誇れるものを(side アーユ)
レティに婚約者がいないとは知らなかった。
うれしさについ緩んだ顔は、しかし続いたレティのことばに凍りつく。
(強者であれ……って、なんだよ!? 騎士が認める強さなんざ、庶民が持つわけねえだろ! 俺は非力な文官科の学院生だぞ!?)
抱えた剣が重さを増した気がした。
レティが、騎士を志す彼女が振り回す剣を抱えるのが精一杯の俺が、強さを示せることなんて……。
「レティさま。お召し替えをしていただけますか」
「え?」
目を丸くするお嬢さまのとなり、ヴェーダにも声をかける。
「ヴェーダ、お前の服でいちばん丈夫な、汚れが目立たないやつを貸してくれ」
「いいけど。アーユ、何する気?」
「廃墟街に行く」
俺の宣言にヴェーダは「そっか、お姫さまは騎士さまだ!」と声をあげ、レティはきょとんと首をかしげた。
「お嬢さま、移動しましょう。ヴェーダ、入口で待ってるから着替えを頼む」
「はいはーい」
ヴェーダが軽い返事とともにひらりと背を向け駆けていった。
レティは戸惑うように俺を見上げてくる。
「あの、アーユ? 急にどうしたの」
「歩きながら話します。と、その前に」
案内のため、先に立って歩きはじめたのはいいけれど、ひとつ確認するのを忘れていた。
「レティさまは虫に忌避感がございますか」
「虫、ですか」
今日までバディとして過ごすなかで、虫が接近したことは何度かあった。
そのたび、よそのご令嬢やご子息どもはわーきゃー騒いでいたが、レティが騒ぎ立てた記憶はない。
「毒虫でなければ、とくに忌避する必要もないでしょう?」
「では、人に有害な毒虫が向かってきたとしたら」
「駆除いたしますわ。人を守るために戦う騎士が、わたくしの目指すところですもの」
確認のための問いに返ってきたのは、期待以上の答え。
思わずかぶった猫がはがれかけて、口の端が吊り上がりそうになるのを根性で押さえ込む。
「では殺人蜂の討伐も、問題ありませんね?」
※※※※※
「殺人蜂はその名の通り、蜂の魔物です。成虫は人の子ほどの大きさがあり、その毒針もまた短剣くらいの太さを有します。刺されるだけでも重傷を負いますが、失血死する前に毒針から注入される毒で絶命するでしょう」
ひと気のない通りを足早に進みながら告げる。
ちらりと振り返れば、剣を背負ったレティが息も乱さずついてくる。
粗末な(って言うとヴェーダにめちゃめちゃに怒られるから言わないが)シャツに砂色のズボンをサスペンダーで下げ、暗色のジャケットを羽織ったレティは髪をひとつに括りながら頷いた。
「討伐対象として、話に聞いたことがあるわ。王都の外、森のなかなどに巣を作るという話だったけれど」
「蜂ですからね。ひと気のない場所、例えば私どもの暮らす貧民街にも巣は作られます。作りはじめの巣は簡単に壊せますし、幼虫であれば危険もないので庶民でも退治できるのですが」
俺の説明に真剣に耳を傾けてくれるレティに、つい顔がゆるむ。そんな場合じゃないっていうのに。
「廃墟街はことば通り、貧民すら住まなくなった場所ですから。知らぬ間に作られた巣が大きくなって、手に負えなくなっているのです。定期的に煙を発生させて居住区に蜂が寄らないよう、対策してはいるのですが」
「巣が残っていては、きりが無いわね」
苦い顔のレティは「騎士団は何をしているのかしら」とぼやいている。
告げようかどうしようか迷って視線を泳がせる俺の目を見て、レティが眉間にしわを寄せた。
「教えてちょうだい。わたくしはどんな事実であろうと、受け止めるわ」
後ろめたいことなどない。けれど、彼女の強くまっすぐな視線に射抜かれたまま話すことはできなくて。俺は前を向いて口を開く。
「……騎士団は、貧民街で起こることにはあまり手を貸してくれません。殺人など、一般市民にも影響のある事象であれば動いてくれますが」
「そんな! アーユも、あなたがた庶民も同じ国民に変わりないというのに!」
予想通りの彼女の反応が、うれしいような心苦しいような。
知らずに生きていれば、疑問を抱くこともなく高潔な騎士でいられただろうに。
俺みたいな庶民が学院に紛れ込んでいたせいで、レティは知らなくて良かったこの国の不平等に気づいてしまった。
清く正しい彼女はきっとそのことに胸を痛めるだろうとわかっていたのに伝えたのは、俺の甘えだ。
「……アーユ、あなたならば理由をつけて騎士団に蜂の巣の駆除を申し出ることができたのではなくて?」
「私、なら?」
「殺人蜂の危険性、飛行距離や活動範囲といった情報をまとめて、商業区や貴族街にも危険が及ぶことを伝えたならば、騎士団が動く可能性もあるでしょう」
レティからの同情が欲しくて黙っていられなかった俺の甘えを、彼女自身が打ち砕く。
「それ、は……しかし、私はただの庶民です。それも、貧民街に住んでいる。学院に在籍して魔物の情報を得られる立場にあるとはいえ、ただのいち学生でしか無いのですから……」
ぐだぐだな言い訳に、レティが眼光を鋭くする。
「あなたはその程度のひとだったのかしら。使えるものは使う覚悟を持っているのだとばかり思っていたわ。入学式のときのあなたは、あんなにも覚悟の決まった顔をしていたというのに」
「お、れは……」
指摘されたことを考えなかったわけではない。
事実、殺人蜂に関する情報を学院の書架で調べはした。
けれど、俺は調べて、そこで足踏みした。
(騎士団に図々しい貧民だと覚えられたら、卒院後の就職に響くんじゃないかと考えてしまった。ご隠居さまに口利きをためらったのも、保身だ)
胸に抱えた、集めた情報とそれをもとにした駆除の戦略をまとめた冊子がぐしゃりと音を立てて、無意識に握りしめていたことに気がついた。
背中の荷物もずしりと重みを増す。
苦々しい思いで見下ろした俺の手に、ほっそりとした指が添えられる。
「けれど、あなたが騎士団に駆け込まなかったお陰で、わたくしたちの課題に十二分な『困りごと』が残っていたのも事実よ」
にこり、と笑うレティの笑顔の力強さに、俺はとっさに言葉が出なかった。
「行きましょう。騎士団が動かざるを得なくなるほどの困りごとを、わたくしたちだけで解決できる策をあなたは考えているのでしょう?」
「は、はい!」
いたずらっぽい顔で見せられた信頼が、俺の胸を貫いた。
俺は力もなく金もなく、地位だとか発言権も持ってやしない。そのうえ大勢の安心と自分の利益を考えて、保身に走る弱い男だ。
そんな俺を信じてくれると、レティは言ったのだ、
(こんなの……好きにならないわけねぇだろ……!)