第二十話:銀衝剣リースグラート⑪
頭の中でちかちかと光が瞬く。顕現化したリースグラートの言葉が脳内に流れる。
『すごい……勇者様! 凄いよ!』
「クソッタレが……!」
鋭利に尖った分厚い針――身体の表面で止まったそれを、起き上がり力を入れて踏み砕く。金属でできた針はまるでクッキーのようにボロボロに崩れ、粉々になった。
数メートル程もある穴、真上には雲に隠されぼんやりとした月が見えた。
身体に違和感はなく、痛みもない。リースグラートが興奮したように言う。
『今までの勇者様だったら――間違いなく死んでた』
「クソが、糸状じゃなかったのかよ!」
落ちる寸前に見えた光景。地面が引いていた。まるで潮の満ち引きのように、それまで確かにあった地面が消えていた。
完全な不意打ちだ。俺の常識の範疇ではない。俺が助かったのは単純に耐久力が高かったからだ。
『え? 違うよ! 変幻自在って言ったでしょ!?』
穴の底にビッシリと生えていた針が形を失う。今まで確かに高い硬度を持っていたはずの針が崩れ砂状になり、黒い風となって舞い上がっていく。
俺は地面を蹴って三メートル程もある穴から飛び出た。
闇の中に蠢く黒い風、その光景は不吉そのものだ。
「リース、お前の説明……足りてないと思うぞ」
今までこいつの持ち手が殺され続けた理由の一端は間違いなくそれだ。
黒い風――細かな砂粒を無数に含んだ風が森の奥に消えていく。
これだ。
聖剣。鉄砂剣。まるで魔法だ。もう人の形を取った時点で魔法なのだが、これは明らかに武器の範疇にない。レビエリは盾だった。リースグラートは片手剣だ。だが、これは違う。
とっさに握っていた手の平を開く。手の中にあった黒い砂が自ら蠢き森の奥に消えていった。
「砂だ。鉄の砂……砂鉄? 聖剣って、なんだ!?」
『鉄砂剣って言ったでしょ!? 勇者様、ちゃんと僕の言うこと聞いてる!?』
混乱する俺にリースグラートが抗議してくるが、頭の中に入ってこない。
名は体を表す。
確かに剣の形じゃないって言ってたが――どうやって作ったんだよ!
風のざわめきを除いて音はしない。
黒の風も姿を消し、完全に森の中は元の様相を取り戻していた。最後に自分が引っかかった深い落とし穴を見下ろし、そして視線を黒の風が消えていった先に向ける。もはや気配の一つも感じない。
「どこまで……自由に形を変えられるんだ?」
『わからないです。僕はるーちゃんの力を一部しか知りません』
リースグラートが全く頼りにならない事を言う。
一部しか見ずに負けたのか……話にならない。
しかし、制限なく自由に形状を変えられると想定するとかなり相手が悪い。というか、強すぎる。
どこまで精密に変えられるのかもわからなければ射程も不明。少なくとも、そのコンセプトからしてリースグラートよりも短いという事はないだろう。そりゃ負けるわ。
変幻自在……
俺は腰に下がっているリースグラートを見下ろし、ため息をついた。
「俺もそっちがよかったなぁ……」
『えええええ!? どどど、どういう意味ですか! 勇者様!? 勇者様ぁ!?』
だが改めて覚悟はできた。やはり今ここで回収せねばならない。
鉄砂剣は――危険すぎる。
§
気配はないが、確信はあった。
俺が引っ掛かったのは罠だ。しかも――即死級の罠。きっと引っかかったのが俺じゃなかったら間違いなく死んでいた。
それは、俺が核心に近づいているという事を示している。
昼間。俺達に襲撃を書けてきた盗賊の数は多かった。数十人はいただろう。その全てが山の中のアジトで暮らしているのならば、規模は相当なものになる。
人が頻繁に歩く道には臭いが残る。足取りに迷いはない。
「有利だ。相手に何ができるのかは知らないが、正面から攻撃を受けてもダメージを受けないというのは大きなメリットだ」
自分に言い聞かせながら呼吸を整える。それは、俺の一つのルーティンというやつだった。
言い聞かせでもしなければ、心が折れてしまいそうだから、言い聞かせる。
『そうです。勇者様は最強です! 僕と合わせれば更に最強です!』
「……少し黙っててくれ」
相手は何ができる? 俺の身体はどこまで頑丈だ?
鏃は刺さらなかった。鉄の糸も受けきれた。ならば身体の内側はどうだ? 毒は効くのか? 有利だが相手は強い。どこまで形状を変えられるのか知らないが、体内に入られたら負けるかもしれない。
だが、集中すれば音で察知できるだろう。強化されたのは身体能力だけではない。
臭い。鉄の臭いに、音。そして、第六感のようなものまで強化されている。負けない。絶対に負けない。
アジトにはまだ盗賊が何人も残っているだろう。だが、俺が倒すべきなのは鉄砂剣の使い手だけだ。
使い手を倒し、鉄砂剣を――回収する。鉄砂剣さえなければワレリー達、騎士団が負ける心配は少ないはずだ。
『勇者様……あのー……大丈夫ですか?』
「……大丈夫だ。俺ならばできる」
表に出ていたのか、リースグラートが心配そうな声をかけてくる。
大丈夫だ。リースグラートがたとえアホでも切れ味が鋭いのは間違いない。彼女は兵器で、俺がそれを振るうのだ。
しばらく道を辿ったところで、俺の目にほのかな光が入ってきた。
藪の中に入り、爪を立ててするすると一本の高い木に上る。枝の上に半越しで立ち、目を凝らす。
遥か数百メートルも先で、男が立っているのが見えた。人数は三人。姿形からこの間遭遇した盗賊の仲間である事がわかる。手に握った松明が辺りの闇を照らし、その腰には大振りの曲刀が差されている。
声は聞こえないが、その呼吸の音と表情から緊張している事がわかる。
まだこちらには気がついていないようだが、恐らく襲撃を予想しているのだろう。日に焼けた肌、頬に入った深い古傷に鍛えられた身体。俺よりも遥かに強そうな見た目をしているが、そんな男達が数人も集まって、目に見えぬこちらに対する恐怖を示している様はどこか滑稽だ。
その中に鉄砂剣の使い手は見られない。顔を見たことがあるわけではないが、もしも聖剣の使い手だったらもっと自信のある態度を取っているだろう。
今まで黙っていたリースグラートが不思議そうな声を上げる。
『勇者様?』
「敵だ」
聖剣と言ってもその感覚は人並なのだろう。距離もあるし草木などの障害物もある、普通の人間では気づかない。
腰のリースグラートを握り、離す。まだこれは使う時ではない、か。少しでも情報がほしい。リースグラートを使えばあいつらを粉々にしてしまう。
不思議そうな感情を伝えてくるリースグラート。慰めるようにその柄を一撫でし集中すると、俺は身体を支えていた枝を蹴りつけ、高く跳んだ。
「なん――」
全身のバネ。跳躍。数秒で数百メートルの距離をゼロにする。
突撃と同時に腕を大きく伸ばし、首を刈り取る。俺よりも背の高い男が凄まじい勢いで木々の突っ込み沈黙した。
一拍遅れ、空気が震える。至近にいた男の視線が身を低くする俺を捉えた。
もはや武器も技術も必要ない。人間なんてスポンジのようなものだ。
強く踏み出し、両手を並べた掌底をその鳩尾に当てる。男の顔が醜悪に歪み、そのまま身体をくの字にして吹き飛ばされる。
骨の折れる感触、柔らかい者の潰れる感触が手の平に残る。戦闘は不能だが多分死んではいないはずだ。もしも死んでいたとしても、剣を使えば百パーセント殺してしまうのでまだ生きている可能性が残っているだけマシだろう。
男の将来を考えないようにして立ち上がる。その時には最後の一人が刀を抜いていた。
緩やかな曲線を描く大振りの刀だ。どちらかと言うとナタのようにも見えるそれを大きく振りかぶり、男が叫ぶ。
「らああああああああああああああああああああああッ!」
勇気ではなく恐怖の混じった咆哮。三日月の刃が地面に落ちた松明の光を反射し鈍く輝く。
首を狙って放たれたそれを、それを俺は黙って受けた。
「……は?」
間の抜けた声。男の表情が一瞬空白になる。
刃が止まっていた。肉厚で鋭く研がれた刃が俺の首で止まっていた。俺の皮膚には傷一つついていない。
その顔から血の気が引き、男が刀を両手で握り直して力を入れる。
俺はただそこに立ったまま、男を見上げた。
痛みはない。矢が通らなかった時点で予想していた。
「馬鹿……な――化……物……」
超人。フィクションの世界でしか見たことのない身体能力はこのファンタジックな世界でもなかなか見られるものではないらしい。男の言うとおり化物と呼ぶに相応しいのだろうか。
力が抜けたのか男の手から刀が離れ地面に突き刺さる。その身体がへなへなと崩れ落ち、しかしその目は俺を凝視したままだ。
その刀を拾い上げ、力づくで曲げる。一センチ近くある太い刃が簡単に折れた。それを手の中に入れて無理やり握り潰す。長さが一メートル近くあった刀はあっという間に野球ボール程の大きさになった。
俺の手には傷一つついていない。現実味がなさすぎる。思わず口から声が漏れる。
「馬鹿げている。酷い夢だ」
「……は?」
左手で即席のボールを握り、そのボールに右手人差し指を突き刺す。ずぶずぶと沈んでいく指を見て男が短く悲鳴をあげた。
男を見下ろす。殺意などなかった。自分よりも脆弱な生き物を見てどうしてそのようなものを抱けようか。
きっと今まで様々な悪事を働いてきたのだろうが、そんな事すらどうでもいい。
浅く呼吸をしてボールを離す。落ちてきたそれを、男は必死の形相で後退りして避けた。
「さぁ、鉄砂剣の担い手の情報を教えてもらおうか?」