第三話 珍しい来客
同じく、入り口の月の第十六、水氷の日。
午後になっても曇り空のままであり、そのせいか、いつもは人々で賑わう南中央広場でも、それほどの活気が感じられない一日となっていた。
「まだまだ新年気分だから、客入りが見込める時期のはずなのにねえ」
周りの露店を見回しながら、まるで他人事のように呟くゲルエイ・ドゥ。
彼女が開いている占い屋は、日頃からあまり繁盛しておらず、今日のように少しくらい天候が悪いからといって、特に売上が落ちたという実感もないのだった。
大きな水晶玉を前にして、チョコンと座って客待ちをしているゲルエイは、ブルネットの髪を左右で三つ編みにした、見た目は二十歳くらいの女性だ。つばの広いとんがり帽子とか、ゆったりとしたローブとか、その黒一色の格好は、まるで古の魔法使いを模倣するかのような姿だった。
だが、潜在的な魔力を『魔法』という形で具現化できる者が少なくなった現代、本物の魔法使いが、こんな街の片隅で占い師などやっているはずがない。役所にスカウトされて、それなりの地位で働いているのが当たり前だ。あるいは、そういうのを嫌がって市井に隠れ住んでいるのだとしたら、わざわざ魔法使いアピールをするわけがない。だから、これは「魔法を使って占っています」という、ただのハッタリに過ぎないのだろう。
そう人々に思わせるのがゲルエイの魂胆であり、本当の彼女は、凄腕の魔法使い。不老の秘術まで使えるほどであり、実年齢が百歳を超えている件も含めて、ゲルエイの正体を知る者は、わずかしか存在しないのだが……。
「おや、珍しいこともあるもんだ」
少ない人々の往来をぼうっと眺めていたら、その『わずか』のうちの一人が、ゲルエイの視界に入ってきた。
ゲルエイの占い屋に向かって歩いてくるのは、生地の厚い黒ブラウスと、裾の長いオレンジ色のスカートを身に纏った女。燃えるように逆立つ赤髪と、健康的な褐色の肌を特徴とする大道芸人、モノク・ローだった。
通称『投げナイフの美女』だが、それは表の顔に過ぎない。むしろ本業は殺し屋であり、裏では『黒い炎の鉤爪使い』という異名まで持っていた。
ゲルエイの占い師も表向きであり、やはり裏の世界の住人だ。強者に踏みにじられた弱者の恨みを晴らす、という理念に基づいて、復讐屋ウルチシェンス・ドミヌスとして活動している。特にサウザの街に来てからは、補充メンバーのような形でモノクも復讐屋に加えており、ゲルエイにとってのモノクは、正式な仲間ではないがそれに近い存在、という位置付けになっていた。
「そういえば……。まだ殺し屋には、私の年齢の話まではしてなかったかもしれないねえ」
歩み寄ってくるモノクにも聞こえないような小声で、今さらのように呟くゲルエイ。
不老の秘術までは知らずとも、ゲルエイの魔法使いとしての腕前はモノクも十分理解しているはずであり、それで十分だった。
そんなことを考えているうちに、モノクが店の前までやってきた。
「すまない。一つ相談したいことがあるのだが……」
「はい、はい。前にも来たお客さんだねえ。確か、どこぞの女芸人さんだったかい?」
「そうだ。この近く……。いや、それほど近くもないかな。『アサク演芸会館』で働いている」
と、まずは白々しい言葉を交わす。仲間であっても表では他人のふりをするのが、裏稼業では当然だった。
ただしゲルエイとモノクの場合、一度モノクが客として占い屋を訪ねている以上、全くの初対面を装うのは、かえって不自然。近隣の露天商たちがモノクの顔を覚えている可能性も考慮して、こういう態度になるのだった。
「ああ、思い出したよ。前回は仕事上の悩みがあって、占ったんだっけ」
「覚えているのであれば、話が早い。そう、やはり今回も仕事関連だ」
わずかではあるが、モノクは意味ありげに『仕事』という言葉を強調してみせた。前に来た時は復讐屋としての連絡だったが、同じく今日も、表ではなく裏の仕事なのだろう。
そう理解したゲルエイは、
「じゃあ、まずは詳しい事情を聞かせてもらおうかい。……もちろん、秘密は守るからさ」
「うむ。他言無用でないと、俺も困る」
「特にあんたは、舞台に立つ芸人さんだからね。いわば夢を売る商売だろ? ほら、周りの連中に聞こえないよう、もっと顔を近づけなよ」
と、白昼堂々、内緒話が出来るように状況を整えるのだった。
「つかぬことを尋ねるが、最近ピペタはどうしている?」
声を潜めたモノクは、思ってもみない形で話を切り出してきた。
ゲルエイは、内心の驚きを顔に出すことなく対応する。
「ピペタかい? あいつだったら、いつも通りだよ。今日も午前中に、ここの見回りに来ていたねえ」
南中方広場の露天商たちにとって、ピペタ・ピペトは、ここを担当する都市警備騎士小隊のリーダーだ。ゲルエイも表の顔は『南中方広場の露天商たち』の一人であり、同じ扱いになるのだが……。
裏では、ピペタとゲルエイは、王都で復讐屋を始めた頃からの仲間同士だった。
そもそもゲルエイは、元々サウザの北側で占い屋をやっていたのだが、ピペタも同じ街にいると知ったからこそ、こちらに店を出すようになったのだ。毎日自然に顔を合わせていれば、何かあった時に連絡を取りやすい、と考えて。
ピペタはピペタで、殺し屋モノクと繋ぎをつけられるように、『アサク演芸会館』の舞台を頻繁に観に行っているという。常連の騎士様として扱われて、楽屋にまで出入りするようになり、そこでモノクと言葉を交わしているわけだが……。
「どうしたい? ピペタだったら、あんたのとこに通ってるはずだろ?」
「うむ。鬱陶しいくらい頻繁に来ていたのだが……。ここ最近は見かけていないのだ。あの男、要らぬ時には来るくせに、必要な時に来ないとは……!」
「まあ、そういうもんじゃないか。世の中の物事なんてさ」
同情気味に苦笑いを浮かべながら、ゲルエイは話の続きを促す。
「あたしたちじゃなくて、ピペタ一人に用事なのかい?」
「まあ、そうだな……。ピペタから話が聞ければ、手っ取り早い。いや場合によっては、復讐屋の案件にしても構わない、と俺は思うのだが……」
「なんだい、煮え切らないねえ。とりあえず、その口ぶりだと、殺し屋が個人的に請け負った仕事なんだろ?」
モノクは一匹狼の殺し屋であり、ゲルエイたちと組んで復讐屋として動くようになった今でも、本来の『殺し屋』を続けているらしい。
だからといってゲルエイもピペタも、モノクを咎めることはなく、復讐屋の専属になれと言うつもりもなかった。ゲルエイにしろピペタにしろ、いまだにモノクのことを『モノク』ではなく『殺し屋』と呼んでしまうのは、無意識のうちに、こうした事情を念頭に入れているのかもしれない。
「まあ、そういうことだ。仕事を受けたはいいが、どうも胡散臭い依頼人でなあ。依頼内容の裏を取るのに、少し手間取ってしまい……」
依頼人の話では、職場で上司の男から理不尽な目に遭わされているのだという。不必要なまでに重い仕事を押し付けられて、少しでも遅れたら同僚の前で蔑まされて……。他にも、とても口には出せないようなことまで……。
精神的な苦痛が積み重なって、自殺を考えるようになった結果、「自分が死ぬくらいならば、逆に相手を殺してしまおう。今までの恨みを晴らす意味も込めて」と思い始めたのだった。
「どうやら依頼人は、その上司に弄ばれて捨てられたらしい。はっきりとは言わなかったが、相手の口ぶりから、俺にはそう聞こえた」
「ということは、依頼人というのは女かい?」
口を挟んだゲルエイに対して、モノクは首を横に振った。
「わからん。なにしろ問題の依頼人は、大きな黒頭巾で顔を隠し、全身をすっぽりと覆うようなマントで、体型もわからぬ状態だった。ご丁寧に、変声魔具まで使っていたくらいだ」
「ほう、なんとも怪しげな依頼人じゃないか。でも男に弄ばれた、ってことは、女に決まりだね」
「いや、そうとも言えないだろう? 世の中には、衆道というものもある。むしろ男同士の方が、より屈辱的ではないか」
わざわざモノクが『男色』ではなく『衆道』という言葉を使ったので、ゲルエイにも少し事情がわかってきた。衆道というからには、庶民の男同士の肉体関係ではなく、貴族や騎士の話に違いない。
それなりに身分がある依頼人だからこそ、徹底的に身元を隠そうとしたのだろう。最初にモノクが「ピペタから話が聞ければ手っ取り早い」と言ったことも考え合わせれば……。
「この状況では、きちんと事実関係を確かめた上でないと、俺も依頼を遂行できない。だから標的について調べる意味で、一週間ばかり追ってみたのだが……。今のところ、それらしき話は出てこないし、そのような所業をしでかす男とも思えないのだ」
「なるほど、わかったよ。それで、ちょうど知り合いがその『標的』の部下であることを思い出して、色々と聞かせてもらおう、と考えたわけかい」
話を先取りするかのようにゲルエイが言うと、モノクもニヤリと笑った。
「さすがに察しがいいな、ゲルエイ。そう、この件の標的は、都市警備騎士団の南部大隊のトップ。つまり、ピペタの上司に当たるウォルシュという男だ」