<< 前へ次へ >>  更新
13/47

第十二話:気静剣レビエリ⑨

 今にも折れそうな身体。倒れてしまいそうな表情。


 苛烈で、えげつなく、そして――可憐。


「レビ……手紙を、見たのか……」


「どう……して……ここに来てしまったんですか」


 レビエリの頬に雫が垂れる。ここ数日は見ることのなかったレビエリの泣き顔。

 戦慄く声は、狼狽の声は、しかしやはり鈴の音を転がすかのように美しい。

 ほんの少しの物音で掻き消えそうな声にも、もう慣れていた。


「……あと少し、あと少しだけ付き合ってくれると言ったのに……」


「くすくすくす、レビちゃんさぁ……レビちゃんって、『我儘』だよねぇ。いくら『気に入った』からって、仮にも召喚された勇者に嘘をつくなんて……私でも出来ないよぉ……」


 気に……入った?

 それは俺にとって予想外の言葉だった。


 トリエレが床に寝そべった状態でレビエリを見上げる。しかし、口元は微笑んでいるが、その眼には温かみと言ったものが何一つない。

 普段の彼女とは――まるで別人。憑かれているかのような笑顔。


 びりびりと張り詰める空気。魔物から受けた殺意と比べてすら圧倒的な――身も凍るような威圧。

 言葉と感情が伴わないそれは――害意と呼べるものに間違いない。


 自らを遥かに超えるレアリティ。Lランクの聖剣の害意を受けてさえ、直接向けられたわけじゃない俺が屈しそうになる程の視線を受けてさえ、レビエリの態度は変わらない。

 今にも砕け散ってしまいそうな硝子のように透明で繊細でそして――強固。


 フレデーラが慌てたように口を開く。

 アインテールが暗い表情でレビエリを見て、唇を動かす。

 フィオーレがトリエレを両腕で掴み、焦った様子で叫んだ。


 ――強い甘い香りが辺りに漂った


 嗅ぎ慣れた香り。しかし、ここ最近ではなかった、意味不明、理解不可能、不可思議な力。

 フレデーラの、アインテールの、フィオーレの、口が動いているのに声が出ない。これは……俺だけの現象じゃなかったのか。

 かつて俺が囚われた不思議な現象が全員が口を開くことを許さない。


 そんな中、たった一人の叫びがそれを切り裂いた。

 フィオーレに拘束されているトリエレがその静寂を切り裂くような甲高い声で叫ぶ。


「大体さぁ、それ、ずるいよね! レビちゃんの『不変(シレンティウム)()聖域(ヒストリア)』! 人の意見を聞くつもりもないって感じでさぁ、トリ、気に食わないかなぁ! 滅多に使わなかったし、コミュニケーションの一つだと思って許容してたけど、最近使いすぎだよぉ! レビちゃん、真実の光の剣――虚偽を許せない『光真剣』のトリに、喧嘩でも売ってるの!?」


 初めて会った時の姿からは想像もつかなかったトリエレの叫び。

 声。弾劾するような声だけで壁にぴしりとヒビが入る。

 いつも無邪気で何も考えていないように見えたトリエレの感情の励起。ただそれだけで、王城で最も頑丈なはずの宝物庫が揺らぐ。


「違ッ……わ、私は、ただ、ちょっとだけ……あとちょっとだけ……勇者様を――ッ!!」


「あ、レビ――」


 レビエリの言葉に気を取られた極僅かな隙に、レビエリはその身を翻した。パーカーの裾がさよならでも言うみたいにひらりと揺れる。

 追いかけようとする俺の腕をアインテールが掴んだ。


「トリ! ちょ、やめなさい! 仲間を殺すつもり!?」


「え? 仲間? 嘘つくのは――仲間じゃないよぉ! ましてや、私達だけならばともかく、……聖剣の担い手になりうる勇者様にまで嘘をつくなんて、ほんっとうに、信じられない!」


 声が出るようになったのか、フィオーレが必死にトリエレを説得している。

 いや、あの不思議な現象それ自体が――レビエリの力だったのか。ただのご都合主義だと思ってた。


 心中でフィオーレに感謝する。何をされようが嘘をつかれようが、俺はレビエリを――殺させたくない。


 意識が朦朧としていた。まさに夢でも見ていたかのよう。化かされていたかのよう。

 ……てか……ひっでえオチ。笑おうとして失敗した。

 いくらなんでも……たとえ夢でも、笑えそうにない。


「勇者……あれが、気静剣『レビエリ』。あらゆる手段を使い自らの意志を貫き通す苛烈なる聖剣。レビはいつだって弱いように見えるけど……メーターを振り切るとなんだってやる」


「……どうしたらいい?」


「どうしたい?」


 即座に返される言葉。


 どうした……い?


 どうしたい? 

 俺の意志を聞いているのか? 

 俺の意志を通していいのか?


 フレデーラを、アインテールを、トリエレを、フィオーレを見る。

 皆が皆……いや、トリエレだけは不満気に頷いた。


「……まぁ、お兄ちゃんは勇者様だし……どうしてもっていうなら『半殺し』で許してあげてもいいかなぁ……」


 俺はその瞬間、初めて、自分が勇者であった事に感謝した。自身に与えられた影響力に感謝した。

 フレデーラが弁解するように首を振る。


「……レビも悪い娘じゃないのよ。ちょっとばかり……やり過ぎなだけで……」


 悪い娘じゃない?

 そんなの言われるまでもなく――知っている。俺はこの三週間弱、彼女と行動を共にしているのだから。

 だから俺は――


「でも、気静剣は注意した方がいい。彼女は顕現化(マテリアライズ)しなくても一部の能力を使えるし、その権能を使うことに躊躇いがないから……もしかしたら、魔王よりも厄介」


 ……おいおい。

 魔王よりも厄介って、本当にどんな力なんだよッ!


 でも安心してくれ。きっと、それは俺には向けられる事はないはずだ。


「……ああいうの、ヤンデレっていうのよ、ヤンデレって! 怖い怖い。いつも大人しい子は加減を知らないから……」


 おい、フィオーレ。

 お前はどこからそういう単語を覚えてくるんだ。


「お兄ちゃん、レビちゃんはねぇ、こういう事をする子なんだよぉ? もしお兄ちゃんがレビちゃんの処分を望むのなら……私を『顕現化』する事を認めてあげてもいいよぉ? レビちゃんはすっごい防御力高いけど、いくら硬くても――私ならば間違いなく痛み一つ感じる間もなく破壊してあげられるよぉ?」


「……余計なお世話だ」


 いつの間に取ったのか、トリエレの手には俺の腰にあった魔法剣が握られている。

 至近距離からその剣を見たフィオーレの表情が引きつった。


 トリエレが愛おしげに、しかし杜撰な所作で剣を撫でる。


「……リースちゃん、可哀想……」


「……可哀……想?」


 トリエレがにこにこ笑いながら白銀の剣身を灯りに透かす。


「リースちゃんさぁ、お兄ちゃんが沢山、魔物を倒したおかげで、レベルが上って『聖剣』としての人格を取り戻せる程度の力は溜まっているのに――レビちゃんに封じられているみたい。くすくすくす、よっぽど……邪魔だったのかなぁ?」


「……え!?」


 アインテールの表情がまるで凍りついたように引きつった。

 珍しいものを見た気がする。手段を選ばない、の意味がはっきりと実感できた。


 あんな気弱な表情の裏で虚言を弄し、仲間まで犠牲するとは、確かに……『苛烈』だ。いや、苛烈とかそういうレベルではない。どちらかと言うと――『悪辣』

 自身の表情が引きつるのを感じる。剣がたびたび震えたのを思い出す。そりゃ震えもするわ。


「気静剣は攻撃力ではなく、その全ての力を攻撃『以外』に振っている。レビの権能は私達と……噛み合わない」


「んー、さすがにトリの力じゃこの封印は解けないかなぁ。『気静』剣……面倒くさいよう。……お兄ちゃんさぁ、レビちゃんにこれちゃんと解いてもらってね? その神性を失う程に担い手が現れなかった聖剣とは言え、弱っちい聖剣とは言え、いちおうトリ達の仲間なんだから」


 辛辣な言葉と共にリースグラートが返される。それを丁寧に鞘に治める。

 震える剣は確かに、自らを解放しろと騒いでいるかのようだ。


 ……こうして言われてみると、確かに普通の剣じゃないんだよなあ……


 覚悟を決める。彼女はきっと待っているはずだ。


「……じゃあ、ちょっと話してくるよ」


 そうだ。会いに行け。三週間前、部屋に閉じこもっていたレビエリと会話した時のように。

 まだ彼女は大きな被害を出していない。一本の剣を封印し、ただ俺に嘘をついただけ。

 魔王の討伐が遅れるという意味ではある意味大きな被害ではあるかもしれないが、そんな事……知ったことか。


 何なら俺が倍の時間働いて、魔物を殺し尽くしてさっさと魔王とやらを討伐してやるよ。


「頑張ってねぇ? まぁ、勇者様なら……大丈夫かなぁ。待ってるよぉ? 次の聖剣は……フレちゃんの番だからねぇ?」


「ああ、わかった」


 駆ける。レビエリの居場所に心当たりがあった。


 楽勝だ。そう、難しい事じゃない。

 たった三週間とは言え、様々な面で彼女には助けられてきた。

 レビエリが某かの考えを持ってそれを成したのならば、俺はそれを聞き、彼女の納得の行く形で終わらせるだけだ。

 魔物を何十、何百体倒すよりも遥かに楽なお仕事。

 ただし、それが本当に勇者の仕事かというと疑問が――


 ――いや。自らの言葉を否定する。

 人を救うのが、世界を救う事こそが勇者の仕事だろう。ならば、きっとレビエリを救う事も俺の重要な仕事であるに違いない。

 いや、そうじゃない。それこそが最重要だ。優先順位を誤ってはならない。そうでないと俺はきっと――後悔する事になるだろう。


 宝物庫の扉を開けようとした瞬間、外から扉が開く。


「っ!?」


 ぶつかりそうになった人影をギリギリで躱す。

 入ってきたのは白銀の全身鎧を纏った兵士――この宝物庫の番をしている精鋭の兵士だ。

 頭部のみヘルムもなく、顎鬚を生やした強面の男が真っ青な表情をこちらに向けている。

 尋常じゃない雰囲気。


「勇者殿! た、大変です――西門に魔物が集結していて――」


「……は?」


 西門。

 いつも俺たちが行く森のある方向だ。


 魔物が集結? 


 ここ最近通った経験から言うと、魔物は森の中からは出ないはず――


「今まで森を縄張りにしていた魔物よりも――遥かに強力な魔物が!! 如何に強力な城壁と結界に守られているとは言え、いつ破られるかわかりません! すぐに向かってください!」


「……くそっ!!」


 どういう事だ? 何故こんなタイミングでそんなイレギュラーが――


 いや、違うな。これは……そう、きっとイベントだ。そういうストーリーなのだ。

 唇を噛みしめる。どうしたものか。いや、迷うまでもない。顔を上げた。


 ならば俺はイベントをこなすだけだ。

<< 前へ次へ >>目次  更新