第一話:聖剣のいる生活①
勇者として俺に与えられた屋敷はもともと、ガリオン王国の有力貴族が持っていたものを改装したものらしい。
広さも並んだ家具も値段も格も、一介の高校生に与えられるようなものではない。
数え切れない程存在する部屋の殆どは当たり前に空室だが、例え使っていなくても整備は必要らしく、数え切れない程の使用人が筆頭執事の下、屋敷の管理に勤しんでいる。
筆頭執事は初老の上品な老人で、一番最初に挨拶はしたがそれ以降、俺が指示を出した事はない。
そもそも俺の仕事は魔王を倒す事であって、執事を使うような仕事は何もないのだ。もっぱらその執事の役割は屋敷の管理を除けば、俺と王国の間を繋ぐ御用聞きのようなものだった。
人数は多いし、屋敷の中で使用人とすれ違ったら挨拶はされるが、友達のような関係でもない。
家が広すぎる事もあり、根本的に俺は孤独だった。
一人にはサイズが大きすぎるベッドの上でごろごろと転がる。
直ぐ側の床には手足につけていたリストバンドが放り出してある。少しでも肉体に付加を掛けるため、最近は日常的につけているが、全く重くないのでそれも意味がないのかもしれない。俺に取って手の平でお手玉できるような軽さに思えるそれは、大の大人でも持ち上げるのが難しい程の重量があるらしい。いくら夢だからってやり過ぎである。
屋敷には図書室なんてものもある。
数え切れないくらいの蔵書があったし、翻訳のスキルのおかげで読むことも出来たが中身が難しすぎて理解できなかったので早々に読むのを諦めてしまった。もともと余り勉強が得意なわけでもないのだ。
姿勢を変え、うつ伏せになる。真っ白なシーツは毎日変えられているらしく、太陽の匂いがした。
魔王討伐のために呼び出された設定のはずなのに、全くストーリーが進まないのは如何なものか。
黒龍討伐から今に至るまで、俺は国王命令で王都から出る事を禁止されていた。
王都は高い壁で囲まれている。唯一の門は交代制で常に門番が守っており、俺の顔は完全に周知されているらしく側に近づくと止められてしまうのだ。力は俺の方が上なので押し切る事も出来るが、その行為に何の意味があろうか。
仕方なく毎日訓練に勤しんでいるが、強くなっている実感もない。いや、もう既に強いのだ。どうやったら強くなるのかもわからないくらいに。相手をしてくれている騎士の人達は少しずつ強くなっているような気がするので、王国への貢献にはなっているかもしれないが……。
正直な話、黒龍を討伐してから今に至るまで、全く前に進んでいる気がしなかった。
唯一苦戦した相手、漆黒の竜を思い浮かべる。イメージする。
咆哮。ブレス。巨体。今でも正面から戦って勝てる気がしないドラゴンも、今では俺の剣になっていて、虚しさしか産まない。
イメージトレーニングなんてしても無駄だろう。
やり方もわからないし、そもそも夢の中でイメージトレーニングって……。
やはり将軍の言うとおり、聖剣との交流を重視したほうがいいのかもしれない。
しかしなぁ……交流と言っても何を話していいのかわからない。聖剣と言っても女の子である。どんな話題を好むのかもわからないし、お菓子差し入れるくらいなら出来るけど、そんな事で聖剣使えるようになったりしないだろうなぁ……そんな事で聖剣使えるようになってたらわざわざ勇者を召喚したりしないだろう。
退屈に身を任せ、そんな下らない事を考えていると、部屋の外からぱたぱたと駆ける音が聞こえ、部屋の扉が開いた。
召喚によって強化されたのは身体能力だけでない。聴覚、視覚、嗅覚などの五感に至るまで強化されている。だから、俺はすぐにその足音の主がわかった。
そもそも、この屋敷でわざわざ俺の部屋に入ってくる連中は大体決まっている。
「勇者様、おやすみでしたか……?」
「いや……起きてる」
入ってきたのは若草色の髪と翡翠のような眼をした尋常ではなく美しい少女だ。
年齢は俺よりも遙か上だが見た目は俺よりも幾つか下。年齢と見た目が一致しないのは彼女が人間ではない証でもある。
少女の名はレビエリ。気静剣レビエリの名で知られる聖剣の精霊である。
俺がこの世界を夢だと確信している理由の一つでもあった。常識的に考えてこんな美しい少女がいるわけがない。
レビエリは一度小さく会釈をすると、扉を閉めた。
ガリオン王国の聖剣は本来、一人で城の宝物庫の外に出る事を許されていないが、最初に
どういう話し合いがなされた結果そうなったのか詳しくは知らないが、それは俺にとっても都合のいい話だったので、ただそれを享受していた。
ベッドの上で転がり、体勢をうつ伏せから仰向けに変える。顔が見たかったので。
レビエリは今の所、俺の退屈を紛らわせる唯一の癒やしと言ってもいいだろう。もう世話してくれなくても側にいてくれるだけで癒されるわ。かーわーいーいー。
彼女がいなければ俺は退屈で王都を脱出しようとしていたと思う。
欲を言えばもう少しだけ見た目の年齢が近かったら完璧だったが、聖剣は老化しないみたいなのでもうどうしようもない話である。
レビエリは側まで来ると、心がとろけるような笑顔を作って尋ねてくる。
「今日も修練場で訓練を?」
「ああ。だが頭打ちだな。リバー将軍にも相談したがどうしようもなさそうだ」
そもそも、既に俺はある程度の実戦経験を積んでいる。最初は少しは怖かったが、もう魔物を殺す事にも躊躇いはないし、よしんば王都の外に出る許可を貰った所でこの辺りの魔物を相手にしたところで成長なんて見込めないだろう。
そもそも、王都周辺にはもう魔物がいないみたいなので、意味のない想定だが。
「王は少し臆……慎重過ぎるな」
「勇者様の事が心配なのです。私も心配です」
「ちょっとくらい外に出てもいいと思うんだがなあ」
魔王がやばいんじゃないのか。俺は魔王を討伐するために呼ばれた設定じゃないのか。
おまけに理由を聞いてみたら、外に迂闊に出ると『危ないから』だそうだ。何だそれ。
「勇者様は少々……無謀な所がありますから」
「俺が出て危なかったら誰が出ても危ないぞ」
恐らく、王国で今一番身体能力が高いのは俺だ。大した事ができるとは思っていないが、こんなんでも勇者なのだ。
レビエリが俺の言葉に困ったように眉をハの字にする。そして、その白魚のような指先で俺の髪を梳いた。困ったような表情も可愛い。
王が俺の事を慮っているのは既に痛いほど分かっている。だが、だからこそ強硬手段で外に出る気にもなれない。
ジャンプで壁を超える事だってできるが、そんなことをすれば捜索隊が結成されてしまうだろう。ただでさえ魔王を相手に劣勢を強いられ兵力が貴重になっているガリオンにさらなる負担を追わせる事になってしまう。
夢の話なのだからどうなってもいいと言えばどうなってもいいのだが、まだ俺の中にはブレーキがかかっていた。
「私は正直……勇者様が危険な目に合うのは反対です。アルハザードは魔王の中でも特に狡猾との話ですから」
「そんなこと言ったら俺が召喚された意味がないだろ」
「……他国も勇者を召喚しておりますが、未だ魔王の元に辿りつけた者はいないようです」
その話は何度も聞いた。そもそも、他の勇者とやらが魔王を倒していたら俺が勇者である設定と矛盾してしまうだろう。
俺はその件について何も言わずに、ただ手をゆっくりと上に伸ばした。
「レビは心配性だ」
「私はもともと……争いがあまり好きではありませんから」
レビエリが腰を屈め、俺の手を取って自らの頰に当てる。朱に染まった頰。レビエリの肌は吸い付くようで、人の体温よりも僅かに低い。
接した手の平からレビエリの鼓動が伝わってくる、もしかしたら、俺の心臓の鼓動も伝わっているかもしれない。そのくらいにレビエリは可愛い。
たまに魔王なんてどうでもいいかなと思ってしまうくらいに。あー、なんでこんな子供なんだ。どうせ夢なんだったら後二つか三つ年上にしてもらえれば俺も気兼ねなかったのに……。
「将軍はなんと?」
「剣技を身につけるよりは聖剣と仲良くなれだと」
「……な、なら手始めに――私と……仲良く……しますか?」
レビエリが顔全体を真っ赤にして言う。……一体何を想像しているのだろうか。
聖剣であるせいか、長年生きているせいか、レビエリは貞操観念の薄いきらいがある。
俺はもう何度か似たようなシチュエーションで繰り返されたその言葉に、努めて冷静を装い答えた。
「……レビはもう顕現化出来ることがわかってるから」
「……勇者様は……イケずです」
……翻訳スキル仕事しすぎだろ。イケずって方言かなんかじゃなかったっけ?
多分レビエリに手を出してしまったら俺はもう戻ってこれないような気がする。まだ現実でも経験ないのに……。
レビエリは名残を惜しむかのようの俺の手の平を再度頰にこすりつけ、ゆっくりと手を離した。
「……そういえば、レビエリ達の中で一番強い聖剣は誰なんだ?」
顕現化。人型の聖剣を本来の姿に戻し、その権能を発揮する事。
次に顕現化を試みるのはフレデーラだと言っていたはずだが、今の所何のアクションもとっていないし、フレデーラの方からも特に何も言ってきていない。
顕現化を尻込みしているのは、王都の内部でそれを試みると大変な事になりそうだったからだ。何しろ、リースグラートで在れである。銀の衝撃が飛ぶのである。下手したら修練場が吹っ飛ぶぞ、あれ。
レビエリは僅かに逡巡し、しかし直ぐに答えた。
王は俺の事を考えてくれているが、レビエリもまた俺の事を考えてくれている。それが分かっているからこそ、俺はそれに報いなければならない気分にさせられる。
「時と場合によりますが……一対一ならば間違いなくトリちゃんです」
「トリエレ……か」
光真剣トリエレ。それはある意味、想定通りの答えだ。レアリティ判定で唯一Lランクに判定された聖剣の少女である。
その能力を俺はまだ詳しく知らないが、黒龍すらある意味完封したレビエリがそう言うのだ。その力は尋常ではないのだろう。
「そういえばレビは全員の顕現化を知っているのか?」
「一部だけです。聖剣が同時に戦場に現れるのは……稀ですから。ですが、光真剣のトリちゃんと孤閃剣のフィーちゃんは……ガリオン王国に由来する聖剣なので、この国では特に有名です」
「ガリオン王国に由来する……聖剣?」
「はい。ガリオン王国内で発生した聖剣という事です」
まさかそこまで深い設定があるのか。
レビエリがゲンナリしている俺に構わず言葉を続ける。
「ガリオン王国は大国ですから……他のフレちゃんやリースちゃん、アイちゃんは長い年月の間にこの国に持ち込まれた聖剣です。もともとは別の国の聖剣ですから、その能力も詳しくは――」
何やら色々事情があるらしい。人よりも遙かに長い時を生きてきたのだろう、語るレビエリの目には懐かしむような年不相応の色があった。
そこでふと気づく。かつて、黒龍討伐寸前に聖剣の皆がレビエリについて語っていた言葉を思い出しながら尋ねる。
「レビも外の国から来たのか? ……それにしてはやたらみんな恐れていたが……」
「はい、私はエルフの国出身です。私は……その……」
レビエリが頰を緩め、寂しげな微笑みを浮かべた。
「能力がとても有名なので……後、この国に来る時に長々とした注意書きも一緒に送られてて……」
あー、なんかそれ分かるわ。
無差別だもんな、レビエリの能力。どういう経緯でガリオンにいるのかは知らないが、注意書きを送った連中は正しい選択をしたと言えよう。
王都を囲む結界ももしかしたら、レビエリがきたから万が一を考えて張られた可能性すらある。エルフが張った結界だって言ってたし……考え過ぎか?
レビエリがぐっと可愛らしく拳を握り、決意を込めて言った。
「でも、大丈夫です。私のコンセプトは『平和主義』ですが、本気を出せばもっといけます。魔物とも戦えます」
「……出さんでいい、出さんでいい」
側にいてくれるだけでいい。側にいてくれるだけでいいから。
後そのコンセプト考えたやつ頭おかしいと思う。
全生物を餓死させてはい、争いなくなりました、平和になりましたよと言っているようなもんだ。おまけに無差別って……もうちょっと何とかならなかったのかよ。
「そういえば、リバー将軍の眼を両断してる傷も、聖剣に付けられたものらしいな」
「あー、そうなんですね」
知らなかったのか、レビエリが目を瞬かせる。
聖剣を相手にして生き抜く将軍が凄いというべきか、それとも軍神に傷をつけた聖剣側が凄いというべきか。
俺は正直、相手が聖剣を使ってきたら勝てる気がしない。召喚で防御力も高くなっているようだが、剣を受けても無傷なほどでもない。
将軍は……不治の聖剣を受けたといったか? まだ存在するのか誰が持っているのか知らないが、絶対に相手をしたくないもんだ……。
「えっと……何だったか……アグニムって言ってたかな。不治の傷を与える聖剣らしい。恐ろしい剣もあるもんだ」
不治の傷を与えるってどうやって作ったんだよ。衝撃飛ばす剣とか存在する以上野暮なツッコミかもしれないが、謎である。
レビエリが俺のすぐ隣に腰を下ろす。ベッドが僅かにその体重で凹む。微かにその匂いが鼻孔を掠める。ただそれだけで少しどきどきした。
「不治の傷――金閃剣アグニムですね」
「……レビ、詳しいな」
言われてみれば確かにそんな名前だった気がする。
レビエリは賢い。家事も出来て聖剣の知識もある。完璧である。かーわーいーいー。
「リースちゃんの姉妹剣ですから。と言うより、リースちゃんとその姉妹剣は数ある聖剣の中でもとても有名です」
「……ん? ……切れ味が鋭いから?」
有名。
リースグラートの切れ味は相当だったが、そのレアリティは他の聖剣と比べてそれほど高くない。
凄まじさもレビエリには一歩劣るだろう。
俺の何気ない疑問にレビエリはあっさりと答えた。さも当然であるかのような澄まし顔で。
「いえ……ちゃんと『剣の形』をしているからです」
「……ごめん、それはそれでどうかと思う」
予想外の答えだ。
ちゃんと剣の形をしているから有名ってどういうことだよ、お前ら聖『剣』だろッ!?