第八話:征炎剣フレデーラの評価手帳
実のところ、征炎剣フレデーラは勇者、神矢定輝の事をあまり理解していない。
旅は順調だった。予め計画したとおりに馬車は進み、数日の間に何度も魔物の襲撃があったが、特に問題なくフレデーラ一行は山の手前の村にたどり着いていた。
それほど険しくもない山を超えれば後はガーデングルは目と鼻の先だ。
順調である一番の要因は、任務に投入されているメンバーや物資が本来この程度の旅に投入されるような類のものではなかったという事が上げられるだろう。
ガリオン王国は大国だが、魔族の襲撃が激しくなっている現在、動かせる人員は多くない。
騎士はともかく、虎の子である強力な攻撃魔法を使える魔導師を複数編成し、おまけに幻獣スレイプニルに馬車を引かせるなど、それだけで王国側がこの任務にどれほどの重きを置いているのか分かる。
夜。聖剣達に充てがわれた宿の一室で、フレデーラは、いつも強気な彼女としては珍しい物憂げな眼差しを広げられた一冊の手帳に向けていた。
ドレスが汚れるのも気にせずに机に肘をつき、唇に手を当て、ただ考える。
その手帳はガリオン王国の聖剣達が共有している勇者への評価手帳だった。
顕現化するには、勇者と聖剣の間の相性というものが関わってくる。手帳はそれを円滑に見極めるために聖剣達の間で作られたものであり、今現在は、レビエリの評価――レビエリから勇者に対するプロポーズに近い評価だけが書き込まれていた。
旅装を解き、何時も通りのメイド服に着替えたレビエリがそわそわとフレデーラに尋ねてくる。
「どうですか? 勇者様は」
「……強いわね」
強い。間違いなく、そのポテンシャルはフレデーラの見てきた勇者の中でも随一だ。
聖剣やスキルを抜きにすればその身体能力は間違いなく歴代最強である。石を投げただけで大地をえぐり魔獣を紙切れであるかのように弾き飛ばした。汗一つかかず、涼しい顔をして。
そのような勇者が今まで存在していただろうか?
その瞬間、フレデーラは勇者に平然とした表情を向けていたが、内心では驚愕していた。
『強い』のではない。『強すぎる』のだ。長らく勇者を見てきた聖剣の矜持で表情を保っていたが、危うく表情を崩してしまう所だった。
よく言えば、聖剣を与えられるに、勇者たるに相応しい強さである。いくら聖剣があっても、勇者本体の能力が低ければ意味がない。最強の勇者が使う最強な聖剣にこそ意味があるのだ。
性格も決して悪党ではない。魔王に劣勢を強いられている現在、その勇者がガリオン王国から見初められたというのは納得の行く話だ。
レビエリがまるで我が事のように笑みを浮かべる。
「私の選んだ……勇者様ですから」
「……ええ。そうね」
気静剣レビエリの顕現化の規準が何なのか、実はフレデーラはよく知らない。
気静剣の伝説は聖剣の中でも有名だが、その能力の真髄も知らなければ由来も詳しく知っているわけではない。フレデーラはレビエリと仲がいい方だが、それは聖剣にとって秘匿事項なのだ。
それを知っていいのは――その担い手たる勇者だけ。何故ならば聖剣とはその勇者に振るわれるために存在しているのだから。
だが、レビエリの性格を見ればなんとなくその規準も予想できる。
レビエリが少し口ごもり、寂しそうな表情で続ける。
「……本音を言うのならば……勇者様には、他の子を使って欲しく……ありません。リースちゃんも、フレちゃんも他の皆も」
「……」
我儘な言葉だ。だが気持ちは分かる。
自分の力で担い手を英雄にしたい。それは必ずしもレビエリだけではない、自らの力にプライドを持つ聖剣が皆持ちうる感覚だし、フレデーラも似たような思いを覚えた事はある。
だから、その言葉は精一杯の牽制だ。攻撃出来ない聖剣である気静剣の威嚇行為。リースグラートに対する当たりの強さもその一つなのだろう。
だけど、レビエリ本人もわかっている。その眼は、表情は、その溢れ出しそうな悲しみを押さえ込んだものだ。
「だけど……他の聖剣を使わなければきっと勇者様は死んじゃうから……我慢します」
「……私と、レビの選定規準は違うわ。そして――リースの規準も」
「でも、きっと勇者様は全ての聖剣を使えるでしょう。私には――わかります」
その通りだ。資質がある。この上ない資質が。
強さ、ストイックさ、そして孤高。
ただでさえ異界の住民を救うためにこの地に残る事を決定したその意志は聖剣の心を打っている。
フレデーラから言わせてもらっても、十分にありだ。
外壁付近で見た勇者と漆黒明竜の戦いは確かにフレデーラ自身感じるものはあった。圧倒的な力を持つ上位竜を相手に、何人が立ち向かう事が出来るだろうか。聖剣とは言えちっぽけな剣と盾は頼りなく、その竜の持つ威容はただそれだけで人を殺しかねない程に強力だったと言うのに。
だから間違いなく、顕現化は出来るはずだ。
だが、同時にそれだけでは十全に『征炎剣』の力を使う事はできない。
「まだ、最低基準に達しただけよ……勇者様には……足りていない」
聖剣の顕現化は基本技能だ。皆が皆出来るものではないが、顕現化するだけならば勇者じゃなくても何人も出来るものはいる。
だが、ダメなのだ。
顕現化は第一段階であり、聖剣の力の表層でしかない。それを足がかりに互いに心を許し、初めて聖剣は真の聖剣となるのだ。
順番に勇者に随行する事にしたのはそれを見極めるためのものだ。
フレデーラが目を伏せ真剣な表情で呟く。
「強……すぎる。勇者様は、強すぎる」
「フレちゃん?」
聖剣を十全に使うにはある種の感情が不可欠だ。
確かに黒竜に退治する勇者の姿は評価に値するが、まだ足りていない。
フレデーラを扱うに値する感情が、条件を満たすための行動が、勇者には足りていない。
征炎剣とは炎を征する剣。その制御の難易度は、担い手を自動的に効果の外にする気静剣や、権能が単純な銀衝剣とはまさしく格が違う。
中途半端な顕現化では担い手の身すら滅ぼしうる力だ。
「……」
そして、フレデーラの条件はもしかしたら今回の勇者には満たすことは――難しいかもしれない。今回の勇者に自分を顕現化する事は出来ないかもしれない。
浮かんだその思いに寂寞を感じつつ、それを振り払うかのように首を一度振った。
次にフレデーラが顔を上げたその時には既にその感情は表に出ていない。
「なんでもないわ。まだ時間はあるんだし……」
フレデーラは、まるでその気を反らせるかのように持っていた羽ペンの羽毛部で自分の鼻の頭を一度擽った後に、満を持したように書き込みを始める。
征炎剣から勇者に対する評価。勇者の能力に関して自分が判断した情報やその性格に対する考察。
書き込まれた高い数字はどれだけの意味を持っていても、フレデーラの心の空隙を埋めてはくれない。
ふとレビエリが、今、部屋の中にいない仲間の名を呟く。
「リースちゃんは……どうなんでしょうか?」
「……あの子も案外、何考えているかわからない所があるから……」
フレデーラが顔をあげ、扉の方に視線を向けた。
言動からはなかなか想像しづらいが、リースグラートは間違いなく聖剣だ。『最強の剣』というこの上なく単純明快な目的で生み出された名剣に宿った大いなる精霊だ。
その存在理由はその身が有する『金』の属性と合致している。
そうでなくとも、銀衝剣を生み出した鍛冶師、ロダ・グルコードは誰しもが認める不世出の天才だった。生み出した剣が聖剣になる程の鍛冶師が果たして今まで何人いただろうか。
深々とため息をつき、フレデーラが漏らす。
「……まぁ、さすがのリースも担い手を選ぶくらいするでしょ」
「リースちゃんは……前科がありますから……」
「……」
互いに何とも言えない表情で顔を見合わせていると、ちょうど部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
噂の主が満面の笑顔で突入してくる。レビエリの着ている者と同じデザインのエプロンドレスをはためかせ、しかし胸が大きく容姿が整っており、落ち着きがないので、メイドにはとても見えない。レビエリのように調和が取れていない。
部屋に飛び込んでくるや否や、リースグラートがきらきらと眼を輝かせながらその手に持った皿を高々と掲げる。
皿の上には蒸しパンのようなものが乗せられていた。
「見てみて! レビ先輩! フレちゃん! 勇者様にデザート貰っちゃった! ここの名物だって! 僕もう、勇者様の剣になろっかなー。勇者様、強いし」
もしも、尻尾があったらぶんぶん振られていただろう、外から見てもはっきり分かるくらいに機嫌のいいリースグラートに、フレデーラが表情を顰めて呟いた。
「……餌で釣られる聖……剣?」
「……やっぱり何も考えていないと思います」