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第十七話:銀衝剣リースグラート⑧

 得体の知れない敵は退き、しかし失われたものが戻る事はない。


 最悪だったのは何者かの攻撃が完全に奇襲であった事。騎士達は皆明日以降の行軍のために早めに就寝しており、また、一部眠っていなかった者についても悲鳴を上げる間もなく惨殺された。


 幸運だったのは、襲撃時、ワレリーとレフが一室に集まっており、明日の盗賊退治の最終確認をしていたという点。

 あの奇妙な糸は音も殆どなく臭いもなかったが、目には見えた。ちょうど起きていたワレリーとレフは静かなる襲撃の中でも、かろうじて無事だった。


 ほぼ反射的に振った銀衝剣で宿の上層をふっ飛ばし、呆然とした俺に駆け寄ってきたのは紛うことなき、仲間の姿だった。

 俺には人を指揮するような能力も器量もない。二人の生存は陰鬱だった俺の気を多少なりとも晴らしてくれた。


 勿論、被害は途方もなく大きい。数十名いた騎士たちの八割は死んでいた。糸は順番に部屋の中を殲滅していったらしく、レフとワレリーが抵抗しなければ、あるいは俺がその奇怪な物音に気づいていなければ、騎士団は完全に壊滅していただろう。


 再度の奇襲を避けるため、生存者全員で酒場に場所を変え、全員で顔を突き合わせて話し合う。

 さしもの歴戦の騎士団といえ、今回のような出来事は認識の外なのだろう、皆酷い表情をしていたが、それでも騒ぎ出す者はいない。


「完全に狙われていました……」


 騎士鎧に着替えたレフが憔悴した表情で呟く。

 その表情は誰よりも白んでおり、今にも倒れそうに見える。


 だが何よりも大きな変化は――右腕がなくなっている事だ。


 糸との交戦で奪われたらしい。

 糸の切断力はそれほど強くなかった。剣で打ち合える程度だったが、さしもの騎士団長も自室の中で完全武装しているわけがなく、体勢を立て直すための一秒を得る代償に失ったらしい。


 あまりにも壮絶な覚悟。呆然とする俺にレフは『首じゃないだけマシですよ』と笑ったが、それを言葉のままに捉える事などできるわけもなかった。

 何よりも、レフは右手で剣を握っていたはずなのだ。騎士が利き腕を奪われるのは致命的だったはずだ。

 だが、部外者である俺に、ただ与えられた力で頑強な肉体を得た俺に、口出しする権利などあるわけもない。


 レフの言葉に、ワレリーが応える。

 ワレリーの方は幸いな事に大きな傷はなかったようだ。糸が掠ったらしく、頰や腕などに浅い傷が出来ていたが今は血も止まっている。


「昨日の残党やもしれぬな。今思えば、奴らの統制は不自然なまでに取れすぎていた」


「捕虜も殺されていました。目的もわからない今、退くわけにはいかないでしょう。あの精密な糸の攻撃相手に守りに入るのはまずい」


 糸の攻撃はあまりにも奇襲に特化している。魔術師の使う生体感知の結界に引っかからず、鍵を掛けていても鍵穴から侵入してくる。

 人間は休息を取らなければ活動できない。いつ来るかわからない奇襲を常に警戒し続けるのは骨だ。


 レフが続ける。視線を、まるで鼓舞するかのように周囲に投げかけて。


「今の人数では不安が残りますが、幸いあの攻撃はそれほど速度も攻撃力も高くない。奇襲さえ回避できれば十分対応出来るはずです」


「……」


 それでも、右腕を切断されるほどの攻撃だ。真正面から立ち合い、重傷を負った。それほどの攻撃なのだ。

 何故事も無げにそんなことが言えるのか、俺にはわからない。


 レフが俺の視線に気づき、青ざめた唇を僅かに上げる。


「鎧さえしっかり装備すれば、簡単に切断されるような事もないはずです。何、右腕が無くても私には左腕がある」


「……そうか」


 わからない。何もかもがわからない。鎧なしで真正面からその攻撃を受けて、傷一つ付かなかった俺にはその気持ちはわからないし、その勇気を称える権利すらありはしない。

 勇者などと言われても――もしも俺が右腕を失ったらこの男のようには振る舞えないだろう。


 いつの間にか俺の方に視線が集中していた。畏怖。嫉妬。期待。侮蔑。仲間の騎士が幾人も為す術もなく殺されたにも拘らず、傷一つ追わずにそれを切り抜けた、多くの屍の上に立つ『勇者』に。


 ワレリーが向けてくる目だけが、昨日まで俺に向けられていたものと変わらない。


 有事においてなお、どっしりした姿勢を見せる、頼りになる第二騎士団団長が声をあげる。

 指揮は未だ取れていた。皆が真剣な表情で言葉を聞いている。この統制こそがいつも行っているであろう訓練の賜物なのか。


「体制を整え次第盗賊共を襲撃する。それまでは皆、常に鎧を装備し固まって動け。各々、奇襲を警戒せよ」


 生き残った騎士達が、絶望の中それでも強い声で応える。



 だが、俺は他の事を考えていた。

 俺はずっと……他の事を考えていた。




§ § §



 レビエリ達をつれて自室に戻る。俺達が泊まっていた部屋は銀衝剣の一撃で木っ端微塵になってしまったため、新たな部屋だ。隣には聖剣の部屋が、その隣には騎士達が詰めており、大きな声を上げれば助けを呼べるだろう。


 気分は最悪だった。重い体を引きずるように、部屋の真ん中を専有する大きなベッドに腰を下ろす。

 肉体的な疲労はないが、目眩が酷かった。


 額を押さえ頭を抱え、考える。


 ホラーは苦手だった。スプラッタも好きではない。

 周囲に溶け込むのは苦手だった。友人の数は多くなく、だが一人でいるのも苦手だった。

 死にたくない。だが、他の仲間が死ぬのも嫌だった。


 俺は――自分勝手な人間だ。


 まだ敵の目的は判明していない。だが、俺にはわかっている。きっとワレリー達も分かっていたはずだ。

 先程の糸が賊の仕業だったとするのならば、俺達が来る前から盗賊退治の任務についていたレフ達はとっくに全滅していてもおかしくない。

 それが、俺達が来たタイミングで発生した襲撃、あまりにもタイミングが良すぎる。


 ならば、十中八九狙いは俺で、たとえ俺がワレリーの立場だったとしてもそんな事は簡単に気づけただろう。


 魔王を倒すために召喚された勇者。相手が人か魔かはわからないが、襲われる理由は十分ある。


 だが、ワレリーはその事には一言も触れなかった。レフもその他の騎士達も、不信感は抱いていたはずだ。

 俺が狙いだとするのならば、他の騎士達が殺されたのはただ巻き込まれただけという事になる。それを声に出さなかったのは確信がなかったからか、あるいは俺の事を慮っての事か、それとも俺が勇者だからなのか。


 深い溜息をつく。頭を振って目眩を飛ばす。


 目の裏に張り付いているのは蛇のように自在に空中を走る鉄色の糸だ。

 人の身体を、鍛え上げられたレフの腕すら簡単に切断する糸。扉を閉めても、鍵をかけても、ほんの小さな鍵穴から侵入し襲い掛かってきたという理解不能な、理不尽な攻撃。


 だが、効かなかった。俺の身体に痛みはない。頭に振り下ろされても、背に受けても。

 レフが言った攻撃力が高くないという言葉はきっと仲間を鼓舞するためのものだ。たとえ威力が低くても、生身に受ければ傷を負うのだ。彼らにとってのあれは間違いない脅威であり、だが、俺にとってはレフの言うとおり、威力の低い攻撃でしかない。


 あれは……俺にとって脅威ではない。


 頭を上げ、室内を見回す。そこで俺は部屋においておいたはずの黒帝剣が見つからない事に気づいた。

 並の人間では持ち上げる事すら困難な品だ。そもそも、鍵もちゃんと掛けていたはずだが……。


 立ち上がりかけたその瞬間、


「剣……ですか……?」


「ッ!」


 全く……気づかなかった。確かに一緒に歩いてここまできたのは覚えているが、頭から抜け落ちていた。いつ別れたのかも覚えていない。

 目を見開き、いつの間にか部屋の中に入ってきていたレビエリを見上げる。


 いつも悲しげな表情をしているように見える容貌。エメラルドのような瞳の端に何故か雫が浮かんでいる。

 視線を向ける俺に、レビエリが片手を軽くひらひらと示して見せる。正確に言えば指に嵌められた空間収納の魔導具の指輪を。


「あの剣は……私がしまっておきました」


「……そうか、助かる。……出してくれるか?」


 俺の要請に、レビエリの手がぴたりと止まる。

 いつもならば俺の頼みならばすぐに聞いてくれるレビエリはしかし、剣の代わりに言葉を返してきた。

 透明感のある声。しかし何故か今、その声がとても重く聞こえる。


「……一人で戦うつもりですか、勇者様」


「……そんなこと言っていないだろ」


 言っていない。言ってはいないはずだ。

 だが、レビエリと俺の付き合いはこの世界では一番長い。何しろ、短い期間とはいえ何日も二人きりで過ごしたのだ。

 俺の答えを聞いてもレビエリの表情は変わらなかった。


「勇者様……目が……言ってます。トリちゃんがいたら断罪されます……よ?」


「……そうかも……しれないな」


 以前見たトリエレの表情を思い返すと、その言葉はあながち冗談じゃないようにも思える。

 だがいい。今はそんなことはいいのだ。


 ベッドから立ち上がり、大きく身体を捻り、筋をほぐす。

 レビエリは何も言わずにただ俺を見ていた。


 最後に深呼吸をすると、レビエリに言った。本音で話すのは苦手だった。

 だが、俺と共に黒竜を殺した、気静剣。俺がこの世界で信頼の置ける者を選べと言われたのならば間違いなく彼女を選ぶだろう。


「レビ。俺は……実はずっと疑っていた。レフやワレリーが、そしてユリが敵ではないか、と」


 レフは好戦的だった。最初に出会った時、酒場で話をした時、俺と戦いたいと言った。力に貪欲な男に見えた。

 そもそも、正規騎士団が追いかけているにも拘らず、盗賊の一団を長い間倒せていないというのも不自然だと思った。


 ワレリーは友好的だった。たかが召喚されただけの俺に、与えられた力で黒竜を倒しただけの俺に、この上なく友好的だった。俺はそれが逆に胡散臭く思えたものだ。俺がワレリーだったら腹に一物なくして、突然現れた勇者にそのような態度を取ることはできないだろう。

 ユリは更に不自然だった。俺は自分の見栄えがあまり良くない事を知っている。たかが一回庇った程度で、美少女が擦り寄ってくるなど、空想の中でしか起こらないと思った。何よりも、ユリが部屋にやってきたタイミングで襲撃が起こっている。怪しいことこの上ない。


 それだけではない。俺は自分に対して友好的な全てが嘘に見えた。

 王が、大臣が、騎士団長が――地位と能力が高ければ高い程嘘つきに見えた。何が夢で幻なのかもわからない。


 俺は矮小な人間だ。あまり頭の良くない狭量な人間だ。だから――自分と価値観の違う人間が信じられない。


 目をつぶる。この夢を見始めてから発生した全ての出来事を想起する。

 そして、ただ黙って俺の言葉を聞くレビエリに、ずっと気になっていた問いを投げかけた。


「だからそれを踏まえて聞く。レビ、奴らが敵である可能性は……あるのか?」


 レビエリに聞いても答えが返ってくるかどうか、確信があったわけではない。

 だが、レビエリは僅かに考える素振りをしただけで、はっきりとした口調で答えた。


「ありません」


「何故だ?」


「この国には……光真剣が……トリちゃんがいるからです。国民全員を確認しているわけではありませんが……軍に所属する人間や政治に関わる人間や貴族は皆、定期的にトリちゃんの前で潔白を宣言しています。王も……大臣も残らず。裏切り者がいてもそこで断罪されます」


 レビエリの言葉。それは、俺の問いに対する明確な答えだった。

 虚偽を断罪する光真剣。全員ではないにしても、騎士団のメンバーや貴族全員を確認するのはとても骨が折れる事だろう。だが、それでもやっているのだ。この国は。


 初めて聞いた情報だったが、それは俺の中にすとんと入ってきた。

 レビエリが続ける。


「特に、念には念を押して――今回の作戦に動員される騎士団のメンバーは出発する直前に潔白を……確認しています。勇者様……彼らは……味方です」


「そう……か」


 心中にあった痼が消えていくのを感じる。ずっと気になっていた。信用できなかった。


 つまる所――ワレリー達はただ単純な『いい人』だったという事なのだろう。俺がただ人を信じられない人間だったというだけで。


「もっと……早く聞くべきだったな」


「いえ……すいません。もっと……先に言うべきでした」


 聞くのが怖かった。何よりも、聞いて返ってくる答えが信じられないかもしれないのが怖かった。

 俺は……力が強いだけの臆病者だ。


 自らの醜さと向き合う。そんな夢を果たして悪夢と呼ぶのか。あるいは――。


 レビエリが静かに近づき、俺の頰に手を当てる。

 透明感のあるエメラルドの瞳に間の抜けた俺の表情が映っていた。


「勇者様……一人で戦う気はなくなりましたか?」


「……」


 否。答えは否だ。彼らが味方だとわかった以上、俺はなんとしてでもたった一人で立ち向かわねばならない。

 たとえそれが自分勝手な感情によるものだとしても。


 乾いた唇を舐める。声はスムーズに出た。痼が消えたことにより、身体には気力が多少戻っている。



「レビ、俺はずっと……思っていた。ずっと考えていたんだ。俺は一人で戦うべきじゃないのかと」


 ワレリーもレフも強い。騎士の統率能力は俺なんぞ足元にも及ばないし、戦闘や魔物に対する造詣も深い。

 騎士団の皆も強い。剣術を始めとした技術は召喚されてまだ数ヶ月の俺よりも遙かに高いし、何より命を賭してさえ、惨劇をその目にしてさえ、戦い続ける事ができる程に心が強い。

 ユリだって強い。俺に持たない物を持っている。


 だが、俺はずっと周りの『弱さ』に目を背けていた。いや、背けているつもりはなかったが多分背けていたのだろう。

 あらゆる点で俺を凌駕していた彼らはただ一点において、ただの高校生だった俺よりも劣っていた。遙かに劣っていた。まるで――別の生き物であるかのように。


 それは奇しくも、俺がずっと心の中に抱いていた、主張していた事だ。


「彼らは――弱いんだ。斬られたら血が出る。出血が多くなれば死ぬ。視覚聴覚嗅覚あらゆる感覚が今の俺よりも鈍く、あらゆる身体能力が今の俺よりも低い」


 その結果が――今この状況だ。

 きっと黒竜クラスの強力な敵が現れ、俺が本気で戦えば彼らはそれに巻き込まれただけで死ぬ。


 知識で、経験でカバー出来るのではないかと思っていた。

 だが、それは誤りだった。俺と彼らの差は隔絶している。どうしようもないくらいに隔絶している。


 たった一点。純粋な強さという一点において。


 魔王、アルハザード。どうしようもない人類の危機に対して呼ばれた勇者が……俺なのだ。

 改めて実感する。


「勇者様は……私が知る限り……最も強い能力を持つ、勇者です」


 レビエリが俺の言葉を肯定するでも否定するでもなく、ただ事実を述べる。

 その繊細な指が僅かに俺の目元に触れる。


 RPGなどで、勇者はパーティを組むが、きっと俺に仲間を作る事は向いていない。

 王は召喚に際して攻撃スキルが付与されなかったことを不安視していたが、攻撃スキルの有無なんて関係ない。俺はずっと思っていた。





 彼らは――足手まといだ、と。



 俺が彼らを殺してしまう前にこれに気づいたのはきっと――途方もない幸運だ。

 もしも巻き込んで殺してしまうような事になれば、俺は悔やんでも悔やみきれない。


 レビエリの頰の上を雫が静かに滑る。口を開きかけた瞬間、部屋の扉がばんと勢い良く開いた。

 銀髪の聖剣が高揚した声を上げながら駆け込んでくる。尻尾があったらぶんぶん振っていただろう、勢いで。


「勇者様。僕の敵だッ! 僕の敵なんだッ! ねぇ、勇者様。使ってッ! 僕を使ってッ! いいでしょ? ねぇ、勇者様ぁ!」


「……勇者様。リースちゃん、封印しません、か?」


 レビエリが充血した目で乱入者を睨みつけた。

 気持ちはわかるがやめてやれ。


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