バイバイ
しばらく経ったある日、私は王宮の庭園の片隅で、この世界から消えて行く男を見送った。
上司が同盟者達に発破をかけて、知り合いの知り合いの知り合いの知り合いくらいまで伝手を頼って探しまくり、ここからずっと遠く離れた世界にやっと、アレの伴侶となる女性が生まれる予定を掴んだらしい。
そこに、男性として転生するように話をつけ、送り出すことが決まったのだ。
生まれ育ったこの世界からは消滅となるので、一応罪を贖う形として、アレに関する話の諸々は手打ちとなった。
「一つ気になってるんだけど」
「なんです?」
「パートナーが存在しない魔族はアレ以外いなかったはずだよね? 私の魂は本来生まれる予定も無かったから、既にかなり長い独身生活を送っていた執事の相性最高パートナーって、私の前に存在したよね?」
私が隣を見上げて問うと、何故か執事だけではなく上司までがクソ不味い薬を飲まされたような顔になる。
「え、まさか?」
「そうだ。私の相性が最も良いパートナーはそいつだ」
まさかのライバルは魔王?
「アンナ! 恐ろしい想像は止めてください!」
「いや、でも、繁殖出来ないだけで、パートナーが同性なのは違法じゃないよね?」
「いくら合法でも愛せるかどうかと言うものがあるだろう。私は男は無理だ」
「私だって無理です! 同性も無理ですし可愛くないのも秘密主義なところも、どれほど魔力の相性が良くても全力でお断りです!」
あー。相性だけでは解決出来ないものがあるのか。
普通は異性に生まれ変わるのを待ったりするけど、双方寿命が長過ぎるもんなぁ。
「庭師に関する情報、随分と嘘で固めてくれましたねぇ?」
ひんやりと怒気を立ち上らせて執事に睨みつけられ、上司が気まずげに切れ長の眼を逸らす。
恋愛や性愛の対象にはならなくても、上司は執事に弱いようだ。
「お前からアンナに真実が知れると、アレの望み通りに事が運べなかったからな」
「アレの望みは消滅だったのでしょう?」
「私はアレに、愛も幸せも知らぬまま消えて欲しくなかったのだ。アレは、私にとって大切な幼馴染みだった」
「ならば、さっさと異世界に転生させれば良かったのでは?」
「常の私にそこまでの力は無い。だから、アンナに賭けたのだ。私への強い願い、それを叶えるためならば、私は限り無く万能に近い存在になれる。そうでもしなければ、異世界への干渉など出来ぬ」
私は古い大地霊の記憶を受け継ぎ、消えて行く男を見送って、今更ながら気がついた。
私にとって、あの男の魔力は、本当はクソ不味いモノではなかったのだ。
私に嫌な記憶を残すために、口移しで与えていた魔力には、本当にクソ不味い液体を混ぜていたんだ。
あれは与える方も悶絶するほど不味かっただろうに。いつも嬉しそうに私に魔力を与えていた。
あの強烈な不味さと臭気は、どんな料理に混ぜても誤魔化せはしない。
まっ更な魂を宿した私にとって、アレの魔力は無味無臭だった。だから、どんな料理にも飲み物にも混ぜることが出来たのだ。
私にとって甘い魔力を持つ執事と出会う前ならば、やりようによっては私はアレを愛しただろうに。
自分の魔力が私にとって不味いモノではないことも、ちゃんと分かっていたくせに。
頭が良くて口が上手くて誰より美人だったくせに。
大罪を犯しても幸せになりたかったくせに。
いざ私が生まれてみたら私を愛してしまって。
だから、自分の幸せは諦めてしまって。
馬鹿だなぁ。
本当に、馬鹿だよなぁ。
そりゃあ馬鹿過ぎて魔王だって消滅させたくないよなぁ。
大切な幼馴染みだから幸せになって欲しい。
魔王にそう願われるくらいには、愛すべき馬鹿だったんだ。
私も今更それが分かったから、この世界の大地霊として面倒な後始末はしてあげる。
「バイバイ。アルト」
アレが消え去った辺りに目を向け小さく呟く。
「アルト、とは?」
「アレが私に呼んで欲しかった名前。一度も呼んだことは無いけど」
私と同じ音から始まる名前。
パートナーと結ばれる未来が存在しなかったアレにとって、種族でも役職でもない自分というモノを表す唯一の偽物の記号。
「大丈夫だ。アルトは幸せになる」
「自信たっぷりですね」
「お前の願いで得た力が余るほど強かったからな。少々あちらの管理者に脅しをかけておいた」
何でも無いことのように上司は言ったけど、それは随分と強力な幸せになる呪いだな。
「さてと、園芸師らしくハーブの品種改良でもするか」
魔界で暮らすことにしたザキと母さんがハーブ園を耕してくれてるはずだ。
「お茶の時間には呼びに来ますから、ちゃんと休憩するんですよ」
執事が私の髪を撫で、先に執務室に向かった上司を追う。
アルト、遠くで幸せになれ。
私は晴れた空を見上げて、とびきり美人だった男の笑顔を思い出した。