退屈が流れる
つまらない……
何度でも言おう。
つまらない。
人気の無い書庫の一角で、俺は虚無に浸っていた。
学園に入って半年以上が経った。
本当に何もなかった。
平和すぎた毎日は俺の感覚を鈍くさせてしまう。
教会では一挙手一投足が俺の命を決める、刺激に溢れた毎日だった。
それも全てエクテのおかげ……おかげってなんだよ、手段と目的が逆になってないか?
「妹さんの心配ですか~?」
茶髪の女生徒、カスタが気の抜けた声で話しかけてくる。
俺と仲良くするといじめられるというのに、何度言ってもそばにいる強情な奴だ。
入学当初とは雰囲気が少しだけ変わり、今はハキハキと俺に話しかけてくる。
少し前までは、人見知りだったみたいだ。俺と話すときはいつも下を向いて緊張していた。
「カスタ、私について来ても良いことないわよ」
「良いじゃないですか~、勇者さま~」
カスタは商人の娘だ。
狭い世界の貴族に媚びを売るより、いずれ全民衆が話題にする勇者に取り入った方が金になると考えているらしい。一理あるが、それを本人に言うか?
まあ、俺はそんな彼女のことが嫌いじゃない。
有能な人材はいつでも歓迎だ。将来、魔王軍に入れてやろう。
「知らないわよ、まったく……そうよエクテのことが心配で仕方がないの」
妹が心配だ。
強くなっていないか心配だ。
勇者だとバレてないか心配だ。
俺を裏切ってないか心配だ。
そう、エクテに倒される自分が心配なのだ。
14年間ずっと一緒にいた。毎日頭を撫でて、優しい言葉を語りかけた。
いつの日からか俺を手伝うとは言わなくなり、花が大好きな普通の女の子になっていた。
それでも俺は夢を見る。最強の勇者エクテが魔王の玉座に座っている姿を。
「お花屋さん、頑張ってるみたいですよ」
「そうか!? ちゃんと元気にやっているのか?」
「大丈夫ですって~」
カスタの親は王国全土で商いをしている。エクテが働いている花屋に商品を卸しているのも彼らだ。
偶然がすぎるとは思ったが、定期的に様子を聞くようにしていた。
エクテは元々住んでいた教会のある街で暮らしている。それは王国の端、人の目を盗んで見に行くことなど出来ない。俺は教会の駒、ただでさえ監視されているのだ。
「妹さんが本当に好きなんですね?」
「普通に姉妹だからよ。妹の心配をしない姉なんていないわ」
「ふふふ。口調が変わっちゃうくらい?」
カスタがいたずらっ子のように俺の顔を覗き込む。
そんなの当たり前だろう。
「エクテは私の命だから……」
ぼそっと声が出てしまう。
こっちは生き死にを賭けてるのだ。
俺はカスタと適当に会話を続けながら、書物を何冊か手に取り椅子に腰かける。
ここにいる時間とて無駄にはできない。学園で過ごす2年間の内、後1年以上残っている。
将来の野望のため、人間のことを学ばねば。
「暇ですね~」
「暇なら、あなたも勉強したら?」
「確かに!」
「確かにってなによ。あなたこの前の試験、ぎりぎりだったじゃないの!」
人間の友人同士での会話はこんなものだろう。だいぶ慣れてきたな。
演じることを忘れて自然に行えてる自分がいたのだが、気づかなかったことにしよう。魔王である俺に仲良しごっこは似合わない。
それにしても確かに最近は暇だ。
以前なら俺に対する嫌がらせに、人間の愚かな部分を楽しむことが出来たというのに……
「そういえば、あの、誰でしたっけ? いつも私のあらぬ悪評を広めていた方、最近見かけないわね」
「あ、あの人ですね。私も名前忘れちゃいました。興味無いので」
君もいじめられてたじゃないか。強靭な心を持ってることで。
「ただ、噂では確か退学したらしいですよ」
「どういうこと?」
「何やら、父親の不正がどうとか。貴族では無くなったみたいですね~」
俺に嫌がらせをしてくる者は、一人また一人と消えていく。
いつも話半分で聞いている。正直どうでも良い話題だ。
俺はエクテのことしか考えていない。
休日はおろか、長期の休暇では騎士団と共に実地訓練を行うため妹に会えない。魔物もろとも騎士団を吹き飛ばしてしまおう、と何度も思ってしまった。
それでも私は勇者。最も聖なる存在で、王国を守る盾となる。
自分にそう言い聞かせ、送る手紙には精一杯の愛を綴り、カスタの情報で少し安心する。
「ああ、来週の学園祭、憂鬱だな……」
学園内外の関係者が集まる祭りだ。
俺は王国に友好的な国の学校の代表が集まる交流戦にも選ばれていた。
「勇者様なら、全員血祭りにあげられますよ!」
「ははは……」
祭りね……そんなに楽しいものじゃ無いさ。
本気でやると、魔王がバレる。
手を抜きすぎても、勇者としての質を問われてしまう。
気合を入れねば……頑張れ、俺!
頬を叩き、たるみ切った平和な自分とおさらばするのだった。
*
学園の寮、ある一室にて。
カスタは上機嫌だった。
書庫で主様との会話を楽しんだ後、渡された指令書を読んでいる。
目の前には白いローブを着た少女、情報の伝達を任せている娘が立っていた。
「やっぱり申請は通らなかったか……」
カスタの顔が曇り始める。
以前出した戦闘の申請書が、今回もラルウァ様によって却下された。
「会長が出てしまえば事が大きくなってしまいます。ラルウァ様も、そこをご懸念されていました」
「……半年間、半年間だよ!? 体が暴力を求める……」
カスタは自分の体を抱きしめる。
『戦うな』それは神の槍のボスである妹様から与えられた試練。
今まで商会の部下を使い主様の敵を消してきたが、もう限界だ。
「ふう、ふう、主様の敵は世界の敵、滅ぼさねば、消し去らねば……」
カスタは呼吸を荒くしてしまう。
ダメだ。妹様も主様の現状を知ってなお、我慢していらっしゃる。
でも、敵がいる。敵テキてきて……
「会長、この案はいかかでしょう?」
頭が暴力で埋め尽くされそうになったとき、部下が一枚の紙を手渡してきた。
相手の精神を壊すための流れが、細かく記されている。
「……いいね。これなら私が戦ったことにはならないし、採用!」
今回の敵は、悪徳商人。
そいつは善人から寄付された食料を横流しして儲けていた。
それはこの際どうでもいい。
重要なのは、学園に通う息子が主様に対して不敬を働いたこと。
本来ならばその場での死刑が妥当だが、主様の普通を守るため、穏便に消えてもらおう。
「ああ、主様……あなた様の普通のため、私は耐えます頑張ります……」
カスタは幸運だ。
生まれた時から脳の制御装置が外れていたカスタは、小国で怪力少女という見世物として展示されていた。
そこから助け出し、あまつさえ戦う力を与えてくれた妹様。
そして、その妹様に教えを説いた”神”である主様。
カスタが出来ることはただ一つ、それはお掃除だ。
両手を胸の前に組み、神へと祈る。
「待っていてください……すぐに綺麗にしますから……」
*
「くしゅんっ!」
なんだ、粉が舞ったか?
寮内の自室で、俺は盛大にくしゃみをした。
まあいい。気にしないで続きを作ろう。
買ってきた安物のクッキーに、食堂で調理してきたカスタードを乗せる。
「誰も見てないし、たくさんかけちゃうもんね~」
クッキーの本体が隠れるほどかける。
学園に入り、俺の甘党ぶりが暴走していた。
教会ではエクテがいる手前、良い姉を演じなければならなかったのだ。
「さらに、クリーム、キャラメル、チョコレートの大盤振る舞いだ!」
デザートソースが勢揃い。
もう原型など存在しない。
「最後に粉砂糖を振りかけて……完成!」
机の上にあるのは、小皿に乗った”甘さの暴力”。
俺はスプーンですくい、口に運ぶ。
「暴力……最高……」
『甘い』以外の感想が出てこない。
もはやクッキーの味はなく、ただの土台となっている。
でも、たまにはこういうのも良いよね?
菓子と材料、梱包材に食器類、それらが散らかった部屋の中で。
俺の顔は他人には絶対に見せられない程、蕩けてしまっていたはずだ。