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第十一話:銀衝剣リースグラート③

 実際に目で見たことがあるわけではない。

 だが、貧困な俺の語彙でそれを比喩するのならばそれは、まるで竜巻のど真ん中のような、という言葉で表現されるだろう。


 空気が確かに撓んだ。渦巻く視界の中、樹がみしみしと音を立ててぶち折れる。土が抉れ爆散し巻き上がり人もろとも紙切れのように吹き飛ぶ。

 肉片が、血が、骨の欠片が、悲鳴が、大地が。

 それはまるで世界それ自体が爆発したかのようだった。

 身体が浮きかける。全身に感じた凄まじい衝撃を思い切り踏み込む事で耐えきる。呼吸が激しく、一筋の汗が額を流れた。


 感覚器が未だかつてないくらい様々な情報を脳に伝達する中、顔を上げる。


 ――拳には何かを穿った感覚がないというのに、目の前には何もなくなっていた。


 先程まで向かってきていた賊はもちろん、山肌は大きく抉れ、並んでいた木々はひしめき合うように倒れている。倒れた太い木樹の隙間には赤黒い何かが混ぜられている。

 賊は散開して降りてきたので全滅しているわけではないが、無事だった者もその動きを完全に硬直させ、その惨状に目を向けている。


 血の匂い。自分の手の平を見る。血も何もついていない筋肉の殆どない自分の手。ただ、手の平からはじっとりとした汗が感じられた。

 最後に拳に感じた抵抗は多分――音の壁という奴だ。


 俺が拳を振り下ろしたその衝撃に押されたのか、倒れていたワレリーが起き上がり様に凄まじい形相で叫ぶ。


「ッ――勇者殿がやったぞッ! 総員、かかれッ!」


 いや、ワレリーだけではない。俺の後ろにいた騎士も隣にいた騎士も、その殆どが倒れ、その白銀の鎧が土で汚れている。幸いなのは大きな傷はなさそうな事か。

 瞬時に体勢を立て直した騎士たちがその号令に従い、馬車から弓を持ってそれを賊の方に引き絞る。賊の方もようやく状況が理解出来たのか、化物でも見るかのような目を一瞬俺に向け、即座に身体を反転させた。


 合図もなく、弓矢が放たれる。引き絞られた矢の数は賊が最初に放ってきた数よりも遙かに少なかったが、身を隠せるような木樹は既にあらかた倒れ、距離もない。


 無防備に背を向ける賊の手足に矢が突き刺さる。苦悶の悲鳴が空に響いた。

 即死させるつもりはないのだろう、狙いの殆どは急所からそれていたが、中には心臓に命中し倒れ伏したまま動かない者もいる。既に趨勢は決していた。


 拳を開く。ユリが慌てたように駆け寄ってきた。


「ゆ、勇者殿、ご無事ですか!?」


「ダメージはない」


「いや、しかし背中に――ッ!?」


 無言で背を向ける。痛みはない。恐らく傷もないだろう。背中を確認したユリが確かに息を呑んだ。

 出血すらしていないのがわかったのだろう。恐らく、背中だけではない。例え頭を射られたとしても……無傷だったはずだ。


「なるべく急所は外せッ! 尋問に使う」


 レフの指示で矢が雨あられと飛ぶ。

 賊の方もまだ残っていた樹を掴んで必死に駆け上がるが、普通の人間は矢よりも素早くは動けない。


 俺よりも倒れた騎士たちの手当をすべきだ。その呼吸がどんどんと浅くなっていくのが騒々しい中でも酷く鮮明に聞こえた。命が――消える音だ。


 痛みはない。疲労もないのにぐらりと体勢が崩れかけ、ぎりぎりで立ち直る。汗が出ていた。

 訓練ではいくら動いても掻かなかった汗だ。

 精神的なものもあるが、一番の理由は『動いた』からだろう。つまり、与えられた力相応に動けばこの身体でも疲労するという事。


 伏していた騎士の一人一人をワレリーが確かめる。

 矢が運悪く突き刺さったのは第二騎士団が二人、第五騎士団が三人。急所を穿たれた者はいない。あれだけの矢が降ってきてこの程度で済んだというべきか。五人も倒れたというべきか。

 俺は人の顔を覚えるのが得意ではないので甲を外されたその顔を見ても見覚えはなかったが、その五人もまた昨晩の酒場にいたに違いなかった。


 心臓が早鐘のように激しく打っていた。唇から漏れた呼気が白く空気を染める。

 いつの間に馬車から降りてきたのか、レビエリが駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫ですか、勇者様!」


「ッ……問題、ない……」


 傷はない。痛みも。疲労もない。『俺は』。

 人を殺したにもかかわらず罪悪感もない。それどころか、現実感すら。


 レビエリが心配そうに俺の顔を覗き込む。その美しい翡翠色の瞳に移る俺はいつもと何ら変わらない仏頂面をしていた。


 検分を終えたワレリーが立ち上がり、俺の方に寄ってくる。

 既に賊は全て倒れ、死屍累々の光景とは裏腹に辺りには静寂が戻っていた。


「勇者殿、傷はありませんか?」


「無傷だ。倒れた者は大丈夫か?」


「傷自体は大した事ありませんが、矢に強い毒が塗られていたようです」


 険しいワレリーの表情。鏃から漂っていた奇妙な匂いはやはり毒だったのか。

 用意周到というべきか、油断ならない世界だと言うべきか。


「予想外の被害です。前代未聞です。まさか賊が騎士団に護衛された馬車を狙って襲うなんて――馬鹿な真似をするとは」


 硬い表情で続けるワレリー。その表情をしっかりと見据え、一度深く呼吸をし、気を落ち着けて尋ねる。


「……助かるのか?」


 昏い俺の声にワレリーは二度三度瞬きすると、不思議そうな表情で答えた。


「? もちろん、助かりますが?」


「……え?」


 助かるのかよ……。


 怪我人の方に視線を向けると、ユリたち魔導師がその側に跪いていたのが見えた。


 身体を掴み、その傷跡をむき出しにする。倒れた騎士たちから苦悶の声があがる。そして、魔導師がその手の平で傷口を触れると、傷口が発光した。

 魔法だ。恐らく、傷を回復させる魔法。俺が見るのは初めてである。ワレリーが説明してくれた。


「騎士団のメンバーは毒に耐性があります。体力もありますし、魔導師は解毒の術を心得ております。即死でもしない限り死ぬことはそうありません」


「……な、なるほど……」


 確かに……人死って大事だからなぁ…‥。

 先程まで漂っていた死臭が和らぎ、騎士たちの呼吸が徐々に平静を取り戻す。先程まで刺さっていた矢は既に抜かれ、傷跡はすっかり消えている。


 ……魔法って凄え。どうやら俺はまだこの世界に慣れきっていなかったらしい。


 それに注目している間に、レフの部下たちは倒れた賊を道に運ぶと、縄で縛っていた。

 喉から苦悶と怒りの声が漏れるが、手や脚にダメージを追った状態ではまともに動けないだろう。


「ワレリー殿、ひとまず山を下りましょう。今襲ってきた賊が全員ではないはずです」


「そうだな……二陣が来る前に一度撤退するッ!」


 ワレリーの号令で、騎士たちがきびきびと働き始める。たった今襲撃を受けたとは思えないスムーズな作戦行動は日頃の鍛錬によるものだろう。こういったのは俺には無理だ。


 俺に出来るのは力を出す事くらいだ。


「ワレリー、岩はどけた方がいいか?」


「……そうですな。これではこの道を通るものの邪魔になる。お願い出来ますか?」


「……ああ」


 見上げるような巨大な岩。ごつごつした岩に触れる。一体どこからこんなものを持ってきたのか。

 それに手の平を当てると、力を込めた。何トンあるのかもわからない巨大な岩が地響きをたてながら動き始める。


 確かに重いが負担になるほどではない。

 ものの十数秒で周囲に撒き散らされた土砂毎道の端に寄せた。


 騎士たちが引きつったような表情で俺を見ている。騎士たちからの印象を拭うためか、ワレリーが感心したように言う。


「昨日も思いましたが、その剛力……まるで竜人ですな……」


「将軍もそんなこと言っていたな」


「竜人は人の数十倍以上の膂力を持つとされております。彼らは人族とは比べ物にならない優れた武人です」


「数十倍、か……」


 果たして俺と竜人、どちらが力が強い設定なのか。

 今のところ、とても負ける気はしない。


 生きている賊に最低限の応急処置をして、馬車に乗せると、今来た道を引き返す。騎士が乗っていた騎馬は訓練されているらしく、矢が飛んできても爆発のように空気が震えてもその場に留まっていた。


 突出した化物ではないが、ガリオン王国の騎士団が優秀という情報も頷ける。


 警戒していたせいか、それとも撃退したばかりだったせいか、帰り道に賊が現れる事はなかった。


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