第十三話:銀衝剣リースグラート⑤
その言葉に、一瞬息を呑む。
レビエリの目を覗き込む。気静剣レビエリのその目には抵抗を許さぬ力があった。
何故気づいた? 気づくわけがない。レビエリはあの時確かにまだ馬車の中に……いたはずだ。
音に出さずに静かに息を吸い、吐く。レビエリの言葉に、リースグラートとフレデーラも俺を見る。
確かに――確かに、あの矢の雨は重点的に俺を狙っているように見えた。
だが、重点的にといっても、多少本数が増えただけだ。騎士の中には倒れた者もいたし、魔導師も狙われていた。馬車の一団全体に降り注いでいた。
ただ、俺の方に飛んできた本数が多少多かっただけで――気にする程でもない。
「レビ、気のせいだ。弓矢で俺は……倒せない」
そもそも、矢は大きく弧を描いて飛んできていたのだ。
引き絞ったのがワレリーで、直接狙われていたとしたら多少の傷はついたかもしれないが、試して見たことがないのでわからないし試す気もあまりない。
その言葉を聞いても、レビエリの表情は変わらなかった。
「その事を……ワレリーさんには、言ったのです、か?」
「……言っていないが、予想はついているはずだ」
リースグラートの話程度、ワレリーが知っていない訳がない。
あの馬車で一番の重要人物は――俺だった。
ガリオン王国の召喚した勇者。気静剣を操り最上位の竜を殺した者。ワレリーは確かに重要人物だがこの世界の人間で、俺は別の世界の人間だ。
勇者を召喚するには膨大な魔力が必要とされるという。もし俺が死ねば次の勇者を召喚するのは苦労する事だろう。
だが、俺は死なない。あの馬車で一番の重要人物は俺だが、一番強いのも恐らく俺なのだ。
問題はない。
レビエリの表情は悲しそうで、しかし俺を非難する事なく言った。
「勇者様。私も――戦います」
「……山でレビを使ったらこの街まで飲み込まれるだろう」
「……飲み込まれるわね」
顔を顰める俺とフレデーラ。レビが不思議そうな表情で首を傾げる。
「? 死ぬわけではありませんが?」
「いやいや、死ぬだろ」
「……死ぬわね」
「……死ぬね」
リースグラートも昏い声で続けた。
レビエリの一番の危険な所は、その能力でもなんでもなく、彼女自身が自分の権能の危険性を理解していない事じゃないだろうか。
その能力はただ斬るだけの銀衝剣とは格が違う。森の魔物たちが動けなくなって餓死しまくったって言ってただろうが。
外壁の外に出ていた兵士たちは他の人の看護により社会復帰したみたいだが、街一個飲み込まれたらどれだけの被害が出るか――
フレデーラが呆れたような声で言う。
「ま、レビはお留守番してなさい。勇者様には私がついていくから」
「え……や……でも――」
顔を伏せるレビエリの髪を、フレデーラが梳くようにして撫でる。その二人の様子はまるで姉妹のようだ。
「安心なさい。今の勇者様でも私を
「お前らってマジ物騒なのな」
吹き飛ばすって……吹き飛ばすって言ったか、今?
フレデーラが俺の言葉に薄く笑みを浮かべる。
「私の知る限り、私は――まだマシな方よ。まぁ、マシっていうのも客観的なものなんだけど」
「その、まだ上がいるから大丈夫です、みたいなのどうかと思う」
「勇者様! 勇者様! 僕が単純で使いやすくて強くて一番ですッ!」
「その単純っていうのは性格の話か?」
だが、本当にそうかもしれないな……。少なくとも、銀衝剣の力は味方を巻き込んだりしない。
ベッドから降りて側に寄ってきたリースグラートの頭を撫でる。リースグラートがくすぐったそうに笑う。
単純なの、最高だ。後は衝撃波がでなければ完璧だった。
フレデーラは火の聖剣らしいし、碌な事にならないのは割と目に見えてる。火の聖剣と言っても、炎の矢を射出する程度の能力とかじゃないだろう。
レビエリが俺とリースグラートを交互に見て、俄に顔色を変える。焦りの混じった声で俺の方に擦り寄ってくる。
「ゆ、勇者様ッ! リースちゃんに触っちゃダメですッ! 触りたいなら私に触ってください。……どうぞ」
頭を差し出してくるレビエリ。俺は表情を変えずにその頭を撫でてやった。全く傷んでいない手触りのいい髪だ。精霊のはずなのに人と同じ。
「……よしよし、レビは偉いな。偉いぞ―」
「ッ……リースちゃんは迷い犬のように擦り寄っているだけです。何も考えていないだけです」
「……お前ら本当に仲いいなあ」
「勇者様は……色々な現実から目を背けすぎだと思います」
俺の言葉に、リースグラートが何とも言えない表情で唇を尖らせた。
撫でられながらも、レビエリが媚びるような甘い声で言う。
「勇者様。私も連れていってください。何かあったらと思うと心配で心配で――顕現化しても力を使わないという方法もあります。ただの盾としても使えます、よ?」
お前、黒竜の時も俺が使ったわけでもないのに力使っただろ。
「今回はフレデーラの顕現化のために来たんだ、我慢してくれ」
「身の回りのお世話もできます、が?」
「すぐ戻るよ」
「……宿にいたら攫われてしまうかもしれません、よ?」
レビエリがぐいぐい頭を押し付けてくる。
引く気ないのか……だが、言う事ももっともだ。王都の中ならばともかく、聖剣を盗まれたらまずい。実態はともかく外側は美少女だから攫われる事もないとは言えない。
……考えてなかったな。
「次から王都から出る時は宝物庫に残しておいた方がいいな」
「!? ……まさか私、墓穴掘りました?」
ぴょこんと後ろに結わえられた髪が動く。
掘った。掘ったよ。確かに掘ったが、今言ってくれてよかった。誘拐とかされた後に後悔したくない。
ほっと息をつく俺に、レビエリがポニーテールを振るように首を横に振る。
「……大丈夫……です。私には、この姿で使える自衛手段、あります」
「……何が出来るんだ?」
「……眠らせられます。周りにいる人全員、ですが」
全員眠らせるって、結構強い力だよね、それ?
そしていちいち範囲を対象にしてるが、無差別過ぎやしないだろうか。
「で、でも、最後の手段です。私達は、余りこの姿で力を使いすぎると……ただの武器になってしまいますから。……リースちゃんみたいに」
レビエリの言い訳するような言葉。
どうやら自衛手段があるから置いていかなくてもいいと言いたいようだ。
俺の内心を読み取ったかのようにレビエリが言う。
「後は……勇者様が、なるべく私をお側においておくと、いいと思います、けど?」
「わかったわかった。なるべく……そうしよう」
「はぁ……レビに甘すぎよ、勇者様」
折れないんだからしょうがない。多分剣じゃないから折れたりしないのだろう。
だが、今回は話が別だ。
奇襲の予定である。少数精鋭で行われる。戦えないメンバーを連れて行くわけにはいかない。
「勇者様……僕は?」
「それ、連れて行ってもらえると思って聞いてる?」
そもそもついていきたいのか、リースは?
リースグラートが俺の言葉にぷくーっと頰を膨らませる。身長はそこそこあるし、見た目は大人びているがたまにする表情は子供そのものだった。
「いや……ごめんなさい。でも勇者様……ちょっとは僕にも優しくしてくれてもいいと思います」
「そういえばさっき飴を貰ったんだ。これをやろう」
ポケットから紙に包まれた飴玉を取り出す。酒場で貰ったものだ。
聖剣がなんで飴食うのか知らないが、リースグラートが目を輝かせる。
「え!? 本当ですか!?」
「ほれ。これくれてやるから大人しく待ってるんだぞ」
「はい。わかりましたッ!」
見惚れるような笑顔で元気よく返事するリースグラート。単純。単純だ。
フレデーラが額を押さえて抗議してきた。
「……勇者様、本当に申し訳ないんだけど、その……餌付け、やめてもらっていいかしら? 同じ聖剣としての格が疑われるんだけど?」
知らんがな。
§
賊の中で生きて捕らえる事ができたのは七人。それらは情報を収集した後に王国の法に従い処罰されるらしい。何か理由でもない限りは――死罪となるとの事。
尋問の場面は見せてもらえなかった。恐らく、余り荒事に慣れていない俺の事を慮ったのだろう。
夢とは言え、現実と変わらないくらい鮮明な世界だ。人を何人も殺しておいて今更だが、余り見たいものでもない。
この世界で一人で楽しめるような娯楽はほとんどない。携帯電話やゲーム機などの電子機器はないし、ネットもない。本はあるが俺は余り読書などしない。召喚された時に持っていた携帯電話は既にとっくにバッテリーが切れたし、充電する術もないだろう。
もしかしたら、アインテールの本を借りてくればよかったか?
時刻は夜中、自室に戻ってたった一人でぼーっとしていると、ふと扉が小さくノックされた。
いつレビエリが来るかもしれないので、鍵はかかっていない。声をあげると扉が小さく開く。
入ってきたのは小柄な影だった。予想外の訪問者に目を丸くする。
「おやすみのところ失礼します……勇者様」
「構わない。何かあったのか?」
入ってきたのは、ここ数日同じ馬車に乗り揺られていた、魔導師のユリだ。
格好は行軍中とは異なり、黒のローブではなく落ち着いたブラウンのワンピースを着ている。
純白な髪は遠目で見ても白髪ではないとはっきりわかる。ショートの髪は僅かに濡れ、仄かな明かりの下、光沢を放っている。
偶然同じ馬車に乗っていただけでほぼ他人だ。ガーデングルを案内してもらう約束はしたが多く会話を交わしているわけではない。
ユリは恐る恐ると言った様子で部屋に入ってくると、きょろきょろと室内を見渡した。
その挙動からは、ここ数日感じていた俺に対する強い恐れがだいぶ薄れていた。
ユリが少し言い淀み、やがて小さな声で聞いてくる。
「随分と……お荷物が少ないですね」
「俺の荷物は全部レビエリが持っている。手元に置いてあるのは剣と着替えくらいだ」
いざという時に使用できるように、ベッドの横の壁に立てかけられている黒帝剣を指す。
鞘に納められていても威圧感のあるその巨大な剣に、ユリが頰を強張らせた。
「何か用事が?」
「その……まずはお礼を。先程は助けて頂いてありがとうございました」
何を言い出すかと思えば、深々とお辞儀をするユリ。
わざわざお礼を言いにきたのか……全然気にしていないのに律儀な事だ。
大体、助けてと言われて助けたわけでもない。俺が出来たからやったことだし、そもそも――。
「遅れてしまい……申し訳ありませんでした。気が動転していて――」
「いや、それは構わないが……そんな事で来たのか?」
疑問があった。
ユリは、魔導師たちは本当にあの矢に対応できなかったのだろうか?
固まっていたように見えたのでとっさにかばってしまったが、冷静に考えればその程度の対策手段は講じて然るべきだろう。
この世界には魔法がある。纏っているローブだってただの布ではないに違いない。矢を弾いてもおかしくない。
そう考えると、引き倒してしまった分だけ無駄に怪我をさせてしまった可能性だってある。聞いても真実を答えてはくれないだろうが……。
ユリが俺の答えにきょとんとして、僅かに頰をほころばせる。柔らかい声で言う。
「勇者様……助けていただいたらお礼を言って当然ではありませんか?」
その意見に異を唱えるつもりはない。
また、礼を言いに来たということは本人自体悪い気はしていないのだろう。
「その通りだな……気持ちはありがたく受け取ろう。だが、気にすることはない。偶然側にいたからやっただけだ。負傷したわけでもないしな」
と言いつつも、なんとも言えないもやもやは俺の中に残っていて、ため息をつく。
偶然目に入らなかったらかばわなかった。身体能力が上がっていなくても多分、かばわなかっただろう。
所詮俺の行動は、召喚で得た力に左右されている。滅私奉公などではない。余り誇れるような事ではない。
俺の内心も知らずに、ユリが話し始める。その口調は最初と比較しだいぶ砕けていた。
「勇者様、私は――勇者様の事を恐ろしいお方だと思っていました。事前に耳に入っていた竜を一撃で殺したという話も。そして実際に石を投げただけで私の『炎の矢』よりも威力を出してみせた時も。共に行軍するのが恐れ多く――正直、怖くて仕方がなかった」
「そうか」
気づいていた事でそして、仕方のない事だ。だが、今更俺の目の前で言う理由があるだろうか?
ユリが一歩近づき、透き通る声で続ける。ブラウンの目が静かに俺の顔色を窺っていた。
「勇者様。貴方は――私達とは違う。余りにも違い過ぎる。見た目は変わらないのに――それが、一見同じように見えるのが怖いのです。勇者様は竜人と会ったことは?」
「ない」
「竜人は人よりも遙かに強靭な種族です。種としての力が余りにも違いすぎて、種の総数は少なくても、その力は魔王ですらも手を出せない程に隔絶しています」
とぎれとぎれの言葉。
竜人。将軍も言っていた。ワレリーも言っていた。
それほど強力な種族なのか。それは今の俺に匹敵するのか? あるいは凌駕しているのか?
ユリがさらに近づいてくる。その匂いが、髪の一本一本が、その呼吸で僅かに動く胸が分かるくらいに近くまで。
「勇者様、竜人と相対した戦士はその力を理解すると言います。理屈ではなく、本能で分かるらしいです。決して敵わない、と。追いつけない、と。そう――」
そして、魔導師が手を伸ばしてくる。俺はそれを避けなかった。
手が俺の頰に触れられる。滑らかな白の手袋が嵌められた手の平の冷たい感触。
その手の平は小刻みに震えている。
それに気づき愕然とする。だが、ユリは触れたままで続ける。その声は極僅かに震えていたが表情は変わらない穏やかなものだ。
「――こんな、風に。本能で恐怖を感じるのです。まるで、蛇に睨まれた蛙のように。被捕食者が捕食者を恐れるかのように。私の、私の意思では……止められないのです。勇者様の性格がなんとなくわかった今でも」
嘘では、ないだろう。こちらを見上げる目には動揺がない。
ワレリーは震えていなかった。レフも。
共に戦うと、彼らは言った。それは騎士としてのプライドだったのかあるいは、それとも彼ら自身が人の範疇で優秀な騎士であるためなのか。
ゆっくりとその手の平を離し、ユリが一歩後ろに下がる。
「勇者様。尋問が完了したらしいです。賊は下っ端で目的までは知りませんでしたが、その本拠地についてはわかりました。敵のおおよその数も。七人それぞれ別に尋問し、同一の情報が得られました、嘘では――ないでしょう」
「!? 本当か!?」
尋問が終わったのか。本拠地がわかったのか。
目的がわからないのは不安だが、敵の数が判明したのは心強い。もっと時間がかかるかと思っていたが、どうやら騎士たちは尋問のスキルも高いようだ。
ユリがやや早口気味に続ける。
「これから向かえば夜が明けます。明日の夜を待って強襲をかけると」
「そうか、わかった」
明日の夜、か。後でレビエリたちにも話しておかなければ。覚悟も、決めておかねばならない。
一度ごくり息を呑み、ユリがさらに続けた。やや強張った声で。
「私も――強襲の部隊に抜擢されました。勇者様と共に向かいます」
「そうか。宜しく頼む」
ユリは今回の任務に動員された魔導師の中ではトップクラスの実力を持つと聞いている。
ワレリーがさっき言ったとおり全力で叩き潰すつもりなのだろう。
俺は前に出るつもりだった。誰よりも前で戦えばそれだけでこちらの被害は減る。
いや、出なかったとしても、今の俺の力で石の一つや二つ投げれば建物も半壊するだろう。
さっきは受け身だったが今度は攻める側だ。仲間を巻き込まないように立ち回るのは難しくない。
ユリはじっと俺を見上げていた。用事は済んだろうに、黙ったまま俺の顔を見ている。
「? 何か?」
「勇者様……私は――共に戦う勇者様を……恐れたくありません。自分を守ってくれた勇者様を」
乾いた声は震え、頰が緊張でこわばっていた。
まるで竜を恐れる人のように。
その身体は、俺よりも身長が低くはあっても決して女性としては低い身長なわけでもないはずのに実体以上に小さく見える
そして、ユリが言った。俺の眼から視線を外さずに。
「勇者様、どうか私を――抱いていただけないでしょうか?」
「……はい?」
匂いがした。その肌から、髪から、くらくら理性を揺さぶるような甘い匂いが。