太陽の神さま
どうも「太陽の神さま」です。
うーん。
寝不足のせいで、目が痛い。
気分転換に、窓の外の濁った “青” を見つめる。
ほら、青はリラックス効果があるっていうし…。
あ、駄目だ。全然効かないや。
仕方がないので凝り固まった肩をうんと伸ばすと、それだけで肩からボキリと不穏な音が鳴った。とても20代後半の身体とは思えない。11時間も同じ姿勢をとっているせいで、足がピリピリと痺れている。
気を抜けば今にも永眠できそうだ。
幸い、眠気覚まし用のドリンクはまだまだストックがある。あともう少しだけ頑張ったら、それで今日の仕事は終わりだ。頑張ろう。
そう自分に気合を入れ直して、デスクの上に視線を戻すと、ちょうど赤いランプが点滅していた。6982番の画面だった。
すぐさま画面を拡大する。
…良かった。それほど緊急事態じゃないみたい。
『ほいほーい。皆大好き“太陽の神さま”だよ』
元気よく、なるべく疲労を感じさせないように喋る。
最初は慣れなかった口調も、すっかり板についていた。
もう10年もやってるから、当然といえば当然か。
画面の向こう側では朝日の下、若い青年が立っていた。
ただ視線の先は此方ではなく、空を仰いでいる。“神さま”は空に住んでると教えたからだろう。素直な子だ。
それは半分正解で半分嘘なんだけど。
でも、どうせ知らなくたって彼らの人生は続いていくのだ。これからもずっと。その命が尽きるまで。
なら、知らない方がいいこともある。
画面のなかの青空が嫌になるほど綺麗で、私は少しだけ彼らが羨ましく思えた。
「遅いって!何回呼んだと思ってんだ。」
『え、そんな呼んでたの?いついつ?』
「夜だよ、あんたじゃない方の神サマの時間。“月の神サマ”ってほんとサボリ魔すぎ。」
『あはは、寝ちゃってたのかもね!』
「神なのにかよ。」
ひたすら画面に向かって喋る。本当は無口で根暗な方なのだが、仕事中は《太陽の神さま》として通すことに決めていた。その方が、なんとなく彼らに親しみを持ってもらえると思って。
誰だって、厳しい神サマよりも優しい神さまの方が相談し易いでしょう?10代20代の彼らなら尚更そうだ。
「さっさと用件言ってもいいか?」
『ちょ、冷たいなぁ。この魔王め!』
「いや、魔王に転生させたのアンタだろ。それより、ここ数日“勇者”が魔物の村を襲ってるみたいなんだ。どうにか撃退する方法はないか?」
『うーん。それなら、此処から南西にある白の祠に行くといいかもね。とっても強力な守りの札があるんだ。』
「そんなのあったんだな。初めて聞いたぜ。」
まぁ、今作ったからね。
会話しながら急いでキーボードを打ち込んで、守りの札を設置する。これで、彼が祠をクリアすれば無事に札が手に入るだろう。
本当は、殺傷能力のある武器やいわゆるチートアイテム的な物を授けられたら、1番良いのだけど…。
残念ながら、《神さま》はそういったズルが出来ない。そういう“システム”だから。
ほんと不便な世界だ。最初の頃は、許可されてたのに。
と、そこでまた別のランプが点く。
次は344番だ。
画面を拡大し、緊急事態だと悟る。画面の向こうが真っ赤に染まっていた。
早々に青年との会話を切り上げ、慌てて血塗れの少女に声を掛ける。倒れた彼女の側には、小柄の少年が蹲っていた。
『どうしたの?』
普段の明るいキャラクターを演じる余裕もなかった。
盗賊に襲われた?モンスターに負けた?
色んな可能性が瞬時に浮かんでは消えてゆく。
もしも私がこのランプに気がついていなかったら、
この少女は。
考えるだけで、背筋がゾッとした。
「か、神さま…。ごめんなさい。」
私の問いかけに答えたのは、少女ではなく少年の方だった。
まだ幼さを残す声は静かに震えている。顔色こそ悪いものの、その身体には傷ひとつない。腹に大穴を開けた少女とは違って。
…なんで。
なんで怪我をしてるのは彼女の方なの?
この子が怪我すれば、よかったノニ。
『何があったの?』
「ダンジョンに挑んだら、ボスが予想以上に強くて…。彼女は僕を庇って、水魔法攻撃を受けてしまったんです。僕のせいだ。僕が、誘ったから。」
『…今から彼女を治すよ。でも、間に合うかは分からない。』
ほんと、なんでこの子じゃないんだろう。
でも、現実は変えられないんだから仕方がない。いつだってそうだ。起きてしまった事を変えられる存在。それこそを人は本当の“神”として畏怖するのだから。
私は出来る限りはやく、キーボードを打ち続けた。
対水魔法攻撃用治癒 — 143番コードをひたすらに打つ。
厭らしいくらいに長ったらしいコードだ。1文字でも間違えれば、効果はない。しかし、マニュアルを見てる暇はなかった。
コードは全て、嫌になるくらい頭に叩き込んである。間違えるわけがない、はずだ。
タンッ!!
勢いよく、最後のキーを押し込む。
助かれ。
助かって、くれ。
顔を上げて、祈るような思いで画面を見つめた。
「ん。」
ピクリ、少女の指が動く。
良かった。生きてる。
よかった。
彼女はキョロキョロと辺りに視線を彷徨わせた。腹に空いた大きな傷はすっかりと治っている。そして、なぜ自分が助かったのか分かったのだろう。
此方の方を向き、気まずげに言葉を発した。
「あー。もしかして、神さま?」
『だいっせーかい。良い子の君には、特別に栄養ドリンクをあげるね!』
「え。なにそれ要らない…って本当に出してるし。」
『いやー。君が助かって良かった良かった!』
苦笑い気味に、少女は突然現れた栄養ドリンクを手に取る。
うん。良かった、ほんとに。
その栄養ドリンクには、飲んだ相手のHPを少しだけ回復する効果がある。気休めにはなるだろう。味がとてつもなく不味いのが難点だけど。
しかし、背に腹はかえられない。少女を急かして、なんとか全て飲んでもらった。
「ごめんね。僕がいたから、こんな大怪我をさせちゃった。君は女の子なのに。」
「なーに言ってんのよ、ケリー。いつも言ってるでしょ、こういうのに男も女もないって。冒険者として、名誉の勲章よ。」
少女は落ち込んだ様子の少年の手を握り、朗らかに笑う。
下手をすれば死んでいたかもしれないのに。
優しい子だ。とても良い子だ。
…だからこそ、私はその優しさに漬け込んでいる少年が許せなかった。
今後もまた、彼が少女を危険に晒さないとも限らないのだ。今度こそ、少女が死んでしまうかもしれない。
イヤだ。
そんなの、イヤだ。
私に、システムを改竄できる能力さえあれば。
この子を消せるのに。
「うっ…!」
「ケリー、しっかりして!」
だから、今この時ばかりは感謝しなければならない。
どこからか私を見下ろしているだろう、神とやらに。
少年は突然倒れた。どこにも外傷はないのに、口からは面白いくらい大量の血が出る。
いいぞいいぞ。そのまま死んでしまえ。
少女がすぐに駆け寄って、なにやら詠唱しているが恐らくは無理だ。症状からいって、遅効性の毒魔法だ。
それもかなり強い。
“神”でもない限り、誰も救えはしないだろう。
「か、神さま!助けて!このままじゃケリーが死んじゃう!!」
『残念だけど、彼はもう無理だよ。』
大切な大切な君を、彼は巻き込んだんだから。
死をもって償ってもらわなきゃ。
「うそ。うそよ。だって、さっきも私を治してくれたじゃない!」
『本当だよ。その少年の生は既に尽きた。彼の場合、ここで死ぬ定めなの。前にも言ったでしょう?天命通りに死ななければ、その人間は転生できなくなるよ。』
もちろん、全てでっちあげだ。
でも、こうやって誤魔化せば大抵の子達は押し黙る。
他の皆だってそうだった。
神さまが言うなら仕方ない。
転生できるなら仕方ない。
そうやって、折り合いをつける。
“神さま”を信じているからこそ、彼らは最終的に納得する。
「そ、そんな。ケリー、ケリー!!」
少女の悲鳴が響く。
それから数分も経たないうちに、少年は死んだ。目を開いて、あっけなく。
息を引き取った。生意気にも、彼女の手を掴んだまま。
最後まで意地汚い奴だ。こんなに少女を悲しませて。
所詮は、紛いモノのくせに。
「う、うっ。ケリーは…彼は、次の人生で幸せに生きられるよね?」
『あぁ、約束するよ。』
何百回と言い慣れてきた言葉を返す。
電子上の魂に来世なんてある訳ないが、真実を言って彼女の機嫌を損ねるのは本意ではない。
メソメソと泣いている彼女には、これ以上の会話は不快だろう。私は無言で、拡大した画面を元に戻した。
そういえば、今は何時だろう。
チラリと時計を見る。13時5分。
どういうことだ?規定時間はとっくに過ぎている。一体、《月の神サマ》は何をしているんだろうか。
彼はいつもこうだ。この子達のことを、真剣に考えていないように思える。
彼らには、私たちしかいないのに。
自然とイライラしてきて指を噛む。昔は綺麗だねとよく褒められた手は今や見る影もない。
あの男、まさかこのままサボるつもりじゃないでしょうね。
探したいけど、此処を無人にする訳にもいかないし…。
「吉野。交代だ。」
背後の扉がガチャリと開く。
待ち望んでいた男の声に、私は安堵した。
そして、ほんの少しだけ反省した。我ながら逃亡を疑うなんて、いくらなんでも考えすぎだ。この男が逃げるわけない。
逃げられる場など何処もない事くらい、彼が1番よく分かっているはずなのだから。
「1時間も過ぎてる。何してたの?」
ちらりと男の方を見れば、その顔は相変わらず不機嫌そうに歪んでいた。
いや。彼の笑顔なんて、出会ったた当初から見たことがない。あっちも同じはずだ。
あんな事が起きてからというもの、誰も笑顔なんて浮かべる気力はない。
「寝てたんだよ。」
「ふざけないで。夜に連絡したのに返ってこなかったという報告もあった。夜は貴方の持ち回りでしょ。仕事はきっちりこなして。」
「しょうがないだろ。俺“は”人間なんだからよ。」
「…私だって人間だけど?」
憎たらしい男だ。
反省しないどころか、いつも挑発的な態度をとる。でも、ほかに適任もいない。
私は最後にもう一度だけ。壁にびっしりと嵌められた画面を見た。
計1万個もの画面には同じ異世界を舞台にした、それぞれ違う映像が流れている。魔王だったり、冒険者だったり。様々な人物の軌跡を映し出していた。
そして、部屋の奥には同じ数の恒久型冬眠ポッドがずらりと並んでいる。その中には勿論、6982番や344番もいる。
みんな。私の、かけがえのない子供たちだ。
「いつも通り、12時間後に交代だから。」
「あぁ。」
《月の神サマ》はぶっきらぼうに返事する。
その頰には痛々しい傷が出来ていた。前回交代した時には無かった傷だ。
きっと、地上に出た時に “奴ら” にやられたんだろう。
もともと厳つい顔のため、たった1つの傷のせいでヤクザ並みの迫力が出ている。
これじゃ、研究職に復帰しても同僚から怖がられるに違いない。道を歩くだけでも、子供が泣きそうだ。
もっとも今はもうその心配はない。
だって、この世界で動いている人間は、私とこいつ。
その二人しか、居ないのだから。