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第六話:征炎剣フレデーラ②

 レビエリが慌ただしく屋敷の中を走り回っていた。


 ガーデングルはそれほど遠くはないが、近くもない。基本的な物資は騎士団の方で用意してくれるとの事だが、レビエリはそれだけでは心配だったらしい。


 レビエリの持つ『次元の指輪(ケイオス・リング)』は異空間にアイテムを収納する事を可能にする宝具だ。物理的なスペースを無視してアイテムを持ち運ぶ事が出来る、本当に貴重な魔導具である。


 走り回り、少しでも必要だと思われる物を片っ端からリングに格納していくレビエリを見て、今日から屋敷に滞在しているフレデーラが呆れたような声を漏らす。


「レビは心配性ね」


「フレは心配じゃないのか?」


 俺はあくまで随行するだけだ。任務の全容を把握できているわけではないが、任務の重要度はかなり高いように聞こえた。万が一にも失敗出来ない任務だ。


 外壁を護る結界はまだ完全に破られているわけではないが、また漆黒明竜クラスの魔物が現れれば次は持たないだろう。そして、何より破られてしまえば気静剣の権能が使えなくなる。

 ガリオン王国でも最高の練度を誇る騎士団が豊富に投入された作戦だ。

 顔合わせをした騎士の者たちの表情も固く、唯一緊張していないのは目の前のフレデーラと何も考えていないリースグラートくらいだった。


 フレデーラがソファの上で脚をぶらぶらさせながら答える。

 いつも通りの深紅のドレスは彼女に非常に似合っているが、俺の屋敷にいると違和感が凄まじい。


「任務の重要度は確かに高いけど、難易度は高くないもの」


「油断は禁物と言っていたが?」


「形式的なものよ、どんな任務だって言うわ。漆黒明竜ダーク・ブライト・ドラゴンクラスが出る可能性はほぼゼロ。勇者様は知らないかもしれないけど、竜の数は多くないんだから」


 フレデーラの言葉には説得力がある。

 それはそうだろう。あれクラスの魔物がうようよしていたら既に人間は滅んでいたはずだ。


 だが、それでも、例えあれクラスが出なかったとしても、緊張くらいはする。何しろ、今回は騎士団と一緒に行動するのだ。俺一人戦えばいいという話ではないし、そもそも術者とやらを守らなくてはならない。


 フレデーラが俺の方にじっと視線を向ける。まるでこちらを測っているような眼を向けると、唇の端を持ち上げ微笑んでみせる。


「竜殺しの勇者様。不安?」


「不安はない。緊張しているだけだ」


 不安はない。何が出ようが俺がやることはたったひとつで、負けるつもりもない。自分にそれだけの力がある事も信じている。

 魔物だろうと――盗賊だろうと。だが、それは失敗できない任務を前にして何も思わないという事ではない。


 征炎剣がまるで歌うように告げる。


「勇者とはその勇気を持って立ち向かう者。勇なくして武はその意味を持たず、その意志なくして恐怖に立ち向かう事適わず。かつて私の知る最も勇気ある者は、勝機のない恐怖を前にして尚、弱者をその背に一歩も引かずにその武を振るった。勇者の本質とは武力ではなく勇気。そういう意味で、勇者様は――まだ勇者の『卵』と言ったところね」


 揶揄するように付け加えられたその言葉がストンと胸の内に落ちてくる。

 この国で俺の力を疑う者は誰一人いなかった。王も大臣も将軍も。

 だから、フレデーラの言葉は新鮮で――しかし、まったくもってその通りだ。


 本質とは勇気。俺は自分に勇気があるなどと思った事はない。竜を前に脚はすくんだ。ミノタウロスに最初に出会ったその時も恐怖で動けなくなった。

 それでも結果として前に出れたのは、そうしなければいけなかったからだ。


 フレデーラが続ける。まるで俺を鼓舞するかのように。


「武勇を示しなさい。その魂の輝きに力は自ずと集まってくる。臆せず前へ進みなさい。勇者とはつまり――そういうものよ」


 こちらを見下ろすその眼には郷愁のような色がある。恐らく、彼女は聖剣として数多の勇者と出会いその眼差しを向けてきたのだろう。

 その眼差しに一言だけ返した。


「ああ……そうだな」


 レビエリは賢い。フレデーラも。俺なんかよりも余程道理を知っている。

 そしてもともと、俺はそうするつもりだった。後戻りする道など存在せず、そしてその理由も存在しないのだから。

 フレデーラが珍しく、機嫌が良さそうにくすくすと笑う。


「勇者様には余計なおせっかいだったかしら?」


「いや。参考になった」 


 勇気の出し方なんてわからないが、もともと考えるのは余り得意ではない。

 だが、行動を模倣する事は出来る。感情はともかく、真の勇者の行動をなぞることくらいは出来るだろう。


 手を強く握る。改めて決意し直したその時、リースグラートが部屋にふらふら入ってきた。


 落ち着かなさそうにそわそわとしながら、エプロンドレスの袖を握っている。

 レビエリが忙しなく動いているのは準備のためだが、リースグラートの挙動は特に意味のないものだった。まぁ、リースだし。


 無駄にくるくる回りながら、最後に俺の方によってくる。


「王都から外に出るなんて僕、久しぶりです。長い間意識もなかったですから」


 いくら聖剣といっても思考もするし感情もあるのだ。宝物庫から出られなかった他のメンバーと比較すればマシだろうが、屋敷と城を行き来する日々はやはりストレスだったらしい。

 嬉しそうなリースグラートに試しに尋ねてみる。


「え? リースも来んの?」


「……え!?」


 リースグラートの笑顔が固まった。頰が引きつり、ピクピクと痙攣する。


 しかし、冷静に考えてみるとリースグラートがついてくる理由などないのだ。逆にいつもの挙動を見るにリースグラートの随行は不安材料ですらある。そりゃいざという時に銀衝剣を使えるのは頼りになるが、フレデーラもいるわけで。


「いや、今回はフレもいるわけで……リースは留守番でもいいような……」


 そもそも、騎士団と共に行動するのに銀衝剣の攻撃範囲は広すぎる。森を抉る衝撃であり、万が一人間がその直線状に存在していたら、ただの人なんて木っ端のようにはじけ飛ぶだろう。厳しい訓練を乗り越えた騎士たちでもどうなるのかわかったものではない。

 最初は冗談のつもりだったが、自分で言っている内にいない方がいいような気がしてきた。


 真剣に迷い始める俺に、リースグラートが覚束ない足取りで足元にすがり膝に抱きついてきた。

 銀髪を振り乱し、必死に食いかかってくる。


「そ、そんな。勇者様!? 冗談、冗談ですよねぇ!?」


「……」


 息を呑む。膝に胸が当たっている。なんだかんだリースグラートも見てくれがよく、突然抱きつかれるとどきどきする。だが、その挙動はとても精霊のものには見えない。

 まだその眼には涙こそ滲んでいないものの、必死過ぎてちょっと引く。


 俺は唇を噛んで、フレデーラの方に視線をずらした。フレデーラもまた呆れ果てたように肩を竦めてみせる。


「勇者様!? 勇者様ァ!? 剣は、剣は宝物庫にしまっておくようなものじゃないんですよ!? 飾るだけじゃなくてちゃんと使ってもらわないと!?」


「お前それ、担い手を選びすぎて力を失った者の言葉じゃないから」


 思わずつっこむ俺に、リースグラートが短く悲鳴をあげる。目を大きく見開き、俺の方にずいと近づけてくる。


「ええええええ!? だだだだ誰からそれ聞いたんですかッ!?」


 色々な奴からだ。皆知ってたのだ。さすがに笑うしかない。


「大体、リースは使いづらいからなぁ……攻撃範囲が広すぎて」


「そ、そんな。レ……レビ先輩の方が使いづらいし……」


「……」


 何も言えねえ。だがいいのだ。レビエリは見守ってくれているだけでいいのだ。そしてリースグラートはぶっちゃけ、いてもいなくてもいい。どっちでもいい。来るなら邪魔をしてくれなければいい。

 フレデーラも彼女がついてくる事について文句を言ったりしないだろうから、後は乗り込む馬車のスペースが開いているかどうかの問題だ。


 まぁ、一応四人分スペースはとっといてもらってるんだけど。


「衝撃波がなぁ……」


「ッ……衝撃波がでなければ銀衝剣と呼べませんッ!!」


「設計思想がおかしい」


「ッ!?」


 リースグラートの髪がその驚きを示すかのようにぴょこんと逆立つ。

 「さ、最強の剣なのに……」と暗い目でぶつぶつつぶやき続けるリースグラート。どうやらうっかり言ってはいけない事を言ってしまったらしい。

 ちょうど手が空いていたので、慰めるようにその銀髪を撫でてやっていると、フレデーラがため息をついた。


「勇者様。リースの攻撃範囲は狭い方よ」


 刃の延長線上全部なぎ倒したんだぞ、こいつは!?

 フレデーラが、むすっとして黙り込んだリースグラートを見下ろし、続ける。


「だってリースグラートの攻撃範囲は直線だもの。勇者様、『金』の属性の聖剣は本体の接触を基本とした物理攻撃をその能力とするわ」


「……属性云々はともかく、俺の知ってる剣ってのは皆そうだし、そもそもこいつは衝撃波が出るんだぞ?」


 撫で続ける事でやや復活したリースグラートが唇を尖らせて反論した。


「剣の弱点である遠距離戦を克服した剣こそが最強の剣なんですよう」


 確かに強いけど……強いけど、剣じゃないよな、それ。


 よしんば衝撃波が出る件についてはいいとしても、こいつを生み出した鍛冶師はちゃんと衝撃波のオン・オフを設定できるようにすべきであった。

 後、性格がちょっと軽いのでもう少しこう、厳格な感じにすべきだと思う。まぁ、そちらはグルコートさんのせいじゃない気もするけど……。


「そして、最強の剣っていうのはこう、最強の勇者様が使ってこそ最強の剣で――」


「ああ……だから担い手を選り好みしすぎてダメになったのか……」


 納得である。一応考えがあっての事だったのだ。どうせ考えるならば、それを貫き通す事でどうなるのかまで考えればよかったのに。


「だだだだだめになってなんかいませんよ!?」


 ……なんか、妥協するってのも大切なんだな。


 せっかくフレデーラからいい話を聞いていたのに、リースグラートの下らない話のせいでテンションが落ちてしまった。

 まぁ、からかったのはまずかったか……一度咳払いして、リースグラートに教える。


「まぁ、一応リースの場所も取ってあるから……付いてきたいなら付いてくれば?」


「……勇者様、なんか僕への態度だけ適当じゃないですか?」


「いや、そんな事は――」


 ……あるかもしれない。


 もう魔法剣の時とのギャップと、レビエリに伸し掛かられている姿が脳裏に焼き付きすぎて無理。強力な武器ではあるが、神聖なものとして見れないのだ。

 無下に扱っているつもりではなかったのだが……思い返すと無下に扱っている気も――。


「うぅ……僕が今の所一番勇者様の役に立っているはずなのに……」


「ずっと封印されていたらまだ使っていたかもしれないな」


 いや、本当に。


「がーんッ!?」


 声にだしてガーンとか言うなよお前ッ! そういう所が軽く見られる要因なんだよッ!

 ショック受けているのか受けていないのか、ふざけているのか真剣なのか、固まるリースグラート。でもこれはこれで緊張が和らぐから有りと言えば有りなのかもしれない。


「リースちゃん……」


「ひぃッ!?」


 その時、タイミングよくレビエリの声が聞こえた。いつもよりも感情味の薄い声にリースグラートが俺の膝の上から飛び退る。


 視線を向ける。部屋の入り口に、レビエリが立っていた。その右手には、準備中だったのか小ぶりのナイフが握られている。


 レビエリが室内をきょろきょろと見回しながら、一歩リースグラートとの距離を詰める。

 リースは腰を抜かしてがたがたと震えていた。その眼はまるで化物でも見るかのようにレビエリを見上げている。


 レビエリとリースグラートって仲がいいのか悪いのかわかんないんだよなぁ……見たところ、そこまで相性が悪いわけじゃなさそうだが。


「せせせ先輩!?」


「勇者様に……迷惑を……」


「ちょ……違ッ」


 レビエリがリースグラートのエプロンドレスの裾を踏みつけ動きを止め、まだ震えの止まらないその頭に触れる。

 リースグラートが悲鳴に近い声で叫ぶ。


「ゆ、勇者様、助けてッ! 助けて下さいッ!?」


「……仲良くしろよ。大丈夫だ、レビのコンセプトは平和主義らしいから」


「ひぃッ!? う、嘘だぁっ!」


「リースちゃん?」


 レビエリの指先が、まるで何かを確かめるかのようにその銀糸のような髪を丁寧に梳き、リースグラートがその手から身を捩るようにして必死に逃げようとする。身長の高いリースグラートがレビエリから逃げる姿は一種滑稽だ。

 初めはいちいち止めていたが、そんな二人の姿も、もう見慣れた物だった。理由はともあれ、しょっちゅうやってるから、こいつら。


 仲良きことは美しきかな。

 フレデーラが額を抑え、眼をぱちぱちさせて唸る。


「呆れた……あの子たち、いつもあんなことやってるの?」


「まぁ、割といつも」


「聖剣としての誇りはないのかしら……?」


 知らんがな。まぁ、たまに彼女たちが聖剣だってこと忘れそうになるんだけど。

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