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悲しみを重ねて

ちょっと長いです。

最近、ただでさえ視点変更が多いので一話に捻じ込んでいます。


色々申し訳ない。

カフェルはネルダリア領にある小さな貴族家の子女として生まれた。小さい頃から美しく、そして抜群に頭が良いと評判だった。


 それは良い事か? 普通は良い事だ。美しくて賢くて、悪い事など無いと思うだろう。


 しかし其れは不幸だった、彼女は美し過ぎ、そして賢過(かしこす)ぎた。


 だから自分の親の領地経営が行き詰まり、資金が回らなくなった時。救世主の様に現れた大貴族の御曹司の申し出に、喜ぶ気持ちは一欠けらだって持てなかった。


 彼女だけは気付いていた、両親が肝いりで始めた投資案件、その全てがこの御曹司が仕組んだ罠、詐欺だったのだと。

 そしてそれが、自分を手に入れる為に、入念に仕組まれた罠だと言う事も。


 その時の彼女は、まだ僅か十三歳。両親にその事を相談しても「折角のお話を!」と逆に叱られてしまう始末。

 だが彼女は確信していた、その御曹司の粘つく視線、舐め回されるような気持ち悪さに覚えがあった。

 鼻つまみ者だった親戚筋の男、働きもせずブヨブヨと太って気持ち悪い癖に、やたらと自分に絡んで来る。どうし様も無く気持ち悪い馬鹿で、終いには二人きりになるや襲って来た。


 その時は大声を張り上げ、助けを求めれば、家の爺やが駆け付けてくれた。その馬鹿は親戚中から絶縁され、その後はどうなったのか知りもしないが、恐らくはどこぞで野垂れ死んだに違いない。

 しかし、今度はそうは行かない、泣こうが叫ぼうが、皆がアイツの味方なのだ。粘つく視線は同じでも、そこに宿る知性が違う。十三歳の自分より遥かに賢く、そして邪悪な目。


 彼女は両親の投資案件を調べ上げた、そこにあの御曹司の影を探したのだ。

 普通に考えて、十三歳の少女に見つけられる筈も無い。それが油断だったのか、それとも奇跡が起こったのか。その尻尾の欠けらと言える様な証拠を遂に掴んだ。


 が、所詮は怪しいと言うだけの話、それでも藁にも縋る思いで彼女は領主様に手紙を書いた。


 正直期待はしていなかった。両親だって十三歳の自分の話を聞いてくれないのだ、ずっとずーっと偉い領主様が自分の話を聞いてくれるとは思わなかった。


 だから彼女はより大胆に、御曹司の持つ私邸に忍び込んだ。しかし所詮は少女の浅知恵だ、「そこに詐欺の動かぬ証拠が有る」その噂すら、御曹司が仕掛けた罠だった。




「ヒッヒー、貴族の子女とは言え、上位の貴族の住居に無断で忍び込んだとあれば、生殺与奪はこちらの物よ!」

「あ・・・あ!」


 手首を縛られ吊るされて、上着を剥がれて露わになった幼い体。そこに直接あの粘つく視線が絡みつき、肌を舐め回す。


「だーけど優しい僕は! 少しの教育的指導を与えるだけで許してあげるよ♪」

「そんな!」


 ビッ! と張力が(みなぎ)る音をさせ、両手で御曹司が取りいだしたるは乗馬用の鞭。


「初夜は結婚後にとっておくからね♪ それまでにこの鞭で素直になっておくれよ? 鞭で傷だらけの女の子なんて、誰も愛してくれないからね? でもでも♪ 僕は! 僕だけはそれでも君を愛すよ! だからいい声で鳴いてね♪」


 ――気持ち悪い!気持ち悪い!気持ち悪い!気持ち悪い!


 何を言ってるか解らない、ただただ気持ち悪い。そんな彼女に頓着せず、鞭を振り上げる御曹司。


 賢い彼女は解ってしまう、鞭がもたらす痛みの程を。

 きっと今までの人生で味わった僅かな痛みとは、全く次元の異なるものに違いない。毛と厚い皮で守られた馬でさえ、泣き出す程のその痛み。人間が味わえばどうなってしまうのか? 自然と彼女は想像出来てしまう。

 聡明な彼女には、自分の上げる悲鳴までもが想像の内、それどころか自分は何発打たれた後に気絶するのか? 気絶したら後は許してもらえるのか? それとも水でも掛けられて覚醒の後、更なる鞭を浴びせられるのか?


 それはホンの一瞬、鞭を打ち据えられる前の、振り上げられたその刹那。

 その状況、その一瞬で、そこまで思考が至ってしまう。


 この賢さは、果たして自分を幸せにするのだろうか? 加速する思考の中で、人知れず自嘲まで覚える程。

 (にじ)む脂汗と冷や汗、(あふ)れる涙を(こら)える様に固く目を(つむ)ったカフェルだが。想像した痛みはいつまで経っても襲っては来なかった。


「誰だ! お前は!」


 焦燥に駆られた御曹司の声。うっすらと目を開けると、部屋の片隅、暗がりの中に自分の父と同じぐらいの歳の男性が立っていた。


「その子を離して貰おうか、彼女に聞きたい事がある。無論君にもだ」

「なんだと? 貴族の邸宅に無断で立ち入って、無事に済むと思っているのか?」

「上位の貴族の邸宅に無断で立ち入れば罪になる。ならば私が罪を問われるこの場所は、王室とでも言うのかね?」

「なんだと?」


 ポカンと間抜け顔で立ち尽くす御曹司と、撫でつけられた髪に整った口髭の、自信溢れるその男性。屋敷の主と侵入者、まるであべこべの様だった。


「私はオーズド・ガル・ネルダリア、君の犯した不正の数々。その調査にやって来た、ご協力願おうか?」


 男がパチンと指を鳴らす、同時に目を開けられぬ程の魔力光が部屋を照らす。大出力の魔道具、そしてゾロゾロと部屋に入り込むのは制服姿の男達だ。


「ネルダリア諜報特務部隊だ! 貴様には詐欺や横領、領主への背信行為の疑いが掛かっている!」

「馬鹿な! 馬鹿なぁ!」


 屈強な制服姿の男が事務的に令状を読み上げ、取り押さえられた御曹司が泣き叫ぶ。

 そんな中、(うずくま)る彼女に自分の上着を差し出したのは先程の男性だ。


「大丈夫かね? 怪我はないか? 君の手紙を貰ってから確証を得るまでに随分と時間が掛かってしまってね」

「……まさか! 領主……様?」




 それが彼女、カフェルとネルダリア領主、オーズドとの出会いだった。


 その後は簡単だ、すっかりオーズドに惚れ込んだカフェルは家を飛び出す、オーズド様に救われた恩を返す為にと領主の館に奉公に出たのだ。

 半分ぐらいは、話すら聞いてくれなかった馬鹿な両親への当てつけであったが、騒動の一部始終を聞かされた両親に、反対する言葉は残されていなかった。


 かくして領主に仕える事になったカフェルだが、彼女は領主の館の水くみやシーツの洗濯の為にオーズドに仕えたいと思ったわけでは無かった。

 カフェルが目指すのは彼女を救ってくれた諜報特務部隊、そこに入隊し同じ様な境遇の人を救いたい。そして命懸けでオーズド様の為に働きたい。


 そんな彼女の思いが届いたのか、カフェルはオーズドに気に入られた。元々非常に頭は良いのだ、あらゆる知識を吸収し、オーズドの悪戯めいた質問や相談に、的確な答えを返す程。


 尊敬出来ぬ両親に見切りをつけ、自分を我が子の様に可愛がってくれるオーズドの元での生活は幸せだった。

 しかし彼女は頭が良すぎたのだ、娘の様に可愛がってくれるなら、娘の様に甘えればよい。

 だのにカフェルにはそれが出来ない、オーズド様には返しきれぬ恩が有る。だから自分を諜報特務部隊で使って欲しいの一点張りだ。


 そしてオーズドも冷血では無いが、打算的で無駄を嫌う男だ。これほどの少女を遊ばせておくのは……と考えてしまう。


 ()くしてネルダリア領主は一人の少女を諜報特務部隊に送り込み、たった二年で一人の立派な女スパイに仕立て上げてしまう。


 送り込むはきな臭い隣領のスフィール。かの地は五つの貴族家で持ち回り治める筈が、戦争も無く、もう何年もソンテール家による支配が続いている。

 領主のグプロス卿は、戦争は遠い昔だと言わんばかりの厭戦論を展開し、自由貿易を訴え低い関税で帝国との取引も活発だ。実際に相当の利益を生んでいる様で景気のいい話がいくつも聞こえて来る。


 だがその利益は国防を犠牲にする程の物か? 浮ついた気風の街と、白く塗られ煌びやかに飾られた城に、王国の盾として(うた)われたスフィールの面影はない。これが帝国に牙を抜かれての事だとすれば隣のネルダリアも黙ってはいられない。


 そうしてカフェルを送り込んだオーズドだが、実の所それ程期待してはいなかった。

 なにせ只、一介の奉公人として勤め、何か気になる事を報告するだけの事。スパイごっこみたいな物だとまで思っていた。

 彼女の身分にしたって実は殆どそのまま、大貴族の御曹司の不祥事は闇の中に揉み消され、そう言った表に出せない不祥事に巻き込まれた婚姻前の子女が、こっそりと名前を変えるのも珍しくはない。

 その後オーズドの所に奉公に出た事も含めて、恥辱に感じたカフェルの両親は親戚にも口を(つぐ)んでいたし。諜報特務部隊に救われ、所属した事実に至っては、知るのは限られた部隊員とオーズド位の物。


 隠す要素が殆ど無い。隣領の領主に奉公に行くのだって、不祥事に巻き込まれた子女として遠くに勤めるのは良くある事。


 しかし彼女はあっと言う間に頭角を現す、その美しさ、賢さが見出(みいだ)されたのだ。

 雑仕から侍女、侍女長補佐、そして侍女長になり、そこからグプロス卿の秘書に。お仕舞には卿の政策や遊興、公私を問わない計画の立案までこなす補佐官として君臨していた。


 その間僅かに五年、その速度にオーズドは密かに頭を抱えた。

 早過ぎる、とても真っ当な手段で勝ち取ったとは思えない。しかし実の娘の様にも思っていた少女から、その手管の仔細を聞き出すのは苦痛に過ぎた。


 実際、カフェルは夜伽(よとぎ)の相手として、躊躇なくグプロス卿と(ねや)を共にした。それまでカフェルに男性経験など無かったにも関わらずだ。


 下種な男から純潔を守ってくれた男の為に、別の脂ぎった下種に純潔を捧げる。


 矛盾している様だが、当の彼女に悩みは無い。実際の所、御曹司の秘密を暴こうと奔走した時から、彼女はこうしたスリルの虜だったと言って良かった。

 救ってくれたオーズド様のため、助けてくれた諜報特務部隊に憧れて。その思いに嘘は無い、だが全てでもない。世界を揺るがす様な大きな陰謀に係わりたい、そしてそれを暴きたいそんな思いが(うず)いていた。

 そんな自分に薄々気が付いてしまい。自分自身が、かつて軽蔑していた下種な男達と殆ど変わらぬ下種では無いかとさえ思えてしまうのが、最近芽生えた唯一の悩みと言った所。


 もちろん早過ぎる出世を重ねる彼女の事、グプロス卿の周囲の人物だって見逃していた訳では無い。

 彼女の身辺調査はズーラーを始め、グプロス卿の側近が丁寧に行った。もし彼女が全くの瑕疵(かし)が無い乙女なら、却って怪しまれていただろう。

 しかし彼女には目くらましに打ってつけの瑕疵があった。大貴族の御曹司との婚約、そしてその御曹司の不祥事による婚約破棄と改名。

 御曹司を嗅ぎ回り、最後には破滅に追いやったという噂を含め。地元に居られなくなった才女の理由として、苦笑が漏れる程にらしい物だった。


「いかにもシノニムのやりそうな事よ!」


 伽の最中にグプロス卿が水を向ければ。


「だって! その時の私はまだ十三ですよ? 気持ち悪いじゃないですか? 私との婚姻を条件にした融資なんて」


 恥ずかしいのか、ベッドの中で拗ねた様にシノニムは顔を背ける。


「ほっほー、しっかし婚姻、本妻となる訳だぞ? 良い話とは思わなかったか?」

「まだ十三、気持ち悪いってのが先に来ました。それに調べてみたら前の奥さんは若くして亡くなっているんです、それで怖くなっちゃって」


 不安げに布団で顔を隠すシノニムに、意地悪な気持ちが芽生えるグプロス卿。


「それで破滅まで追い込んでしまうのだから、私も油断できないな」

「もう! ただ怪しいって地元の警邏(けいら)のお兄さんに相談しただけですよ! 結局、その御曹司は、不正の証拠を貴族筋の上の人に見つかって、最後には遠方に飛ばされました。私の家にはお詫びの小銭が少々と、大貴族に見限られた少女って不名誉な称号が残っただけ。まだ十三だったのに、気分は未亡人だったんですよ! もう!」


 シノニムは憤然とした様子で眉を吊り上げるが、本気で無いのは明らかだ。

 既に過去として割り切っているのがグプロス卿にも見て取れた。


「ではスフィールの領主として、私には若き未亡人を慰める義務が有るな」


 そう言ってシノニムの臀部をさするグプロス。


「もう! そんな事言って、全然優しくしてくれないじゃないですか!」


 はにかんだ様に笑うシノニム。初心(うぶ)にすら見える笑顔の裏、グプロス卿から寝物語に語られる情報は、全てオーズドの元へと流れていた。



 始めこそ仔細は聞きたくないと思っていたオーズドも、スフィールに入り込む帝国情報部など、日増しに話がきな臭さを増すにつれ。ここに至れば細かい前後の会話も聞かざるを得なくなる。


「因果な商売だ、自らの業の深さに押しつぶされそうだよ」


 年に数度、出入りの商人のふりをして、スフィール城へ直接話を聞きに来るオーズドが、思わず漏らした言葉は果たして冗談か、本気の愚痴か。

 聞かされたシノニムに、グプロス卿へ向けられた柔らかな笑みは無い。冷たい表情で淡々と報告を繰り返すのみ。

 実の所、彼女にとって初恋の相手で、いまだ最も敬愛するオーズドには少しも笑いかけず。内心軽蔑するグプロス卿には初心な笑顔で微笑みかける彼女の心は如何様(いかよう)か?

 その複雑怪奇な心の在り様を言葉にするのは不可能に近いが、少なくても其れが自分だと彼女自身は割り切っていた。



 が、そんな彼女の心をかき乱す少女の話が聞こえて来る。

 ユマ姫だ、シノニムが密かに整えた情報網は、姫がスフィールを訪れる遥か前、既にその情報を捉えていた。


 ソノアールと言う田舎町に、森に棲む者(ザバ)の姫を名乗る少女が現れた。

 初めこそ取るに足らぬ噂話に思われた。実際その足取りは謎が残る。

 スフィールを目指し護衛と共に旅立ったと言う話だが、次の街へは一向に姿を見せ無かったと言うのだから出来の悪い詐欺の様。

 実際、スフィールまでの警護と称して、男が村から依頼料をふんだくったと聞けば詐欺としか思えない。

 だが少女が語ったと言う話、幸せに暮らす森に棲む者(ザバ)の都に無慈悲な帝国兵が踏み入った、逃げ延びた姫が助けを求め、人間の王都を目指すと言うストーリー。

 一見して笑える与太話では有るが、帝国が森に棲む者(ザバ)の国に攻め込んだ日から逆算すれば、そのタイミングが整い過ぎている様にも思われた。


 だからこそ、シノニムは森に棲む者(ザバ)の少女が面会に訪れたと聞いた時、一も二も無く話を受けた。実際に会って、詐欺の臭いを微塵も感じなかったのも理由の一つ。

 本当に姫と言う事は無いだろうが、ひょっとしたら何か話を聞けるのではと言う程度。


 しかし、慌てて詳細に集めようとしたソノアール出発後の姫の足取りは、全く計算が合わない物だった。

 計算が合わぬのも無理はない、よくよく調べればソノアールには二回、日を置いて訪れている。

 一回目の訪問と異なり、二回目は一瞬で見た者も少ない。しかしその後のソノアールには魔石の噂を含め、気になる点が多い。


 もっと不思議なのはソノアールの先、その道筋と日程だ。

 聞けば馬車も馬も使わず、幼い少女と護衛の二人旅、なのにその速度は馬での早駆けの様ですらある。

 なにせその足取りの全容が掴めたのが、領主との面会、その後だ。噂の集まるスフィールにしてそれなのだから、あらゆる商人や旅人よりも、彼女たちの足が遥かに速かったのは間違いのない事実。


 と、なれば考えられるのは魔法。或いは魔道具か? どちらにしても捨て置けない技術。

 しかも数々の情報と同時に聞こえて来るのは、仇の帝国を呪う言葉と助けを求める王国への期待、それらを大勢の前で語って見せたという話。


 事実なら、本当に森に棲む者(ザバ)の国は落ちた。そしてその情報を王国も手に入れなければ早晩、王国も帝国の手に落ちる。


 いまだ且つてない程の大事件に心が躍る。そして国を追われた姫の年齢に、かつての自分が重なるのだ。

 どうしても救いたいと思ってしまったシノニム、いやカフェルの気持ちも無理はない。


 そうして、密かにオーズドに諜報特務部隊の出動を要請した。




 その結果として、諜報部を率いて姫の後をつけ、まさに今、霧深い森の中で立ち往生する羽目に陥っていたのであった。


「カフェル隊長、これ以上は霧深く、視界が利きません」

「そうね、ここで待機しましょう」



 隊長として諜報部を指揮する事になったシノニム改めカフェルは、自らの誤算を悔いていた。

 彼女はユマ姫の情報の多くをグプロス卿らに秘匿していた。スフィールまで至ったルートだけでなく、宿屋への襲撃を受けた翌日、急遽スフィールを出発すると魔道具屋に告げた事さえも。


 もちろんコレだけの情報を握りつぶした事が明るみに出れば、シノニムには拭い去り難い嫌疑が掛けられる。

 しかし、既にグプロス卿と帝国で交わされた密約の証拠も揃った。これ以上シノニムとして活動する理由も少ない、そう判断しユマ姫達がスフィールを出た所で、彼女自身がユマ姫を迎えに行く予定だった。


 そこまでは予想通り、しかしユマ姫達が向かう場所こそが予想と大きく異なっていた。

 てっきり王国を目指し東へと向かうと思われた進路だが、実際には北。しかも自分たち以外にユマ姫を追う怪しい人間が見え隠れしていた。

 加えて言えば、速いと思っていたユマ姫達の移動速度、実際には物見遊山の旅行者の様に遅かった。


 カフェルはこれが自分たち諜報部を釣り出す罠の可能性を考慮し、一時様子を見る事にしたのだった。


 その結果、ゼスリード平原で起こった事態はカフェルの想像を絶した。


 何より痛いのはズーラーが、ユマ姫と懇意にしていただろうヤッガランと言う衛兵隊長を切り殺したことだ。

 それを見たユマ姫は逆上し、怪我を負った身でありながら恐ろしい勢いでズーラーを串刺しにした。

 ユマ姫が知るカフェルの身分は、ズーラーと同じくグプロス卿の片腕と言う物、説得どころかカフェルが目の前に現れるなり切り伏せられるかも知れない。


 そう思い、出て行くタイミングを逃す内、話に聞いた帝国の兵器が発動、そして暴走。その異常な霧が人体に与えうる影響を考えると、諜報部は一時撤退を余儀なくされた。


 いっそ引くべきか? それともユマ姫を助けるべくリスクを取るか?


 視界が確保出来る程度に霧の薄い、森の奥へ引き上げたカフェル達は今後の行動を決めかねていた。

 そこへ一つの知らせが届く。森の中へ索敵に出ていた部隊員が怪しい影を発見したのだ。


「その男は犬を抱えていたのね?」

「はい、何かを探させている様に見えました」


 カフェルは帝国が犬の育成に力を入れている事を知っていた。それが既に治安維持に効果を上げ、軍事運用すら検討されている事も掴んでいた。

 それだけに男がユマ姫を探している事はすぐに解った。


「追いましょう、その男がユマ姫の場所を突き止める可能性は低くありません」


 そうして、霧深い森の中、一人と一匹を追跡した。よろよろと歩く癖に、勘が鋭い男で難儀したが、その結果。目当ての人物を発見する事になったのだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「以上が、わたくしめがここに居る理由で御座いますユマ姫様」

「そう……」


 カフェルはユマ姫に自らの事情をかいつまんで説明した。

 隣の領主のスパイとしてスフィールに潜り込んでいた事。彼女を保護するべく参上し、グプロス卿と違いオーズド様は、すぐにでも姫様を王都へとお送りする準備が有る事。

 ユマ姫は納得してくれたようだが、隣領へと移動する事に首を縦に振ってはくれなかった。


「では? あの護衛、タナカと言う男の帰りをここで待つと言うのです?」

「ええ、私は彼と約束しました、ここで待つと」

「しかし! 姫様は怪我をしている! 一刻も早くちゃんとした場所で治療をすべきです」


 ユマ姫の顔色は悪い、カフェルも見ていたがユマ姫が矢傷を受けた時は息を飲んだ、あまりに深い傷に見え、帝国兵と衛兵で戦いが始まれば、密かに飛び出し救い出すつもりですら居た。


「いいえ、もう傷はありません。魔法で治しました。生憎とこの霧の中では実演する事は出来ませんが」

「そんな? 魔法とはそんな事まで?」


 実際に、女性であるカフェルはユマ姫の腹部を確認する。血が滲みこんで穴が開いたドレスと、可愛らしいおへそをべっとりと塗らす血痕が有れど、拭き取ればそこには傷跡一つ存在しない。有るのは透き通る様な青白い肌だけ。それは病的に白い肌だった。


「しかし! ユマ姫様のお体はとても正常とは思えません」

「それは、この霧のせいです、この霧の中、エルフの健康は大きく阻害されます」

「でしたら! それこそ早く! 我々と脱出するべきです」


 カフェルが大きく声を上げれば、ユマ姫はその顔を辛そうに歪め、震える手で自分の体を抱きしめた。そうまであの護衛を見捨てたく無いらしい。


 ユマ姫とタナカと呼ばれる護衛、その間に何が有ったのか?

 カフェルには知る由もない、ないのだが。ユマ姫と自分を重ねてしまうカフェルには、あの日に抱いたオーズドへの淡い思いが感じられてしまう。


「解りました、タナカを探しましょう、ユマ姫様は歩く事が出来ますか?」

「いえ……少し厳しいかも知れません。なるべく早く探したいのです、申し訳無いのですが背負って頂けますか?」


 カフェルは部下に姫を背負うように指示を出す。一人がベアードと名乗る男を歩かせて、一人が姫を担げば、自由になるのは自分と僅かにもう一人だけ。まだ帝国兵が残っている可能性を考えれば心許無い人数だ。

 6人の諜報部がユマ姫の迎えに揃っていたが、残る二人はベアードを追う前に、最悪の事態を想定し報告に戻らせてしまっていた。


「オイ! タナカが落ちたと言う崖まで案内しろ!」

「イタタァ、解りましたよ! そんなに腕を締め付けないよう言って下せえ!」


 泣きそうなベアードには、全く覇気が感じられないが油断は禁物だ。カフェル達は油断なくその崖へと向かう事にした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ここから? ……落ちたのですか!?」


 呆然と崖下を覗き込むユマ姫の顔色は蒼白。カタカタと震える歯の根と肩が痛ましい。


 ベアードの案内する崖、来てみれば死体が散乱して正に死闘の跡が感じられる。しかもこれ以外に、かなりの人数が崖下へ落とされたと言うのがベアードの証言だ。


 ――たった一人でそれだけの人数を? 化け物か?


 カフェルの額に冷や汗が滲む。ここまでやればむしろ出来過ぎだ。帰りを待つより立てる銅像の心配でもした方が良い様に思えてしまう。


「タナカは、彼は素晴らしい戦士だった様です。様々な戦場を見て来ましたが、一人でこれ程の戦いを演じた男の話は聞いたこともありません」


 そう言って姫を慰めようとするのは、諜報部一の古株の男性だ。年若いカフェルのサポートのためにと配属されていた。


「いえ! まだ! まだです? 彼は! 彼は特別なのです! 死んだと決まった訳ではありません!」


 認めたくない一心、カフェルには姫の表情はそう見えた。実際ここまでの実力が有る戦士だ、信じたくなるのも無理はない。


「仕方ありません、ここまで来たのです。崖下を探しましょう」

「隊長!? 無駄です、それに帝国の別動隊と接敵したら危険が過ぎます!」

「それでもです、ネルダリアの、いえ、ビルダール王国の存亡がかかっています、今はリスクを取ります」


 カフェルの決断は若手部員(それでもカフェルと同年代だが)が声を上げる程に危険な物だった。しかし無理矢理にユマ姫を拘束し攫うなら、帝国と何一つ変わらない。

 協力を得る為に話をしたいのだから、敵対は絶対に避けねばならなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そうして行われた崖下の捜索、しかしその過程で見つかるのは死体のみ。それも身元すら解らぬ程に損傷した姿の死体だ。

 原因は高さと地形だ。まず高さは少なくても百メートルは有った。カフェルの感覚で言えばその半分でも生存は絶望的だ。

 加えて地形、それが非常に切り立った難所だった。キツイ斜面や大岩が転がり、殆ど同じ場所から落ちたと言うのに転がる死体の場所は大きく離れていた。

 それでも何とか歩を進める、しかしあまりの難所にユマ姫を背負う部隊員が音を上げた。

 だが崖下は霧が薄く、ユマ姫はなんとか一人で歩く事が出来る様になっていた。

 しかしそれでも辛そうで、青白い顔が一向に晴れないのは、霧だけの所為ではないだろう。

 死体が見つかるたび、原形を保たぬグロテスクな姿をユマ姫は必死に検分しようとするのだ。


 カフェルはその背中、痛ましさの余り直視する事が出来なかった。他の部隊員もそうだ、もう誰も死体を発見した時に、これで帰れるかもしれないと喜べない。

 そんな時にも終わりが近づいていた。


「あと調べて居ないのはこの下ぐらいです」

「そうですか……」


 そこは崖下の更に下、ぽっかりと斬り込まれた様な谷間がそこに有った。


 もし崖の真下ではなく、その谷間へと落ちた場合。その体は更に百メートルは下の谷底へ、合計して一気に二百メートル近くを落下する事になる。

 谷底はもうスフィールのある標高と、殆ど変わらぬ高さではないだろうか?

 これほどの高さ、一息に落下出来る特異な場所がゼスリード平原にあったのかと、そんな驚きを覚える程の高低差。

 例え死体を見つけても、判別出来る原型を保てて居るかが不安な高さだし、そんな死体をいたいけな少女に見せたいとは思えない。


 しかし、それでも少女は諦めなかった。


「降りる場所を探してください」

「……解りました」


 崖下を見つめる少女の目は最早虚ろで、今にも飛び降りてしまいそうに見えたのだ。

 もう止めてくれと思いながらも、それを飲み込むしかカフェルには出来なかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そうして遂に一行は薄暗い谷底で、一つの死体を発見する。


 黒いマント、ジャケットにパンツ、何より奇跡的にある程度の原型を保ったその巨体……巨体が潰れて更に広がってしまっていたが、話に聞いたタナカと言う戦士の特徴とピタリと一致した。


「アレだアレ! 間違いねぇ、あのタナカって男の格好に間違いねぇよ」


 誰も喜ばないと思ったが違った、カフェルは弾んだ声を上げるベアードをぶん殴りたい衝動に駆られたがグッと堪えた。


「あ、お待ちを! 我々が先に確認します」


 カフェルはふらふらと死体に近づく少女の肩を抱く。この高さだ、うつ伏せとなった背中は普通に見えても。その顔は潰れて見るに堪えない姿に違いないのだ。


 そうして部下に確認させたのだが、死体の顔を見た瞬間。慣れた筈の彼らの表情さえも引き攣ってしまう。

 碌な状態じゃないと思いながらも、その様子を耳打ちする部隊員の言葉に耳を傾けた。


「そんなに酷いのか?」

「戦場を経験した者でさえ、二、三日は悪夢にうなされる事請け合いですよ。年頃の少女に見せて良い物じゃありません」

「しかし! それではあの子は納得しないでしょう!」

「それでもです! 同盟どころかただ話を聞くのだって、あの姫が気を(たが)えちまっては意味が無いでしょう」

「……それ程、ですか?」

「ええ、悪い事は言いません。茣蓙(ござ)をかけて隠していますから、なんとか誤魔化す事です」


 それを聞いてカフェルはキツく歯を食いしばる。誤魔化すなど出来ないだろう、無理矢理攫うなんて嫌だったが、下手をすれば死体を見せつけて、少女を傷付けるだけの結果になりそうだった。


「誤魔化されなどしませんよ! 確認します。よろしいですね?」


 思いがけぬ強い調子の固い声、少し離れたユマ姫だった。


 ――? あの距離で? あの耳打ちが聞こえた?


 カフェルにはその手妻が解らない、だがその決意は固い事だけは解ってしまった。

 茣蓙(ござ)で隠したその死体、すでに少女はそのそばで、必死に死体を隠していた部隊員へと詰め寄った。


「見せて下さい!」

「え? いやそれは?」


 こちらを窺う部隊員に、泣きそうな顔でカフェルは命令を下す。


「見せてあげて下さい」

「は、はい」

「……ユマ姫様、お気を確かに」


 カフェルの命でゆっくりと茣蓙がまくられる。


 見るに堪えないその死体、まだ幼い少女は必死に調べた。服、マント、そしてグチャグチャに崩れたその顔面、そこに埋まった歯の一本一本まで。

 その時だ、何かを見つけた少女が、ハッと立ち上がる。


「あ、ああ、ああああ!」


 奇声を上げ、そして走った。しかしすぐに足がもつれ、地面に転がり蹲った。


「ぐぇ、あぅ……ガッ! グッ! ゲェェ」


 そして吐いた。


 無理もない、むしろ今まで気丈に頑張り過ぎたのだと、その場の誰もが唇を噛み締めた。


 そんな中、カフェルは少女に近づき、その小さな背中を必死に撫でた。

 彼女はすっかり少女とかつての自分を重ねあわせた。あの日、自分には振り下ろされなかった鞭が、振り下ろされてしまったのがこの少女だとすら思えてしまう。


「大丈夫ですか? 姫様! 今度は! これからは私がユマ様を守ります! だから! 気をしっかり持って下さい、彼の為にもです」


 その思いが伝わったのか、少女はカフェルに抱き付き、そして泣いた。


「うぅ……あああぁぁぁぁ」


 わんわんと子供の様に、いや、子供らしく少女は泣いた。

 それをカフェルは、吐しゃ物が付くのも構わず抱きしめた。


「やはり彼が、タナカだったのですね……」

「ヒッ……く」


 泣き止んで、それでも止まらぬしゃっくりを抑え、少女は首を縦に振る。


 黒尽くめの大男の潰れた死体。その歪んだ顔に埋まっていたのは細長く黒い鉄。

 それは少女とその護衛だった男が二人、メガネと呼んでいたアクセサリーが、無残にひしゃげた姿だった。

流石に次話を早めに上げます。


例によってメートル等の単位は都合よく翻訳されていると思って下さい。

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