移動で甘やかす
観光国への出発当日の朝。
俺は教会の正門で、エクテと馬車を待っていた。
「エクテ、荷物は大丈夫? 忘れ物はない? 体調は? それに……」
妹の服のを整えてあげながら、俺は矢継ぎ早に聞いた。
少しでも不調があってはならない。完璧な旅には完璧な準備だ。
「大丈夫ですよー、お姉さまは心配性ですね」
「エクテはこの街を出るのが初めてでしょ? しかも最初が他国だなんて……でも任せて! 私が完璧な計画を作ったから!」
俺はエクテに紙の束を渡した。
『観光国”ディッチャ”姉妹の2泊3日楽しい旅行!
・ディッチャについて知ろう!
ディッチャは王国の南東に位置している小さな国で、主要産業は観光!
東の海に面していて、綺麗な海岸が有名!
王国の通貨が使えて、旅行にとても便利な国なんだ! ……』
徹夜で作った旅のしおり。移動中暇にならないように工夫もしてある。
臨機応変にエクテのやりたいことを受け入れるため、3日間の計画を12のパターンで想定した。
「これは……お姉さまの手作りですか?」
「そ、そうよ」
いや、街の書店でも売っていたんだよ? 人気の観光地だし。
でも書物って高いんだよね……ケチったのがまずかったか……
エクテが目を見開いてしおりを眺める。
俺はその様子を見て冷や汗を流す。
「聖典、だ……」
「せい?」
「いえ、ありがとうございます!」
旅が始まる前に終わるところだった。
も、問題無し……
そんな感じで最終確認をしていると、馬車がやってきた。二人が乗るには十分すぎる、乗合馬車並みの大きさだ。
まさか貸し切りの移動手段まで用意してくれているとは、この街の商店組合は相当儲かっているようだ。
「じゃあ、行きましょうか?」
「はい!」
ふたりで馬車に乗り込もうとしたその時、後ろから声をかけられた。
「これを使え」
「うわ! びっくりしたー。先生、気配を消して背後に立たないでください」
いつの間にか後ろにいた先生から袋を受け取る。
重い。
中を確認すると大量の硬貨が入っていた。
「こ、こんなに!? 私のお小遣いでなんとかしますよ」
俺は返そうとした。
おそらくこれは、先生の月給分ぐらいだ。
先生がひもじい思いをしているところなど、想像もしたくない。
「お金のことは気にするな、せっかくの旅行だ」
「ええ……」
正直言うとこれ以上先生に借りを作りたくはなかった。
俺が対応に悩み固まっていると、エクテが助け舟を出してくれる。
「昨日のお礼、ですよね先生?」
「昨日? ああ、あれか。いいだろう、そういうことにしてやる」
あのアクセサリー類と等価な気はしないが、ここは恩を受けておくべきだろう。
「ありがとうございます!」
俺は素直に頭を下げた。
先生が頷いたと思ったら、消えた。
「最後まで見送らないのか……」
「あんな奴置いておいて、行きましょう! 私は本当に楽しみです!」
エクテに手を引かれて馬車に乗る。
いつも乗っている馬車ではない。
豪華な座席は柔らかそうで、間の小机には果物と菓子の盛り合わせが置いてある。
そう、果物と菓子の……
「あれ、別料金じゃないよね……」
ここまで待遇が良いと、罠があるのではないかと勘繰ってしまう。
「大丈夫ですよ。ご自由に食べてくださって構いません」
馬車の前側、御者が出入りするための小さな扉から、一人の少女が出てきた。
明るい茶色の短髪をした落ち着いた雰囲気の少女だ。
身長はエクテより少し低いぐらいだが、当然俺よりは高い。
胸に特徴的な紋章が縫われた白色の背広を着ている。
一流の商会職員が着る様な立派な制服だ。彼女も幼いながら立派に働いているのだろう。
「この度、ディッチャまでのご案内をさせていただきます、ホテル”アモール・ニドゥム”のコンシェルジュ、か、か……」
案内人の少女が自己紹介の途中で言い淀んでいた。
頭のくせ毛がはてなの形をしている。
「あ! カスタリアです! 主様、サインください!」
「バカ、設定を守りなさいよ!」
カスタリアと名乗った案内人をエクテが奥へと連れ込む。
「エクテ? どうしたの?」
「なんでもないでーす!」
エクテとカスタリアが戻って来て、笑顔でお辞儀をした。
「ならいいのだけど……それにしても、わざわざホテル側がこんしぇりゅじ? を送ってくださるなんて思ってもいませんでした」
要は高級な宿屋だろ? 知らんけど……
だって、外に出るときはほとんど野営だったんだもん……
「はい、おふたりの愛の紀行、全力でサポートさせていただきます」
カスタリアは馬車の御者席へと戻って行った。
「愛ですってお姉さま! キャー、いったいなにが起きちゃうんでしょうねー!」
エクテが顔に手をあて、体をくねくねとさせていた。
「そ、そうね……とりあえずはゆっくりしましょうか?」
「はい!」
入った時に置いた荷物を確認する。
よし、忘れ物はなしだ。
とりあえず今必要なのは、毛布だな。
『出発します』というカスタリアの声に返事をし、俺は準備を始めた。
馬車が動き始める。しかしそれは俺の経験していたものとは違い、穏やかな揺れだった。
「エクテ、さっきのしおり、もう読んだ?」
俺は小机の上にある菓子に手を伸ばしながら話しかける。
「一言一句全て記憶しました!」
「え……」
俺の手が止まった。
「えーっと、あの”姉からの挑戦状”も解いたの?」
「はい!」
「じゃ、じゃあ問題、私が紅茶を楽しむときに入れている……」
「果物の皮、です!」
本当に読んでしまったのか。
あの一瞬で? ありえない。いや、勇者ならありえる。
エクテが移動を楽しめるように作ったクイズにパズル、移動のいの字も進んでない内に消化されてしまった。
ゆっくりお菓子と果物を楽しみたかったのに……
「えーと、うーんと……」
俺は悩む。
目的地までは遠い。
「お姉さま……」
横に座っていたエクテが体を寄せてきた。
妹は頭を傾けて俺の頭上に乗せ、優しい声をだす。
「私は、お姉さまと一緒にいられるだけで幸せです……」
そうか、そうだったんだな……
俺は考えすぎていたみたいだ。
「そうね、私もよ……」
エクテの体を倒し、頭を膝上に乗せる。
「久しぶりに”お話”しましょうか?」
「お姉さまのお話、大好き」
俺は用意していた毛布をエクテにかけてあげる。
風邪を引いてはいけないからな。
そして温かく語りかける。
ひとりの少女が花屋として幸せに生きる話。
潜在意識に刷り込ませるため、俺が考えた普通の人間の話を──