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第十九話:銀衝剣リースグラート⑩

「勇者様……」


 レビエリが涙の滲んだ目でこちらを見上げていた。

 透明感のあるエメラルドの目。触れれば壊れてしまいそうなくらいに華奢な肩。


 しかし、レビエリと俺の間にはいつもよりほんの少しだけ距離があった。

 レビエリは優しい。あと超可愛い。恐らく、何某かの葛藤があるのだろう。


 リースグラートは先程、妹と戦う運命にあると言った。だが、同時に俺にも勇者として戦うという役割がある。


 死体が目の裏に浮かぶ。四肢をもがれ急所を貫かれ頭を切断されあらゆる手法で惨殺された騎士達の姿が。夢とは思えぬ鮮烈な臭いが、色が、音が、感触が、手の中に残っている。

 きっと、それがただの話だったなら、特になんとも思わなかったのだろう。


 だが、目で見てしまった。まだ知り合って間もないが、彼らは間違いなく俺の仲間でそして、俺にはそれをどうにかするべく預かった力がある。


 召喚された際に付与された強力な――勇者の力が。


 俺はあまり勇敢ではないが、それでもやらなければならなかった。それがせめてもの彼らの――手向けとなるのならば。

 そして、脅威の排除がガリオン王国の、ワレリーの、レフの、ユリの、そしてレビエリ達の前途に繋がるのならば。


 ここで止めなければ、あの聖剣の能力は更に大勢の人間を殺すだろう。訓練を受けた騎士が、希少な才能を必要とする魔術師が為す術もなく殺されたのだ。抵抗出来る力を持つのが俺しかいないなどと言うつもりはない。だが、ここで動けるのは俺だけだ。


 レビエリが自らの腕を掻き抱く。その腕を伸ばすのを我慢しているかのように、ぎりぎりと自らの二の腕を握りしめ、震える声で言う。


「私も……ついていきたい……です」


「……」


 ついていきたい。超かわいいレビエリを眺めながらその言葉を脳内で繰り返す。以前までだったら、「連れてって下さい」と言ったはずだ。

 些細な違いだ。もしかしたら気のせいかもしれない。だが、俺にはその違いが彼女の心境を表しているように思えた。


 人数は少ない方がいいだろう。

 そもそも、俺の脚はともすれば騎乗用の魔獣よりも早いのだ。持久力はわからないが今まで活動した感じだと下回るという事はないだろう。

 そしてレビエリの力は危険すぎる。王都をまるまる呑み込む程なのだ、すぐそこにある山で使えば間違いなくこの村も巻き込んでしまう。そして、使えない以上連れていく意味はない。

 心情的にも彼女を戦場に連れていくのは気が引ける。


「レビ……ここで待っててくれ」


「勇者様……」


 そして、それを分かっていない彼女ではない。

 レビエリは俺の説得に唇を噛んで、今にも泣き出しそうな表情で小さく頷いた。


 その白魚のような細い指が上がり、俺の頰に触れる。まるで何かをなぞるように。


「……絶対に……生きて帰って来てください」


「……ああ」


 頰に感じる少し冷たいレビエリの手。


 心配はいらない。今回アドバンテージがあるのは――こちらだ。後手に回った。だが、次に攻めるのはこちらだ。

 こちらには情報がある。相手が聖剣だという事、そしてその聖剣で何が出来るのか。

 若干不安ではあるが、これは大きなアドバンテージだ。もはや意味のない話だが、聖剣の存在を事前にワレリー達が知っていたら――こんなに大きな被害は出なかっただろう。


 レビエリの目に沈鬱な表情の俺が映っていた。数秒間俺を見つめていたが、数度瞬きをすると、何も言わずに固く目を閉じて俺に抱きついてくる。

 細い腕が背中に回され、胸元で顔を伏せる。レビエリは忍耐強い子だ。たまに暴走するが、彼女はいつだって俺の意思を尊重してくれた。


 その髪に手を乗せ、ゆっくりと落ち着かせるように撫でる。レビエリの頭が痙攣するように震えていた。

 既に時刻は真夜中に近かった。なるべくならば夜間の襲撃が望ましいだろう。今の俺は夜目が効く。だが今だけは――。


 手の中の感触を心に刻み込んでいると、ふと腕にリースグラートが飛びついてきた。

 今までは黙ってこちらを見ていたが、どうやら我慢できなくなったらしい。レビエリとは正反対である。


「勇者様ッ! ねぇ、勇者様! 早く行ってぱぱっと憎きるーちゃんの担い手をぶっ殺しましょう! ねぇ!」


「……」


 銀の髪が燭台の灯に鈍く光っている。だが、それ以上にその目は興奮できらきらと輝いていた。普段ならば先輩らしいレビエリの前では騒がないのに、今のリースグラートには何を言っても通じそうにない。

 背中を回したレビエリの腕が一瞬強く俺を抱きしめ、そして静かに解かれた。そのまま一歩後ろに下がる。


「ねぇ! 僕を使って! 僕を使って倒してよ! ねぇ!」


「リースちゃん……」


 レビエリが顔を上げ、リースの方を見た。

 静かで争いとは無縁に見えるその表情は深窓の令嬢のようで、その可憐な唇が後輩の名を呼ぶ。


 そして、レビエリが僅かに微笑んだ。


「黙ろ……?」


「ッ!?」


 リースグラートがただのその一言で大きく肩を震わせる。

 腕に抱きついたまま俺を盾にするかのように後ろに隠れる。こいつ、懲りねえな。


 レビエリの目には怒りらしきものはなかったが、その声には迫力があった。まるで諭すように俺の後ろのリースグラートに語りかける。


「リースちゃん。私、とても心配。本当は……リースちゃんなんかに、私の勇者様を預けたくなんかない。リースちゃんを使うと……戦わなくちゃならない……から……」


「いや……大丈――」


「聞いて、リースちゃん。ただ普通の剣みたいに黙って聞いて」


 反論の言葉が止められる。さすがのリースグラートも今のレビエリには歯向かう気にはならないようだ。

 レビエリが震える声で続ける。


「でも……預けます。約束……だから。勇者様がそれを……望んでいるから。聖剣でもない剣を振るわせるくらいなら……リースちゃんの方がマシだから」


「いや、先輩。それはいくらなんでも酷――」


 また俺の黒帝剣が馬鹿にされている……。


 目を細めかけたその瞬間、レビエリがふと背伸びをした。身体を預けるように近づき、俺に触れる。リースグラートの目が丸くなる。

 頰に当たる何か柔らかい感触。それが口づけだと気づいた時には既にレビエリは身体を離していた。


 一瞬固まる俺をよそに、レビエリはリースグラートを驚く程感情の篭っていない瞳で睨みつけ、宣告する。


「リースちゃん……私の勇者様にかすり傷一つでも付けたらその時は――」


「そ……その時は?」


 リースグラートの表情から血の気が引く。先程までの興奮した様子は欠片も見られない。

 まるで気静剣の力に当てられたかのように。


 囁くような小さな声を残し、レビエリが踵を返す。迷いを断ち切るかのようにテキパキとした動作で――エプロンドレスがゆらりと揺れ、まるでダンスでも踊っているかのようだった。


 残した言葉さえなければ。


 耳を澄ませなければ聞こえないくらいに小さな声だったが、その言葉が聞こえた証に、リースグラートの身体は小刻みに震えている。




 ――生まれた事を……後悔させてあげます。




§ § §




 銀衝剣リースグラート

 金閃剣アグニム

 鉄砂剣ルーセルダスト


 リースグラート達三振の聖剣は同一の鍛冶師により生み出された剣だった。

 聖剣とは精霊の宿った剣の事。人の手で生み出された聖剣は他にも存在するが、三振も生み出すというのは他に例を見ないらしい。望んで生み出せるものなのかどうかは知らないが、その事実からは最強の剣に対する鍛冶師の執念が感じられる。


 夜の空気が頰を撫で身体を冷ます。気温は低いが、心臓から全身にめぐる炎のような熱のせいか、寒さはまったく感じない。

 山を駆け上がっていた。でこぼこした足場も、急な斜面も、強化された俺にとって大した障害にはならない。


 振動で背に当たる黒帝剣の硬い感触。温度も色も臭いも何もかもが夢幻とは思えぬくらいに重い。


 手に握るのは剣の姿に身を変えたリースグラート。銀衝剣の剣身からは白銀の光が溢れ、辺りの闇を取り払っている。恐らく遙か遠くから見ても俺の姿ははっきりとわかるだろう。

 できれば消して欲しかったが、光はやる気を示しているらしく、自分でオフにできないらしい。つくづく使えない聖剣である。レビエリの事を話すと一時的に消えるのだがすぐに復活してしまうのだ。


 道すがらリースグラートから聞いた彼女達姉妹剣の話は、驚く程人間臭いストーリーだった。聖剣という名から想像できる重みと言うものがまるでない。


『だから――るーちゃんは剣の形をしてないんです。……勇者様? 聞いてます?』


「あ……ああ……聞いてるよ」


 太い枝を踏み砕き、地面を強く蹴る。


 リースグラートの姉妹剣。

 鍛冶師。ロダ・グルコートは他の如何なる聖剣をも凌駕する剣を生み出さんと欲し三振の聖剣を生み出した。

 それはつまり、一作目と二作目は失敗作だったという事だ。聖剣を生み出すのは偉業だが、鍛冶師本人の納得のいくものではなかった。

 グルコートの剣は故に、その設計思想がはっきりしている。


 斬れ味を追求し、担い手を選ぶ最も聖剣らしい聖剣。リースグラート

 剣としての能力を追求し、殺しに特化した、癒えぬ傷を与える聖剣。アグニム。


 そして――。


 リースグラートが不満げな口調でもう一度繰り返す。


『父さんは――僕とアグちゃんを生み出し、それでも最強の剣を作れない時に思ったんです。……もう剣の形してなくてもいっかな、って』


 故に――千変万化。俺達を襲った糸のような形状はそれが理由。


 当たらなければ意味がない。リースグラートと、そして小剣の形をしているというアグニムが辿ったその弱点をカバーして生み出されたのが鉄砂剣ルーセルダスト。


 クソッ。理屈はわかるが――軽い。軽すぎる。そもそも聖剣ってそんなノリで作れてしまうものなのか!?

 大体、剣の形してないなら鍛冶師の仕事じゃないだろそれ!


 言いようのないもやもやを感じながらも、この間襲撃を受けた辺りにたどり着く。そこで一端、足を止めた。


 アジトの場所は知らなかった。ユリに教えて貰うわけにもいかない、彼女は騎士だ。きっと話せば一人で行くことを止められてしまう。


 だが、俺にはそれを知る方法があった。


 地面に顔を近づけるまでもない。まだ襲撃の痕跡の残るその道の中央に立ち、嗅覚に神経を集中する。

 血の、肉の、油の臭いを鼻が捉える。きっと専門の訓練を受けた犬でも難しい事だろう。だが、今の俺ならば出来る。


 盗賊共が降りてきた斜面を足早に上る。微かな、本当に微かな臭いが残っていた。

 ここ数日で雨が降ったはずだ。本来ならば臭いは流れていてもおかしくない。が、わかる。何故かわかる。


『勇者様、気をつけて下さい。るーちゃんは――卑怯者です!』


「……」


『今まで僕の担い手は――正面から戦う前にやられました!』


 リースグラートの声に緊張はない。こちらの緊張までなくなるような賑やかな声で俺に警告してくる。

 せめてもうちょっと深刻そうな声で言って欲しい。


 リースグラートが愚痴でも吐露するように言う。


『僕はちゃんと戦おうって言ったのに……』


 リースグラートは馬鹿だ。いや、馬鹿ではないかもしれないがあまり深く考えたりしないきらいがある。

 だが、正面からの攻撃力は明らかにこちらが上。リースグラートの言うとおり、鉄砂剣は攻撃力が低いのだろう。鉄砂剣は真正面から受けてもダメージがなかったが、リースグラートの攻撃を受けてノーダメージでいれる自信はない。


 あの糸は――鉄砂剣は暗殺向きだ。鍵穴から侵入し魔術師の結界を掻い潜る。本体は姿を見せずに一方的に攻撃でき極めて隠密性が高い。


 だが、それは相手もわかっているはずだ。相手は一国の騎士団相手に攻撃を仕掛けてくるような連中である。

 木樹がまるで怪物のようにざわめき、強い風に流された雲が月を覆い隠す。


 そして、暗闇の中、俺はそれを見つけた。


 進行方向。木々の間に張られた糸だ。膝くらいの位置で強く張られた黒い糸。


 糸ならばそういう戦術になるだろう。鉄砂剣ならば材質は鉄か。触れれば切れるか、最低でも相手に接近が知られる。


 糸に触れないようにそれを注意深くまたぐ。

 しっかりと大地を踏みしめ、糸の向こうに立ったその瞬間――地面が消失した。


「ッ!?」


 身体全体を襲う気持ちの悪い浮遊感。

 慌ててもう一歩足を進めるがその触れた瞬間に地面が消える。

 いや――消えるのではない。『ない』のだ。地面がまるで波でも引くかのように動いていた。闇の中に音もなく蠢くそれは生理的な嫌悪を抱かせる。


 いくら身体能力が高くても重力には抗えない。身体が落ちる。

 リースグラートが悲鳴のような声を上げる。


『勇者様! るーちゃんです! 剣を!』


 考える間もなく剣を振っていた。不安定な状態から振った白銀の剣。その剣身の延長線上から銀の光が放たれる。

 だが、こんな所で振っても何の意味もない。


 落下する中、とっさに下を見る。

 深い地面には物語の中でしか見たことのない無数の巨大な針がこちらにその尖端を向けていた。


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