普通が始まる
『学校ってつまらない』
悲しいことに俺が出してしまった結論だ。
まだ始まって両手の指で数えられる日数しか、学生というものを経験していないが……
「おはようございます」
教室に入り、俺は同級生に挨拶をする。
「……」
全員に無視される。
これはまだましな方だ。
自分の椅子に座ろうと教室の前に移動する。
「今日も、ですか」
俺の椅子は無い。誰かが隠したのだろう。
人の物を取るのは良くないが、それでも俺は上機嫌になる。
「綺麗な花だ……」
俺の机の上には、誰かからの贈り物があった。
手に取って眺める。
黒色のバラ、エクテの髪には及ばないが吸い込まれるような綺麗さがある。
「お前はその意味すら分からないのか? 勇者ってのはバカでもなれるんだな!」
俺の周りにいた数名の生徒が笑いだす。
いや、知っているぞ? 永遠の死、だろ。
死という瞬間の出来事を永遠と表現する。なんとも詩的で素晴らしい言葉だ。
でも、俺が間違っていたら嫌だしな……
「教えていただけますか?」
「図体と同じで頭まで小さいようだな! ほら、水でも飲んで大きくなれよ!」
俺は頭から水をかけられた。
こんな小さな花にあげるのにはもったいない量だ。
「ありがとうございます」
面倒になって感謝の言葉を伝えた。
……俺だってそこまで鈍感ではない。これが嫌がらせだとぐらい分かっている。
さて、なんで勇者の俺がこんな目にあっているかを語るには、入学式の日まで遡のぼる必要がある。
……
「ご入学、おめでとうございます。本学園の生徒には……」
帰りたい。
学園生活始まって数十分も経っていないけど帰りたい。
俺は死んだ目をして無意味な言葉の羅列を聞いている。
俺たち生徒の後ろ側には、もちろん親である貴族商人などのお偉いさんが座っていた。
学園側の教師もそいつらに対してへりくだったことしか言わない。
これが、普通。これは、普通。
だんだん普通という言葉が分からなくなってしまっていたが、そもそも俺は魔王だ。普通の対極に位置する存在なのだ。
「では、教室に戻ってください」
長い式典も終わり、教室に戻る。
学園に入った時からだが、俺に対しての視線は多い。それは敵意にも似たものだ。
弱い敵意だ。気にする必要もない。
教室の自席で座っていると、誰かに話しかけられた。
初めての交流だ。気合を入れ……
「あなた、勇者なんでしょう?」
話しかけて来た女生徒は、偉そうな態度で俺を見る。
彼女の周りにいた生徒もニヤニヤしている。仲が良いな。
「どういう意味ですか?」
俺は一応とぼける。
本当は『(エクテでは無く)俺が勇者だ』とアピールしたかった。
冗談は置いておいて、俺が勇者だと知っているのなら、どういう反応が返ってくるのだろうか。
教会内と同じように、”勇者様”だとおだてられるのかもしれない。
ただ、返ってきたのは予想外のセリフだった。
「こんな奴が勇者だなんて、父上も可哀そうね。私の血筋こそ勇者に相応しいのに」
女生徒の取り巻きたちも頷いている。
そんなにも勇者勇者している一家なのか?
なら勇者になってくれよ……俺の悩みが消えるからさ……
「よほど素晴らしいご家族なのですね。ですが私には何を言っているのか……」
「あなた、勇者を放棄しなさい」
できることならしたいわ!
勇者とは生まれ持っての素養だ。
現状この世界に、それを持っているのはエクテただ一人。俺が幾重にも重ねがけした認識阻害が妹の魂の質を隠している。
それに勇者には、なりたくてなるものではない。もはや呪いと同じで捨てることなどできないのだ。
「なにを黙っているの?」
「いえ、私からこれ以上のことは言えないだけです」
人間界には”勇者ごっこ”というものがあるぐらいだ。
夢見る子供に現実を見せるのは酷である。
「あらそう。せいぜい楽しい学園生活を送ることね」
教師の気配を感じ取ったのか、生徒たちは自分の席に戻っていく。
送りたいよ。送らせてくれよ……
……
と、こんな感じで俺の学園生活はスタートしたのだが。
人間とは非常に興味深い。
俺はあれから毎日のように女生徒の取り巻きやその他から、嫌がらせを受けていた。
俺が勇者であることは一般的には公表されていない。
それでも、ここには将来王国の中枢を担う者たちが集まっている。
どこから仕入れた情報か、俺の正体はすぐに明るみになった。
最初は歓迎されると思ったが、人間の社会では身分がすべてなのだろう。
平民で、しかも孤児であった俺は悪意を向けられることになる。
所詮は妬み嫉み、感情の一つに過ぎない。
俺にとってはどうでもよかった。人間である以上、害は無い。
俺の思考は離れて生活することになったエクテのことでいっぱいだ。
椅子を、付けていた魔力の目印を頼りに探し出す。
中庭にあったそれは土で汚れていた。
魔法で綺麗にしながら、どうしても考えてしまう。
……つまらない。
魔界で開催した”第一回:魔王からの挑戦状~お宝探し編~”では、氷山の頂上に賞品を隠したというのに。
ちなみに第二回以降は無い。ヒントとゴールが難解すぎて不評だったようだ。
『参加費返せ』というクレームに、丸二日かけて対応したのは良い思い出になっている。
あの時に比べれば生徒たちからの暴言など、小鳥のさえずりみたいなものだ。
昔は魔王城改修費の捻出のため、いろいろ頑張ったな……
そういえば、今の俺(魔王)は何をしてるんだろう?
そろそろ勇者について調べ始めている頃だ。
俺は普通の勇者、手出し不要という結論になるはず。大丈夫か。
椅子を両手に持ち、小さな体で教室を目指す。
氷山の上にあった”魔王城の命名権利書”を自分で回収しに行ったと時と同じ気持ちになる。
やはり我ながらに素晴らしい景品だと思う。結局のところ、魔王城の名前は”魔王城”のままだが……
廊下で、いつものように周りから視線を感じた。
哀れみ3割、妬み2割、その他は無関係を貫きたいという複雑なものだろう。
俺に直接嫌がらせをしている集団は、たしか貴族のお偉いさんだったはずだ。
身分、ね……くだらん。
ここは本当に何もかもがつまらない。
ようやく自分の席に戻り、同じことを思う。
あの教会での日々に帰りたい、という考えが脳内を埋めてしまった。
まさか俺に限ってこのような思考が生まれるとは……人生分からないものだ。
「今日は新しい学生が来ます。入学手続きで少し手違いがあったようで、遅れての入学となりました。今日から皆さんと共に学ぶ仲間です」
教壇に立った教師が話し始める。
こいつも面白くない。”先生”の優秀さを再確認してしまうほどに。
「では、入っていいよ」
教室に入ってきたのは、丸眼鏡をかけて茶色の髪を三つ編みにしている少女。
両手に教科書を持ち、いかにも勉強が好きそうだ。
「私の名前はカスタ・ヴィオレンティアで……す。よ、よ、よろしくお願いします!」
カスタと名乗った少女が勢いよく頭を下げた。
反動で教科書が落ちた。
俺の席は一番前、背が低すぎるから当たり前だ。
カスタは目の前……仕方がない、拾ってあげよう。
「あ、ああ……ありがとうございます!」
また頭を下げて、せっかく拾ってあげた教科書をまた落としそうになった。
俺は慌てて支えてあげる。
「まるで支え木ね。哀れな勇者」
俺の後ろから、誰かが言う。
教室内の数名が合わせてクスクスと嗤った。
「殺すぞ」
カスタが教室内に発したまさかの一言。
一瞬で場の空気が固まった。
「カスタ……さん? どうしたの?」
教師が困惑しながら聞いた。
「あ、やっちゃった……こ、ころ、コロちゃん元気にしてないかな~。私が実家で飼っていたペットの名前なんです。ごめんなさい。私恥ずかしい時、つい名前を呼んでしまうんです」
そうとう可愛がられているペットのようだな。
カスタは声音の通り、優しい娘なのだろう。
さっきのドスの効いた声は、きっと幻聴だ。
教室の中も『なんだ、そういうことか』といった安心に包まれる。
「じゃあ、ついでにカスタさんのことをもっと教えてくれるかな? 皆と早く仲良くなるためにね」
教師がカスタに促す。
入学初日からの10日間は大きい。
頑張れ。俺は失敗した。
「えーと、たしか、あれだ! 好きなものは血……ーズケーキ、好きな言葉は暴力……反対、座右の銘はみなご……皆ご一緒に楽しく、です!」
おお、チーズケーキか。
あれは美味しい。甘いものを食べ過ぎてもう十分って時でも、なぜかいけちゃう不思議な食べ物だ。
教室から拍手が鳴る。
こんなに良い娘なのだから、歓迎されるのも当たり前だ。
まあ、俺と関わることはないだろう。
そう思ってカスタを見ると、視線が合った。
「頑張ります!」
そう言ったカスタの目に、俺はどこか懐かしさを感じた。