迷宮の宝箱
ここは迷宮でいうところの第一階層らしい。
第一があるのなら第二第三もあるのだが、赤竜がいる最終階層、地下へと落ちる穴は空間の隅にあった。
この階層はつまらなかった、などと本末転倒なことを考えていると、穴の横に宝箱があることに気づく。
ここの製作者も分かっているではないか。こういったイベントが大切なのだ。
「何が入っているかな~」
「ちょっと待って!」
宝箱を開けようとした俺をモレーノが慌てて止める。
「どうしたんですか? これって報酬では?」
「ちが、いや、違くはないんだけど……」
モレーノは言い淀んでいる。
宝箱は宝箱だろ……
「五分五分か……がんばれ!」
「? はあ……」
モレーノの隣にいる少女も、親指を立てて『幸運を祈る』と言っているようだ。
何故かふたりは俺から距離を置いている。
俺は頭に”はてなマーク”をつけながら宝箱を開ける。
さてさて、何が入っているだろう? 甘いお菓子だったらいいな。
「ぶへっ。何ですか? これ」
宝箱から出てきたのは紫色の粘液、反応できない速度で飛んできたそれは俺の全身を覆う。
「あちゃ~。はずれか」
モレーノが額に手を当てて首を振った。
「いけると思ったんだけどな~。フォスって勇者だし。はい、これ」
俺は渡された布で自分の体を拭く。
自分の服がところどころ溶けているのが見えた。見様によっては非常に危うい格好だ。
「女の子だからもっと恥ずかしがらないと」
「……きゃっ、見ないでください!」
「フォス……」
急いで体を隠す演技をする俺、何とも言えないような目でこちらを見るモレーノ。
確かに俺が悪かった。
俺は勇者、一応神聖な存在。素肌を見せることに恥を持たねば。
魔族の中には、ほとんど裸の奴らもいた。
俺の先入観のせいで、こういうところでボロが出る。
今回はモレーノと少女しかいなかったから助かったが、今後は修正していこう。
それにしても少女よ、両手で目を隠しているのは良いが、指の隙間が空いているぞ。
俺の分析でもしているのか?
残念だが俺の見た目に関しては”普通”だ。別に羽も尻尾も生えてない。今は人間だからな。
こんなどうでもいいことでも、目の前の少女とエクテが重なってしまう。
妹は一緒に風呂に入ると、俺の体をチラチラと見てきていた。
最初は怖かった。俺を疑っているのかと。
ある日、教会の自室でわざと俺の裸体を見せた。服を選ぶ手伝いをしてという適当な理由を付けて。
どこの不思議もない普通の人間だということをアピールしたかったのだ。
結果、妹は風呂場でも堂々と俺を見るようになった。
俺への疑いが晴れて本当に良かった。以前は風呂に入るたびにびくびくしていたからな。
ただ、エクテの血圧は高いのだろう。
俺と一緒に居ると、特に風呂場でよく鼻血を出す。
最強勇者の弱点を思わぬところで見つけてしまったようだ……
話がだいぶ逸れたな。
今の問題は俺の体に付いている粘液だ。
「あの、これについて説明してもらって良いですか?」
「フォスは知らなかったの? この魔物のこと」
トラップの類とは少し疑ったが、魔物なのか。
魔界では見たことのない種類だ。
「はい。見たことがありませんでした」
「まあ、それも仕方がないか。これも最近出てきたからね」
「詳しくお願いします!」
俺はモレーノの詰め寄る。
新種の魔物など珍しい。魔界ではとっくに進化が止まっていた。
「お、おう。これは、主にダンジョンに生息する魔物でね。攻略しようとする者たちが箱を開けた瞬間、魔力を溶かす粘液を出し、溶けたものを吸い取るんだ」
確かに俺にくっついていた粘液が、少しずつ宝箱へと返っていっている。
「最近の装備って魔力が編み込まれているでしょ? だから今のフォスみたいになっちゃうんだよ」
そういうことか。
俺の服は教会から支給された特注品だ。
白のシャツにこれまた白の短いスカートという普通の見た目だが、俺の魔力で強化され、自動修復される。
現に、溶けていた部分の修復はすでに始まっていた。
「そして、一番めんどくさいのが、これ!」
モレーノが宝箱に斧を振り下ろす。
しかし、それは壊れないどころか傷一つ付いていない。
「まあ、本気でやれば壊せないことは無いんだけど、労力がね。別に死ぬって訳でもないし」
移動と威力を犠牲に、耐久と攻撃速度に全振りした感じか、非常に興味深い。
それに粘液が少し甘くて美味しい。
「……」「……」
なんだよ二人とも。
そんな目で俺を見ないでくれ。
だって甘い香りがする紫色のドロドロだよ? 舐めてみたくもなるじゃないか……
「なかなかいけますよ?」
「フォスだから大丈夫なんだろうけど……それはね、他の魔物を体内から溶かすためにある香りなんだよ……」
それは心外だ。
俺が魔物と同じだとでも言いたいのか?
俺はちょっと怒って、無言のまま自分の体を綺麗にする。
でも確かに、人間界の食べ物に青とか紫とかの色は無かったな。
仕方がない、いずれ俺が流行らせてやるとしよう。
そうして俺のやりたいことリストが一つ増えたのだった。
服の修復も終わり、次の階層に向かうため穴に向かう。
「ちょっとモレーノさん!?」
モレーノがいきなり俺と少女を両脇に抱える。
この暗闇に落ちる気だ。
「私は自分で……」
「遠慮すんなって。んじゃ行くよー」
階段さえ付けてくれていないとは、本当に可用性がなっていない。
俺の溜め息は風を切る音と共に流された。
重力に従って落ちること数秒、第二階層が現れる。
モレーノは着地の衝撃を完全に消してくれた。
「第二階層も同じですね……」
俺の期待を返してくれ。さっきの第一階層を切り貼りしただけではないか。
魔王城はな、俺に辿り着くまでに勇者が飽きない工夫をしているんだぞ?
ここの製作者はダメダメだな。
面白くない光景に、さっさと次の階層への穴を探そうとする。
どうせ隅の辺りにあるに決まっている。
「どう? 探せそう?」
モレーノが少女に何かを話しかけていた。
少女はコクリと頷く。
「フォスー、こっちこっちー」
何かを見つけたようだ。
本物の宝箱だと良いが、期待はしないでおこう。
少女の後ろをついて行くこと、ある溶岩の池の前で止まった。
「ここで良いんだね」
少女はまた頷く。
「よし、最終階層まで落ちるよ!」
モレーノが俺を抱えて溶岩の中に飛び込もうとした。
「ちょっと待ってください! 死にますよ!? どうしたんですか!?」
俺は慌てて飛び退いた。
熱程度では死なないが、俺の正体がバレてしまう。
それにしても、いきなり身投げをしようとするなんて……
「あー、これね」
モレーノが目の前の溶岩に手を突っ込む。
何も起こらない。
「巧妙に擬態された隠し通路だね。ここから最終階層まで行けるはずだよ」
「最終階層……」
第二以降の階層が可哀そうだ。
それでも隠しイベントとは、なかなかやるではないか。
俺でも見つけられなかった。
少しだけだが見直してやろう。
「分かりました。でも何でこの位置が分かったのですか?」
「えーと、えーと……まあ、このくらいならいいか。彼女の力さ」
モレーノの視線が少女を示す。
「私でも分かりませんでした。どうやったのか教えて貰ってもいいですか?」
「この娘はね、”悪の波長”が見えるんだよ」
「あ……く……だと」
「あの赤竜はたくさん人を襲ったからね。その波がここから出ているんだって」
まずい。非常にまずい。
俺の正体はすでにバレていたのか?
人間でいうところの悪の象徴”魔王”だぞ。
急いで少女の方を見やるが、彼女は得意げな顔で胸を張っていた。
気づいていない……のか?
いや、それはそれでおかしい。
俺は今まで悪いことをしてきた。
自分へのご褒美だと、寝る前に砂糖菓子を食べた。しかもその後、歯を磨かなかった。
魔王の仕事だってそうだ。
面倒臭いことを後回しにしすぎた結果、期日までに間に合わなくなり、勇者に襲われたと嘘をついたこともあった。
そうだ。この体になっても妹を甘い言葉で騙し、勇者に成り代わっている。
俺は”悪い”のだ。
それでも少女の反応が無いということは、俺の認識阻害が一枚上手だということだろう。
伊達に俺なだけはある。人間の体でもやっていけてるではないか。
自己肯定感が体を包み込む。
「流石だ!」
「急にどうした?」
俺はモレーノに再び抱えられる前に、溶岩に飛び込む。
赤竜でも何でもかかってこい。
今の俺は無敵なのだ。