海辺で甘やかす
街での買い物も終わり、ホテルに帰って一夜を明かした。
部屋まで運んでくれる美味しい夕食、そして寝るときはふかふかの布団、至れり尽くせりの環境に俺の気も緩んでしまった。
「エクテ、準備はできた?」
室内で今日の海水浴のための気合を入れていた俺は、隣で着替えていたエクテに声をかけた。
条件反射で海に行きたいと言ってしまったが、冷静に考えれば水遊びなど妹にとって危険だ。
溺れるかもしれない、日に焼けてしまうかもしれない、潮風に弱いかもしれない。
俺のわがままを許してくれ……
「はい! 問題ありません!」
エクテは水着に着替え終えている。
もちろん、俺も昨日買った水着を着ていた。
意外と動きやすい形の服装だ、今では結構気に入っている。
「本当に大丈夫? 目元が黒いけど……」
「全然大丈夫です! 夜のお誘いを待っていただけで……気分じゃなかったのか……」
妹は昨日、眠れなかったみたいだ。
俺を抱き枕にするのはいつものことだが、抱く力が強かった。
お誘いとはなんのことか分からないが、きっと優しい夢とかなんとかだろう。
初めての海、海といえば水生の魔物”クラーケン”。
子供なら誰でも読んだことがある勇者の物語に出てきた強敵だ。
複数本の触手を操り、船や人を海深くまで引きずり込む。
昨日から何度も『無理しなくていいのよ』と聞いていたが、エクテの不安は顔に出る程だった。
無事にこの海水浴を終えるため、頑張るしかない。
「じゃあ、行きましょうか?」
エクテと共に外へと出る。
時は昼前、照り付ける日の光が俺たちを出迎えた。
「あの……なんで皆さんがいらっしゃるのですか?」
出迎えたの日の光だけではない。
スタッフ総出で、ホテル前の海岸を準備していた。
なにより皆、水着だ。
「お二方の助けになればと思っております」
俺たちを案内したバーリントンが頭を下げた。
「そうですか……いや、こっちの方がありがたいか……」
エクテの安全のためにも見てくれる人は一人でも多い方が良い。
妹の手を引き、海岸に設置してくれた大きな日傘の下に入る。
「お姉さま? せっかくの海ですよ?」
日傘の下から動こうとしない俺にエクテが不思議そうな顔をした。
「その、ね……」
今日の日差しは危険だ。
エクテの水着は肌を露出しすぎている。
今は大丈夫かもしれないが、明日は日焼けの痛みに耐えかね、暴走してしまうかもしれない。
なんとか理由をつけて、夜にするか?
いや、それはそれで寒すぎて魔法を……
「こちらをお使いください」
近くで野外料理のために火の準備をいていたスタッフが声をかけてきた。
「これはなんですか?」
「日焼け止めでございます」
そんな便利な物があったのか。
俺は魔法で有害な物質をはじいていた。そのため、日の光に対抗する人間の手段を見落としていたみたいだ。
「ありがとうございます! エクテ、いいもの貰っちゃ……ってなんで水着を脱いでいるの!?」
「お願いします!」
「と、とりあえずは大事な部分を隠しましょうね……」
俺はエクテの体に渡されたクリーム状の液体を塗り始めた。
「ひゃん……」
「ごめんね、冷たかったよね」
「いえ……はあ、はあ……お姉さま、ここにもお願いします……」
「もう、そこは水着で隠れるじゃない」
「そ、そうですよね……へへへ……」
妹の変な言動に困惑しながらも、全身くまなく日焼け止めを塗り終えた。
「よし、海に入りましょうか?」
「はい!」
俺はワクワクを抑えられない。
魔界の海など、魔物しかいなかったからだ。
「それそれ~!」
「きゃー、やめてくださいー!」
海の中に入った俺は、エクテに水をかけてはしゃいでいた。
「悪い子にはお仕置きだよー!」
最強勇者打ち取ったりー。
今までエクテに対する攻撃などできるはずもなかった俺は、少し浮かれているのかもしれない。
「もう、お返しですよ!」
エクテが海面に腕を突っ込んだ。
瞬間、大波が俺を襲う。
「ぶへ、ごほ、ごほ……」
流されないように、咄嗟に魔法で足を固定してしまった。
気管に入った海水で盛大にむせる。
「あ、ご、ごめんなさい。大丈夫ですか? お姉さま……」
「大丈夫よ! 問題無し!」
エクテが魔法を使った気配はなかった。
それでこの威力はまずい。
妹の勇者としての覚醒は近いのかもしれない。
「本当にごめんなさい……」
「もう、私は勇者よ! このぐらいへっちゃらだわ!」
俺が勇者なのだ。
「そうですよね、お姉さまは私なんかよりずっとお強いですよね……」
「落ち込まないの、あなたの力が強いことも私が一番分かっているから」
エクテは魔法こそ使わないが、たまに瞬間移動をしたりする程、素の力が強い。
そこはもう諦めていた。
だからこそ、それを何とか普通の方向に誘導したかったのだ。
「でもね、その力は”良い”ことに使いなさい。返事は笑顔で?」
「はい!」
「よくできました!」
俺はエクテの頭を撫で、褒める。
その時、俺の後ろ、遠くから爆発音が聞こえた。
俺は振り返り、強化された視力で確認する。
「なんだよ……あれ……」
巨大な斧を持った人が、触手を持った魔物と戦っていた。
はっきりとは見えない。
「あれ、クラーケ……」
「お、ね、え、さ、まー!」
エクテに抱き着かれ、視界が柔らかい感触で埋まる。
「ど、どうしたの? それより魔物が……」
「私、砂でお城を作るのが夢だったんですー! 行きましょ!」
そのままエクテに抱えられ、海の中から引き上げられてしまった。
砂浜に着くと、俺たちの周りをスタッフが囲む。
「どうぞ、お飲み物でございます」
「あの、さっきまもの……」
「どうぞ、季節の果物でございます」
「んぐんぐ、あろがと、ってまも……」
「仰がせていただきます」
俺の視界を防ぐように、大きな日傘と扇が置かれている。
「お姉さまは疲れているのですよ! ここは安全な観光国、平和な日々を過ごしましょ?」
エクテが上目遣いで覗き込んできた。
「そ、そうよね……」
「そうですよ!」
「……じゃあ、お城を作りましょうか。見てなさい、立派なものを作ってあげるわ!」
さっき俺が魔法を使ったこともあやふやにできた。
スタッフの皆も気にしてないようだし、大丈夫だろう。
「きゃー、お姉さまの本気を見られるのですね!」
「任せなさい! 私はこう見えて、城づくりの天才と呼ばれているのよ!」
魔王城の設計をしたのも、俺だ。
袖もない水着で腕まくりをして、職人の俺になる。
ここに魔王城二号を建ててやろうじゃないか。
*
フォルフォスが城の建設に勤しんでいる頃。
ある海岸沿いで、聖騎士モレーノが斧を砂浜に突き刺し、目の前に転がっている巨大な魔物を見ていた。
「それにしてもデカいな。活動は停止しているのに消えねーし……」
モレーノは頭を掻きながら考えている。
「こちらで処理しておきますので、心配なさらないでください」
モレーノの隣にいた支配人ラルフが声をかけた。
「ラルフさん、これで依頼は完了でいいのですね?」
「はい、問題ありません……まさか本当にクラーケンが現れるとは……」
「どうしました?」
「いえ、こちらの話です」
神の槍が作った依頼は、架空のものだった。
しかし、魔と勇、二つの魂に引かれ、強大な魔物が現れてしまったのだ。
「じゃ、もう仕事の話は終わり! ラルフ、飲みに行こうぜ!」
「それは……はい、ご一緒させていただきます」
モレーノがフォルフォスと会わないようにするため、ラルフは彼女の傍についていた。
気に入られてしまったようだ。
「畏まらなくていいって。俺たち、友だちだろ?」
「そうですね……」
ラルフは部下に指示を出し、モレーノに肩を組まれながら海岸を後にする。
「主様の水着姿……見たかった……」
去り際にラルフが残した言葉は、心の底から出た悲哀だった。