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第二十一話:銀衝剣リースグラート⑫

 自分の息の音だけが酷く耳の奥に響いている。


 疲労などないはずなのに身体が重い。

 いや、重いのは心だ。今俺は初めて自分の意志で人間を相手にする事に酷く動揺している。

 既に魔物を何体も殺した。そして反射的とはいえ、昼間に何人もの盗賊を殺めているというのに。


 ――今更。今更の話だ。考えてはならない。


 感情を表に出さないように気をつけていたせいか、酷い表情をしていただろう。

 唯一意識が残っている盗賊の男はすぐにぺらぺらと喋り出した。


 内容を頭の中に刻みつける。


 聖剣の所持者は盗賊団の首領。傭兵上がりで腕っ節の強い男で、とある大国の武道大会で優勝経験もある猛者。

 名前をカルー・ルービス。幾度の戦争に参加して尚、ほとんど負けた事のない剣士で、特に聖剣を得てからは全戦不敗。

 俺は青褪めた様子で情報を喋る盗賊に、そりゃ変幻自在の聖剣なんて持ってたら負けはしないだろうと思った。


 油断ならない相手である事は確かである。

 だが、鉄砂剣は常人に取っては厄介この上ないが、俺は既に二度、まともにその攻撃を受けて生き延びている。


 俺は剣も握らずに、地べたで腰を抜かしたように座り込む男を問いただす。


「そいつは――どこにいる?」


「し、知らねえ!」


 本当か否か。

 呼吸のリズム。脈の鳴る音まで聞こえてくるが俺には判断が付かなかった。冷や汗を流すその表情からは嘘は見えないが、自分の判断など当てにならない。

 仲間の見張りは皆沈黙した。生きているかもわからない。

 この状態でどれだけ嘘がつけるか。


 知らない。冷静に考えれば、そんなわけがない。

 俺は罠に掛けられた。宿屋が襲撃された。近くにいるのは間違いないのだ。


 帯剣したリースグラートが明るい声で物騒な事を言ってくる。


『勇者様、とりあえず斬ろう! 斬っておこうよ、ねぇ! 試し切りしておこ?』


「ヒッ――」


 その声に、盗賊は目を見開き、絶望の様相で数歩後退る。

 鞘からリースグラートをゆっくりと抜く。まばゆい銀の光が辺りを照らす。


 口の中はからからだった。

 リースグラートの威力は知ってる。一振りすれば間違いなく目の前の男は死ぬだろう。


「お前らの狙いは何だ」


「し、ししし、知らねえ。本当だ! お、俺達はお頭の命令に従っただけで――」


『ねぇ、斬ろ? 斬ろうよ、勇者様!ねぇ! とりあえず斬ってから考えよ? どうせ捕まったらガリオンでは死罪だしさぁ?』


 そうだ。俺は既に襲撃を受けた時に何人かこいつらの仲間を殺している。今更一人や二人殺したところで何も変わるまい。こいつらのお頭とやらはガリオンの正規の騎士を何人も殺したのだ。


 ふと思いつき、久しぶりにレアリティ判定のスキルを使う。

 レアリティ判定は目の前の男をDと判定した。その辺に転がっている石ころなどと大して変わらない判定結果。


 剣を握り、力を込める。リースグラートが喜びにその身を震わせた。

 頭の中ががんがんと鳴り、視界がぐらぐらと揺れている。


 だが、それでも剣は振れる――振れるのだ。舌打ちをして盗賊を見下ろす。


「これが最後の通告だ。今吐けば見逃してやる」


「ッ……し、知らねえ。本当だ! な、なんなら俺が、お頭の場所を今から――」


「そう……か」


 俺は、リースグラートを思い切り振った。


 刃が空気を――いや、世界を切り裂く。

 腕を伝わって確かに感じる衝撃。光を纏った斬撃が飛ぶ。まるで大砲でも打ったかのような音が静かな森の中に響いた。


 光が一瞬で消失する。遅れて、生い茂っていた木々が一斉に雪崩のような轟音を立てて倒れる。

 これが銀衝剣。能力は切れ味。ただそれだけを追求した剣を前に技も力も関係ない。


 鬱蒼と茂っていた木樹が軒並み倒れた事により、それに阻まれていた視界が確保された。

 どうやら方向はあっていたらしい、朧月の下遥か遠くに見える――黒鉄の砦。

 炊かれた篝火。頑丈そうな門の前にわらわらと人影が集まってくる。数は少ないが、かちゃかちゃという武装の音が風に乗って聞こえてくる。


『勇者様? 斬るのはそっちじゃないよ?』


 愕然とした表情で盗賊が、突然剣を真横に振り切った俺を見上げる。

 その驚愕は銀衝剣の威力に対するものか、それとも俺の行動によるものか。


 腰のリースグラートを見下ろし、伝える。


「罠に引っかかった時点で向こうに俺の接近はバレている。身を隠す意味はもうない」


『う……うん』


 手が震えていた。自分でもただの言い訳なのはわかっている。身を隠す意味がないからといって、派手に動く必要などないのだから。

 しかし、それは衝動ではない。全て考えた結果だ。


 殺したくない。


 生き物を殺した事など殆どなかった。にもかかわらず、既に俺は魔物を殺す事に適応している。そのことに対して悩んだのはほんの数日だった。


 俺は怖いのだ。きっとそれは、殺人に対する純粋な忌避感ではない。


 他人の事は殆ど知らないが、俺は自分自身の事だけはよく知っている。

 俺が怖いのは――自分だ。


 流されやすい自分が怖い。恐れるべきその行為に対して、恐らく何も感じないであろう自分が怖い。そして、その行為によってどのように自分が変わってしまうのかわからないのが怖い。


 腰を抜かした眼の前の男。それは、敵だ。紛れもなく盗賊の一味、恐らくワレリー達からすれば死んで当然の存在で、だがしかし、この男は俺にとって脅威でもなんでもないのだ。

 放っておけば巡り巡って俺の仲間を殺すかもしれない。それでも、だ。


 自分でもおかしな話だが、理由が欲しかった。人を殺す理由が。

 正当防衛でもいい。何か自分を納得させられる理由が欲しい。生かしておく価値がないから殺すなど、なんと恐ろしい事だろうか。


 だから、派手な攻撃を仕掛けた。これで俺は狙われる。

 月を見上げ、聖剣を掲げる。結集しつつある盗賊達を見て、そいつらが聖剣の光を見つけるのを見て、小さく呟く。




「だから……どうかお前らから向かって来てくれ」


 殺意を持って、俺が攻撃しうる理由を持って向かってきてくれ。

 どうか俺が良心の呵責を感じずに済んで『当然』であるように。


 俺の声に何を感じたのか、リースグラートが明るく言う。それが何故か救いのように感じられた。


『なるほど……正々堂々ぶち殺すんですね、勇者様。お供します!』


 矢が飛んでくる。毒に濡れた鏃がぬらぬらと輝いている。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」


 俺は咆哮をあげ、矢の飛んでくる方向に向かって他人から見れば馬鹿げたように見える特攻を開始した。




§ § §



 例えるならそれは風だ。

 飛来する矢や投斧を意に介せず剣を片手にかける様はまるで人ならざる者のようだった。


 リースグラートを片手に勇者が駆ける。剣の姿の状態でも感じられる衝撃は今まで味わったどの勇者のものよりも激しい。


 技は拙い。力づくで叩きつけるだけだ、並の剣ならば剣筋も何も考えない一撃に剣の方が折れてしまうだろう。

 思考も優れているとは言えない。非情になりきれてもいない。でなければ、たった一人で盗賊団のアジトに向かう選択などしなかっただろうし、ちゃんと尋問した男のとどめを刺していただろう。

 精神的に強いわけでもない。でなければ、突進と同時に咆哮なんて、無駄に体力を消費する咆哮なんて、自分を鼓舞するような咆哮なんて、上げるわけもない。


 だがしかし、間違いなく勇者だ。

 リースグラートは剣として、がむしゃらでも敵陣に突っ込む勇者に英雄の風格を見出した。


 勇者とは勇気ある者の事。

 例え馬鹿でも前が見えていなくても得体の知れない恐怖に怯えていたとしても一歩を踏み出す者を指す。

 全てが全てリースグラートの理想の勇者像に一致しているわけではない。むしろ足りない所の方が多いかもしれない。


 だがしかし、リースグラートは自分を助けてくれたこの勇者に振るわれる事をその瞬間、誇りに思った。


 無数に飛んでくる矢を剣の一振りで振り払う。

 矢、石、手斧、果ては投げ槍に至るまで。事前に準備されていたのだろう、雨のように振ってくる死地を勇者は一息で駆け抜けた。


 全てを全て迎撃出来たわけではない。幾つかは勇者の頭や身体に命中したが、しかしその動きは微塵も緩むことはない。

 遥か遠くから盗賊たちが息を飲む音を、リースグラートは何故かはっきりと聞き取っていた。


 スキルではないなど、とても信じられない驚異的な防御力。

 常人ならば――いや、例え鍛え上げられた肉体を持つ者であっても数秒持たないだろう攻撃を受けてしかし、勇者には傷一つ負っていない。


 鋼の英雄。かつて勇者の中にはスキルにより限りなく高い不死性をもった者がいたという。

 リースグラートは話にしか聞いたことがなかったが、今の神谷定輝に似たような力を感じていた。


 砦の前を守っていた盗賊達が鬼気迫る表情で接近する勇者に武器を捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 勇者の手で悪党を切り刻む事は銀衝剣の本分だ。英雄と言うのは残酷でなければ務まらない。


『勇者様、追って! 斬って!』


「必要ないッ!」


 勇者の脚力なら数メートルの門なんて飛び越えられるはずだ。もしかしたら今も射手が絶え間なく矢を放っている物見台に飛び乗る事すらできるかもしれない。

 砦はそういう常識外の攻撃を想定していない。

 降り注ぐ攻撃もまるでそよ風のようにしか感じない男など、如何に優れた軍師でも想定の範囲外だろう。


 しかし、勇者はそんな選択を取らなかった。硬く閉ざされた門の前で強く踏み込むと、文句を言おうとしていたリースグラートに叫ぶ。


「リースグラート、力を貸せええええええええええええええッ!!!」


『!?』


 その言葉に、リースグラートはほぼ反射的に従っていた。


 自ら選んだ担い手の意志に呼応し、剣に力が漲る。


 聖剣とはただの剣ではない。多種多様、様々な形容を持つその武具は兵器であり、その能力も様々だ。

 だが、リースグラートは不可思議な力を何一つ持たない。リースグラートに求められたのはたったひとつだけだ。


 最強の剣すなわち、最強の切れ味。

 全ての剣を鈍らにする不必要なまでの鋭さ。切断力。全ての剣士が憧れてやまないと至高の一振り。

 その前にいかなる障壁も意味をなさない。鋼鉄の扉も、難攻不落の砦も、紙切れのようなものだ。


 リースグラートが力ある言葉を唱える。

 鍛冶師が自らの剣に込めた願いの力。秘められたその力を十全に発揮するために。





憧憬(デーシーデリウム)()(ラーミナ)




 そして、リースグラートは中規模の鋼鉄の砦を山ごと吹き飛ばした。

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