確信
エクテは同居人の居なくなった自室で考えていた。
「味は違っていたが、魔法で偽装されていた」
フィアーラと名乗った少女のことがどうも気になる。
「見た目は完全に違う。赤い長髪に黄色の垂れ目、私の眼をもってしてもその事実に変わりはない」
エクテは部屋の中をぐるぐると回る。
「完全なる擬態か……」
それはエクテが探し求めていた魔法だ。
どのような対抗手段を用いても、見破られることのない最隠密の特異。
エクテは全ての魔法を使えるわけではない。
特に異なった魔法、特異と呼ばれるものに関しては条件があった。
「まだ確定はしていない」
エクテは白衣を着て、手袋をはめる。
とりあえずは調べよう。
体から出て、一定時間経った物質には隠密魔法は適用されないはずだ。
「しっかり浄化されているね」
フィアーラのベットにあった布団や枕などの寝具には汗がついていなかった。
浄化魔法は体に害のある物質を消す。
高度なものとなれば、体から出た老廃物も取り除くことが可能だ。
フィアーラに抜かりはなかったようだ。
部屋中のどこを探しても痕跡がなかった。
「直接取るしかないか……」
先ほどフィアーラの首筋を舐めた時の汗は、思わず飲み込んでしまった。
寝ている時に採取すればよかったが、彼女には魔法による自動防御が働いていた。
それに、あまりにも疲れている姿を見たら、そっとしておきたかった。
昨晩は優しく布団をかけてあげて、ずっと悶々としていた。
エクテは準備をする。
フィアーラの正体を暴こう。
昼前の時間、フィアーラが部屋へと帰ってきた。
エクテは平然を装い、机に向かう。
「いたのですね……」
フィアーラはオドオドとしながら隣の机に抱えた資料を置いた。
技術院の説明を受けてきたのだろう。
「これは?」
フィアーラが怪訝な顔で聞いてきた。
「お近づきの印。昨日は申し訳なかった」
エクテがフィアーラの机に置いたのは、大きなイチゴが乗ったケーキ。
姉なら目を輝かせて涎を垂らすはずだ。
「毒殺、か……」
予想とは反し、フィアーラの表情は絶望そのものだった。
顔面を蒼白にし、体を震わせている。
「面白い冗談だね。さっきカフェで買ってきたものだよ」
「う、うう……ええい、ままよ!」
フィアーラはケーキにフォークを突き刺し、一口食べる。
「おいしい! 久しぶりの甘味……幸せ……」
すぐに顔に生気が戻り、目を蕩けさせた。
「お姉さま!?」
いつも見ていた姉だ。
今すぐにでも抱き着きたい気持ちを抑える。
「な、なに? 私は、フィアーラですよ……」
「そうですか……私の姉も甘いものが大好きで、つい思い出してしまいました」
「ははは、そうでしたのね。はは、は……」
フィアーラの視線は何もない天井に向かっている。
ただ、まだ姉だと確定していない。
フィアーラがケーキを食べ終えるのを見届け、本題に移る。
「食べ終わった?」
そう言ってエクテは右手を差し出す。
食器を回収したいのだ。
「はい、ありがとうございました。とても美味しかったです。後で洗って返しま……」
「大丈夫、私がやる」
「別に割ったりしませんよ。慣れてますので……」
「私がやる」
「ひっ……分かりました……」
フィアーラが怯えながらも皿とスプーンを手渡してきた。
一つ目は確保できた。唾液だ。
無害な唾液に浄化魔法は効かない。確かに消すことのできる魔法はあるが、ここでやるには不自然だろう。
「続きましてのお近づきの印は……」
「続きましての?」
「一緒にお風呂、入ろう」
エクテは提案した。
髪の毛を手に入れられれば、個人の特定など簡単だ。
フィアーラが自ら落とすとは思わないから、洗ってあげるという名目で引き抜こうというわけだ。
「あ、ああ……やっぱり……」
「女同士でしょ? 別に恥ずかしがらなくていいよ。後、帝国の風呂場って特殊だから説明してあげる」
もっともらしい理由を付けるが、フィアーラの血の気が引くのを止められない。
「太らせて、綺麗にして、食べちゃうつもりなんだ……もうおしまいだ……」
「何言っているの?」
「あの……今はまだ昼ですし……」
「いいでしょ。私、夜は忙しいから」
「浄化魔法で……」
「魔法で終わらせるにはもったいないよ」
「うう……」
フィアーラは悩み、諦めたように『ふっ』と笑った。
「どうぞ、お好きになさってください」
目が死んでいる。
「分かった。じゃあ、行こうか」
エクテは、肩を落とすフィアーラと共に自室の風呂場へと向かった。
水回りが集まっている自室内の小さな部屋。
そこで風呂場に入るため、エクテは服を脱ぐ。
「どうしたの? 着たままだったら洗えないでしょ?」
フィアーラがもじもじとしていた。
やっぱりお姉さまではないのか?
姉なら堂々と裸になり、胸を張っていた。
「さすがに、昨日今日の間柄で素肌を見せるのは……」
「別に気にしないよ。同性間でそういうのは」
「え、そうなの?」
「別に普通でしょ」
「そうなのか……あれ? でも人間の常識は……」
腑に落ちないといった様子でフィアーラは、顎に手を当てて考え始めた。
エクテは居ても立っても居られなくなり、フィアーラの服を脱がし始める。
「はい、お手手を上にー」
フィアーラは思考回路がいっぱいになってしまったのか、エクテの指示通りに動いた。
「よくできましたー。はい、次は右足をあげてー」
まるで姉がしてくれたように、優しく、丁寧に服を脱がした。
素っ裸で立っているフィアーラを見る。
違う……
姉の体は隅々まで記憶している。
肌の色はもっと白かったはず、そしてこんなにも筋肉質ではなかったはず……
「ふふ……美味しそうな体でしょ……そう、食い意地でできた柔らかいお肉ですよー」
体が無意識に動いてしまっていたようだ。
エクテはフィアーラの体を触っていた。
同じだ。
魔法で隠そうにも、体型は手で触った感覚と一致している。
エクテの手は覚えていた。
このぷにぷに度はお姉さまだ。
「どうやって処理するんですかー? 焼く? 煮る? それとも生で……」
フィアーラは目を虚ろにしてされるがままだった。
「お姉さま……」
自分の左手で自分の右手を抑える。
絶対にお姉さま、だ。
「何をぶつぶつ言っているのですか? 行きましょう、おね……フィア」
まだ駄目だ、証拠が足りない。
「はい……」
ふたりで風呂場に入る。
フィアーラの表情はまるで処刑台に連れていかれる囚人のようだった。
「もっと優しくして……やるなら一思いに……」
「ごめん。いつもは洗われる側だったから」
フィアーラの頭を洗うついでに、髪を数本いただこうとしたが、抜けない。
ここまで強靭な毛根だとは想定していなかった。
痛がらせちゃったし……もうやめよう。
事実は、ほぼ確定した。
脱力して座っているフィアーラにお湯をかけ、立たせる。
「ついに、終わりか。……に倒される……悪くはないのかもな……」
フィアーラが急に優しい顔になった。
両腕を広げ、振り向いてくる。
「さあ、フィナーレといこう」
『お姉さまー!』
と、抱き着きたい自分を全力で殴り、エクテは澄ました顔で話しかける。
「この魔導具は、このつまみを回すとお湯が止まる」
「……え? 食べないの?」
「さっきから何を言っているの? 私は風呂場の説明をしたいだけだよ」
「ほんと……?」
「ほんと」
「よかったー! そ、そうよね? 私たち”普通の”同居人よね?」
「そうだね。これからもよろしく、フィア」
「よろしく! エクテ!」
姉が抱き着いてくる。
これはだめだ、至ってしまう……
「ちょっとエクテ? エクテー!」
私の意識はそこで途切れた。
目を覚ますと、ベットで寝かされていた。
エクテは起き上がり、机の上にあった置手紙を読む。
『エクテへ
いろいろありがとう!
血圧が高いのに無理させてごめん……
食器は洗っておいたよ!
あと、急ごしらえだけど、特製ドリンクを作ったから飲んでね!
親愛なる友人フィアーラより』
唯一の痕跡が消えた。
これで、フィアーラを姉だと断定する物的な証拠がなくなる。
「ふふ、でもお姉さまらしい」
エクテは思わず少しだけ笑う。
手紙の横に置いてあった飲み物。
見た目や味が違っていても、こんなことをするのは姉だけだ。
あれだけ正体を隠していたのに、優しさが溢れてしまっている。
エクテは姉特製ドリンクを飲む。
この世の何よりも美味しい、お姉さまの愛を感じる……
いつの間にか頬が濡れていることに気がついた。
服の袖で顔を拭き、自分の額に魔術式を描き始める。
この後やる事は決まっていた。
「お姉さま……ごめんなさい……」
エクテには姉の目的が分からなかった。
それでも前に進むしかない。
これからエクテは、フィアーラを姉だと認識できなくなる。
疑いすら持たなくなる。
自分の意識情報を書き換えるのだ。
”姉が人間界に存在していない”のは、計画において前提となった。
「愛してます」
エクテは魔術を起動した。
頭が浮いているような感覚に陥る。
この改変魔法の解除条件は『フォルフォス・サストレによる、自己の開示』だ。
本当は傍にいたかった。
それはもちろん不可能なこと。
目の前のお姉さまに、私は平然を装えるだろうか?
──いや、できない。