閑話 姉妹の一日 下
「あなた、なぜここにいるの?」
妹の声は低い、そして怖い。
「エクテの、お、お、お友達、かしら?」
思わず俺の声が上ずってしまった。
相手は黒に近い褐色の肌をした女性、20代前半っていうところだろう。
落ち着き整った顔とメリハリのきいた体は、妙齢の女性であることを示している。
友達なはずが無い。年齢が違いすぎる。
それにしても、なんでこの人は笑顔で涙を流しているんだ?
「尊い……はっ、失礼、エクテ様は私のある……」
「ラルはね、前知り合った商人さんなんだよ! すごいんだ! 世界を旅しているんだって!」
エクテがラルと呼ばれた女性に近づき、何かを耳打ちした。
「はい。エクテさ、エクテさんには商いをしに来た時に、この街を案内していただきました」
妹よ、なかなかにやるではないか。
道案内とはすばらしい普通だ。
「じゃあラルは忙しいでしょ? ばいばー……」
「よろしければ、私にも話を聞かせていただけませんか?」
情報を知る良い機会だ。
エクテとは親しいようだし、妹のことも聞いてみよう。
「はい! よろこんで!」
なぜかとびっきりの笑顔を見せるラル。
「ラルウァ、戻ったらお仕置きだから……」
それとは反対に、エクテがしかめっ面で呟く。
お塩? 仕入れて貰っていたのかな?
後で俺もわけてもらおう。砂糖もあるかもしれない。
「じゃあ、ケーキでも食べにいきましょう! 新作が出たんだって!」
無理やりでも気分を上げていく。
新作スイーツが待っているのだ。
この程度のイレギュラーで止まる俺ではない!
皆で仲良く、目的地に向かって街中を歩く。
後ろから誰かにつけられているのを感じた。
ちょくちょく視線を感じてはいたんだよな……
俺は聴覚を強化する。
「あいつらか? 言っていた上玉っていうのは」
「ああ、王都の貴族が欲しがっていた」
「あの女もなかなかだぜ。一緒に攫うか?」
「いや、姉妹だけだ。お得意さんは年増に興味が無い」
男が二人。なんだ、敵か。
勇者の誕生は公表されていない。どこからか情報が漏れている可能性がある。
そう、考えるべきは勇者のことだ。
なぜ妹も襲う?
まさか、妹が勇者だとバレたのか!?
やばい、どうしよう。いっそのこと俺が勇者だとアピールでもするか?
「エクテ様、行って参ります」
「帰ってこなくていいから」
「必ず戻ります」
俺が追手への対応に苦悩していると、エクテとラルが何かを話していた。
「どうしたの?」
「お姉さま。ラルに急の仕事が入ったんだって。残念だけど今日は……」
「必ず戻ります!」
「……すぐ終わりそうなのですね。では、1時間後に街の噴水広場にあるカフェで待ち合わせしましょう。それまでエクテと買い物していますね」
「仰せのままに」
この人は何でかしこまっているのだ……
ラルが俺と反対方向に歩き出す。
しばらくすると、俺をつけていた二人の気配が”消滅”した。
諦めたのか? にしてもいきなりすぎる。
気配の消し方から、かなりのやり手だったのかもしれない。一応だが注意しておこう。
お買い物をしよう。
それから俺は手近な服屋に入り、エクテを着飾っていた。
「可愛い! 超かわいい!」
「お姉さまがそうおっしゃるのなら……」
エクテがフリフリのワンピースを着てもじもじしている。
「うん! こんなにカワイイなら、嫁の貰い手なんて選び放題よ!」
「よ、嫁!?」
エクテが目を見開く。
急にどうした?
「お、おね、お姉さま、私たちはまだ10歳……嫁なんて……いや、もう年齢なんて関係ない!」
「大丈夫?」
「私、お嫁さんになります!」
「もう、冗談よ。まだ若すぎるじゃない」
「ですよね。です、よね……」
結婚願望か、早いな。
好きな子でもできたのかな……相手は苦労するぞ……
でも良い感じに年頃の乙女になってきている、感心感心。
エクテが着ていたワンピースの支払いを済ませ、そろそろ時間だ。
ちなみに、俺のお小遣いは全て先生の懐から渡される。
毎月『使え』という一言で結構な額をくれるのだ。
まあ、先生ひとり身だしな。稼いだお金は、俺の計画の犠牲になってもらうとしよう。くくく……
目的を果たそう。
待ち合わせの時間。
街の中央近く、古びた看板が味を出す。俺のオアシスがそこにはあった。
「お久しぶりです!」
「フォスちゃん、久しぶりだね~」
老婦人が営んでいる小さなお店の中には、4人掛けのテーブルが一つ。
基本持ち帰りだから、そこで食べているのは俺くらいだ。
「前言っていた新作、できましたか?」
「おうよ! 自信作だ……けど、なかなか売れないんだよね。味は良いのにさ」
「そうですか……すみません。私の要望に従ったばかりに……」
「良いの良いの、皆同じのでいい?」
「新作を三つと……せっかくなのでいろいろお願いします!」
俺は店主である婦人からケーキを受け取り、お盆に乗せてふたりが待っているテーブルへと戻る。
「……で、全て片付いたのね」
「はい、貴族もろとも綺麗にしておきました」
「感謝はしない。戻ったらもっと仕事増やすから、覚悟して」
仕事の話か? 商人も大変だな。
あんなに真面目に話し込むなんて、エクテは商人になりたいのかもしれない。
そっち方面でも応援してあげよう。
「おまたせ~!」
俺の顔はすでに崩れそうになっている。
なにせ目の前には幸せが広がっているのだ。
「お姉さま……流石のセンスです!」
「この見た目は……素晴らしい!」
ふたりとも気に入ってくれてよかった。
俺が持ってきたのは、数種類の良く見るケーキと新作である蛍光色のケーキ。
青色に輝くそれは、赤竜がいた島の色彩をイメージしたものだ。
うん、めっちゃうまそう!
よだれが落ちそうになるのを耐えながら、ふたりにケーキを配る。
「じゃあ、食べましょうか?」
「うん! 実質お姉さまが作ったものだからね。絶対美味しいよ!」
俺はワクワクを止められず、ケーキについてエクテには話していた。
大丈夫だ。期待してくれ。でも、俺じゃなくて婦人のケーキだからね。
「これが神の恩寵……ああ、幸せです」
ラルが両手を組み、天に祈っている。
敬虔な教徒だな……食事前に祈るなんて。
なかなか食べないふたりは置いておこう。もう我慢が出来ない。
俺はスプーンを青く丸いケーキに刺す。
青に紫にピンクに黄色に……
なんと、切った断面が虹色だった。
「素晴らしい……」
思わず声が漏れる。
中身まで美味しそうな色だ。非常に食欲がそそられる。
美味しいことは確定した。
スプーンにのったケーキを口に運ぶ。
「かんぺき、だ……」
たくさんの果実の味が一気に口の中に広がる。
一つ一つがお互いを引き立て合い、口の中でオーケストラが演奏しているような、今まで食べたことのない味わいだ。
感想を一言で表すと『感動』だ。そのレベルの完成度だった。
さて、ふたりの反応はどうだろう?
「美味しい……」
「祝福……」
ふたりも感動している。やっぱりそうなるよね。
俺も皆も大満足の味。でもなんで売れないんだ?
「そんなに美味しそうに食べてくれると私も嬉しいね」
店主が紅茶を持ってやってきた。
「なんで売れないんですか? こんなにも、うまくできているのに……」
「ははは、普通の人には良さが分からないってことさね」
テーブルにポットとカップを置いて、店主が手をひらひらとさせながら戻っていった。
確かに難しい味だ。
独特な色合いを生むため、果実の皮を削って練りこんでいる。
その苦みが味に深みを出しているのだが……
ふっ、俺の美食っぷりについてこられなかったのか。
自分の味覚に自信を持て、上機嫌で残りを食べた。
新作の感想会も終わり、皆で他のケーキも食べている。
「はい、あーん」
エクテの口にイチゴを運ぶ。
ああ、俺の大好きなイチゴ……
これも恩を売るため。涙を飲んで耐えろ、俺。
「あーん……んぐ、ほいひいですぅ」
「そう? それは良かった……」
本当に良かった……
ま、また買いに来ればいいよね?
「ああ、尊い……」
さっきからラルが手を胸の前で組んで何かを言っている。
まだ祈っているのか?
「今度は私も! はいお姉さま、あーん」
おお、ブドウではないか!
イチゴとは等価でないが、苦しゅうない。
「あーん……んぐ、ありがと」
「お姉さま、お口にクリームが」
エクテが俺の口元に着いたクリームを指で取り、ペロッと舐めた。
「ぐへへ、これが一番美味しいですぅ」
妹がまるで天国にいるような顔をしている。
確かにここのクリームはうまい。エクテも分かっているな。
「尊死……」
またラルが何かを言った。
とう……意味が分からない。さっきからなんなの……
「ってラルさん? ラルさーん!」
ラルが倒れるように、椅子の背もたれに寄りかかる。
涙を流し目を閉じても祈り続ける姿は、教会の壁画にでも描かれていそうだ。
大丈夫……なのか? 幸せそうな顔だし、大丈夫か……
結局、俺は妹のことを聞くという目的を忘れて緩い時間を過ごした。
店を出るころには日が落ち始めていて、ラルとはそこでお別れをした。
また会えるかな?
そう思いながら、帰路に就く。
最後まで天を仰ぎ祈り続けていたラルと、最後には天に昇りそうになっていたエクテ。
そんなふたりに囲まれて、俺は幸せな休日を過ごしたのだった。
「エクテ! 大丈夫!?」
「お姉さま……美しい……」
そして俺の一日は、風呂場でエクテの鼻血を止めることで締めくくられる。
こんな平和が”いつまでもどこまでも”続きますように──