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実技試験

 戦闘訓練場は、広い空き地に丸い屋根を被せたような形だった。


 その屋根は半透明で、空が透けて見える。屋根は途中で壁になり、地面にまで繋がっている。


 訓練場に入るときフェリスはその壁に手を伸ばしてみたが、すり抜けてしまって触ることができなかった。

 魔術の教本に書いてあった『魔術結界』というものなのだろうかとフェリスは考える。恐らく、訓練場内の魔術が外に漏れないよう、安全対策として設置されているのだろう。


「フェリスちゃん以外は結界の中には入らないようにしてねー。危ないからー」


ロッテ先生が生徒たちに指示する。


「危ないって、ミドルクラスに編入したばかりの子の魔術くらい、問題ないと思いますわ」


ジャネットが異議を唱える。


「まあ、校長先生から気をつけるよう言われてるから、一応ね」


ロッテ先生は苦笑した。


「さ、フェリスちゃん。なんでもいいから、一つ魔術を使ってみて」


「は、はい!」


 フェリスは訓練場の真ん中に立ち、それを結界越しに取り囲むようにしてクラスメイトたちが眺めていた。


 ジャネットは腕組みしてフェリスを睨んでいる。


 怖いなぁと思ってフェリスが視線をそらすと、優しく見守るアリシアと目が合う。アリシアは安心させるかのようにうなずいて見せる。


 お陰で力が湧いてきたフェリスは、空高く手を突き出した。


 ジャネットが目くじらを立てる。


「ちょっとあなた! 杖も持たず、なにをするつもりなんですの!? こっちはパントマイムを見に来たわけじゃありませんのよ!?」


「え、えっと、魔術ですけど……」


「魔術を使うには杖が必要! そのくらい知ってますでしょ!」


「教本には書いてありましたけど……な、なくても使えてて」


「はあ!? そんなこと、黒雨の魔女でもないのにできるわけありませんわ! ちゃんと真面目にっ……」


「喉を潤す命の水よ――滴れ、レイングラス!」


 フェリスは教本に書いてあった言霊を唱える。


 ファーストクラスの生徒が最初に覚える基礎魔術。


 水属性の最も難易度が低い魔術であり、火を消したりコップに水を入れたりぐらいしかできないものだ。


 この程度なら自分もまともに使えるかもしれないと思い、フェリスはレイングラスの魔術を選んだのだが。


 言霊を唱えた途端――フェリスの周りから青い光が大空へと噴き上がった。


 青い光が訓練場の屋根に突き刺さる。


 屋根に、壁に、魔法結界に、一瞬で細かい亀裂が走り、結界が砕け散る。


 青い光は空を貫き、円形の衝撃波を爆散させた。


 空が闇に包まれ、あちこちで稲妻が光り始める。


 空気が揺らぎ、草木が騒ぎ出す。


 辺りの温度がどんどん下がっていき、フェリスのほっぺたに薄氷が張る。


「あ……これ、ダメなやつだ……」


 ロッテ先生が呆然とつぶやき。


 恐るべき勢いで、豪雨が叩きつけ始めた。


 大地を貫く稲妻。


 降り注ぐ雹。


 荒れ狂う嵐。


 世界を引っ繰り返したかのような騒々しさで、天から大水がぶちまけられ、戦闘訓練場を掻き回す。


 奔流が溢れ出し、生徒たちは悲鳴を上げながら流されていく。


 フェリスも水に呑まれ、必死に水面に顔を出して叫ぶ。


「ジャ、ジャネットさん! これ、ちゃんと、魔術使えましたか!? アリシアちゃんのことっ、悪く言わないでくれますかっ!」


「そんなこと言ってる場合じゃありませんわーーーーーーーっ!!」


 ジャネットの顔が水中に沈む。


 溺れそうになるフェリスをアリシアが抱き止めてくれる。


 ロッテ先生が死に物狂いで言霊を唱え、風を発生させて訓練場から排水する。


 やがて、嵐がやんだときには、生徒たちはびしょ濡れになってあちらこちらにへたり込んでいた。


 フェリスは血の気が引くのを感じる。


「あ、あ、ご、ごめんなさいっ! まさかこんな失敗するとは思わなくてっ、みんなに迷惑をかけちゃって、本当に本当にごめんなさいっ!」


 ぺこぺこ頭を下げるフェリスに、クラスメイトたちが大笑いした。


「なんだ今の! なんだ今の!」「すごすぎだろ!」「頭おかしいって!」「あんなの災害級だわ!」「とんでもないやつがクラスに入ってきたな!」「マジすげー!」


 興奮気味に言い交わす生徒たち。


「あ、あれ……? 怒ってない、ですか……?」


 フェリスは当惑した。


 ロッテ先生が笑う。


「大丈夫、それくらいで怒るような子たちじゃないよ。クセはあるけど、真っ直ぐないい子たちだからね」


「よかった……」


 ほうっと息を吐くフェリス。


「そ、それで、試験の方は……?」


「もちろん合格、大合格だよ! むしろなんで魔法学校に入ってくる必要があったのかと思うけど……まだまだ技術は稚拙だし、コントロールする方法を学ぶのは大切だよね」


「は、はい! いっぱい勉強したいです!」


 今みたいな暴走を引き起こさないためにも、とフェリスは思う。


 ジャネットもやはりびしょ濡れだったが、まだまだ元気いっぱいで腕組みして、鋭い視線をフェリスに向けていた。


 フェリスはてててっとジャネットに駆け寄り、話しかける。


「あ、あの、濡らしてしまってごめんなさい」


「どうしてあなたが謝るんですの!?」


「ふえっ!? ど、どうしてって……」


 悪いことをしてしまったのだから当たり前だとフェリスは感じる。


 おろおろしているフェリスを見ながら、ジャネットは内心で困り果てていた。ついそっぽを向いてしまう。


 謝らなければならないのは、ジャネットの方なのだ。これだけの実力を持つ強力な魔術師を、魔法学校から追い出そうとしてしまったのだから。


 でも、どうやって謝ったらいいのか分からない。こんな力を見せつけられて、それで謝ったら、なんだかとてもとても負けた感じがする。情けない。悔しすぎる。


 でも。


 やはり負けをきちんと認めることも、大切なことなのだろう。


 自分のせいで一人の女の子が学校から追い出される羽目にならなくて、ジャネットは実のところだいぶ安堵していた。


 だから、恥ずかしさをガマンして切り出す。


「あ、あああのですね! わたくし、フェリスに言いたいことがあって……」


 ジャネットがフェリスの方を見たときには。


 フェリスはアリシアと一緒に仲良く校舎へと戻っていってしまっていて。


 ジャネットはまた、フェリスに謝るチャンスを逃してしまったのだった。


「ううううう……わたくし、ダメダメですわ……」


 いつになったらフェリスと仲良くなれるのだろうと思いながら、ジャネットはため息を吐いた。

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