①
(神様、助けてください……わたしは今、人生最大のピンチを迎えています)
無数の視線が向けられる中、神頼みするしかなかった。
今は自分の意思でこの場を去ることすらできない。
ディアンヌは慣れないヒールを履いていた足の痛みに顔を歪める。
頭上からクスクスと馬鹿にするような笑い声が聞こえてきて、ディアンヌの目には悔しさからじんわりと涙が滲む。
つい先ほど自分の前世の記憶を思い出したけれど、今は何の役にも立たない。
「……大丈夫か?」
低く威圧感のある声がしてディアンヌは顔を上げる。
銀色の美しい髪と透き通る宝石のような青い瞳に目を奪われた。
差し出された手、その先を辿ると端正な顔立ちが見える。
氷のようにどこか冷たい表情を見て、手を取ってもいいか迷ってしまう。
しかし厚意は無碍にできないと、ディアンヌは震える手を伸ばす。
なんとか男性の力を借りて、立ち上がることはできたが、足の痛みがひどく、うまく前に進めない。
どうやら転んだ時に足を思いきり捻ってしまったようだ。
男性は「足が痛むのか?」とディアンヌに問いかけた。
小さく頷くと男性は躊躇いもなく、ディアンヌの体を抱え上げる。
「……!」
「このまま医務室に運ぶ」
前世含めて男性経験がまるでないので、これだけで顔が真っ赤になってしまう。
ディアンヌを抱えたまま静かな廊下を歩いていく男性。
沈黙に耐えかねて、ディアンヌは慌ててお礼を言った。
「あの、ありがとうございます。助かりました」
「いや……お礼を言うのはこちらの方だ」
「……え?」
噛み合わない会話にディアンヌは首を傾げた。
(どうしてわたしがお礼を言われるのかしら?)
もしかして知り合いなのかもしれないと名前を問いかける。
「あの、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「…………」
唇は固く閉ざされたまま、何も語られることはない。
余計なことをしてしまったかもしれないとディアンヌが反省した時だった。
「……リュドヴィックだ」
この出会いがディアンヌ・メリーティーの運命を大きく変えてしまうなんて、この時は思いもしなかった。
* * *
ディアンヌ・メリーティーはロウイナリー王国の貴族、メリーティー男爵家に生まれた。
ディアンヌが生まれる前、父はたまたま爵位をもらって『男爵』となる。
そこで育てた果物を当時の第一王子が大層気に入ったことで、爵位を与えられた。
王都でも一時期流行り、貴族たちもメリーティー男爵領で育てた果物を求めた。
メリーティー男爵領は、その果物を育てるために与えられた小さな領地だ。
温暖で自然が豊か。フルーツも育ちやすい気候だった。
しかし王子が大きくなるにつれて味覚が変わったのか、王家に献上することもなくなってしまう。
それと同時に王都からメリーティー男爵領で育てたフルーツの取り扱いが減ってしまった。
最盛期は侍女も雇っていたようだが、ディアンヌが物心つく頃にはみんないなくなってしまう。
自分のことは自分でやる生活が当たり前。
両親も元の生活に戻っただけだと呑気に考えていたらしい。
しかしディアンヌが十六歳となり、ついに社交界デビューという時に悲劇が起きた。
なんと長雨によりフルーツの木が腐り、半分以上壊滅。
追い討ちをかけるようにわずかに実ったフルーツも、すべて盗難にあってしまう。
メリーティー男爵家はどん底だった。
家にあるすべてのものを売り払っても損害は拭えずに、一年経つ。
父は「爵位を王家に返上するしかあるまい」と言った。
しかしディアンヌには十二歳になる弟ロランとまだ五歳の三つ子の男の子、ライ、ルイ、レイがいた。