照り焼きは好きですか?
先代の将軍様のお人柄はよく知らないけど、少年時代の思い出がある土地の食べ物なら……?
「おお、どうした蘭丸。今日の栗飯はもう食べたか」
「美味しくいただきました。その栗飯を食べるのに時間が掛かっているようなので、お声をかけた次第です」
「すみません、乱丸殿。わたしが、急いで食べぬようおすすめしたのです。胃の腑が驚くからと」
「乱丸殿。私がのんびりしゃべったせいです」
かばってくれた夜風丸殿とわたしを見比べ、乱丸殿は「分かった」と手を挙げて遮った。
「何を話しておられたのですか、信長様」
乱丸殿はわたしたちをとがめるでもなく、淡々と聞いた。ビジネスライクだ。
「先の将軍様のお人柄をしのべるような料理は何であろうか、とな」
「例の噂ですか」
苦々しげに乱丸殿は眉を寄せる。この主君にしてこの小姓あり。ぜんぜん伏見稲荷のお告げを恐れていない。
「お人柄など、親族でもないのだから分かりようがありません。近江の産物を使えば良いでしょう」
近江とは、琵琶湖と滋賀県、両方の意味がある。前世の記憶があると言っても、わたしにはその程度しか分からない。
「もう少し詳しく教えてくださいませ、乱丸殿」
わたしが聞くと、夜風丸も「なにとぞ」と言い添えてくれた。
「先の将軍様の生い立ちが鍵です。先の将軍様は少年の頃、近江と京を行き来しておられました。京の情勢が不安定だったためです」
信長様もわたしも夜風丸も、おおっと声を上げた。
「さすがは、お乱。三人寄れば文殊の知恵と言うが、三人寄っても答えは出なんだのだ」
「ありがとう存じます。しかし、本当に何の話をなさっていたのですか?」
いぶかる乱丸殿に、夜風丸殿は分かりやすく手短に説明してくれた。わたしが十六歳の時、こんな風に話せたかしら。残念ながら思い出せない。
「よう分かりました。近江の産物で、伏見稲荷の食い意地の張った神職どもがそこそこ満足する料理を、先の将軍様の霊をなぐさめるという名目で宴に出す。お裾分けを伏見稲荷に捧げる、という計画ですね」
「うむ。どのような料理が良かろうか、美月よ」
「そうですねえ……。近江、近江、におの海……」
口を突いて出たのは、琵琶湖の別名だ。におという水鳥が来るから「におの海」。二十一世紀の日本では、カイツブリと呼ばれていた。
「におを、美味しく豪華に焼いてはいかがでしょう?」
言っただけでお腹が空いてきた。琵琶湖の側で育ったわたしは、におが美味しい鳥だと知っている。厨番となってからも毒味でいただいた。
照り焼きチキン、という言葉が浮かぶ。ああ、前世のわたしはそれがとても好きだった。甘くて、香ばしい、醤油と味醂の甘塩っぱさは最高だった。どうして今まで忘れていたのか不思議なくらいだ。
しかし戦国時代の京都に、醤油はない。
わたしはいつしか目を閉じていた。どうやって、鳥の肉を甘塩っぱい照り焼きにしようか?
お腹がぐうぐうと鳴って恥ずかしい。でもあと少しで何かが分かりそうなのだ。
この時代にもある甘味は、貴重な物なら蜂蜜。奈良に都があった頃も作られたらしい。比較的手に入りやすいのは、麦芽の飴。頭に布を巻いた桂女が売りに来るあれだ。白っぽい麦芽の飴を煎った豆にからめた、豆飴……。
湧いてきた唾液を飲み干す。
豆。豆と言えば、味噌。甘い味噌。いや、塩そのものと、蜂蜜または麦芽飴の甘みも捨てがたい。
「美月殿。美月殿?」
暗い視界の中、夜風丸殿の遠慮がちな声がする。真っ暗な中で聞こえて、本当に夜風みたいだなとわたしは可笑しくなった。
「信長様、美月殿はどうされたのですか」
蘭丸殿の困惑気味な声がする。
「面白いな、お乱。目をつむって、腹を鳴らして喉も鳴らして笑っておる」
「もしや寝ておられる?」
「違います、乱丸殿!」
いい加減恥ずかしくなって、わたしは目を開けながら声を上げた。小姓二人はぎょっとしたように後ずさり、信長様は「むはは」と笑った。
「考えていたのです。におの肉に塩を振って臭みを抜き、半分は豆飴か蜂蜜の甘みを付けて焼き、残り半分は甘みに味噌も付けて焼くのです」
「おお……宴にふさわしき馳走である」
信長様もゴクリと喉を鳴らした。このお方は、甘い物もお好きなのだ。
「豆は香ばしくて良いですね。香りが広がれば、民にも伝わります。先の将軍様のために素晴らしい料理を用意した、と」
政治的な効果もとっさに思いつくあたり、乱丸殿はすごい。
「信長様。蜂蜜ならば大和の寺院に作っておるところがあります。調達させましょう」
「おおっ、夜風丸。素晴らしき物知りぶり」
夜風丸殿は、へへ、と笑いを漏らした。乱丸殿と違ってビジネスライクになりきれないところが、頼りないような可愛いような、放っておけない気持ちになる。
いけない、厨番の仕事に集中しなくては。
「信長様。ではわたしは、出入りしている桂女に豆飴を頼んでおきます。豆少なめの物があれば売ってほしい、と。におの肉は、実家に手紙を出して頼んでみます」
「よし、よし。夜風丸は蜂蜜、美月は豆飴と肉を手に入れるよう励んでくれる、と」
信長様が乱丸殿を見る。間髪入れずに乱丸殿が口を開く。
「味噌造りの職人たちに声をかけます。いつものように銀で即座に払うと言いますからね」
「うむ、うむ」
信長様はご満悦だ。
「宴には、今の将軍様を招いて目いっぱい歓待するのをお忘れなく」
しっかり釘を刺す乱丸殿は、本当に有能な小姓だと思う。釘を刺された信長様はやっぱり嬉しそうだ。二人の最期が、燃え上がる本能寺でありませんように――と思うのは、傲慢だろうか?
にお。漢字で「鳰」と書きます。別名カイツブリ。
カイツブリは現在希少種ですが、過去には食べた人たちもいると思うんですよ。
とっても可愛い小さな水鳥でカモの子どもと間違われることがありますが、カモとは別種の鳥だそうです。