誇れるものを(sideレティ)
アーユの案内でたどり着いたのは、廃墟街の中央に位置する場所。
崩れ落ちた建物や何かの残骸に囲まれたそのなかに、ぽつんと朽ち残った二階建ての建物。
元は何であったのか。煉瓦さえ色褪せこぼれはじめた今ではわからないけれど、その建物の尖塔にある屋根のしたに、溢れるようにして作られた蜂の巣が、少し離れたこの位置からも見て取れた。
「ずいぶん、大きいのね」
わたくしのつぶやきに、アーユが手元の冊子を開いて頷く。
「森などの環境下では、殺人蜂の巣にたまった蜜を狙ってほかの魔物が寄ってくるらしく。ある程度の大きさになれば破壊されるらしいのですが」
「ここでは壊す者がいないせいで、際限なく大きくなっているということね」
見上げた建物の屋根部分だけでなく、二階の煉瓦が落ちた壁部分にも巣のまだら色が見える。
アーユの説明では、建物の一階部分までもすっかり巣で埋め尽くされているということだけれど。
(疑うつもりはないけれど、信じたくないものね……)
離れた位置にある木の板のしたに隠れたわたくしたちの頭上を殺人蜂が飛んでいく。
すこし離れたこの場所にまでうなるような羽音が響いてくるのだから、建物のなかにはどれだけの蜂がいるのか、考えたくも無いわね。
「それで? あなたの策はどんなものかしら、参謀さん」
参謀、と呼んで見上げればアーユは驚いたように目を丸くしていたけれど、すぐに口の端をあげて笑った。
(はじめて見る顔……粗野だけれど、嫌いじゃ無いわ)
ドキン、と高鳴る心臓の音は、蜂の羽音がかき消してくれたと思いたい。
「あなたの参謀になれるなら、光栄です」
言って、アーユは背負ってきた荷袋のくちを開いて、なにかを引っ張り出した。
「これは……網? それも紡ぎ蜘蛛の糸の」
「はい。商店から糸の切れ端をもらってきては、地域の住民みなで編んで作りました」
手作りです、と笑うアーユの笑顔は少年のようで、また新しい彼の表情にわたくしの鼓動が忙しない。
(これしきのことで動揺するなんて、鍛錬が足りなくてよレティ! ……けれど、見上げるほどの背丈の立派な男性なのに、笑顔は無防備だなんて)
わたくしの葛藤をよそに、アーユはずるずると網を引き出していく。
紡ぎ蜘蛛の糸は軽くて丈夫だからと、騎士の服にも好んで使われる。けれど、これほど大きな網を作るだなんて。
「この網を投擲具に結びつけて、建物を丸ごと覆います。そのうえで蜂の巣を煙で燻せば」
荷袋の底からアーユが取り出したのは、乾燥した草の束。騎士科の演習でも使ったことのある、虫除け草だ。
(高価なものではないけれど、干した草の束が山になるほど集めるのは大変だったのではないかしら)
そう思うと、ある考えがふと浮かぶ。
「アーユ、あなたこれ、いつから用意をしていたのかしら」
「……一年ほど前から、ですね」
視線を宙に泳がせたアーユが、恥じらうように続ける。
「お恥ずかしい話、私どもは生活に余裕がなく討伐隊を雇うこともできません。ならばせめて建物の窓を塞ぐなりしようと思ったのが、はじまりです」
一年前。そのころ、わたくしは剣の稽古に勤しんでいたわ。
日々の暮らしを世話されて、お父さまやお母さまが用意してくれる物を当たり前のように受け取り「来年には学院に入学するのね」などと用意された未来を当たり前に思っていた。
「そのあと、とある方が学院に入らないか、と声をかけてくださって。学院で殺人蜂の情報を集めたところ、包囲網を作ろうと」
学院内で会うアーユはいつでも落ち着きがあり、頼り甲斐のあるバディだった。
その落ち着きの裏で彼が情報集めをしていたなんて、網を編んでいたなんて知らなかった。
けれど、それよりも気にかかったのは別の箇所。
「とある方、というのは」
「ご隠居さま、としか聞かされていません。廃墟街に迷い込んでらしたのを道案内した縁で、私が入学試験を受けられるように手を尽くしてくださって」
おだやかな笑顔で語るアーユに、学院の生徒たちが口にする噂がちらつく。
わたくしだって彼とともにおだやかに微笑めたらどんなにか幸せだろう、と思えば、尋ねていた。
「手を尽くした、その内容を具体的に聞いても良いかしら?」
踏み込んだ。
これまで、騎士科のいち学院生と文官科のいち学院生同士のバディとして、適度な距離を保ってきたそこから、一歩踏み込んだ。
(心臓が痛い……お父さまと登城したときだって、こんなに緊張しなかったのに)
アーユの反応が怖くて、けれど見逃すのはもっと怖くて、わたくしは息をつめて彼の一挙手一投足を見守る。
あなたを信じている。信じているからこそ、アーユの口から本当のことを聞いておきたいの。
「ご隠居さまは」
ゆったりと話しはじめた彼は、わたくしの問いかけに何を思っているのかしら。
見上げたきれいなつくり笑顔からは、感情が読み取れない。
「私にチャンスをくれました。入学試験までの日々、給金を支払いながらお側に置いてくださったのです」
語り出したアーユに、どんな内容であっても受け止めて、後世に判断しようと心に決めて続きを待つ。
「……」
じっとアーユの目を見つめて続きを待っていれば、彼はにこりと笑って首をかしげる。
きれいな笑顔のまま、彼がくれるのは沈黙だけ。
「……? あの、レティさま?」
「……それだけ?」
「は?」
困ったように名を呼ばれて、わたくしは問い返す。
「力添えとは、雇ってもらったことだけなの?」
「はあ、いえ、休憩時間にはお屋敷の蔵書を自由に手に取ることをお許しくださり、ご自身や執事の方の手が空いた際には試験に必要な知識を教えてくださいました」
「蔵書……知識……」
言われて、はじめて気がついた。
わたくしのそばに当たり前にあった本は、きっとアーユからすれば高価なもの。
試験の知識も貴族ならば当然、身につけているものであってもアーユは一年足らずでそれを頭に入れたのだということ。
(わたくし、思っていた以上に世間知らずだったのだわ)
わたくしの沈黙をどうとったのか、アーユがふと自身を見下ろして服の裾をつまむ。
「制服も、背丈に合うものを作ってくださいました」
私は中古で良いと言ったのですが、とアーユは言うけれど。
学院の制服に中古品などあるのかしら。
わたくし、そんなことも知らないわ。いいえ、気にしたことがなかった。
「学費に関しても心配するなとおっしゃっていただいたのですが、そこはどうにか成績優秀者の学費免除を取ることができたので。何から何まで甘えることにならず、ほっとしています」
そう言えば、アーユは文官科の成績優秀者だった。
レティもまた騎士科の成績優秀者であるから、真面目に勉学に励むバディを誇らしく思っていたけれど。
(学ぶ環境に恵まれたわたくしと、日々の暮らしも自身で世話しなければならない彼にとっての成績上位が、同じものであるとは思えないわ)