勇者と知己
魔界の旅は進んだ。
野営の度に俺は死にそうになっていたのだが、旅自体は順調だった。
俺たち勇者一行は、地平線の先まで続く氷原の途中、ひどい吹雪の中歩いていた。
顔に当たる極寒の空気が肌を刺す。
周りに生物の気配は無い。
「このような道、勇者様の導きが無ければ選ばなかった……」
後ろを歩いていたユウェネスが声をもらした。
「あら。この程度で音を上げる男では無いはずよね? あと、勇者様ではなくてフォスと呼んでって言ったじゃない」
「ははは、聞こえていたか。信用しているよ、フォス」
身分を隠して騎士団の、それも一般身分の隊に交じって訓練していたのだ。この程度、気合で何とかしてくれ。
「あなたは大丈夫?」
横を歩いていたクレリクスに一応声をかける。
「問題ありません」
彼女の周りだけ吹雪が弾かれている。
常時発動型の防御魔法、聖なる防護壁。胸の前で両手の指を組んでいる姿は、教会にある聖女像そのものだ。
俺も似たようなのを使えるが、見た目が禍々しいからやめた。勇者らしくない。
「ただ、勇者様の背中にくっついている野郎が気に食わないだけです」
「フォス~、防御魔法を使ってくれよ~」
俺はプエッラを背負っている。
この魔力中毒者が歩けないと言い出したからだ。
「ただでさえあなたに魔力を吸われているの。このぐらい我慢しなさい」
「へーい。でもフォスの魔法、女神の道はすごいね。僕も使えたらな~」
「そ、そうね。今度女神さまに話してみるわ……」
そのような魔法など無い。
ありもしない魔法をでっち上げたのは、同族とはあまり戦いたくない俺が講じた苦肉の策だ。女神からの贈り物だと説明した。
俺は、魔族ですら住みたくない地域を通ることにした。
おかげで魔物と戦うことは増えた。それでも順調すぎるほどに魔王城へと近づいていた。
魔界での冒険を期待していた皆には悪いが、俺は魔王、魔界のことを知り尽くしている。
わざわざ無駄な争いを作ることなどない。
「それにしても魔族に一度も襲われないなんて、さすがは勇者様です」
ギクッ、さすがに不自然すぎたか……
確かに魔族が少ない地域とは言え、好戦的な魔族が襲ってきてもおかしくは無い。こちらには常にオーラを放つ聖女だっている。
でも、魔界に入ってから時々感じる視線はなんだろう?
モヤモヤした気持ちで雪中を進む。
吹雪が晴れ、太陽の光が覗き込む。魔界の天気は気分屋だ。
パーティの先頭を歩いていた俺は足を止める。
目の前に、大きな漆黒の羽を背負った長身の魔族が立っていた。
「好戦的な馬鹿が多いってもんで様子を見に来たが。お前か? 謎の勇者ってのは」
燃えているような赤色の髪をかき上げ、整った顔立ちを見せる魔族。
人間で言うと青年の部類に入るであろうその美男子は、雪山に寝間着という不格好な姿で面倒臭そうにこちらを見る。
こいつがここに来るとは──最悪だ。
「まあいいや、あいつがこれ以上面倒ごとを抱えるのあれだし、消えてもらいますか」
目の前の魔族がいなくなる。
すんでのところで反応したユウェネスが剣を構え、接近していた魔族の爪を受け止めた。
「人間にしては上出来だ、王国皇太子さんよ」
そう言った魔族はユウェネスの腹部を蹴り飛ばした。
岩山にめり込む。あのくらいなら大丈夫か。
「可憐な束縛」「聖なる加護」
仲間が稼いだ時間でプエッラとクレリクスが詠唱を終えた。
プエッラの手からピンク色の鎖が伸びる。
高速魔法が魔族の腕に絡みついた瞬間、プエッラが倒れた。
これには少し心配になったが、後ろで『き、きもちー』と悶える声がしたから問題ないだろう。魔族も引いているぞ。
俺も戦う振りぐらいはするか……
聖剣を手に魔族へと踏み込む。クレリクスの魔法で強化が掛かった状態だ。
上段から剣を振り下ろしただけで、地面に亀裂が走る。
左足を下げ半身で躱した魔族が、驚いた顔をした。
「これは……情報が無かったとはいえ、100年前と違って厳しいかもな」
魔族は顎に手を置き、真面目な顔で俺をじっと見つめる。
そして、いきなり笑い始めた。腹を抱えての大爆笑だ。
やっと気づいたのか……
「そうか、お前だったのか!? はははは。いや、まじかー」
「自己紹介でもしましょうか?」
「いや、いい。ぶふっ、また会おうぜ」
魔族は吹き出しながら背後に現れた闇へと消えていく。
「逃げたみたいですね」
「そうね、クレリクスはユウェネスを頼むわ」
魔族の名はソキウス。一を聞いて百を察する男。魔王の腹心であり、俺の腐れ縁だ。
流石に魔族随一の鑑識眼を持つソキウスには、俺の魂を隠すことが出来ない。
彼の眼は”真実”を映し出す……と言われている。その真偽は俺ですら分からない。
ただ、謎の勇者とはなんだ?
俺であれば勇者の存在を確認したと同時に、綿密な調査を行うはずだ。
であれば、俺は普通の勇者、手出しは無用となるのだが……
前世の俺はわざわざ勇者に刺客を送って、旅での成長などという魔王軍の利益にならないことはしなかった。最高戦力である魔王が相手をすれば済むことだ。
もちろん、分不相応な実力の奴は序盤で追い返すのだが。
どうしたんだ、今の魔王は。
ソキウスの言った好戦的な魔族にも出会っていない。それにあいつは何かを警戒しながら戦っていた。
置いてけぼりにされているような状況に、不安ばかりが加速する。
「うひょー、魔力の海を泳いでいるよー」
それでも、いつも通り魔力酔いでおかしくなっているプエッラを見て、俺は少し落ち着くのだった。
*
ソキウスがフォルフォスの前から消え、しばらく経った頃。
闇の中に入って行ったはずのソキウスが、同じ位置で寝ていた。
地は一面氷と岩で荒れているというのに、天は魔界に似つかわしくないほど晴れている。
「200連勤中だぜ。これ以上仕事を増やさないでくれよ。ねみぃ……」
ソキウスは持ち込んでいた布団に包まり、目を閉じながらも”存在しない誰か”に向けて声をかける。
彼は半分寝ているのだろうか、鼻から大きな風船を膨らませていた。
「すごいね。見えてるんだ」
誰もいなかった場所に二人の女が現れた。
「やばいっすよ妹様。奴は別格っす」
一人はエクテ、もう一人はシュガだった。
「シュガ、もういいよ。ここまでありがとう」
「俺もやってやるっす!」
「あなたでは勝てない。正直足手まとい」
「ガーン、と言いたいところっすけど……そうっすよね、お暇っす!」
シュガが消える。
「逃がすわけないだろ」
数歩退いた先で、再び姿を見せたシュガ。
彼女の足は、地面から伸びた無数の腕に絡まれていた。
一つ一つの腕から発せられる禍々しい妖気。
朽ちかけたものから骨となったもの、鎧を纏ったままのものもある。
「げー、気持ち悪いっすー」
シュガが顔を引きつらせていた。
「聖なる浄化」
エクテが魔法名を唱えると、地面から生えていた腕は光の粒子に変換された。
「行って、できるだけ遠くに」
「感謝っす!」
シュガが頭を下げ、消えた。
今度は、ソキウスに止められることはなかった。
「うーん……その魔法は教会の者か……ならなぜ勇者からも隠れる?」
「あのゴミ共と同じにしないで。使えるから使っただけ」
エクテが右手を上空に掲げた。
無数の魔法がソキウスの上空から落ちる。
詠唱もなく放たれたそれらは、統一感のないものだった。
黄金に光る剣に白く光る槌、中にはピンク色のハートまである。
最上級魔法が慈雨の如くソキウスに降りかかった、ように見えた。
空間にノイズが走る。
まるで一つの場面が世界から切り離されたような、そして無かったことにされたような、そういった様子だ。
魔法は消え、元の氷原のまま日の光が地面を照り付ける。
「おいおい、こんなに派手にやっちゃ気づかれるぜ?」
ソキウスがエクテの左肩を後ろから叩き、やれやれといった表情で立っていた。
彼の額では黒色の瞳が輝いている。
「結界を張るのが面倒だった」
「それで俺にやらせたという訳か……わがままな”妹”だな」
ふたりの周囲に張られた結界は、世界を文字通り分断している。
ある境界をもって、景色が変わっていた。
内側は晴れ、しかしその外は吹雪に見舞われている。
結界内での時間は止まっているようだった。
「……キミ、どこまで視えてる?」
エクテは振り返らずに問いかける。
「さあな。俺が見たいのは、幸せな夢だけさ」
ソキウスは三つの眼を開き、答えた。