閑話 妹の一日
『……と、こんなことがあったの。私は勇者を頑張れているみたい。心配しないで。
エクテの方はどう? お花屋さんの仕事はうまくいってる?
忙しいと思うけど、努力しているエクテが一番偉いことを私は知っているわ。
応援しているね。
でもあまり無理はしないで。エクテが元気でいれば、私はそれでいいの。
あなたのことを常に思っているわ。
追伸
花屋の給料だと遊べないでしょ? お金を送っておいたから、美味しいものでも食べてね。
親愛なる姉──フォルフォス・サストレより』
エクテは読んでいた手紙を顔にくっつける。
「ああ、お姉さまの匂い……」
今日はこのまま、お姉さまと一緒に……
エクテは黒い靄の中に消えようとした。
「エクテ様、堪えてください。塾生たちの前です」
ラルウァに腕を掴まれた。
「ラルウァ、私には大切な用事があるの。分かるよね? じゃあ、そういうわけで……」
「だめです。主様の手紙を最優先でお渡ししているだけでも、十分譲歩しています」
仕方が無い。今は仕事中、帰ってから続きをしよう。
エクテは神の槍の教育機関”塾”にいた。
ここではラルウァが、見つけてきた少女たちを姉の役に立つ存在にするための教育を行っている。
煉獄の名の通り、天国と地獄の間にいるような厳しい教育だ。
ここにやってきた少女たち、塾生となった彼女らには生前の自分を消してもらわなければならない。
「はあ……で、あなたたちは使い物になるの?」
小さな教室の中、目の前の塾生たちに問いかける。
「「「全ては主様の御心のままに」」」
立っていた塾生たちが一斉に跪く。
「良い覚悟だね。小休憩の後、修練場へ来なさい。私が直接見てあげる」
「「「ありがとうございます」」」
塾生たちが部屋を後にした。
「じゃあラルウァ、後はよろし……」
「だめです」
空間を飛び越えようとしたところ、またもやラルウァに止められた。
「ラルウァ、今この瞬間にも、これからお姉さま成分が消えているの。これは一大事なんだよ?」
エクテは手紙を自分の顔に擦り付けながら訴える。
「エクテ様、このくだり、もう50回目です……」
何回でも関係ない。
お姉さま成分は鮮度が肝心なのだ。
「主様のお手紙は定期的に送られてきます。どうか、ここは未来のために辛抱してください」
「分かったよ……で、今回は5期目の子たちでしょ。どう?」
1期生の調味料、2期生のバーリィとウィート、それに続く3と4期生も今では世界征服のための重要な役割を担っている。
今回の5期生は5、いや先日1人増えて6人だ。
「みんな、賢い少女たちですよ。早くも魔力の制御に関して、全員合格しました」
「ラルウァが選んだ子だからね。信頼しているよ」
「エクテ……様……」
ラルウァが涙を流しはじめる。
感極まっているな……これは回復までに時間がかかりそうだ。
待っている間に、エクテは塾生について考えた。
塾生は1年間かけてラルウァと教育係の娘から、全てを叩きこまれる。
塾生が少女たちだけで構成されているのには理由があった。
今代勇者の誕生と共に発生した”勇者病”と呼ばれる呪い。
それは、生まれつき強大な魔力を保有しながらも、器である肉体がそれを抑えることをできず、周りに高密度の魔力を放出し続けてしまうものだ。
魔力とは、人によって許容量が決まっている。そのため、制御されていない濃い魔力を感じた人間は、強烈な不快感を覚える。
結果、勇者病の少女たちは迫害された。
ある者は隔離され、ある者は捨てられ、ある者は利用されていた。
神の槍はそんな少女たちを受け入れ教育している。
もちろん、神の槍は娘たち全員を勇者病として受け入れていたわけではない。
2期生までは、ラルウァでさえ勇者病の存在を知らなかったようだ。
カスタは勇者病に抗った結果、脳のリミッターが外れていた。
クリムは勇者病だが、自分で作った魔導具で抑え込むことに成功していた。
ラメルは勇者病の存在を魔法で消していた。
獣人の双子にいたっては、カスタが連れて来た元傭兵たちだったが、擬態によって勇者病を隠していた。
今思い出すと、レートだけが勇者病の症状をだしていた。
クリムの研究によって勇者病が解明されていった。
条件は、勇者と同じ年齢の性別女であること。発症時期に関してはまだ分かっていない。
ただ、明るみになった情報から言えることがある。
神の槍の少女たちは全員、勇者病という名の”勇者”だ。
これを偶然だといえるだろうか……
「ラルウァ、落ち着いた?」
「はい、見苦しいところをお見せしました……」
「別にいいよ。私も落ち着くことができたし」
エクテはラルウァの肩をたたき、部屋の外に出ようとした。
「あ、そういえばあの子、エリナベラはどう? ついていけそう?」
扉付近で振り返り、気になったことを聞く。
「そうですね……保有魔力の扱いに苦労していますが、一番良い目を持っています。今も別メニューで鍛錬中です」
「魔導具は使わせてないよね」
「もちろんです」
例にもれず、エリナベラも勇者病だった。最上級魔導具で制御していた魔力を、今は自力で抑えようとしている。
彼女は魔導具の使い方に関しては、クリムにも届くレベルだ。
ただ、それでは意味が無い。
エクテは期待していた。
だって、お姉さまの”友達”でしょ?
名誉ある称号には、相応の力をつけてもらう必要があるのだ。
「エクエス国は実質お姉さまの国だからね。魔導具もお姉さまのものだということ、常々言い聞かせて」
「問題ございません。彼女は『主様のために生きる』と決意しておりますので」
「うん、ならよかった」
エクテは修練所へと向かう。
消えゆく運命だった少女たちに、生きる術を教えよう。
”勇者”であることを隠す訓練を積ませなければならない。
大丈夫。”私”という最適な教材がある。
塾での指導が終わり、エクテは花屋の地下にある自室でくつろいでいた。
「ああ、お姉さま……」
椅子に座り、周囲を見渡す。
壁一面、天井にまで張られた姉の写真。
映写の魔導具で勝手に撮ったそれらには、姉の様々な表情が写しだされていた。
「おっと、いけないいけない。まずすることは……と」
エクテは今日送られてきた手紙を額縁の中へ入れた。
そして、ベットの裏にある隠しボタンを押した。
寝室の奥に、小さな部屋が現れる。
「ここは、さすがにお姉さまに見せられないな……」
壁には今まで送られてきた手紙が綺麗に飾られていた。
部屋の中心には、椅子に座った人形が置かれている。
「ただいまー! お・ね・え・さ・まー!」
エクテは人形に抱き着く。
姉が使っていた服を勝手に拝借し、姉が切った髪を勝手に回収して作った、等身大お姉さま人形だ。
「スー、ハー、お姉さま、いい匂い……『エクテ、今日も可愛いね』」
エクテは人形の手を持ち、自分の頬にあてる。
目と目を合わせて蕩けた顔をした。
「お姉さまこそ……『もう我慢できない、エクテ!』」
「お姉さま、ここには誰もいません!」
……はあ、お姉さまの匂いが薄れている。使いすぎたか……
エクテは持っていた人形の手を下ろし、冷静になった。
人形から離れ、壁際の棚を開ける。
そこには、珠玉のお姉さまアイテムが所狭しと並べられていた。
「これを使うしかないか……」
エクテが手に取ったのは、姉が使っていた靴下だ。
捨てられていたそれを、勝手に取っていた。
「ダメだ! これはダメだ! これは……とっておきなんだ……」
エクテは諦めて、1枚の毛布を取り出した。
お姉さまが使っていたもの、今日はこれに包まって寝よう。
隠し部屋を閉じ、寝室へと戻る。
エクテが姉に返すための手紙を書き始めた。
『お姉さま、私は大丈夫ですよ。
毎日元気に生きています。
仕事は忙しいですけど、花屋も頑張っています。
……』
いつもの文章を続ける。
本当の気持ちを伝えたい。でも、それはできない。
「手札は順調に揃っているんだけどな……」
勇者病の発生は祝福だ。
エリナベラ含め、神の槍に勇者が集まっているのも必然だと考えよう。
やっと最高の環境が整ったのだ。
「大丈夫ですよ、お姉さま」
『あなたが勇者を辞めたとしても、第2第3の勇者が現れます。だから結婚……』
筆を持った自分の右手を抑える。
「だめだめ! これはお姉さまの物語なんだよ! 私のバカ!」
エクテは毛布に包まる。
「会いたい……」
勇者だ魔王だ? どうでもいい。
傍にいなくても、常に想っております、お姉さま──