前へ次へ
10/11

戦いのとき(side レティ)

 アーユの真剣な眼差しがわたくしを貫く。

 ひざまずき、わたくしを見上げる彼の姿はまるで物語の騎士のよう。

 わたくしだけを瞳に映し、やんわりと浮かべられた微笑がわたくしの胸をひどくくすぐる。


(いやだわ、騎士はわたくしなのに……どうして、胸が熱くなるの)


 ドキドキしながらもアーユのかっこいい姿を目に焼き付けようと見つめながら、彼が口にしたことばを思い返す。


(ええと、アーユはなんと言ったのだったかしら? 好き? わたくしのことを、好き、と言ったの……?)


 好きとは何だったかしら。

 とぼけようにも、レティ自身が彼に伝えたのだ。


 あなたが好きだ、と。


(好ましい、という意味ならばわざわざ同じことばを返すかしら。いいえ、それならば彼はきっと「光栄です」だとか当たり障りのない返事をするわ)


 ならば、改まって膝をついてまで伝えられたこの「好き」は。


「……羽音が、止んだようね」


 つぶやきながら彼の目から視線をそらす。

 

(これは逃げではないわ。戦略的撤退よ)


 赤くなった頬を彼が見つめているかと思うと、ますます顔に熱がのぼる。


「先にあちらを済ませてしまいましょう」


 その間に、あなたからのことばへの返事を考えるから。


 わたくしの思いを汲み取ったかのように、アーユは瞳の強さをやわらげてうつむいた。

 ふ、と息をこぼす音に続いて立ち上がった彼は、いつものきれいな作り笑顔でわたくしを見下ろす。


「そうですね。まずは、課題をこなしましょう。レティさまの返答はそのあとの楽しみにとっておきます」

「っえ、ええ! まずは、課題よね!」


 ことさら大きく跳ねた心臓を誤魔化すために、ハイヒールをことさら音高く鳴らして、アーユに先んじて建物を目指す。

 網に覆われた建物が近づくにつれて、熱かった頬も冷めてきた。後ろについてくるアーユの足音が心強くて、うれしい。


(浮かれてはいけないわ。まずは蜂の巣を確実に破壊するのが先決よ)


 ※※※※※


 網をくぐって建物に入ろうとすると、さっそく蜂の巣の壁に阻まれた。

 薄い茶色や濃い茶色がまだらに重なる層をアーユが拳で叩くと、ガン、と硬い音がする。


「レティさま、この壁壊せますか?」

「やってみるわね」


 振りかぶれば背後の網をも切ってしまう。

 ならば、突き崩せばいいのだわ。


 継ぎ目のない壁は、どこが厚くてどこが薄いのかわからない。けれどこれを作った魔物の身体は一刀両断にできたのだから、きっとやれる。


 腰だめにした剣の切先を突き出せば、確かな手応えとともに剣先が壁に吸い込まれるように刺さる。

 けれど刺さった剣を横に薙ごうとすれば、硬い壁にガチリと阻まれた。


「ふぅん、なかなか手強いのね」


 面白いわ、と笑ってからハッとした。

 

(剣を手にして笑う姿が野生の獣のようだ、なんて陰口が、どうしていま頭をよぎるの)


 獰猛さは戦いに身を置くものには必要なものだとわかっているのに。

 学院の誰かがささやいたそのことばは聞き流せたのに。


 後ろでわたくしを見ているアーユに、そう思われるのが嫌だなんて。


「強敵との邂逅は、騎士のかたにとっては喜ばしいことですか」


 ほら、声の調子はいつもと変わらないけれど、きっとアーユはあきれたわ。

 振り向いて彼の顔を見るのが怖くて、倒すべき壁を見つめたまま唇を引き結ぶ。


「……そう、ね。手強いというのは恐ろしいことでもあるけれど」


 怖い、とひとことで済ませることだって可能だとわかっているの。

 けれどわたくしは、やっぱり強くありたいのだわ。

 たとえアーユからの扱いが令嬢へのものでなくなったとしても、わたくし自身が騎士であることをやめるほうが、許し難い。


(そうね、こんなわたくしは、確かに可愛げがないのでしょうね)


 わかっていても、曲げられないものがある。

 だから、視線は向けられないままで、せめて背筋を伸ばした。


「恐ろしいと同時に、どうやって勝とうと考えを巡らせるのは楽しくもあるのよ。わたくしは、根っからの戦士なのでしょうね」


 言ってしまった。

 つい自嘲まじりのことばになってしまったけれど、戦いのなかでこそわたくしの精神が研ぎ澄まされるのは本当のこと。


 こんな令嬢とも呼べないわたくしは、愛想を尽かされても仕方がない。

 そう思っていたのに。


 背後から聞こえたのは、感嘆の吐息。


「やはりレティさまは、かっこいいですね」


 続いた賛辞に、わたくしは自分自身が燃え上がったかと思った。


「見目麗しい貴族のかたは大勢いらっしゃいますが、芯に据えるものをお持ちのかたは、また違った美しさをお持ちですから」


 やわらかな声で伝えられる率直な、率直すぎる褒めことばに身体の熱はあがるばかり。


(背を向けていてよかったわ)


 真っ赤な顔を隠すためうつむき、あふれる喜びに肩を震わせていると、アーユが焦ったような声を出す。


「あ、も、申し訳ありません! 貴族のかたは直接的な表現を好まれないのですよね。失念しておりました。ええと、レティさまのありようを好ましく思っております? ちがうな、白百合のように可憐で気高いレティさまをお慕いしております?」


 彼がことばを重ねるほどに、わたくしはうれしさと恥ずかしさで身悶えることしかできない。


 好き、なんて逃れようもないほど直接的なことばをくちにしたあとだというのに、今さら貴族の作法を持ち出すだなんて。

 アーユが精一杯の気持ちを込めて言ってくれているのが、またタチが悪いわ。


「あ、あ、あ、アーユ! わかったわ。あなたがわたくしを騎士として、戦う者として尊重してくれていることは十分にわかったから!」


 これ以上のことばはいっそ毒よ、とさえぎって、剣を握り直す。


 彼の顔を見る勇気はまたなくなった。さっきとは違う理由で、彼の顔が見られないわたくしには、目の前の硬い蜂の巣がありがたくすらある。


「さあ、壁を斬るわよ。今日じゅうに、蜂の巣をすっかり取り払ってしまいましょう!」

「え、ええ。よろしくお願いします」


 アーユの返事を聞くなり、やり場のない感情のたかぶりをぶつけるように、剣を引いては突き刺していく。


 さっきよりも壁が柔らかいように感じるのは気のせいかしら。


 なんにせよ、作業が捗るのはいいことよね。


(こんなに赤くなった顔、見られるわけにはいかないわ!)

前へ次へ目次