湖畔の街
「大きい……」
馬車から降りて、つい漏れてしまった一言。
俺は今、ペイラーの街にいる。
目に前には建物が連なり、祭日でもないのに人で溢れていた。
大きな荷物を持った人が忙しなく走り回り、店番が商品をアピールする声が響く。
ここは王国内最大の湖の畔にある街だ。
湖とそれに繋がる川を使った貿易で栄えている。
俺が10年間閉じ込められていた教会のある街とは大違いだ。
「なかなかやるではないか、人間も」
俺の中の魔王が素直に賞賛している。
街の入口で立ち尽くしていると、周りからの視線を感じた。
敵か?
体に緊張が走る。
しかしその視線はなんとも温かかった。
「あらあら、おつかいかしら? 偉いわね~」
「一人で大丈夫か? 心配だな」
「純白の美少女、可愛い……」
強化された聴力が周りの音を拾う。
俺は恥ずかしくなって、早足にその場を離れた。
手に持った資料を見ながら、目的地である教会を探す。
冷静に考えると、子供を一人で寄こすなんて先生は鬼だ。
将来勇者になったら、初見の土地でも活動していかないといけないしな……そのための訓練だろう。
一人納得して歩き続ける。
大通りに連なる店には、見たことも無いような果物に料理、さらに魔道具や武器などの装備品まで並べられている。
見たい、食べたい、触りたい。
そのような感情が表にも出ていたのか、教会に辿り着くまでの道中、俺は優しい視線を浴び続けることになった。
「それにしても大きな街だ」
魔族は横のつながりを好まない。
魔族と言っても中には様々な種族がいるのだが、結局のところ生活圏を合わせることは無い。
大きな集まりと言えば、魔王軍直轄の魔都”サタナス”だけだ。
久しぶりに故郷の飯が食べたい……
俺の中にあった郷愁を抑え込み、教会を目指すのだった。
大通りは湖まで続いた。
湖畔が見えてきたところで、俺は違和感に気がつく。
船が動いていない。
港であろう場所には多数の船が停泊してあり、湖面で動いているものは少ない。
「竜がいるな……」
湖の水際に積まれた石、人間の治水技術にも感心しながら、その上に座る。
遠くに感じる気配。それは最上位の魔物である竜が持つ濃密な魔力だろう。
資料を思い出す。
今回の討伐目標は赤竜。上から3番目に格が高い竜だ。
高すぎる体温を冷やすために水辺に現れるという、面白い生態を持っている。
普通火の弱点は水だからな……
赤竜を倒す方法は知っている。腐っても魔王だ。
まあ、問題はあれだ……うん。
どうやって自然に倒そう?
今回は教会の聖騎士が付いてくるからな……下手な動きはできない。
風で波打つ湖面を眺めながら今後の予定を練っていると、誰かの気配を横に感じた。
「流石は勇者様、ってところか」
胸部に十字の紋様が入った甲冑を着ている女性に話しかけられた。
噂をすればなんとやら。当の本人のおでましだ。
教会に行く手間が省けて助かった。
「あなたがモレーノ・カルゴさんでよろしいですか?」
「モレーノでいい」
資料にも書かれていた俺の同行人、というより監視の聖騎士はこの人か。
ぼさぼさになった青色の髪を背中で一つにまとめ、片眼には眼帯を付けている。
教会にいる聖職者とは違って肌は褐色に日焼けし、古傷を隠そうともしていない。
身長は俺より高く、成人女性の平均と言ったところなのに、それ以上に存在が大きく見えた。
装備の隙間から見える腕や脚は筋肉で覆われていることからも、彼女がどうやって戦ってきたかを察することができる。
強いな……
人間としての俺では、今は勝てないだろう。
それほどまでに場数を踏んだ猛者が隣にいる。
「勇者様……」
「私のことはフォスと呼んでください。私が勇者であることは、他の方々には隠しているのでしょう?」
「じゃあフォス、あいつを倒せるか?」
モレーノが湖の先を指さす。
「問題無いかと思います。赤竜の弱点は把握しておりますし、優秀な前衛もいらっしゃるので」
モレーノの方を向いて落ち着いた笑みを見せる。
彼女は少し驚いた表情をして、頭を掻いた。
「フォスは大人だな。俺がガキのころなんて、飯と遊びしか考えてなかったぜ?」
言葉遣いが独特な人だ。
それでも俺は嬉しい。
教会では、このように軽い口調で話してくれる人がいなかった。
「どんな遊びをしていたんですか!?」
身を乗り出して聞いてみる。
これは良い情報を得ることが出来そうだ。
「うーん……じゃあ一緒にやるか?」
思いがけない誘い、”普通”を学ぶ絶好の機会だ。
帰ったらエクテにも教えてあげよう。
弾む気持ちで公園へと向かう。
道中、モレーノが俺の手を握って『今日ぐらいはいいよな』と呟いた。
この街の地図は頭に入れてある。
俺が迷うはず無いのに……
公園に着き、始まったのは予想外の遊びだった。
「フォスはもう勇者だから、勇者役じゃあつまらないよね」
何を言っているのか分からない。
唖然としているとモレーノが木の枝を拾い、宣言する。
「俺が勇者だ! 魔王、世界平和のために打ち取らせてもらう!」
「……」
「もう、これ”勇者ごっこ”だから。今回はフォスが魔王役だよ」
「これが……普通の遊び?」
「子供のころは皆やっていたよなー。懐かしさに涙が出てくるぜ、ちくしょう」
なんて野蛮な遊びなんだ……
こっちは命を賭けているんだぞ……
人間、怖い。
おそらくだがこの遊びの終着点は、魔王が倒されて終わり、だ。
気に食わないストーリーに対する怒りが、俺の演技力を上げた。
俺は仁王立ちになり、腰に手を当てて声を作る。
「勇者よ、よくぞここまできた。さあ、最終決戦といこうじゃないか!」
魔王対勇者の戦いが街中の小さな公園で始まった。
モレーノが振るう枝に合わせて、俺は拳を合わせる。
右、左、右、左。
分かりやすいテンポで大振りの攻撃が繰り出される。
当たる瞬間も痛くない。力の加減が完璧すぎる。
しばらくの間そうやってじゃれていると、モレーノが右足を一歩下げ、枝を横に持つ。
”突き”の体勢だ。
「師匠の仇、取らせてもらう! 防御不可の攻撃、完全刺突!」
何それ……カッコよすぎだろ……
モレーノが木の枝を持って踏み込んでくる。
遊びだというのに隙のない良い構えだ。
これは避けずに受けよう。防御が出来ない最強技だからな。
「これでおわりだー!」
「ぐは……」
胸に枝先が軽く当てられ、俺はふらふらと後退し、公園のベンチに腰掛けた。
「我もここまでか。どうだ? 世界の半分を……」
「それは魅力的な……いや、私には待っている仲間がいる! 誘いには乗らないぞ!」
一瞬受けかけたんだが……この聖騎士は大丈夫ですかね?
まあ、この遊びも終わりだ。最後のセリフを言って締めるとしよう。
それにしてもこれで負けるのは二度目か……二度目……二度……
「勇者よ……また会お……う……」
「え? どうしたの!?」
俺の頬に水滴が伝っている。
モレーノが慌てて近くに寄ってくれた。
「痛かった? ごめんね。何かしちゃったかな?」
いや、違うんだ。本当に……
これの原因は”トラウマ”なんだ。
俺は自分で状況を作っておきながら、それを過去の勇者との戦いと重ね合わせてしまった。
最後の最後、命の灯が消えるかどうかの場面で脳裏に浮かんだ悪夢。
この涙は肉体年齢のせい、絶対にそうだ。
「ち、ちが、うんです。わた、わたし、これでおわり、だなんて……」
グスグスと鼻をすすりながら泣いている。
思うように言葉を出せない。
すると、俺の頭が柔らかい感覚に包まれる。
「そうだったんだ。そうだったんだね。フォス、大丈夫だから。今日はたくさん遊ぼうね」
鎧を脱いだモレーノが、俺を抱きしめて頭を撫でている。
でも、終わりってそっちの意味じゃないんですよ……
さっさと任務を終わらせて、不安の元凶であるエクテを見張りたい。
そう思いながらも本意を伝えることはできず、結局その日はモレーノと遊び続けるのだった。