですもん!」
「別に悲しそうだなんて……」
アリシアは笑った。
夢を諦めることには、慣れている。ものすごく幼い頃にはお姫様になりたいなどと世迷い言を述べていた時期もあったが、それだってすぐに諦めたのだ。
フェリスは指をいじりながら、おずおずと言う。
「あ、あの……もしよかったら、なんですけど……。最近わたしが発見した魔術のコツ、使ってみてくれませんか……?」
「コツ……?」
「はい! それをやると、なぜかいつもより魔術のコントロールが良くなるんです! 威力も好きなように調節できて、すごいんです!」
「へえ……」
近頃、フェリスが一生懸命トレーニングをしていることは、アリシアも気付いていた。
ひょっとしたら、非力な自分にもなにかのヒントになるかもしれない。
なにより、フェリスがこうも目をキラキラさせて言ってくるのだから、聞かないわけにはいかないのだ。
「じゃあ、お願いしようかしら」
「はいっ!」
フェリスは大喜びでうなずいた。
サンドイッチを最後まで食べ終えるや、ベンチからぴょこんと飛び降りる。
アリシアは鞄から訓練用の杖を取り出し、フェリスの隣に並んで立った。
「それで……どうしたらいいの?」
「まずは、偉そうにふんぞり返るんです!」
「……こう?」
無い胸を突き出すフェリスに倣い、アリシアも胸を張ってみる。
「もっとです! うーーーーーーーんと、偉そうにするんです! 女王様みたいに!」
「女王様みたいに?」
腰に手を当て、地面を見下ろすようにしてそっくり返る。
「そして、誰かに命令するように言霊を唱えるんです。どうも、言霊をちょっとぐらい間違えても問題ないみたいで、それよりも言霊の意味をしっかり考えながら、気持ちを込めて言うといいみたいです!」
「気持ちを込めて……うん、分かったわ。やってみる!」
アリシアは杖を構え、道端の石を見据えた。
フェリスに教えてもらった通り、何者かに命じるようにして言霊を唱える。
戦闘型の魔術師には必須とされる、基礎の攻撃魔術。
アリシアの魔力では、拳大の火球をなんとか造り上げるのがやっとの魔術。
「炎の滴よ、燃える力よ……我が意に従いて、敵を討て――バレットフレイム!」
杖から、業火が噴き出した。
溢れる炎が石に襲いかかり、焼き焦がしていく。炎熱に石がじゅわじゅわと溶け、その形を失っていく。
アリシアは慌てて杖を下ろした。
魔術が停止され、炎が消える。
「ど、どうですか……? 少しは威力、高まりましたか……?」
フェリスが心配そうに訊いてくる。
「少しなんてものじゃないわ……こんな大きな魔術、使えたことない……私にこんなこと、できるなんて……」
アリシアは呆然と呟いた。
杖を握り締めた手が震えていた。
「良かったです! 他の魔術にも応用できるはずですから、便利ですよ!」
フェリスは顔をほころばせる。
この無邪気な少女は、きっと気付いていないのだろう。
今の魔術が、魔術師団ならトップエリートに属する威力だということに。たった数分間で、自分がアリシアの夢を復活させてしまったということに。
いや、魔術師団に入れるどころではない。やりようによっては、親衛隊にだって入れるし、魔術師団の団長にだってなれるかもしれないのだ。
アリシアは、自分の前の世界が突然大きく開けるのを感じた。
頬を滑り落ちてきた滴を指で触れる。
そして、気付いた。
自分が夢を諦めることに、どれほど痛みを感じていたかを。どれほど悔しく、その悔しさを理性で押さえつけてきたのかを。
「あはは……。私……ホントは、子供だったんだわ……」
笑いながら呟くアリシアの前で、フェリスがきょとんと首を傾げていた。
その少女はアリシアよりもずっと子供だったけれど。
一瞬でアリシアの将来を変えてしまったのだった。
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夜。
寄宿舎の自室に戻ったアリシアとフェリスは、寝支度を済ませて自分のベッドに入った。
夕方くらいから天気が崩れ始め、今では外は嵐になっている。
豪雨が窓に叩きつけ、屋根が唸り、ちょっと不気味な雰囲気だった。
こんな日は早く眠ってしまうに限る。
そう思いながらアリシアが枕に頭を横たえたとき、稲光が部屋を貫いた。
続いて、轟く雷鳴。大音声がアリシアの耳朶を打つ。
「今の、近かったわね!」
アリシアがびっくりしてフェリスのベッドを見やると。
毛布の団子が形成されていた。
と思ったら、フェリスが丸くなって固まっているのだった。
「フェリス……?」
アリシアはベッドに近づき、毛布の隙間から中を覗き込む。
「ア、アリシアさあん……」
フェリスは目を涙でいっぱいにして、びくびくと震えていた。
「……もしかして、雷って苦手?」
「か、雷が苦手じゃない人なんて、い、いないと、思うんですけど……」
たどたどしい口調。
その手はアリシアの寝間着の袖をぎゅっと握り締めている。
「あなたって子は……」
アリシアはおかしくなって笑ってしまう。
「うぅ……なんで笑うんですかぁ……」
弱々しく抗議するフェリス。
「だって、フェリスの魔術の方が、明らかに凄い威力でしょ! 今の雷なんてお話にならないわ!」
「でも……でも……」
「いいわ。私のベッドに来て。今夜は一緒に寝ましょ!」
「はいっ!」
フェリスは大きくうなずくや、ぱたぱたと走ってアリシアのベッドに潜り込んだ。
アリシアはベッドに戻り、フェリスを腕に抱くようにして横たわる。
雷鳴が響く度に抱きついてくるフェリスを見守りながら、アリシアはなんとなく、自分のやりたいことが分かったような気がした。
確かに、この子は強い。
けれど、守ってくれる誰かが、必要だ。
そう思うと、アリシアは自分の胸の中から、これまでにないほどに輝くなにかが湧き起こってくるのを感じた。