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29 身代わり地蔵

 ある日、夕食を終えたマイルが寮に戻ろうとした時、教室に忘れ物をした事に気が付いた。男子学生のひとりに、『あとで読んで欲しい』と言って渡された封書である。

 いつものように、部屋に持ち帰ってみんなで検討し、返事を書かなければならない。返事は、原作:レーナ、監修:ポーリン、記述:マイルの合同作成である。作品のテーマは『心を折る』であった。


 マイルが教室に戻ると、室内にはひとりの男子学生が残っていた。何やら教卓の方でゴソゴソしているので見てみると、ボードで文字の練習をしているようであった。


「文字の練習?」

「あ、ああ。寮の部屋でみんなの前でやるのも恥ずかしいし、この教官用ボードを使えばノート代もインク代もかからないし、羽ペンも要らないからな」

「あ、なるほど! 頭いい!」


 マイルの質問に嫌な顔もせずに答えてくれた男子の説明に、マイルは感心した。そういえばエクランド学園に着いた時にはノートもペンもインクも買えなかったな、と昔のことを思い出して、少し親近感を感じるマイル。


「え~と、あなた、剣士よね?」

「ああ。魔法も、生活魔法以上には使えるけど、魔術師としてやっていける程じゃない。だから剣で戦い、魔法は水を出したり回復に使ったりと、オマケ程度のサポートに使ってる。

 それでもかなり助かるよ。ソロは色々と大変だからな……」

「ソロ?」


 マイルは不思議に思った。

 自分のような特殊な場合を除いて、余程のベテラン以外はソロは危険で不便過ぎる。余程の変人か事情持ち以外、好き好んでやるものではない。


「ああ、俺、スラム出の孤児でさ。あ、いや、まだ出たわけじゃないから、現役のスラムの住人か。

 それで、小さいやつらの面倒みなきゃならないから、パーティ組んでどこかへ行くわけには行かないんだよ。

 今は夕食のあとで様子を見に行ったり、休養日に狩りに出て食料代を稼いだりして何とかやってるけど、正式にハンターになってパーティにはいったら、長期間の遠出とかもあるだろ? それじゃチビ達の面倒を見るのは無理だからな。

 それに、俺がCランクになれれば、俺が護衛につくことでチビ達をいつでも薬草採取に連れて行ってやれるからな。ギルド主催の護衛付き集団採取はそう頻繁にあるわけじゃないし、護衛の代金として参加料が必要だろう?

 俺と一緒ならタダだし、俺は近くで狩りでもしてりゃいいしな」


 魔法が使える剣士。

 スラムから抜け出すチャンスがあるのに、孤児のために残るお人好し。

 独学で文字を覚えようとする努力家。


 マイルは考えた。

 パーティの3人のパワーレベリングを始めてしまった今、卒業時の成績はマイル達4人が上位を独占することになるだろう。他の3人を盛って自分を一番下にしても、4位。5位になるには、まだひとり足りない。


 その時、マイルの頭に『身代わり地蔵』という言葉が浮かんだ。


「ね、ねぇ、剣だけだと狩りの効率が良くないんじゃないかな?

 鳥やホーンラビットを狩るのに丁度いい魔法があるんだけど、覚える気、ないかな?」

「え………」




「何か、封書を取りに行っただけにしては遅かったわね」

「あ、いや、部屋に男子が残っていたから、少し話をしていまして……」

「何、男子!」

「あ、いや、世間話です、世間話!」

 くわっと眼を剥いたレーナに、慌てて何でもないと手を振るマイル。


「これが、問題の封書です」

「よし、いつものように退治するわよ!」

「「お、お~!」」

 力なく賛同する、マイルとポーリンであった。




 ベイルは、孤児であった。

 親の顔は知らない。物心ついた頃にはもうスラムに住んでおり、みんなから『あんちゃん』と呼ばれる十二~十三歳くらいの少年を最年長とした少年少女達と共に、放置され崩れかけた廃屋に住み着いていた。

 最初の記憶から数年後、あんちゃんの姿は消えた。

 事故か病気で死んだのか、あるいはハンターとなりどこかへ旅立ったのか。

 それは誰も教えてはくれなかったし、ベイルも誰にも聞かなかった。


 『あんちゃん』の跡は、『上ねえちゃん』が継いだ。

 上ねえちゃんが居なくなった時のことは覚えている。

 いつも着ていたボロボロの服ではなく、小綺麗な服を着た上ねえちゃんが、みんなにたくさんの食べ物や服を渡してくれて、知らない大人達と一緒に出て行って、それっきり帰って来なかった。それが、上ねえちゃんと会った最後であった。

 次にリーダーとなったヨシにいちゃん。その次の、ダルにいちゃん。

 みんな、十五~十六歳くらいになると居なくなった。

 死んだのか、それとも大人になって独り立ちできるようになったからスラムを出てどこかで普通に暮らしているのか。


 ベイルが気が付くと、いつの間にか自分が最年長になっていた。

 ベイルは思った。

 ……俺の番だ、と。

 但し、俺はいなくならない。ずっとこいつらの面倒をみてやる。

 ここが俺の家であり、こいつらが俺の家族なのだから。



 王都は孤児に厳しく、そして優しい。

 スリや掻っ払いなどをすれば、すぐに捕まり奴隷にされる。

 いくつかの孤児グループはそれで捕まり、住処ごと潰された。

 真面目に働いていれば、廃屋へ勝手に住み着いていても見逃して貰えるし、ごくたまには物好きな大人が食べ物をくれることもある。理不尽に虐待されることは滅多にない。

 官憲があまり貧富の差別をせず割と公平なのもあるが、地回りのチンピラやハンターの一部がスラム出だというのも大きい。誰しも、自分の後輩には割と優しいものだ。それが自分の利害に関わらず、自分が良い気分になれる場合には。


 ベイルは、六歳の時にハンターの準会員に登録した。街中で雑用の仕事を受けるためである。そしてみんなの食費の足しになるようにと働いた。

 十歳になると同時に正式なハンターとなった。

 その時、スラム出のハンターがお祝いにと、新調して不要となった廃物寸前の安物の剣をくれた。

 嬉しさのあまり大声で泣いた。このような幸運はあるものではない。稼いで最初の剣を手に入れられるまで木の棒を使うつもりだったのだから。

 自分も、いつの日か後輩に剣をやろう。そう固く決心した。


 そして大事に使っていたその剣が折れた時には、少しはマシな中古の剣が買えるだけのお金を貯めていた。

 チビ達を食べさせるために。

 病気になったら薬を買えるように。

 たまには古着屋で服を買ってやれるように。

 チビ達も雑用仕事やギルドの護衛付き集団薬草採取とかで稼いではいるが、準会員では稼ぎは小遣い程度であり、正式のハンターとは言えFランクでは何人もの孤児を養えるだけの稼ぎにはならない。


 稼がねば。お金を手に入れなければ。

 しかし、特技もないスラムの少年を入れてくれるパーティはあまりなかったし、たとえあってもチビ達の面倒をみるためにはパーティにははいれなかった。

 遠出もしない、特技もないソロでは稼ぎは知れているし、経験を積むことも、技術を磨くこともできない。ただ毎日薬草採取か、ホーンラビットや小動物を狩るだけの毎日。それも、素人の剣では効率は悪い。

 スラムの者同士で組んでも意味がない。

 同じFランクで素人同士では受けられる仕事も変わらないし技術を学ぶことも出来ないのだから。それなら、別行動の方が獲物を見つけられる確率が上がるだけマシである。

 ただいたずらに歳を重ねるだけで、何の進歩もない。


 ダルにいちゃんが居なくなったのは、そんなある日であった。

 ある日、帰って来なかった。

 ただ、それだけであった。


 死んだのか、去ったのか。

 スラムを捨てて出て行くならば、パーティにはいるのに何の問題もない。

 どこかのパーティにはいって一緒に他の街へ行ったのか、それとも他の街へ行ってからどこかのパーティにはいるのか。

 どちらにせよ、孤児達は稼ぎ頭を失った。

 突然最年長となったベイルは焦った。背中にのし掛かった責任の重さと、先行きの見えない暗澹たる未来に。



 そんな時であった。ベイルがひとりの男に声をかけられたのは。

「お前、荒削りだが、結構いい剣筋してるじゃねぇか。

 どうだ、ハンター養成学校の試験を受けてみるつもりはないか?」


 王都のギルド関係者だと名乗ったその男は、ベイルが学校に行く間は時々孤児達の様子は見てやる、学校に行っている間も夕方以降や休養日には様子を見に来れる、等の説明をし、更に学校は完全無料で休養日は仕事ができること、半年間だけベイルと孤児達が頑張ればその後の生活が格段に楽になること等を教えてくれた。

 確かに、Cランクハンターになれれば、男の言うとおりとなるだろう。


「但し、入学試験に合格できれば、だがな。

 文字の読み書きはできなくとも受験や入学はできる。

 しかし、倍率は高いぞ。かなりな……」

 男の言葉に、ベイルは答えた。


「受験します!」



 そして今、ベイルはここにいる。

 Cランクハンターになった後も、余計なお金は使えないし、読み書きができた方が自分で仕事を選びやすい。

 そう思って、毎日夕食後に教室に戻って文字の練習をしている。

 寮の部屋では他の者がいるのでやりにくいし、教官用のボードを使えばノートもインクも使わなくて済むからお金もかからない。授業が終わったあとは、グラウンドや屋内訓練所に行く者はいても、教室に来る者はいない。


 そう思っていたら、誰かが来た。


「文字の練習?」


 十二歳と、ベイルより3歳年下で、収納魔法を使えるという素直で元気な可愛い少女。

 その才能だけでも、その美貌だけでも、一生食うには困らないであろう幸運な美少女。自分には縁の無い、高嶺の花であった。

 それが、何の気紛れか、自分に色々と話しかけてくる。

 だが、考えてみれば、一緒に学んでいる同期生である。教室で二人だけで会えば世間話くらいはするか。恐らく、身分や貧富の差で人を差別したりしない、良い子なのであろう。

 ベイルがそう思いつつ話相手になっていると……。


「ね、ねぇ、剣だけだと狩りの効率が良くないんじゃないかな?

 鳥やホーンラビットを狩るのに丁度いい魔法があるんだけど、覚える気、ないかな?」


「え………」


 この子、今、何て言った?

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