後日談:気静剣レビエリへの評価手帳
道具屋でちゃんと金を払って手に入れたノートを開く。
無地のノートで、何の皮かはわからなかったが、黒の皮の立派な装丁が成されている。購入に金貨を求められたので高級品なのだろう。
漆黒明竜討伐の褒美にかなりの量の金貨を貰ったので、懐には余裕があった。
討伐直後には混乱していた王都にも元の喧騒が戻っていた。壊れかけていた城壁も逐次修復が行われているが、由緒正しい結界にほつれが出ていたため、そちらは別途張り直す必要があるらしい。大変だね。
レベル上げのために森に行く必要もなくなった俺は、つかの間の休息という事で屋敷に引きこもっていた。
というよりは、王様に休めと言われたので休んでいる。屋敷を出ると、何故か護衛が付いて来て王都から外に出られない。
森の中の魔物たちの討伐は着々と進んでいるらしいとの話は聞いていた。聞いた話では、森の中の魔物はまだ――その殆どが横たわっているらしい。
種類によってはそのまま餓死しているものもいるとの事だ。
『気静剣』怖すぎる……王都の結界がなければどうなっていたか、ぞっとしない話だ。もしかしたら大魔王からの猛攻ではなく、気静剣の効果で一つの国が滅んでいたかもしれない。
誰だあんな聖剣作ったのは! もう二度と気静剣の『顕現化』は使わねえ……罪悪感半端ないし……
トリエレが言った『勇者としてやっていけなくなる』の意味がはっきりわかった。あれは英雄が使う剣じゃない。
ノートを買ってきたのは、アインテールが言っていた言葉を思い出したからだ。
『私達は……勇者を評価している』
どうも彼女たち、俺への評価をノートにしたためているらしい。
黒竜討伐が終わった後に、レビエリが何かこそこそ書いていたので問い詰めた際に判明した事だ。勿論中身は見せてもらえなかったが、ならばこちらも、という事でノートを買ってきたのであった。
といっても、俺と長い付き合いが有るのはレビエリくらいで、他の聖剣についてはせいぜい何度か会話した程度だ。
持っている情報も、せいぜいチーズケーキが好きな事とある程度の性格ぐらいでその他の情報は何も知らない。
だが、それでも書ける事はあるだろう。
すっかり慣れてしまった屋敷の中。使用人達は勿論いるが、一人の少女がいなくなっただけでやはりどこか趣きが違うように感じられた。
まるで企み事でもするかのように足音を潜めて階段を上り、自室に入るとしっかり内側から鍵を掛けた。
ここまでやる意味はないかもしれないが、気分的な問題だ。
一度深呼吸をすると、マホガニーだか何だか知らんが重厚な趣きのあるデスクにそれを置き、椅子に腰を掛けた。
ページを開くと、真っ先に一ページ目にレビエリと記載した。少し考え、その下に気静剣と追記する。首を傾げてその下に『盾』と記載した。だって盾だし。
だが、これを果たして評価と呼べるのか。これでは唯の事実を書き連ねているだけだ。
さて、何を書こうか。皆は俺の評価をどう付けているのだろうか。
ノートを前に、レビエリの事を想う。
レビエリは既にこの屋敷にはいない。竜を倒した翌日から、彼女は宝物庫に戻っている。
もともとの趣旨からして、聖剣の資質と相性を見極めるために一緒に活動していたのだ。
『
それをしてしまうと最終的に六人連れ歩かなきゃいけなくなりそうだから。あのクラスの武器をそんな連れて行くとか……世界征服でもするつもりか……
一人っきりの屋敷は思った以上に広い。
この世の者とは思えぬ美しい少女――しかも家事だのなんだの何かとやってくれる――がいなくなって、ほっとしたような残念なような複雑な思いだった。ついでに好感度レベルとやらが100になってからは時を選ばず常に好意を振りまいてきていたのだから、この喪失感も仕方がないのだろう。あのまま何日も一緒にいたら、俺は手を出さずにいられる自信がない。
だって……ねぇ?
いつの間にか手は再度動き出していた。レビエリの事ならば、いくらでも書けるのだ。
どうせ彼女に見せるつもりもないし、思うままに書いてしまっていいだろう。気恥ずかしいが。
まず一番目の項目。
顔。
評価基準はどうするか……レアリティ判定と同じでいいか。
俺は躊躇いなくそこに『L』の文字を書いた。俺はレビエリの顔が大好きである。一番好きである。もう好きで好きで仕方ない。笑っても泣いても寝てても起きててもドキドキするのだ。最近慣れてきたが……
間違いなく最上級である。恐らく今後も彼女以上に美しい少女に出会うことはないだろう。後は苛烈でロマンチックじゃなく、そしてついでに夢でなければ完璧なんだが、文句は言うまい。
次の項目。身体。
身体……身体、ねぇ。顔程は好きじゃない。変な言い方だが、体系、とでも言い換えようか。嫌いではない、嫌いではないのだが……胸が少し……
何より、彼女は俺の好みから言うと若干年齢が下なのだ。多分この悩みが解消される事はないだろう。聖剣が歳を取るとは思えないし。
しかし、余りにも高くしすぎると次の聖剣を評価する時に困るな……インフレしてしまう。顔はこれ以上ないだろうと思ったので最上にしたが……
首を傾げてとりあえずSと付けた。決して悪いと思っているわけではないのだから、こんなものだろう。
次は……性格。
性格……かぁ。悩みどころだ。
「うーむ……」
悪いかどうかの二択で言うと間違いなく悪くない。
多少引っ込み思案の帰来はあるが、気遣いもできるし何より優しい。大和撫子とでも言うべきか、と以前の俺ならば答えていただろう。
苛烈でロマンチックが足されなければ、だ。
あれは既存の価値観をぶち壊す程に衝撃だった。
何より手段の選ばなさが恐ろしい。聖剣仲間脅すか? 普通。
今は味方だからいいが、敵になった時を考えると……俺は彼女が敵として現れたら真っ先に殺さなくてはならないだろう。性能も脅威だが何よりその性格が脅威なのだ。
別に今でも嫌いではないのだが……うん。
性格の項目にSSと書く。
その下に優しく思いやりがあるが多少暴走癖があり――詳細は控えさせていただこうか。
次々と首をかしげながら項目を考え、その結果を記載していく。
時には評価だけでなくその詳細も。
一行一行記載するたびに思い出が蘇って、書き終える頃には一時間以上経っていた。
鏡を見ると、にやけている自分の表情が映っている。こんなの見られたら恥ずかしすぎるな。
ノートを閉じると、サイドテーブルの引き出しの中に閉まった。
残りの聖剣達の分はまた今度にしよう。
考えていたら久しぶりに彼女たちに会いたくなってきた。宝物庫にでも行ってみようかな。
しかし……俺も大概にこの夢に毒されているという事だろうか。
悪夢だか良夢だかまだ判断が付かないが――
夢幻は未だ――覚める気配がない。
*****
これはきっと試練だ。
レビエリは目の前にいる五人の少女たちに眼で訴えた。涙の滲んだ視線はしかし、聖剣の少女たちには通じない。
「……な、何で、私が交代しないと、いけないんです、か?」
「それがルールだから」
アインテールがばっさりとその哀願を切り捨てる。
勇者候補というのはそうそうに出てくるものではなく、そして聖剣の担い手になりうる者というのはそれ以上に少ない。召喚とは大量の魔力を使う術式だし、現地人の勇者は召喚時に自動的にスキルの付与と身体能力の強化が行われる異世界の勇者とは異なり、人類最高級の才能が必要とされる。
担い手としての条件は個々人の任意だが、聖剣にだってプライドがある。
担い手の余りの現れなさに、無法者に使われている聖剣まであるくらいに、その機会というものは見逃せないものだった。
勇者候補且つ聖剣の担い手として王国に許された者。
彼女達にとって理想の担い手に使われる事は至上の喜びで、さらにその力が世界のためになるともなれば、聖剣達は『選ぶ側』ではなくなる。
ガリオン王国の召喚の質は低い。今までろくでもない人間が勇者として召喚されたのを、レビエリ達は見てきた。聖剣へのお目通りまで行かなかった者の数を考えると実際に召喚された者はそれ以上だろう。そこから考えると、今回は若干無鉄砲ではあるが、大当たりだった。
「き、きっと、勇者様は……私を、選んでくれ、ます」
「そんなの関係ないんだって、レビちゃんさぁ。大体……知ってたから長引かせたんだよねぇ? どうにもならないのに」
トリエレが仰向けになったままレビエリを詰る。
他の聖剣達については、その視線は同情的だ。だが、それでも――許容できない事もある。
トリエレが笑顔のままで
「初めてだもんねぇ? 私達『全員』を連れて行っていい、なんて王が認める勇者様が出たの。くすくすくす、でも、まさかレビちゃんがそんなに――担い手を待ち焦がれていただなんて知らなかったかなぁ……そんなに独り占めしたかったの? そんなに良かったの? ねぇねぇ、トリに教えてよう?」
「トリ! 貴方ちょっと――黙りなさい。まずはレビの意見を聞くって決めたでしょ?」
フィオーレがトリエレを窘める。
宝物庫には聖剣達しかいない。番人も滅多な事では入ってこないし、宝物庫内は密室。魔術的な襲撃対策に各種の結界も張り巡らされている鉄壁の箱だ。
その中で、トリエレだけが問い詰める。
「やだなあ、フィーちゃん。断罪しないだけ……トリは我慢してるよぅ? お兄ちゃんの、勇者様の、『たかが』銀衝剣程度の聖剣で上位竜を殺戮してみせた英雄きっての頼みだから――トリの
「……トリちゃん……相変わらず酷いね……えへへ、でも、なんか懐かしいなぁ」
隣で正座をしているのは長年担い手がおらず力を失い、極最近、魔物の討伐に使われる事で自我を取り戻した聖剣、リースグラート。
自我のない間の記憶は殆どないらしく、なじられているのに嬉しそうにしているリースグラートをフィオーレが呆れたように見ている。
フレデーラが淀んだ空気を吹き飛ばすべく明るい声をあげた。
「……ま、まぁ、気持ちはわからないでもないから……あいつの意志もあるわけだし、リセットしましょ? ね? 今までの事は忘れて」
「……っ……あ……や……いや、です……私、勇者様と、一緒に――」
「……別に、少しの間離れるだけ。勇者は全ての聖剣の所持を許されている」
アインテールの説得に、レビエリはしかし涙を零しながら首を横にする。
話し合いは、いたちごっこだ。
レビエリは既に協定を侵している。その時点でレビエリには正義はない。その時点でレビエリが引かなければ進みようがない状態になっていた。
そして、そこには断罪の剣が、真実を詳らかにする聖剣――光真剣がある。
「レビちゃんはさぁ、置いてかれるのが怖いんだよねぇ? レビちゃんの力は――場所を選びすぎるから。今回は偶然うまくいったけど、レビちゃんよりは銀衝剣――リースちゃんの方がまだ全然使いやすいもんねえ?」
気静剣の力は強大だ。だが、それだけに弱点も多い。いや、弱点というよりも――使いづらい。
単体では攻撃できない。
味方がいると使えない。
街があっても使えない。
広範囲過ぎて余計な場所まで力を及ばせてしまう。
苛烈を体現するかのような無差別な権能。
十年前、ガーデングルの森で使用した際は魔物も味方も守るべき者の気も無差別に静めてしまった。森中動くものがいなくなった。ガーデングルの悪夢の伝説は未だ現地でまことしやかに囁かれている。
それは強力すぎる聖剣達の中でも突出して使いづらい権能だ。
いくら強力な武装があっても、一人で戦い続けるのは至難。どのような勇者でも、いつかその力に見合った仲間を見つけるだろう。その時、気静剣の権能は完全に役に立たなくなる。
「きっと他の聖剣の力を知ったら――お兄ちゃんはレビちゃんを捨てるよ。今だったらまだ――お兄ちゃんが私達の権能を知らない今ならまだ、目があるかもしれないけど」
「……」
「ほら、今考えた。レビちゃん、今考えたよね? トリや、アイちゃんや、フレちゃんや、フィーちゃんや、リースちゃんを『どうにか』すれば、ずっと一緒にいられるんじゃないかって? 考えたよね? 担い手がいない状態で活性している聖剣を静める程の力が使えないって事は自分が一番知っているはずなのに――『考えた』」
「……いや……ち、ちが……」
その回答に、トリエレがうつ伏せに転がった。
鋭い金の瞳が爛々とレビエリを貫く。
「……レビちゃん。レビちゃんが何を考えてもいいけど……次に『嘘』ついたら壊すから。トリの全存在に賭けて、どこに逃げても……ぶっ壊してやる」
「……ひっ……」
レビエリが一歩後退る。それを、フレデーラが優しく受け止めた。
背中から抱きしめる。腕を前に回し、耳元で落ち着く声で囁いた。
「レビ、大丈夫……冗談。トリの言葉はただの冗談、よ。大体、その程度では捨てられないと理解したから、気静剣が認めた。違うの?」
「……ぁ……そ、そう、です」
レビエリが必死に、まるでここに居ない人に伝えるかのように頷く。
フレデーラはその様子を微笑んだ状態で見ていた。
不満気に、トリエレがそれを見上げる。
「フレちゃんさ、なんかレビちゃんに甘いよねぇ」
「そうね。悪い? トリがいじめるのが悪いと思うんだけど」
「トリ、いじめてなんかないよぉ。全部真実だよう?」
「でも、そう答えるように『誘導』している。……違う?」
「それが……真実だから、それはしょうがないよう。トリだってできれば――レビちゃんと仲良くしたいと思ってるんだからぁ!」
長い髪をいじりながら話を聞いていたフィオーレが驚きに目を見開いてトリエレを見る。
光真剣が虚言を弄する事は――まず、ありえない。
フレデーラとアインテールもまた、予想外のものでも見たかのようにトリエレの笑顔を探る。
だが、一番驚いていたのは、散々問い詰められていたレビエリだった。
真っ赤に腫れた目。視線を受けて、トリエレが困ったように呟く。
「……酷いなぁ。レビちゃん今さぁ、『光真剣』が趣旨替えしたんじゃないかって疑ったでしょ? してないよう! これはトリの――本心だよお! いちいちレビちゃんの考えって『苛烈』なんだよねえ」
「……それ、は……ごめんな、さい」
「まぁ、いいけどねぇ。――今のは嘘じゃなかったみたいだし」
威圧を緩めて、再び寝返りを打つ。
頻繁に寝返りを打っていたせいでしわくちゃになったドレスを、レビエリはぼんやりと見ていた。
「……でも、結局協定は破れない。気静剣の
「わ、私は別に――レビと二人でついてもいいけど……?」
「駄目。それでは正しく勇者を――測れない。フレは一人で行くべき」
即座にアインテールがその提案を却下する。
その様子を、トリエレがくすくす笑いながら見ている。レビエリの敵は多い。
「くすくすくす、でも、トリよりもアイちゃんを説得する方が大変だよねぇ。トリはまだ『ルール違反』には寛容だけど、アイちゃんは容赦しないから」
「当たり前。レビ、数週間待てないなら、全てが終わるまで私が貴方を――止めてあげる」
「え……それ、って――」
アインテールの提案に、一瞬レビエリが迷う。
「あ、それもいい方法かもねぇ。お兄ちゃんもレビちゃんが邪魔しない間に存分に他の子を存分に試せるわけだし……」
「!? や……そ、れは……嫌、です……」
「……トリ、貴方引っ掻き回そうとしているの?」
「えぇ……酷い! アイちゃんがちゃんと『注意事項』言わないのが悪いんだよ? ……氷止剣が……だますような真似、するわけ無いと思ってるけどねぇ……でも、アイちゃんも溜まってるだろう……し……」
凍りつくようなアインテールの視線が、笑顔のまま停止するトリエレからレビエリの方に向く。
誰も何も言わなかった。
何事もなかったかのようにアインテールが続ける。
「……で、どうする?」
「ど、どうするって――レビ、どうしても宝物庫に戻りたくないの?」
「戻りたく……ない……です……お屋敷に、帰りたい……勇者様に、逢いたい……」
「屋敷に帰る……ね」
フレデーラが深い溜息をついた。短い間に随分と気に入ったようだ。
一体何があったらこうなるのか、フレデーラにはさっぱりわからなかったが、友人がそこまで言うのならばフレデーラとしても一肌脱ぐしかない。
「なら……こうしない? ルールの変更。勇者様がその娘の事を評価したならば――戻ってきて欲しいと願うのならば、戻ってもいい事にしましょう。ただし、戻っても『聖剣』としての能力は使わない、評価者の評価の邪魔をしない、勇者様の――役に立つ、という条件で」
それはつまり、ただ一人の人格として、戻ってきて欲しいと願われた場合のみ、帰還が許されるというルール。聖剣側が選ばれる方になる、という事。
レビエリがその意味に喉を一度鳴らす。条件は困難だ。一番目と二番目はともかく、三番目の達成は難しい。
ただし、もしその三つの条件を満たしてそして、勇者に求められたのならばそれは――素晴らしい気持ちになれるだろう。
それだけの絆を育んできた自信が、レビエリにはあった。だがしかし、勇者にそれを直接確認したわけではない。
アインテールもフィオーレもリースグラートも特に異論がないようだ。
レビエリはその三人に向かって、ゆっくりと、しかしはっきりと頷いた。
その気持ちが担い手に伝わっている事、それだけを願って。