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第八話:気静剣レビエリの評価手帳

「失礼な人……です。…………………………………………………………………………………………………………でもいい人……かも」


 パチパチと薪が燃える音だけが響きわたっていた。

 既に刻は宵闇。寝床の準備は既に万全だ。泉の近く、開かれた場所に張られた天幕で、初めての戦いで疲労が蓄積していたのか、既に勇者は横たわったまま死んだように身動き一つしない。


 旅人の中でかさばる天幕を持ち運ぶ者は多くない。

 季節は夏。今はまだ外で眠っていても風邪などは引かないはずだ。


 レビエリはたった一人、焚き火の側で膝を抱えて座っていた。燃える焚き火の中に枝を折って入れる。

 既に火にかけられた鍋の中には極僅かなスープしか残っていない。携帯用食糧の鉄板である干し肉と干し野菜を使った簡易的な料理。塩胡椒で軽く味付けただけのものだ。レビエリが作ったものである。勇者は料理が出来なかった。


 レビエリはそれを食べた時の勇者の表情を思い出し、相好を崩した。塩分がやや濃いスープは疲れた身体の勇者に染み入ったらしい。言葉がなくても反応でわかる。レビエリはその表情を見ただけで、外に出てきた甲斐があったな、と思う。


 ガリオン王国の王都――ガリオニア


 古くから続く大国の王都――城郭都市だ。四方を巨大な城壁と結界に囲まれた万全な防衛を持ち、そして……魔族からすると敵対種族の重要拠点でもある。

 稀代の大魔王、虚無王オルハザードは今まで発生した全ての魔王の中でも特に狡猾だ。奴は人族の最重要地点に対して複数の上級魔族を派遣し、侵攻を進めている。ガリオニアはその中でも三指に入る激戦地だ。


 王都を護る結界は、結界術に造詣の深いエルフの王が張った由緒正しきもので、建国から千と三百年、一度も破られていない代物だ。魔族の猛攻を受けて尚、ただの一匹も内部へ侵入を許していない難攻不落の要塞。


 十年前の大規模侵攻を最後として、規律を持つ魔族の軍団は王都に攻め入るのをやめていた。だが、同時にそれは決して、彼らが諦めたというわけではない。


 ガリオニア周辺の魔族の分布は今や急速に塗り替えられつつあった。

 嘗て、ゴブリンやインプなどといった一般人でも倒せる魔物から、せいぜい強くともオークといった一兵卒で倒せる程度の魔物しか出てこなかった森には、もはや脆弱な魔物はいない。


 先ほど現れた完全武装したミノタウロスがその証拠。

 あれほどの魔物が森の出口付近をうろつくなんて、十年前を知る者からすれば信じられない事だ。

 一般の兵では十人集まって対抗出来るかどうかわからない、その怪物が闊歩し始めてから王都へ訪れる人の数はめっきり減ってしまっている。

 王国側も騎士団を頻繁に派遣し対応しようとはしているが、魔物の強さもあって後手に回っている状態だった。


 風が、森が、レビエリにささやいている。

 レビエリは地を司る精霊の一種だ。その知覚範囲は森の中のほぼ全てを網羅している。そして、その内部を闊歩する魔物の種類もレビエリには手に取るようにわかった。

 牛頭人身の魔人も、今や、森を我が物顔でのし歩く魔族達と比較すればその強さは――下から数えた方が早い。


「……ミノタウロス……そこまで……進んでいるなんて……」


 聖剣は勝手に宝物庫から出られない。

 入ってくる情報はたまに様子を見に来る宝物庫の門番と大臣の話からだけだ。

 噂には聞いていたが、予想以上に酷い状況にレビエリは自身の肩を抱き、身を震わせた。


 気静剣として謳われるレビエリが外に出たのはもう十年ぶりだ。

 十年前の各地で発生した魔族軍の侵攻を食い止めてから、聖剣達は戦略兵器としてずっと宝物庫の中で眠っている。



 ――新たな担い手が現れるのを願って。



 レビエリはパーカーの襟を掻き抱くと、ケイオス・リングを使って生み出した別空間から一冊のノートを取り出した。

 龍皮で装丁された薄めのノートである。ダークブラウンの表紙に、小さな錠前が取り付けられている。

 当然、それはただの錠前ではなく、一種の魔力的措置が施された、設定された人物以外には明けられない錠前だ。


 それは精霊たちの間で共有されているノートだった。


 聖剣とはただの剣ではない。唯の兵器ではない。彼らは、彼女らは――担い手を選ぶのだ。

 それが五本の強力な兵器が宝物庫で埃を被っていた理由。


 そのノートは担い手候補の評価を記載する手帳だった。


 レビエリはそれをそっと開くと、ペンを取り出した。一度、息を潜めて呼吸をする。

 勇者は何が現れるのかわからない森のどまんなかであるにも関わらず、僅かの緊張感も持っていないようで、レビエリの挙動に気づく気配もない。


 ぼそぼそと独り言のように呟く。


「……力……強かった……です。歴代で……最強、かも……」


 両手用の剣を片手で振り回す人外の膂力を思い出す。

 人の身で、しかも筋肉も碌についていないような細腕で、涼しい顔で鉄塊を振り回す様はまさに異常極まりない。

 今まで勇者として選ばれた者は皆、強力無比な異能(スキル)と高い身体能力を持っていたが、そういう域ではない。


 全身鎧を纏った状態で戦斧を振り回すミノタウロスを易易と打ち負かす膂力。

 魔法剣を使用したとは言え、斧の先端をああも容易く切り飛ばす絶技に、怒り狂ったミノタウロスを相手に立ち向かう勇気。


 空恐ろしいを通り越して、悍ましい。怪物を負かす力は即ち、怪物のものに違いない。

 ちょっと迷って、レビエリは戦力評価にSのマークを付けた。守りを司るレビエリは別に担い手に強さを求めないが、強さを求める聖剣もあるのだ。


「……後は……STR、INT、AGE、DEX、VIT、LUCK、MND……」


 一般的に戦士の力を測るのに使われる値を入れていく。筋力、魔力、敏捷性、器用さ、頑強性、運、精神。

 未だ確認出来た項目は多くない。素早さも器用さもそれなりにあるように見える。いや、身体能力だけ見ると――相当に高い。戦うのは初めてと聞いた。確かに動作に慣れている様子は見られないが、センスは決して悪くない。


 もしかしたら……今後の経験と有する異能次第では本当に魔王を倒しかねない『逸材』


 だが、そんなものはレビエリにとって割りとどうでもいいものであった。

 強さではない。王国の有する聖剣の中で唯一、攻撃を求めない聖剣、気静剣の求めるものはそんなものではない。


「生活力は……ない、かも? ……まぁ、どうでもいいです」


 準備一つせずに街の外に出ようとする少年の姿を思い浮かべる。

 いくら勇者と言っても、明らかに無謀だ。魔物と戦った事は愚か、見たことすらなかったはずなのに。

 レビエリが宝物庫から勝手に借りてきた『次元の指輪(ケイオス・リング)』と、必死の中に詰め込んだ道具類がなければどうするつもりだったのだろう。


 とても不思議だった。例え異世界から召喚された勇者であっても――僅かな油断で死亡し、そして二度と復活出来ないというのに。

 レビエリにはその無謀は真似出来そうにない。


 溜息をついて、生活力に燦然と輝くFの字を入れる。

 特に問題のない事だ。足りないものはそれに付き従うレビエリが補えばいいだけの話。

 続いての項目にさしかかり、レビエリは困ったように目尻を下げた。


「……勇気……勇気? ……いや、無謀、かもです……でもみんな……知ってる、かも……」


 勇気。

 勇者に最も必要とされる資質の一つ。

 どのような強大な魔王を相手にしても、一歩も引かぬ強い心。

 あらゆる悪と戦い決して挫けぬ精神。


 魔王を相手に素手で戦いに行くとのたまったその行動をどう評価すればいいのか、レビエリはわからず、仕方なく保留にした。


 続いて次の項目に移る。

 その項目について考えた瞬間、レビエリは僅かの頬を綻ばせた。花開くような笑顔。

 そう。それこそが気静剣の名を冠し、守護に類する権能を有するレビエリの重視するもの。


「……優しさ……とっても、優しい……です。」


 文句なしだ。誰も見ていないのにうんうんと頷く。


 今回の勇者は間違いなく優しい。


 戦えない聖剣であるレビエリを連れて文句の一つも言わず、その権能故に傷つかない自分の身を救うために怪物の猛攻を掻い潜って助けてくれた。

 その後の意地悪な問いなど問題にならない。そのくらいに――優しい。

 あえて一つ苦言をあげるのならば、その優しさ故に――戦略兵器であるレビエリを一人の人間として見てしまい、戦場に連れて行く事に最後まで躊躇していた点だろうか。


 その項目に値を記載しようとして、ちょっと迷う。

 優しさは存外に重要だ。聖剣はただの兵器ではない、生きる兵器なのだ。

 つまり、勇者はただ剣を振るうだけではなく、その剣と心を通わせなければならない。

 ただ武器を武器とだけ見る勇者に感情を持つ聖剣は使えない。


「……S……もっと上? でもそんなに上にしたら……トリちゃんに取られちゃうかも……」


 戦いたくない。自己紹介でその一言を言った瞬間に差し出された手を、レビエリははっきりと覚えていた。

 いや、忘れられるわけがない。


 頭を撫でた手の平には今までに感じたことがない何かがあった。

 だからこそ、それに触れたからこそ、レビエリは自分から第一の評価者になる事を宣言したのだから。


 数分の間、迷っていたが、やがてゆっくりと『A』の文字を入れた。

 多分、次の聖剣ですぐにその値が過小評価である事がばれるだろう。だからそれは、レビエリの極小さな反抗だ。


 その時、ふと金属同士が触れ合う音が聞こえた。


 評価手帳をしっかり異空間にしまい、焚き火の側から立ち上がる。

 キャンプの周辺には強力な聖水を使用した結界が張ってある。まだ、この辺りの魔族に破られる事はない。少なくとも一晩の間くらいは。


 そっと足音を忍ばせ、レビエリは天幕の入り口に立てかけられた剣を見下ろした。

 機能性重視の皮の鞘に治められた魔法の剣。偶然か否か、勇者が選んだとりあえずの武器。


 銘をリースグラート。城に眠っていた、聖剣を除けば最高峰に近い片手剣(ワンハンドソード)


 その剣が、風もないのに震えている。レビエリはその旧知の友をゆっくりと鞘から抜いた。

 ぞっとするような銀光の輝き。決してそれは飾りではなく、それに見合った切れ味を誇る魔法剣。

 そして、レビエリと一緒に宝物庫に眠っていた仲間でもある。


「リースちゃん……気に入ったの?」


 リースグラート。


 それは、信仰を失い、力を失い、自我を失ったかつての聖剣の成れの果てだった。

 振るう者のいなくなった聖剣は人の姿を保てない。

 嘗て人に打たれ生み出され、そして精霊を宿すに至った聖剣は今やその見る影もない。

 今のリースグラートは、ただ単純な強力な魔力の宿った魔法剣。ただの『切れ味のいい剣』だ。


 レビエリの眼には、嘗てその剣を成していた少女の姿が薄ぼんやりと映って見えていた。まるで幽霊のように、恨めしげな表情でレビエリを見つめている。同族以外の誰にも見えない聖剣の残滓。


 その哀れな聖剣を抱きしめて、レビエリは顔を伏した。


「……可哀想。でも、大丈夫……勇者様には……私がいる、から」


「!!!!」


「私の方が……武器としては……上、です、よ?」


「!!!!」


 何故かざわめく剣をしっかり抱きしめ、レビエリは瞼をゆっくりと閉じた。

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