第九十八話 園へと戻る
ひとりの女性が亡くなった。
額に第三の目を持つ、敵だった人。
何を思い、何を考えてこうなったのかは知らないけれど、不思議と厭な感じのしない人だった。
うつろな瞳で虚空を睨むその顔には、ある種の生き様を感じさせる。
きっと元は美人だったのだろうなと思える容姿だ。
けれども、美容だとか、オシャレだとか、そういうものの一切合財を削ぎ落として生きてきたのだと即座に分かるくらいに、その顔には飾り気がなかった。
眉間に刻まれた皺は、その人生の大半を過酷に過ごしてきたのだと偲ばせるに、充分な深さがあった。
「安らかに眠るが良い。もう、苦悶の必要もあるまい」
雪だるまは手足を遺体にあわせると、氷の魔術で目立たぬように接合させる。
この騎士は敵対すれば種族、性別問わず手加減しないが、一方で死者であれば敵対したものでも、一定の敬意を払う性格らしい。
こういう切り替えと云うか、戦時と平常時で態度を分ける姿勢は、流石は騎士と云う所か。
あの幼体がなくなった経緯を考えると、俺には素直に手を合わせてあげる気には、中々なれないけれども、将来的にはきっと、見習うべき部分も多いのだろうな。
それにしても、と、俺は綺麗になった遺体を見る。
(エイベルやシェレグが凄すぎただけで、この人、メチャメチャ強かったんだろうな……)
何となく、それは分かる。
隠匿の魔術のみならず、簡単に行使していた雷撃も、瞬時に出したトラップも。
威力の強さと手数の多さ、そして即座に魔術を行使出来る準備速度。
彼女の根源にアクセスしたからこそ、その凄まじさが分かった。
リュネループとは、ここまで高レベルの魔術師なのだろうか。
(いや……)
それもあるには違いないが、きっと、果てしない修練の結果が、あの強さだったのだろう。
のんびり健康的な範囲で魔術を教わっているだけの俺に、この人のいた場所まで、辿り着くことが出来るだろうか?
俺が手本とすべき魔術師はエイベルで、俺の師匠もエイベルだ。
それは今後も変わることがないだろう。
けれども、他の魔術師たちからも学べること、見習うもの、そして盗める技術はあるはずだ。
今回、俺はこのリュネループの女性の魔術に干渉したことで、隠匿の魔術と、設置トラップの構造をなんとなく理解した。
修練を積めば、使うことが出来るようになるかもしれない。
そして他に身につけるべき魔術もある。
それは、浄化だ。
浄化の魔術。
もう、使うことはないかもしれない。
たとえ使えるようになったとしても、あの子は決して戻ってこない。
だけど――いや、だから、学ぼう。
過去は変えられなくとも、過去に対して胸を張れるようになるために。
(目的が増えたなァ……)
俺は頭を掻いた。
肩肘張るのは自分のキャラクターじゃないから、過労死しない範囲で頑張りますか。
「…………ん」
すると、突然、可愛いエルフの先生に頭を撫でられた。
「え、何……ッ?」
「……アルは今日一日だけで、とっても成長したと思う。いい顔になった」
そうだろうか?
あまり変わっていない気がするんだが。
だから、静かな笑顔で俺を見るのはやめて欲しい。照れてしまう。
「ちがうのー!」
ぐいぐいと俺を引っ張り、エイベルから離そうとする妹様。
「ふぃーのにーた、いつでもすてき! いつでも、いーおかお! えいべる、わかってない! ふぃーだけ! ふぃーだけが、にーたのよさわかるの!」
妹以外に良さを理解されない兄貴って、人として終わっている気がするので勘弁してくれ。
フィーに引き剥がされて抱きつかれて、あとついでに、なでなでも要求されたので、云われるがままに叶えていると、雪だるまがこちらへやって来た。
「しかし……。結局、我らの園を襲った連中の正体も目的も不明なままでしたな」
「……それは仕方がない。けれど、見えてきた部分もある。今回の騒動を成したものたちの目的は、あくまで大魔石にあって、雪精や氷精、ひいてはこの大地そのものが標的ではなかったと云うこと。加えてアプローチはいずれも魔術的手段に限定されていた。つまり、そちらの方面に原因がある」
「成程。云われてみれば、その通りでありますな。流石に慧眼でいらっしゃる」
魔石が標的だったと云うのは、俺にも分かる。
ならば、それってつまり、今後も世界のどこかで、似たようなことが起こるのではなかろうか?
大丈夫なのかな、この世界。
「……調査は商会を通して、エルフの皆に、依頼しておく」
「それはありがたいことですが、よろしいのですかな、高貴なる方よ。エルフそのものを巻き込むことにも、なりかねませんぞ?」
「……事は精霊だけの話ではない。新たな災厄に発展されても、困る」
「左様ですな。四度目の大崩壊など、目も当てられませぬ。まずは情報の共有からですな」
氷穴から出ると、シェレグはすぐに残っていた騎士に、交替での見張りを命じた。
ここが再び狙われないとも限らないからだ。
他、いくつか話し合うこともあるらしい。
なので、彼らを残して、氷雪の園まで戻ることになった。
まあ、もとから雪精の足とエアバイクでは速度が違うので、どうあれ別々に戻ることになっただろうが。
「では、お気を付けて。総族長とレァーダに、よろしくお伝えくだされ」
騎士たちに見送られ、俺たちは氷原を爆走して園に戻る。
行き同様、エイベルの駆るバイクはとても速くて、文字通り、あっという間に辿り着く。
一体、時速何キロ出てるんだろう?
(お。あれは――)
園の入り口には、人影があった。
総族長のスェフ。園長のレァーダ。そして、エニネーヴェの姿がある。
どうやら出迎えてくれているらしい。
バイクから降り、そちらに向かうと――。
「ミミー!」
「ミー!」
「ミー! ミー!」
「ぬあああああああああああああ!」
どこに隠れ潜んでいたのか。
大量の雪精の幼体が飛び出して来て、俺にまとわりついた。
急に超冷たい毛布を頭から被せられたかのような心地だ。
心臓、止まるかと思ったわ。
「なんじゃあ、こりゃああああ!」
どこかの殉職刑事みたいなセリフを叫んでしまったが、ミーミーと鳴く、柔らかいが冷たいふわふわにまとわりつかれているから、外に声が届いているかどうか。
「にーた、にーたがたいへん! ふぃー、たすける!」
フィーが俺を救おうと、駆け寄ってくる。
いや、見えてないけど。
「にゅあああああああああ!」
しかし、すぐに可愛らしい悲鳴が聞こえてくる。
頑張って目の部分にまとわりついた雪精を取っ払うと、妹様が氷精の幼体にたかられているのが見えた。
「ふぇっ! ふぇえええええええええええん! にーたあああああ! たすけて、にーたあああああああああああああああ!」
マイエンジェルが大泣きしている。
だが、すまん。この兄も、まるで身動きが取れんのだ。
無力な俺を、許しておくれ……。
しかし、謎だ。
何で俺には雪精だけ。
フィーには氷精だけが集まってくるのか?
「それは、あの子の想いが、分かっているからですよ」
苦笑いをしながら、エニネーヴェが俺から雪精たちを引き剥がしてくれた。
(あの子……? 誰? 何?)
よく分からん言葉が気になるが、しかし、今は優先すべき事がある。
「えっと、俺より先に、うちの妹を助けてあげてくれるかな?」
「くすっ。はい、かしこまりました。アルト様は、家族思いなのですね?」
キミのところもねー……。
エニがフィーを救出しているうちに、俺も自由になった腕をフルに使って雪精たちを引き剥がす。
――が、
「ミー……」
「ミミー……」
もの凄く寂しそうに鳴く幼体たち。
まだくっついてる子たちは、すりすりと懸命に身体を俺に擦り付けてくる。
この甘えん坊具合。
フィー以外では、ひとりしか知らない。
もう、存在しない、あの子。
「えっ!? じゃあ、『あの子の想い』って……」
「はい。あの子です」
俺の呟きに、エニネーヴェは、ちいさく頷いた。