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Epilogue

 そして、カルーは星になった。


 左腕、今できる全力を込めて首を目掛けて放った拳はカルーが固めたガードを容易く貫き、悲鳴を上げさせる間もなく空高くにふっ飛ばした。


 グシャリという嫌な音、そして拳に残った致命的な何かを砕いた感触だけが結果を示していた。


 緊張からの弛緩のせいか、足から力が抜けその場に倒れる。


 血が止まらない。痛みはないが、生命力が抜けていくような感覚を俺は初めて感じていた。


 左手で肩を握るが全く血液は止まる気配がない。

 人間はどれほどの量の血を失えば失血死するんだったか? 今更そんな他愛のない問いが浮かぶ。

 金閃剣。癒えぬ傷跡、だ。確かに将軍はそう言っていた。それを治癒するには全治の聖剣が必要だった、と。


 だが、そんなものここにはない。どこにあるのかもわからない。俺の体力はどれくらい持つ? 

 わからない。何もわからない。


 ただ仰向けになって空を見ていると、視界に銀色の髪が入ってくる。人の姿に戻ったのか、リースグラートが俺の頭を抱えるようにして持ち上げた。


「さすが僕の勇者様、怪我をしていてもあんなるーちゃん使ってた男なんて一撃ですね!」


「今この状況を見て言うことがそれかよ……」


 怒りよりも先に脱力してしまう。死生観が人間とは違うのだろうか?


 リースグラートがその手で傷口に押さえる。だが、その程度で血が止まるくらいならばとっくに止まっている。

 動悸が止まらない。エンジンが終わりに向かって加速しているかのようだ。端的に確認する。


「リース……金閃剣で受けた傷、だ。直す方法は――」


「あぐちゃんの傷は……絶対です。通常の手段では絶対に治りません」


 リースグラートは単純だ。喜ぶべき時に喜び悲しむべき時に悲しむ。嘘はつかない。

 その言葉から俺は、この傷を今すぐに治す方法がないことを悟った。


 それでも俺が落ち着いているのはこの世界が夢の世界だからだ。


 鋭い痛みを受けて尚、俺はまだ夢が覚める可能性を考えていた。カルーに対する殺意のせいで恐怖が紛れていた可能性もあるが、不思議と冷静に状況を把握できる。


 ぼんやりとリースグラートの整った顔を見る。


 ……チッ。何故俺の最後を看取るのがリースグラートなんだ。もうちょっと他にいるじゃん。


 半分くらいは自業自得だが、リースグラートのせいだけじゃない事も知っているが、それでも正直リースグラート酷いぞこれ。


 リースグラートが俺の頭を抱きしめ、根拠のない言葉を並べた。


「大丈夫、勇者様。きっとあんなに素晴らしい斬撃を放てる勇者様ならなんとかなります!」


 なんとかなるって、どういう理屈だよ……クソッ、最後の最後まで振り回されてる。


 思い返すとカルーも俺も、まるでその手の平の上で踊らされていたかのようである。ああああああああああああ、何がロダ・グルコートの作った三振り集めれば最強の聖剣だ。


 時が来たのか、身体の奥で燃えていた熱が急速に冷えていく。俺は身体が動かなくなる前に確認した。


「リース……最後に教えてくれ、お前ら姉妹剣って……仲悪いのか?」


 リースグラートが目をぱちぱちさせて、首を傾げて言う。


「え? 超悪いですけど。だってライバルですし、誰が最強か競ってますし……私が最強なのに。まぁ今回でそれが証明されましたけどねッ!」


 死ねばいいのに。


 誰でも使える鉄砂剣が動作不良を起こしたのはそのせいか……クソッ。仲悪いのに三本集めれば最強とかおかしいだろ。鍛冶師は何を考えている。


 罵倒してやりたいが身体が動かない。クソッ、このまま終わるのか。何か俺にできることはないか? 最後に浮かんだのは走馬灯ではなく、強い執着だった。


 せめてこの自慢げなリースグラートに一発かましてやらねば死んでも死にきれない。


 喉が詰まる。リースグラートは顔色の悪い俺を見て何もする気配はない。ただ抱きしめてくるだけだ、今の俺を見てまだ死なないと思っているのか。


 ふとその時、朦朧と揺らした視線が地面に落ちているU字磁石に止まった。


「……」


 そうだ。これしかない。俺は最後の力を振り絞ってリースグラートに囁いた。


「リース、お前……首だ」


「……へ?」


 リースグラートの素っ頓狂な声。命が燃え尽きる前に続ける。


「銀衝剣なんて……いらん。俺は、お前より、ルーセルダストを……選ぶ……ぞ……」


 切れ味だけの剣よりU字磁石の方がずっと使えるわ。だって鉄くっつくし。もう俺それだけでいいわ。


 地獄に落ちろ。










§









 目が覚めた時に俺が感じたのは振動だった。


 がんたんがたんという激しい音が耳に入ってくる。

 振動は音程大きくない。横に倒した視界いっぱいに広がる朝焼けの空。耳に入ってくるすすり泣くような声を聞いたところで、俺はようやくまだ自分が夢幻の世界にいる事を理解した。


 先程まで身体に広がっていた冷たさがいつの間にか消えている。まだ万全ではないが、指先に力も入る。ゆっくりと身を起こそうとして、ずきりと右肩が傷んだ。


 反射的に右肩を押さえる。指先には予想外の感触が返ってきた。


「冷……たい?」


 濡れているわけではない。ただ、冷たい――金属の質感だ。

 右肩を見る。先程まで深くえぐれていた場所は黒い物で覆われていた。

 先程散々相手にしたものだ。そこで一気に意識が覚醒する。身を起こす。


 俺は黒い馬車の荷台に乗っていた。


いや、正確に言うのならば馬車ではない。何故ならば――馬が引いていないからだ。馬がいないのに左右には凄まじいスピードで景色が流れている。

 御者台には黒鉄色の髪をしたレビエリと同じくらいの見覚えのない少女が座り、静かに前方を見ている。


「あ、ゆうじじゃざま、おぎだ……」


 すすり泣く声がやみ、荷台の隅で膝を抱えていたリースグラートが飛びついてくる。

 目は真っ赤に晴れ、流れる涙の跡ができている。酷い表情だ。


 どうやら失血死は回避できたようだが……避けるかどうか真剣に迷う。だが、その結論が出る前、その指先が俺に触れかけた瞬間、リースグラートがふいに下から伸びた杭に高く打ち付けられた。


「ぐぇッ」


 奇妙なうめき声をあげ、天井を覆うこれまた黒い幌にぶつかり、そのまま床に転がる。

 さすがに可哀想でなんかちょっと引くわ。


 そのまましくしく泣き始めるリースグラートに駆け寄ろうとしたその時、手を取られた。


 左腕を掴んで止めてきたのは御者台に座っていた少女だ。肩まで伸ばされた黒鉄色の髪はまるで金属のように艷やかな光沢を持ち、同色の深黒の目が何も言わずにじっと俺を見上げている。ざっくばらん切られた前髪は黒を基調としたドレスもあってお姫様のように見える。


 だが、こんな所にそんなものがいるわけがない。答えはたったひとつ。


「鉄砂剣ルーセルダストの――精霊……か……」


 そしてこの馬車や肩の傷を覆っている鉄はその能力。


 ……U字磁石の本体とギャップがやばい。なにそれ? U字磁石が姫になるの? 鍛冶師すげえ!


 ルーセルダストがこくこくと何も言わずに頷く。レビエリも最初は無口だったが、それとは質が違う。


 傷口は塞がったわけではない。痛みも消えていない。

 鉄砂剣の力でただ、血が流出するのが防がれている。

 ただ塞がれているわけではない、もしかしたら切り裂かれた血管を鉄で補修しつなげているのじゃないだろうか。肩はじんじんしていたが、もう命の危機はないというのが実感できた。


 先程まではこちらを全力で攻撃してきていた聖剣の助力。担い手を殺された聖剣の助力。

 予想外である。あのまま放っておけば俺は死んだはずだ。


「止血……何故俺を助けた?」


 ルーセルダストはじっとこちらを見上げ、沈黙したまま答えない。まるで人形のようだ。

 その代わりに、憐れな姉が涙とよだれでぐしゃぐしゃの顔を向けてくる。


「うぅ……勇者様が、変な事いうから、るーちゃんが勘違いしたんですよおおおおおおお……」


「……」


 リースグラートの怨嗟の悲鳴。

 その言葉に、意識が消える寸前に上げた言葉が蘇った。



 ――銀衝剣なんて……いらん。俺は、お前より、ルーセルダストを……選ぶ……ぞ……。



 ……いや、そういう意味じゃなくて、ただのリースグラートに対する嫌がらせだったんだけど……。


 ルーセルダストと視線をあわせる。吸い込まれそうな黒の目と合わせること数秒、何を思ったのか、ルーセルダストが頬に手を当て、ぽっと頬を赤らめた。


「ゆうじゃざまぁ! るーちゃんにぎっぢりおじえてやっでくだざい! ゆうじゃざま、わだじのゆじゃざまだっで!!」


 俺、命握られてるんだけど……


 正直困惑していると、亡者のように伸びてくる腕を、ルーセルダストが足を伸ばして蹴る。軽い蹴りだったが、リースグラートは最後の気力を失ったかのようにガクリと崩れ落ちた。


 その様子を見て、ルーセルダストが身体を艶やかにくねらせ、くすりと笑う。そして、俺の左腕を抱きしめたまま、その唇が小さく動いた。

 本当に微かだったが、俺はその時、無口な鉄砂剣の声を聞いた。







「リースねぇ……ざ・ま・ぁ……」


 あ、ダメだこの姉妹。似た者同士だ……






§





「ほほう……それがかの有名な鉄砂剣――って、U字磁石じゃん」


 そして、俺は村に戻り、ワレリー達と合流してガリオン王国の王城に帰った。


 王は俺が負傷したという報告を顔を青褪めさせたが、経緯を聞くにつれて調子が戻っていて、今は平静だ。


 ルーセルダストはワレリー達と合流する直前に元のU字磁石の姿に戻ってしまった。どうやらリースグラート曰く、鉄砂剣と金閃剣は滅多に精霊の姿にならないらしい。

 だが、その力は自動で俺の傷口にとりつき、出血を塞ぎ続けている。


 言葉に出すと泣くので出せないが、リースグラートと性格は似ていても性能は別なんだなぁ。


 どうやら伝説ではルーセルダストは剣の姿で出てくるらしい。鉄を操る権能である、担い手が剣の姿で使い続けてもおかしくはない。

 王はしばらく困惑していたが、聖剣が常識外の存在だという事は既に痛い程わかっているのだろう。


 すぐに自分を納得させ、労いの言葉を掛けてみせた姿は確かに一国の長を思わせた。


「よくぞ聖剣を持ち帰った、勇者殿。騎士団の損失は大きいが、大きな功績じゃ。しかし、金閃剣は紛失か……」


「……ああ。すまないな」


 紛失っていうか、一応馬車には乗っていたのだ。


 だが、ルーセルダストが捨ててしまった。俺の目の前で、まるで自分の力を示すかのように満面の笑みで、帰り道に寄った湖の中に金閃剣を投げ捨てるその仕草はまさしくリースグラートそのもの。すぐに見つからないように鉄砂を湖に盛大に撒き散らす様子は無邪気で残酷な子供であった。

 後でサルベージしてもらうつもりだが、湖の底に鉄板作られてたりしたら見つけるのは至難だろう。


 ロダ・グルコートの三聖剣。

 三振集めたら最強なのではない、三振集め、互いを納得させて同時に使えたら最強なのだ。普通に無理であった。誰だよ、三振集めたら最強とか初めに言いだしたの。情報は正しく伝えようよ。


 王が眉を顰めて唸る。


「しかし、金閃剣の残痕か……全治の聖剣は確か行方知らずになっていたな、大臣」


「はい。この動乱の時代、聖剣は強力な武器であると共に、争いの元ですからな……全治ともなるとどれほどのものか」


 聞いた話、聖剣は行方のわからない者も少なくないらしい。


 鉄砂剣ルーセルダストは傭兵間を渡り歩く聖剣として知られており、所有者不明。金閃剣アグニムについてはもともと、とある国が保有するものだったが盗まれて行方知らずだったらしい。

 確かにルーセルダストもアグニムも使いようによっては絶大な威力を発揮する聖剣だったが、なんとも恐ろしい世界だ。


「ああ。まぁ、なんとかしなくてはならないが、とりあえずは大丈夫だ。ルーが塞いでるからな」


 すっかり生身の皮膚と一体化した鋼鉄の皮を叩く。


 担い手を選ばず、傭兵間を渡り歩き大量の生命を刈り取ってきたルーセルダストのレベルはリースグラートよりもずっと高く、それだけ自我も強い。

 担い手なしの精霊の姿で力を発揮できた事からもわかる通りに。そして、俺が特に何も考えなくても傷口を塞ぎ続けられるくらいに。


 ただ塞ぎ続けているどころか、初めはあった痛みも痺れも今はほとんど感じない。まるで――俺の傷口を学習したかのように。


 カルーは制御が難しいとか言っていたが、割と本人に任せればうまくやってくれるようであった。まぁ、奴は鉄砂剣に意識がある事すら気づいていないようだったが……


 王と大臣がひそひそと言葉を交わし、俺の方を向く。


「結界の補修については無期延期となった。計画が漏れている以上、迂闊には動けん。内部をもう一度洗い直す」


 眼光が俺を貫く。


 強い意志を秘めた目だ。

 その目は俺がこれからどうするつもりなのか問いかけていた。


 そして俺の心づもりも決まっている。


 鉄砂剣――不意打ちによる騎士団の死。

 こちらの存在を認識し殺しにかかってきたカルー・ルービス。


 身体全体から力が抜ける感触。視界の端に確かに見えた死の欠片。

 助かったのはほんの僅かな幸運故にすぎない。


 だが、それでも前に進まねばならない。相手が魔王であれ、人間であれ。

 この国に、友に、俺に対して降りかかる害意がある限り。俺はそれを祓うためにまだここにいる。


「全治の聖剣を探しつつ――他の聖剣を集めつつ、魔王の痕跡を探る」


 仲間はいらない。

 確かに今回俺は死にかけたが、ワレリー達が近くにいた所で死人が増えただけだろう。それくらいに、鉄砂剣は圧倒的だった。


 誰か死ぬくらいならばたった一人でいい。


 王が重々しく頷く。


「そうか。ならば、許そう、勇者殿。そして祈ろう、それが貴方を召喚した我々にできるせめてもの償いだ」


 王が、大臣が、騎士たちが静かに拍手する。

 鉄砂剣で塞がれた傷跡が疼いた。






 悪夢なのか良夢なのか、夢幻は未だ――覚める気配はない。

お付き合い頂きありがとうございました! これにてソリストウォーカー第二部完結になります。


不意に続編を上げたソリストウォーカー、もともと短い期間に集中連載するつもりでしたが、半年以上かかってしまいました。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。


第二部は第一部で出てきた銀衝剣リースグラート周りに注目して進めさせていただきました。

本編では出てきませんでしたが、ロダの生み出した三聖剣は評価も様々で各地に伝説を残す聖剣だったりします。


後二話程鍛冶師周りだったり聖剣周りだったりで投稿するつもりです。

ちょっとごたごたしているので時期未定、まだ書いていないのでもしかしたら投稿できない可能性もありますがその時は……申し訳ない。


ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました!

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