落ち行く先で
【田中視点】
「ここは? どこだ?」
確か俺は……そうかブッガーと崖から落ちて、ここは……崖下か?
薄暗い視界の中、大の字に倒れ込むのはブッガーだ。どうやら仲良く落下したらしいが、その体はピクリとも動かない。
当然だ、あの高さ、百メートル、いや二百メートルは有ったか?
あの高さで落ちて生きていられるハズが無い。
では俺は何故生きている? いや、そうだった、俺はあの時……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ひとりでっ! 死んでろッ!」
崖にへばりついた俺は、ブッガーに叫んだ。
ウォーハンマーの重量に引き摺られる様に落ち行くブッガー。
ソコまでは良かった。だが、落ち際にアイツは馬鹿力で俺の右足を掴んだのだ。
踏ん張ろうと地面に爪を立てるも、その地面ごとボロボロと崩れ、遂に俺達は空中に投げ出される。
「クソッテメェ! どういうつもりだ!」
宙に投げ出されても、俺の右足を掴んで離さないブッガーを左足で蹴り飛ばす。
すると、あれほどの馬鹿力で掴んでいたにもかかわらず、その手がアッサリと離れた事に驚く。
――クソッ! 気絶していやがる! やり切った顔してるんじゃねーよ!
清々しい顔で意識を手放したブッガーの笑顔に殺意を抱くも、このままじゃ俺もブッガーも仲良くお陀仏だ。
――畜生! 何か? 何かないか?
見回すも崖壁ははるか遠く、手が掛かりそうモノは何も無かった。俺達はせり出した崖の先端から落ちたのだから当然の事。
――こんなトコで、ブッガーなんてむさ苦しいのと心中かよ! どうせなら……
……クソがッ! どんな走馬燈だ!
俺の脳裏に浮かんだのは悲しそうなユマ姫の奴の泣き顔だ。
見たくねーもんを見せるんじゃねぇよ、どうせなら派手な魔法の一つでも使って助けやがれ!
……魔法?
……そうだ! 確か……
俺は財布と一緒に腰に付けていた、魔石を入れた袋に手を突っ込んだ。
コレだ! だが時間がねぇ! クッ! あ? 崖の下は谷? まだ落ちるのかよ!
だが! 丁度良い!
俺は袋から抜き出したその魔道具を、落ち行く谷底へと叩き付けた。
――パァン
乾いた破裂音。
そう、俺は魔道具屋で失敗作のガラクタ、風が破裂する魔道具を買っていた。
なにか、例えば目眩ましとかに使えないかと思っていたのだが、うまくすりゃ風のクッションになるかもしれない。
来るッ!
凄まじい風の奔流、それを俺は深呼吸と共に受け入れた。
これは魔法、受け入れようとしなければ、この風は瞬く間に掻き消えてしまう。
「グゥッ!」
痛い程に体を打ち付ける暴風を受け入れる。
言うのは簡単だが、容易い事では無い。それが簡単に出来るなら、そいつはどんなドМかと言う話。
いやいっそ、これが美女に打ち据えられるビンタだったら受け入れられようが。
……いや? そうか! これを美女に叩かれていると想像するんだ!
…………
……なんでだッ!?
――クソッお前は出てくんな!
ニヤニヤと笑うユマ姫と高橋の顔を思い出しながら、俺は意識を失った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうだ……それで俺は生きてる。だが……
「グッ! ガぁ!」
激しい痛み、当然だ。脇と胸に大穴、そして最後には谷底への急降下だ。呼吸が苦しいのも、視界が暗いのも、手が震え痺れるのも当然。
俺は今、死に掛けている。
「アレを! ブローチを」
黒から赤へ、端から視界が染まっていく。
風と落下の衝撃を受け、全身が強烈に圧迫されたのだ。今の俺の体は、あらゆる臓器から出血してるに違いなかった。
「……ハァ、ハァ、有った!」
俺は魔石を入れた袋をまさぐり、ブローチの感触を見つけ、取り出した。
「『開け』」
俺がその言葉を唱えると、柔らかな光が体を包み、ゆっくりと体を癒して行く。
これも魔法、健康値と言う概念であの暴風と同じく相殺されてしまうと言うが、これを受け入れるのは、叩き付ける風を受け入れるよりは難しくない。
視界に広がった赤が少しずつ引いて行き、呼吸もどんどんと楽になる。
「スゲェ効果だな」
何とか一命をとりとめた、クリアになった思考の中、色々な事が気になり出した。
「魔法が発動している、この霧は違うのか?」
この谷底にも霧は充満していた、しかし魔法は発動するし、独特の嫌な感じも無い。
ひょっとしてこの霧は普通の霧で、この霧のお陰で魔力を吸い取る霧は入り込めなかったのかも知れない。
全ては想像だ、しかしここでは魔法が使える。それが事実だ。
「で、魔石がパァかよ」
魔石を入れていた袋に再び手を突っ込み、中からザラザラとした砂を取り出す。
「これが魔石の成れの果てか」
抜き出した手の中からサラサラとこぼれ落ちる砂粒、輝いていた淡い光も無く、まるきりただの砂に見える。
考えてみれば魔力を吸い取る霧の中、魔石だけが無事に魔力を保てるハズが無い。
と、なれば何故、風の魔道具とブローチの魔力が残っていたのか? ひょっとして、魔石の魔力が守ってくれた、もしくは魔石の魔力を吸い取ったのか?
「なんにせよ、まだギリギリの所でツキはあるな」
恐らくは魔石と同じ袋に突っ込んでいなければ、二つの魔道具の効果は失われていたに違いない。
不運続きだったが、なんとかまだ終わらずに済みそうだ。
そうこうしている内に、なんと脇と胸の傷が塞がりつつあった。
「マジでとんでもねぇ魔道具だぜ、売れば一体いくらになるのやら」
輝きを放つブローチを見る、一つの魔法を入れて、一度しか使えないと言うが十分だ。
この回復魔法一つ入れただけでいくらの値が付くか?
こんな超再生。前世の医術でも不可能だし、ちょっとした化膿で死んでしまうこの世界、貴族や王族がこのブローチにどれ程の価値を見出すか計り知れない。
「こりゃあ絶対に返さねぇとな、その為にはまずは休まねぇと」
怪我はもう大丈夫、山は越え致命傷では無い、しかし血が足りない。痺れる手足と靄が掛かる頭、何より体温の低下が著しい。
少し休まなくては、動く事すら出来そうに無かったのだ。
そうして俺は呑気に眠ってしまったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「クソッ! ギリギリの所でツキが無ぇ!」
目が覚めると早速、俺は先程の発言を撤回した。
「へっへぇ、元気の良いこって」
「クソがぁ!」
次に起きた時、俺は全裸に剥かれ、手足には枷が嵌められていた。身動きとれぬ俺の前、小汚いおっさんがたばこを燻らせている。
「ナニモンだお前ら!」
正直、一目見てその正体は解る、解るが納得出来ず俺は叫んだ。
対しておっさんは、だらしなく顔を歪め笑う。
「見てワカンねぇか? 人攫い様だよ」
「人攫いだと? なんでお前らがこんな所に?」
小汚いおっさん、そしてその周りの四人の男たちは誰も彼も汚く、全く品が無い。単に不潔と言うだけでなく、その精神が薄汚れているのが見て取れた。
「こんな所とはご挨拶だな、ここは俺達が気に入って、たまーに拠点として使っている。言わば秘密基地よ、そこにお前たちの方が乗り込んで来た訳だ」
そうして天を差す指先、つられて上を見れば確かに谷底で薄暗く、犯罪者の拠点としてうってつけの雰囲気である。
「オイ、俺はこう見えてその筋じゃ有名な『妖獣殺し』だ、捌こうったってすぐに足が付くぜ?」
「おお! おっかねぇ! でもな、そんなのはぜーんぶ承知の上よ」
「……そうか、そうかよ、やっぱりお前らが俺らの跡をつけてたんだな?」
「そうだな、ホントはあの娘っ子を捕まえる様に言われたんだが、流石に帝国兵やら出て来ちまったら手が出ねぇってんで、潔く諦めようかと思ったんだが」
おっさんが汚い顔を突き出してニヤリと笑う。
「そこにお前さんが落ちてきたって訳だ、ここは俺達の勝手知ったる場所よ、死体でも漁ろうと思えばたまげたぜ! まさか生きてやがるとはな!」
ガハハッと笑うおっさんがひたすらに不快だ、枷をなんとか外したいが、俺はそんな訓練を受けちゃいない。
俺の膂力は人類最高峰と神のお墨付きだが、逆に言えば人間レベルの外ではない。漫画のヒーローみたいに力づくで枷を壊せる程ではない。ましてや今は病み上がりだ。
「オイ、俺を攫ってどうしようってんだ? おれはユマ姫の居場所を知ってるが、これじゃあ案内出来ないぜ?」
とにかく枷を外させれば素手でもどうにかなる。コイツ等はブッガーやマルムークみたいな凄腕とは程遠い、素人に毛が生えただけの連中だ。
しかし俺の提案に、コイツ等は乗って来なかった。肩を竦め薄ら笑う。
「あーそっちの方は諦めよ。なんせ森から窺っていたのは俺らだけじゃねぇ、今頃帝国の奴らに取っ捕まってるに違いねぇや、あんな奴らとやり合う気はねぇーよ」
「んだと?」
最悪だ。一応アイツを守り切れたかと思えば、結局は帝国の手に渡っちまったって言うのか?
絶望に身を焼かれる思いだが、もう一波乱あるのは悪い事ばかりじゃねぇ。
「オイオイ? 良いのか? だったら帝国の奴らは俺の事、血眼に探してると思うぜ? なんせ隊長含め、何人斬り殺したかわからねぇ、メンツに掛けてドコまでも追ってくるだろうぜ」
「怖いねぇ、だがそれも問題ねぇよ、ここでお前は死ぬんだ」
「何だと?」
おっさんの意図が解らず間抜けな声が出た。生かして売るかと思えば、結局は殺そうってのか?
「アレを見ろ」
親指で後ろを示すその先に、俺の服を着せた死体が有った。ブッガーだ。
「なんだありゃ? 人形遊びにしちゃぁ悪趣味だな」
「お嬢ちゃんのお遊びと違って俺らのは本格派よ、ほらよ!」
ひっくり返したブッガーの死体は内臓や眼球が飛び出すグロテスクな物。いやあの高さだ、むしろアレだけの原型を保っている事に驚く程の頑丈さ。
その潰れた顔には、ご丁寧に俺の掛けていた眼鏡まで付けられている。
「オイ、まさか俺の服を着せて俺の死体に仕立て上げるってのか? 冗談キツイゼ」
「まぁ思った以上に形が残っちまってるな、そこでコレよ」
そういっておっさんの横、若い男が取り出したのが、あの見慣れたウォーハンマーだ。
「やれ、誰だか解らない程度にな」
「へい!」
元気良く叫ぶ若者だが、ハンマーは持ち上がらない。結局二人掛かりでハンマーを持ち上げ、重力に任せて叩き落した。
たちまち眼鏡は顔に沈み込み、体も血塗れに。見るに耐えない姿になった。
「あーあ、ブッガーも草葉の陰で二枚目に成れたとむせび泣いてるだろうよ」
死闘を繰り広げた相手の無残な姿、俺の声には複雑な思いが籠る。
「お前さんも二枚目にならない様に気ぃ付けろよぉ?」
「わっかったよ! で? どうするつもりだ?」
「ズーラー様が死んじまったからな、なんとかグプロス卿に連絡を取らねぇとな」
「アイツに? アイツは俺なんかに興味はねぇだろ」
「どうだかな? 決めるのは俺じゃない、お前の持ってる情報に興味があるかもしれないだろ?」
「だと良いがな」
あの領主がゲイだったとは思えない、一体コイツ等は何を考えているのやら。しかし何を考えてるか解らぬ輩なら物の価値だって知らぬに違いない。
「オイ! 俺が持ってたブローチはどうした?」
「ああ、ここに有るぜ。立派な宝石。ついてやがるなぁ!」
ブローチは無造作に袋の中に詰め込まれていた。
「そのブローチに傷一つ付けるんじゃねぇぞ! そいつぁ魔道具だ、台座から宝石を外したり、宝石に傷が付いちゃぁ台無しになるぜ」
「へぇ……こいつがねぇ」
おっさんがしげしげとブローチを眺める。
「上手く売れれば貴族のお屋敷がダース単位で買える筈だ」
「どういう効果なんだ?」
「エルフ、いや
「そいつは良いぜ! とんだお宝だ!」
「今は使っちまって空だがな、しかし
「はぁ? それじゃあ誰も使えないだろうが!」
「いや、帝国は喉から手が出る程欲しがるだろうぜ」
「そうか……そうだな……」
考え込むおっさん、売却ルートでも思案しているのだろう。
俺がベラベラとブローチの価値を説明するのには訳が有る。
それは宝石だ。ブローチに付けられた宝石にどの程度の価値が有るかなど俺には解らない。
ただ犯罪者に盗まれた大きな宝石は、足が付かない様に必ず砕かれる。
砕かれれば宝石としての価値は激減するが、魔道具としての価値に至ってはゼロ。ましてやあのブローチはアイツの妹の形見。バラされちまったら意味は無い。
「良い事を聞いた、よぉし長居は無用だ! 出発するぞ! コイツを括り付けろ」
そうして俺は粗末な荷台に括りつけられた、小汚い武器や鎧も積んでいる。恐らくは死体から剥ぎ取ったのだ。
「オイオイ、ルームサービスがなってないんじゃないか?」
殆ど簀巻きにされた状態でも、俺は悪態を忘れない。
「言ってろ! オラ! 行くぞ」
人力で荷車を曳いて行く、こんなボロい荷台でどうするつもりだ?
「オイ!? どこへ行くんだ?」
「聞ぃーて無かったんかよぉ! スフィールだって言ったろ! 多少揺れるが舌は噛むなよ?」
「ああクソッ! わかったよ!」
そうして俺は、止まらぬ舌打ちを漏らしながら、荷物の様にスフィールへと運ばれていったのだった。