師弟が終わり
「フォルフォス、最後の授業だ」
王立学園への入学が急遽決まって、日にちが空き、ついに教会を旅立つ日の朝。
屋外の修練所で、俺の目の前には先生がいる。
先生は両手を構えていて、それは戦闘開始の合図だ。
ここでの終わりに相応しい試練だな。
「ひとつ、お願いをしてもいいですか?」
「珍しいな。言ってみろ」
「私が勝ったら、先生の名前を教えてください」
先生が黙っている。
流れでいけると思ったのだけど……
そもそも師匠の名前を知らない弟子がいるのがおかしい。
当然兄弟子であるモレーノも知っていなかった。
「……いいだろう。ただし、こちらも本気でいかせてもらう」
先生が羽織っていた聖服を脱ぎ、シャツとズボンだけの姿になる。
素肌が見えている腕だけでも無数の傷跡があった。
「準備しろ。待ってやる」
準備とは強化魔法のことだ。
本当の戦闘であれば、俺はすでに死んでいた。
先生は魔法を使わない。
正確に言うと、全身の細胞レベルまで身体強化の魔法陣が刻まれている。
10年以上先生から学ぶうちに、俺は疑問を抱くようになった。
なぜ、先生は魔王を討伐しなかった?
前世では”先生”の記憶すらなかった。
ただ先生の実力を知った今では、魔王討伐は不可能ではない気がしたのだ。
まあ、負ける気はしないけど。
魔法が使えない? 魔導具を持てばいい。
聖属性ではない? 聖剣を持てばいい。
先生のフィジカルは、人間界どころか魔界でもトップに入る。
この戦いで何かを見つけられればいいが……
「勇の祝福」
特異魔法を唱え、俺の体は高揚を始める。
俺の人間としての集大成だ。
「来い」
先生の全身に赤く光る紋様が浮かび上がった。
先生は本気だ。
俺も殺す気でいこう。
右足で踏み込み、一瞬で距離を詰める。
強化された拳で先生の腹部を殴った。
ゴンッという、人間からは発せらるはずのない金属音が空に響く。
すかさず上体をひねり、左足で先生の頭部を狙う。
余裕を持って掴まれる。
「あまいな」
俺はそのまま投げ飛ばされ、なんとか地面に足をつけて威力を相殺した。
先生から俺まで間に、綺麗な二本の線が引かれていた。
「今まで何を学んだ? 俺と同じ条件で戦うつもりか?」
「いえいえ、これからですよ」
俺は魔法を起動する。
さっきの衝突の時、先生が立っている地面に魔法陣を設置していた。
「勇の盾か。詠唱を破棄する代わりに発動条件を絞ったのだな」
先生を光の壁で囲った。
拳の突き一撃で破壊される。
特異魔法だぞ……おかしいだろ……
「次はどうする?」
一枚あたり一撃か……
よし、こちらも脳筋でいこう。
「勇の盾、たくさん!」
先生は次の攻撃を待ってくれていた。
俺は最初に先生の前後右左上下に6枚づつ、計36枚の壁を展開する。
「面白い」
先生は連打で壁を壊し始める。
1枚破っても外側からまた1枚壁が現れる。
特異魔法の自動生成を可能にした、俺の奥義だ。
「うまく作ったな」
「ありがとうございます」
「ただ、これではダメだ」
先生の連打は速くなり、壁の生成速度を超え始める。
6枚のストックが5枚4枚と少なくなっていく。
「とっておきです」
俺は右手を開き、上に掲げる。
「勇の天槌」
俺の手には光の槌が握られていた。
それはどんどん大きくなっていき、本当に天にまで届きそうだ。
「これが、私の全力です!」
俺は槌を振り下ろす。
さようなら、師匠。
楽しか……楽しくは無かったけど、いろいろ学べました。
先生が光の壁もろとも巨大な質量に押しつぶされる。
その瞬間、俺は初めて先生の笑みを見た気がした。
っと、やばいやばい。やりすぎた。
俺は急いで駆け寄る。
丸い形に凹んだ地面の中央に、先生の頭があった。
「先生……お疲れさまでした……」
俺は両手を合わせて目を閉じた。
「生きてる」
先生がにょっきりと地面から出てきた。ほぼ無傷だ。
知っていましたよ、このぐらいでは死なないことぐらい。
「私の勝ちでいいですか?」
「合格点はやろう」
名前チャンスだ。
「では、先生の名前を……」
「俺は名を捨てた。もう覚えてもいない」
先生の目は嘘をついていない。
それは、ずるくないですか?
「じゃあ、先生の年齢を……」
「なぜ俺のことをそこまで知りたがる?」
当たり前だろ。
先生は俺にとっての不確定要素だ。ちょっとでも安心させてくれ……
「弟子なので。それ以上の理由がありますか?」
10年だぞ10年。
どれだけの時間を一緒に過ごされたと思っているんだ。
「……32だ」
嘘でしょ……若すぎる。この見た目で?
先生は短く適当に切られた髪に、無精ひげ、顔に十字の傷跡、そしてなにより死んだ目をしているのだ。
経歴も含めて、若く見える50代だと勝手に思っていた。
待て待て、俺を鍛え始めた時は22ということだろ?
あの時からも見た目が全然変わっていないんだが……
「なんだその目は」
「いえ、思っていたよりもだいぶ下で……」
「逆に何歳だと思っていた?」
「えーと、その、40以上かなー、なんて」
「そう……か……」
先生が目に見えて落ち込んでいる。
本日二度目の初めて見る表情。
結局先生のことは分からなかったが……
うん、俺の勝利だ!
弟子としての務めも終わり、教会の門でエクテと最後の別れをしている。
妹は成長していた。きっと大丈夫なはずだ。
「お姉さま!」
「エクテ、ちゃんとお花屋さんを頑張るのよ」
「私、私はお姉さまに甘えてばかりで……」
「いいの、もっと甘えてもいいの。それが私の生きがいだから……」
生きがいというより、”生”そのものだがな。
「私が言ったことは覚えてる?」
「はい。『良きを愛せ』ですね。力になれるように頑張ります」
花屋は良い職業だ。
人の喜びと悲しみ、ふたつの感情に寄り添うことができる。
俺は別にその二つを特別だと思っていない。
人は皆、精神的にも肉体的にも周りと比べてしまう。感情とは特に、相対的に影響されがちだ。
”秀”や”優”が普通だと誰が言った?
”可”であっても”不可”であっても、”良”を目指す。それだけで十分すぎるほど偉い。魔王的評価でいえば、はなまるだ。
「もう、笑顔えがお! 別に死ぬわけではないのよ?」
エクテの頬を押し上げて、無理やり笑わせる。
「お姉さま、私、負けません。たとえ世界を相手にしても」
すでに花屋の世界進出も視野に入れているようだ。
この気迫は……本気だな。
別の夢があるなら、勇者になんてならないよね。
「応援しているわね。たとえ距離が離れていても、私はあなたのことだけを思っているから……だから、そんなに硬い顔しないで。私と一緒に居る時は?」
「……仲良く楽しくです!」
エクテの笑顔には決意が宿っていた。
最後にふたりで抱き合い、お別れをする。
エクテがいつも以上に俺の頭に顔を埋めていた。
妹は息が苦しくなっても、離れたくない思いの方が強かったのだろう。『スー、ハー』という大きな呼吸音が最後まで頭上から響いていた。
馬車に乗り、王都へ向かう。
さようなら教会。
楽しか……やっぱり楽しくはなかったけど……
まあ、過ごした日々を懐かしく思えるぐらいには充実していたかな。
エクテが手を振っている。
そんな可愛い妹が見えなくなるまで、俺も手を振り続けた。
街を出て少し経ったところで、俺は不貞腐れる。
それにしても先生は結局見送りには来なかったな……ひどい。
学園への入学も、先生が関与したものらしい。
王国が魔王討伐を急かしていたところ、無理やり学生という身分に俺をねじ込むことで、理由を付けて延期させたみたいだ。
別に俺は魔王討伐へ直行でも問題無かったが、これは先生の優しさかもしれない。
いつもなら勘ぐってしまうが、今日の授業の後だ。
「れ、礼は言わんぞ!」
珍しく先生に”感謝”をあげた。
でも、最後ぐらいは弟子の顔を見に来ても……
もうやけくそだ、お菓子でも食ってやる。そう思い鞄を開ける。
中に、入れた覚えのない紙が入っていた。
これは……あの人も粋なことをするじゃないか。
俺はウキウキ顔で紙を開く。
『常にお前と共にいる──先生』
すぐに燃やした。
よりにもよって呪いかよ! 俺が年齢を聞いたことへのお返しか?
さっきの気持ちを返してくれ……
よし、読まなかったことにしよう。
なんか幸先悪いな……
この後の学園での生活が不安になってしまう。
考えていても仕方がない。きっとエクテも仕事を通して成長してくれるだろう。
見張っているという安心材料は消えるが、少しくらいは妹を信用しても……
「頼む、2年間持ってくれー!」
馬車の窓を開けて叫ぶ。
思わず声に出してしまったそれは、俺の心からの願いだった。