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学院外学習2(sideレティ)

 アーユの手を取ったのがなんだかとても恥ずかしくなって、目を逸らしてしまった。


(異性との手合わせなんて、何度もしているのに)


 何度もマメが出来てはつぶれ、硬くなったわたくしの手のひらに、アーユの荒れて硬い手がこすれる。

 こすれあい熱を感じるたび、ほほが熱くなるのは、どうしてかしら。


「アーユ?」


 不意に聞こえた声に、はっとした。

 周囲への警戒が完全に途絶えていたようで、近づいてくる足音に気がつかなかった。


 そんな己を恥じるより先に、声の主である若い女性に目が釘付けになる。


「ヴェーダ」


 アーユが口にしたのは、彼女の名前なのだろう。

 親しげで、言い慣れたようなそのくちぶりに、胸がちくりと痛む。


 見上げれば、ヴェーダを見るアーユの表情はいつになくやわらかくて。

 その視線の先にいるのがわたくしじゃないことに、また胸が痛んだ。


「どうしたの? 学校は?」


 ヴェーダが小走りに寄ってくる。

 アーユは目の前で止まった彼女を見つめながら、わたくしの手を離してしまった。

 それだけでなく、わたくしの姿をヴェーダから隠すように彼女とわたくしの間に立ち塞がるのは、どうしてなの。


「学校の用事で出てきたんだ。ヴェーダこそ、今日はもう仕事が終わったのか?」

「あたしは配達を頼まれて、終わったら帰っていいって言われたの」


 お互いの都合を把握しているからこそ出る会話だと、胸が苦しくなる。

 そっと後ずさった足が、転がっていた木片にぶつかってカラン、と音を立てた。


「あら、誰かいるの?」

「あ、おい、待て!」


 アーユの大きな背中でわたくしのことが見えていなかったらしい。彼の身体越しにひょいと顔を出した女性と目が合った。


 小柄で、わたくしたちよりすこし年若いだろうか。

 化粧気のない顔は、けれど好奇心に満ちた生き生きとした表情で、とても魅力的な輝きを放っている。


 この方と並んだなら、硬い表情のわたくしはひどくつまらない女に見えるに違いないわ。


(わたくしったら、何を気にしているのかしら)


 自分の心の動きに戸惑いながら、それでも気にかかるのは彼の挙動だ。


(アーユは、わたくしといるところをこの方に見られたくないのね)


 彼の言動を振り返って痛みを覚えるよりはやく、アーユを押しのけたヴェーダが目の前に立った。

 ぱっちりとした目がきらきらと輝いて、わたくしを写している。


「美人さんだー! すごい、お人形さんみたい!」

「え」


 ぐん、と近づいた顔に浮かんでいるのは、子どものような好奇心。

 驚いている間に、ヴェーダはわたくしの周りをくるくるまわる。その動きはまるで子リスのよう。


 わたくしの髪を見て「本当につやっつやできれい!」とはしゃぎ、わたくしのドレスを見て「聞いてた以上にふわっふわでかわいいー!」と興奮に頬を赤らめる。


(ど、どうしたらいいのかしら)


 困惑してアーユに視線で助けを求めると、彼は大きな手のひらで目元を覆い隠し、ため息をついた。


 見たことのない乱雑な所作にドキリとする。


「ヴェーダ、やめろ。レティさまが困ってらっしゃる」


 自分の顔を覆っていた手を伸ばして、アーユがヴェーダの肩をつかんだ。

 無造作にわたくしから引き剥がしたのは、自身に引き寄せたいためではないとわかっている。わかっているのに。


「こちらの方はアーユの……婚約者、かしら」


 聞きたくないけれど気になってしまうのはなぜかしら、なんて。とぼけられたなら良かったのに。

 せめて涙はこぼさないように、と覚悟を決めて彼らの返事を待つ。


「こんっ!?」

「あたしとアーユが!? ぶふっ!」


 アーユが目をむき、ヴェーダが吹き出した。


「あははははははは! ないないない! それはありえませんよー!」


 そのまま大口を開けて笑い出したヴェーダの否定はあまりにも明るくて、嘘をついているようには見えない。わたくしの願いでなく、本当に気持ちよく笑っている。


「あー……レティさま、こいつは……いえ、この者は俺、ちがう。私の愚妹でございます」

「いもう、と?」


 ひどく疲れた様子のアーユが言ったことばを繰り返して、顔に熱がのぼる。

 

「まあ! おふたりが仲睦まじいものだから、てっきり……」


 勘違いしてへこんでいたなんて、とても言えないわ。

 恥ずかしさで熱いほほに手を添えて冷まそうとするわたくしに、アーユが朗らかに笑う。


「私ども庶民は婚約者のいる者などごく少数なのです」

「そうでしたの。では、アーユも……?」


 好機、とばかりにたずねれば、アーユはきょとんと目を丸くしながらもうなずいた。

 

 ぱあっと視界が明るくなったように感じたのは、気のせいかしら。

 喜びに満ちた心をしずめて、大切なことを告げておく。


「わたくしと同じなのね」

「レティさまと?」


 上目遣いに彼の顔を見あげれば、つぶやいたアーユの口の端がわずかにゆるんだ。


「てっきり、レティさまには婚約者がいらっしゃるものかと思っておりました」

「父の、というより家の方針なのよ。ステディーゴ家に名を連ねる者は強者であるべし、と」


 答えれば、アーユの頬がひくりと引きつる。

 ヴェーダもまた「兄貴、前途多難……」とつぶやいているけれど、何のことかしら。


 アーユは妹のことばに反応せず、目を閉じている。どうしたのかしら、とうかがっていれば、引き結んでいた口を開く。


「……参考までに教えていただきたいのですが、強者であれば身分に関係なく、レティさまの伴侶に立候補できる、ということでしょうか」


 重々しい問いかけと射るような視線が、上から降ってくる。

 本当に、文官にするには惜しい眼力ね。


 彼の目の強さに惚れ惚れしながらも、落胆してしまうのはわたくしのわがままだ。


(アーユが立候補してくれたなら、なんて)

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